35
一部修正しました。
隻眼の赤毛の大男。
特徴の塊みたいな相手を一目で判別できなかったのは、部屋が薄暗かったのと、「こんな所で会うわけない」という思い込みのせいだ。
「いやはや、こんな所で再会するなんて思ってもみなかったぞ」
その点はお互い様のようだった。向かいの席で、男も片方しか無い目を見開いて、まじまじと見つめてくる。ただし、向こうから見てミオンは無個性の塊なので、よく一目でわかったなと逆にミオンが驚くところでもある。
「しかし意外だったな。この前会ったときは、いいところのお嬢さんかと思っていたんだが……」
「ええ?」
男の視線は、ミオンの服の上にある。大神殿で出会ったときに着ていたのは、外出用の普段着だった。安くはないが、高級品でもないので、庶民のミオンでも安心して着ていられる服だった。
今は、『下町の兄妹』を前面に押し出した服装である。下町の衣料品店でまとめ売りしている安物だ。なるほど、あの普段着なら自分もそんな風に見えるようになってきたのだと、ミオンは嬉しく思った。学院に入学したての頃、木の枝に着せた方がましと笑ったジェラールに、この科白を聞かせてやりたい。いや、隣にいるのだが。
(ちゃんと聞いてる、お兄ちゃん! お嬢さんだって!)
ニヤつく口元を隠すつもりで俯いていたら、男が慌て出した。
「あー、その服もお嬢さんに似合っている。十分に可愛らしい」
「ありがとうございます」
勘違いだとわかったが、褒められたのでミオンは礼を言った。マギーもそうすべきと言っていた。ついでに、褒め返しておくことも忘れない。これもマギーの教えだ。
「わたしも、すぐにわからなくてごめんなさい。今日は、髪型違うんですね。眼帯もよく似合ってます」
前回と違って、男はきちんと髪に櫛を通して、顔の半分を覆っていた髪をあげていた。代わりに黒い眼帯が傷を隠している。おかげで余計な凄みが増しているのだが、本人も承知の上だった。
「一応、客に会うのだから身なりは整えろとうるさい奴がいてな。こんな風体だから、どっちにしても怖がられると思うんだが」
ミオンの言葉に、男は少し照れたように肩をすくめた。
「その気持ちはわかります。あ、怖がられる方じゃなくて、うるさく言う方に! あ、そんなにうるさいってほどではないですけど!」
「そうかそうか。もしかしてその口うるさいのは、そこでふてくされてるお兄さんのことか?」
男が口の端をあげて、ミオンの隣を指した。
「……おにいちゃん?」
ジェラールは、ミオンに背を向けて、項垂れていた。背中をつつくと、じろりとにらみ返された。
「なんだよ」
「ふてくされてるの?」
「違う」
きっぱり否定するが、どうみてもふてくされている態度だった。とりあえず、本人の希望を伝えてみる。
「ふてくされてはいないそうです」
「ほう。では、その態度はどういう意味なんだ?」
男は、今度は射すくめるように目を細める。ジェラールは目を逸らしたまま、じりじりと身体の向きを戻した。
「その……話の邪魔しちゃ悪いかなと……二人とも知り合いみたいだっ――」
最後まで言う前に、男が動いた。目に止まらぬ早さで、ジェラールの頭を掴んだ。大きな手は兄の頭も一掴みだったんだと、ミオンは目を丸くしていた。男はジェラールを引き寄せて真正面から見据え、凄みのある笑みを浮かべた。多分、子供は泣くと思われる。
「なんだ、嫉妬か? よし、わかった、教えてやるからよく聞け。俺はここでよろず相談を請け負っているイプスという者だ。で、どうしてお嬢さんを知っているかというと、俺とお嬢さんは、先日、大神殿で神託の掲示板を一緒に見ていたからだ。話もしたぞ。お嬢さんは俺に花のことをいろいろ教えてくれた。押し花が得意なんだってな」
「あの、得意ではないです……」
小声でミオンが訂正すると、イプスと名乗った男は一瞬固まった。
「……あー、まあ、とにかくちょっと立ち話をしただけだ」
どうだ、わかったかと念を押されて、ジェラールは首を縦に振った。この状況で首を縦に振らなかったとしても、無理矢理縦に振らされる未来がすぐそばにある。
「大神殿の、掲示板……?」
イプスが手を放したので、ジェラールは急いで首を引っ込めた。かき回された髪をなで付けながら、横目でミオンに尋ねる。
「うん、この前、マギーに連れて行ってもらったの」
「掲示板って、神託のか? なんでそんなのいまさら見にいったんだ?」
「えーと……ちょっと気になることがあって?」
「気になること?」
「そういえば、あの時もお嬢さんはずいぶんと熱心に見ていたな」
自然と、視線が集まってくる。おかしい。確かここではジェラールに任せて何も話さずにいる予定だったのに。役割が逆になっているような気がする。
「ほんとに、ちょっと気になっただけです。さっき、ここに入るときにお兄ちゃんが紙を渡したと思うんですけど」
「ああ」
「あの紙に書いてあった記号、というか模様が、その……神託の中の文字に似てるような気がして……友達にも、そんなの似てないって言われたんですけど、確かめてみたくって見に行ったんです」
「で、どうだっんだ?」
首を傾げながら、ジェラール。記憶の中で照合しているようだ。ミオンは首を横に振った。
「同じのは無かったけど……でもどこか似てるような気がするんだけど、よくわからなかった」
「形が全然違うだろ。神託のあれは、なんつーか、もっと柔らかいって言うか、直線なんか無かっただろ」
神託は、文書と呼ぶには文字数が少ない。ミオン達が日常に使っている文字同じだけ当てはめると一文にもならないので、マギーやジェラールのような優れた頭脳なら、全文記憶するのは朝飯前のようだ。
もっとも、アビアナに寄れば神託は楽譜だというのだから、文章ですらないのだが、これは極秘情報なので誰にも秘密である。
「そうなんだけど……えーとほら、形とかじゃなくて……雰囲気みたいな」
「なんだよ、雰囲気って……」
「えー、だから雰囲気だってば。神託っぽいなって雰囲気」
「わかるかそんなもん」
「まあ、待て、二人とも」
言い合いになりそうなところで、イプスが止めに入った。
「お嬢さんの話は、一概に違うとも言い切れないぞ」
「え」
「ほんとですか!」
不満そうなジェラールと、期待に満ちたミオンを交互に見て、イプスは苦笑する。
「といっても、立派な確証があるわけじゃ無い。俺の記憶だと、その符丁の元になっているのは古い言語で、神託と同じ系譜を辿るとか何とか聞いたな」
「えーと……あ、じゃあそうすると、あれも神託ってことですか?」
「なに……?」
「ばかだな。そんなわけないだろ。系譜が同じなら何でも神託になるわけないだろ」
すかさずジェラールが嗤った。ミオンは言い返すが、全部鼻先であしらわれてしまう。
「だって同じ言葉なら」
「同じ言葉じゃなくて、同じ系譜。元が同じでもどんどん枝分かれして他の言語とまざって最後は別物、ってのはよくあるだろ」
「でも、読んでみないとわからないし!」
「お前、神託なんか読めないだろ?」
「うー」
「あー、待て待て、お前たち、ケンカはよせ」
見かねた様子で、イプスが再び止めに入る。
「だいたいお前……そういや名前は何だ?」
「……ジェラールです」
「そうか。んじゃ、ジェラール、お前はここに妹のことで相談に来たんじゃなかったのか?」
「……そうです」
すっかり忘れていたと、顔に書いてあるのをミオンは見た。
幸いイプスには見えなかったので、苦笑されて終わった。繰り返しになるが、光源の位置が悪いので笑顔も怖い。
「まあ、仲が良いのは見ててもわかるからな。俺もそんなに時間があるわけじゃないんだ。そろそろ――」
床を擦る音がして、ノックの音が続いた。
「――おい」
奥の扉が開いた。最初に二人を招き入れた男が、イプスに向かって顎をしゃくってみせる。
「すまない。すぐ戻る」
イプスは表情を引き締めて立ち上がった。奥の部屋は行かず、戸口で二言三言交わしただけで、本当にすぐ戻ってきた。
「失礼した。失礼ついで、というわけじゃないんだが、これからすぐ急な来客があるそうなんだ。出来れば後日、改めて来てもらえないか?」
イプスは言いながら、一枚の紙をテーブルの上に置いた。記号が一つと、時間と、略地図が描いてある。次の面接場所の予約と言ったところか。
「悪いがこれも渡せないんだ。また覚えてくれ」
「はあ……わかりました」
ジェラールが紙を手元に引き寄せてのぞき込んでいる間、イプスはミオンに言った。
「その符丁も、同じように見えるか?」
兄の手元をのぞき込む。この場で渡したのとは別の記号が描いてあった。直線が三本、不格好な三角形を作っている。角の一つだけが弧を描いている。残り二つの角は直線がはみ出ていて、その先に小さな○が乗っていた。
全部暗記しているジェラールは即座に否定する。けれどもミオンは、首を傾げた。
「お兄ちゃんがそう言うなら似てないんだと思うんですけど」
「やはり『雰囲気』か」
「はい……」
「叱っているわけじゃないんだから、そんな顔をするな。むしろ俺には朗報だ」
「ろうほう?」
再び、ノックの音がする。今度は間隔が短い。イプスは扉を振り返っただけで、話しには行かなかった。代わりに立ち上がって、二人を急き立てる。
「覚えたか? 急がせて済まないが、そろそろ時間だ。ああ、少しくらい間違っても大丈夫だ。今度は直接俺が出るようにするから」
ジェラールから用紙を取り返すと、イプスは先に立って玄関を開けた。最初と同じように、きっちり一人分の隙間だった。
「じゃあまたな」
「お邪魔しました」
ミオンが出るとすぐに扉は閉じられた。素に出たらすぐに歩き出せと言われていたので、兄妹は元来た方に歩き出す。
角を一つ曲がったところで、急ぎ足の兵士達とすれ違った。振り返ると、兵士達はミオン達が曲がってきた角の向こうに走り去った。
「お兄ちゃん、あれってもしかして」
「いいから行くぞ」
気になったが、うっかり見に行って関わり合いを尋ねられるのも面倒だ。ジェラールに強く引かれて、ミオンは小走りに大通りまで出た。
「――よう、お二人さん、奇遇だな。よかったら乗っていかないか?」
大通りに出るとすぐに、ロネに呼び止められた。人足風の格好をしたロネは、背後にある荷馬車を指さした。
「……ミオンだけ乗せていけよ」
ジェラールはそのまま通り過ぎようとして、引き留められた。ロネではない。荷台に掛けられた幌の隙間から、腕が伸びている。
「乗れ」
隙間から、エリューサスが鋭く命令する。更に隙間が広がって、アルファドも顔を覗かせた。
「乗っていってよ。そうじゃないと、心配だからさ」
「俺のことは別に――」
「ああ、うん、君のことは心配じゃないんだ」
「アル様!」
ストレートな物言いに、ジェラールが固まった。ミオンが声を上げると、アルファドは、まあまあと宥めるように手を振った。
「ごめんよ、でも僕が心配なのは、ジェラールのことが心配のあまり一緒に歩いて帰るって言い出しそうなエルだから」
「……」
「……」
幌の隙間は閉じてしまったが、ジェラールを掴む腕は引っ込まなかった。
「早くしないと放り込むぞ?」
ロネがニヤニヤしながら指を鳴らしている。本気でやりかねないので、ミオンは急いでジェラールの腕を引いた。
「おにいちゃん、乗ろうよ」
「……わかったから。乗るから……その、乗りにくいんで、放してもらえませんか」
幌が開くと同時に、腕は引っ込んだ。アルファドが、満面の笑みを浮かべていた。
「じゃ、みんなで帰ろうか」
何しに行ったんだろう、この兄妹、と思ったあなた。
私も同意見です。気づいたらイプスが空気でした。それも怖い空気。明かりの位置には人一倍気を遣ってほしいものです。
それでは、今回もお読みくださってありがとうございました!




