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「とにかく、殿下にお知らせしましょう」


 未確認事項は多いが、知らせるべきだとマギーが主張するので、ミオンは地面に残った図形を写し取ってエリューサスの別邸に向かった。

 顔見知りになった門番――名前はデリーとヤゴーズだ――と和やかな挨拶を交わした後は、形式的なやりとりを交わして――「君、名前と所属は」「初級科のミオン・ハルニーです」「よろしい。用件を述べなさい」――メモをエリューサスに渡してくれるように頼んだ。


「殿下なら先ほどお戻りになられているから、少し待っていなさい」


 年長のデリーが伝言を持って中に入っている間、ミオンとマギーは残ったヤゴーズと世間話をして待つ。職務中の私語は厳禁なので、小声で、こっそりと、ワノバス通りの話題の店の話で盛り上がった。ヤゴーズは最近年下の彼女が出来たそうなので、連れて行く店のチェックに余念が無い。

 次の店を紹介する前に、デリーが戻ってきた。


「二人とも、中に入りなさい。殿下がお会いになるそうだ」


 ヤゴーズに別れを告げて、邸内に通されるとエリューサスと、アルファドが揃って待っていた。執務室、とでもいうのだろうか。エリューサスは大きな机の前に座り、アルファドとミオン、マギーはその前にソファにそれぞれ腰を下ろした。


「ジェラールが勧誘されたんだって?」


 開口一番に、アルファドが確認してきた。


「手紙にも書きましたけど、未確認です」


 ジェラール本人が、秘密教団からの勧誘ではないかと疑っているだけだ。兄との会話を出来るだけ正確になぞって話すと、アルファドは生暖かく笑った。


「なるほどね。意味ありげな悩み相談からっていうのは、詐欺の常套手段だよねぇ」

「詐欺、ですか」

「相手の目的と自分の目的を巧みにすり寄せるのが成功の秘訣だよ」


 詐欺の講義は受けた覚えがないのだが。

 メモを取った方が良いのかと悩んでいると、マギーが言った。


「私見ですが、それは恐らく秘密教団のシンボルでは無いと思います」

「何故そう思う?」


 エリューサスに問い返されて、マギーは一瞬、口ごもる。


「その……あまりにも安直かと」

「僕も同意見だよ。勧誘するにしては、あまりに安易だ」

「?」


 ミオンが首を傾げていると、アルファドが付け加えた。


「例えるなら、これは一種の試験だよ。このシンボルを見せて、相手が本当に悩み相談にやってきたら、次の段階に進ませる。そのときにはまた別のシンボルが出てくると思うよ。そうやって、教団に迎え入れるのにふさわしいかどうかを見定めるんだ」

「……最終試験は生け贄の儀式といったところか」


 低く、エリューサスが呟く。ぎょっとするミオンを、マギーが宥めた。


「あくまでも可能性の話よ」

「でも……それじゃお兄ちゃんが……」


 自らの手で動物の命を奪うようになってしまうのかと、ミオンは身を震わせた。


「ミオン」


 エリューサスは席を立つと、ミオンの隣に立った。ミオンが顔を上げると、大きな手が、ミオンの頭を、ぽんぽんと撫でた。


「そんなことにはならない。だからジェラールは俺に伝言しろと言ったんだろう」

「……はい」

「変なとこ意固地になってるね、ジェラールも。あとはこっちで調査するから、結果が出るまでは誰にも言っちゃダメだよ?」


 アルファドに念を押されて、ミオンとマギーは寮に戻された。別邸から伝言が届いていたので、夕食の時間には間に合わなかったが、二人の分はちゃんと残っていた。


「ねえ、マギー」


 がらんとした食堂は、思ったよりも声が響いた。ミオンは慌てて声を落とす。


「なあに?」

「……あのね、お兄ちゃんが描いたあの絵、あれって、神託の字と似てると思わない?」

「全然似てないと思うけど」


 皿の上の鶏肉を切るように、マギーはすぱっと否定した。アビアナから借り受けたの神託の全文は、サロンメンバーも全員、目にしている。当然だが、誰も読めなかった。


「えー……マギー、全部覚えてるの?」

「まさか。ただ、あんな特徴的な文字は神託の中には無かったと思うわ」

「そうかなあ……」

「そんなに気になるなら、確かめてみたら?」

「うん……アビアナ様から借りるまで覚えていられるかな……」


 メモした紙は、そのまま預けてきてしまった。アビアナの元から神託の全文がくるまで何日かかるのか。もう一度書き直そうとメモを引っ張り出して、マギーに呆れられた。


「アビアナ様から借りなくても神殿に行けば見られるでしょ」

「え? あ!」


 数日前、ハベト族から正式に神殿に使者が訪れ、神託が降りたことが発表された。王都の大神殿を最初に、順々に各地の神殿に掲示されることになっている。

 アリーゼの故郷は田舎だから確認するまで時間がかかったんでしょうね――過去の記憶が囁いてくる。解読してから処遇が決まるまでの時間を逆算すると、まもなくアリーゼが神託を目にする。遅くても数ヶ月後だ。


(もうすぐなんだ……)


 そう思ったら、焦りが生まれた。まだ子猫を救う具体的な方法をミオンは手に入れていない。こうなったら、ジェラールが勧誘されたるのは好都合かもしれない。教団内部まで入り込んで情報を流してもらえば、ミオンだけでなく、エリューサスやアビアナ、ついでにアリーゼもテルスターもギノも助かるに違いない。ジェラールの身の安全だけが確保できないのが問題だが、後回しだ。


(きっとエル様が守ってくれるよ!)


 後回しと言うより、丸投げである。


「そうね、明後日なら、午後は空いてるでしょ? 一緒に行ってあげるから、ぼんやりしてないで早く食べちゃいなさいよ」


 ミオンと話しながらも、マギーは上品に食べ続けていた。一方、ジェラール潜入計画に没頭していたミオンは、手が止まったままだった。我に返って、急いでナイフとフォークを動かす。音が響いて、マギーに睨まれた。


「マギーも一緒に来てくれるの?」

「当たり前でしょ。神託は神殿にしか掲示されてないんだから、馬車を頼むわ」


 学院から大神殿までは、ミオンの実家からよりは近いが、歩いて行くには距離がある。マギーの好意に素直に甘えて、当日はナトワーズ商会の馬車で大神殿に乗り込んだ。こちらの馬車の座席も、伯爵家に負けず劣らずのふかふか具合だった。


「神託は向こう側にあるんですって」


 大神殿は、石造りの荘厳な建物だった。学院も広いと思ったが、神殿はもっと広い。さすがはマルティド教の総本山だ。本殿の上の方まで、どのくらいの高さがあるのか。遠目にしか眺めたことの無いミオンは、それ自体が芸術品のような門の横で、ぽかんと口をあげて見上げていた。


「ちょっとミオン、聞いてるの?」

「うん、聞いてる。あっちでしょ?」


 口を閉じて振り返ると、マギーは疑わしい目をしていたものの、ミオンの指した方角に頷いた。


「そう、そこの掲示板ね。見えるでしょ? 私は中でご挨拶してくるから、先に行ってて」

「わかった」


 小走りに本殿に向かうマギーを見送って、ミオンは掲示板に向かった。掲示された日は黒山の人だったそうだが、今は数人が、まばらに立っているだけで、ほとんどが眺めてすぐに引き返してくる。ミオンが掲示板の前に立ったときには、もう一人、体格の良い男性が立っているだけだった。


(えーと……)


 神託は、大きな板に書き写されて張り出されていた。相変わらず読めない。


(似たようなのは……無い、かな……)


 ジェラールから教わった記号は書き直したが、持ってこなかった。迂闊に持ち歩かない方がいいとマギーに言われたのだ。万が一にも教団の人間に見つかって、秘密を漏らしたジェラールの身に害が及ぶとも限らないから、と。


(これなんか似てないかな……横にしたら……分解もダメか。うーん)

「――君」


 首を捻っていると、横から呼びかけられた。


「えっ、はい? わたし?」


 横を向けば、先ほどから隣にいた男性が、頷いた。


「そうだ。少し、話をしても構わないだろうか?」


 男性の第一印象は、大きい人、だった。身長だけなら、エリューサスとほぼ変わらない。しかし、羽織っているゆったりした上着の上からでも、広い肩幅がよくわかかった。袖もたっぷりと布が取ってあるが、その先から伸びている手は、がっしりしていて大きい。ミオンの頭など一掴みに出来そうだ。


「ええと、なんでしょう……?」


 男性の髪は赤かった。櫛の存在を忘れたようなぼさぼさ頭で、長く伸ばした前髪が顔の左半分を覆っている。胡散臭いのは前髪だけで、物腰も口調は丁寧で、ミオンを見る目は理性的だ。丁寧な悪人なんていくらでもいるから気をつけろと言ったマギーの言葉を思い出して、ミオンは本殿を振り返った。マギーの姿はまだ見えない。


「ああ、用があるならいいんだ。すまなかった」

「いえ、友達が一緒だったから。でもまだ来ないから、大丈夫です」


 ミオンがそう言うと、男は礼を言った。


「時間は取らせない。少し聞きたいことがあって」

「はい、なんでしょう」

「君は――花は、好きか?」

「花……何の花ですか?」


 聞き返すと、男は虚を突かれたような顔になって、言葉に詰まった。


「何の花……そうか、何の花かな……」


 困ったように繰り返して、男は神託の掲示板を見上げた。その様子が、予習をし忘れた時の自分と重なって身につまされる。


「あの、嫌いな花は今のところ無いので。好きです。綺麗だし、良い匂いだし、いろいろ役に立つし!」

「そ、そうか」


 いきなり前のめりになったミオンに、男が一歩引く。そのときに前髪が揺れて、男の顔が一瞬あらわになった。


「あ」


 ミオンの表情が変わったのを見て、男は慌てたように顔を押さえた。


「悪い。気持ち悪かっただろう」


 男の顔の半分は、瞼の上から頬にかけて、細い傷が数本、伸びていた。傷自体は古いもののようだが、傷口は色が変わって盛り上がっていた。


「いえ……ごめんなさい。平気ですか?」

「古い傷だから、痛みは無いんだ。君が謝ることじゃない。気にしないでくれ」

「はい……」

「それで、花のことなんだが、いろいろ役に立つというのはどういうことだろうか」

「はい、あの、押し花はご存じですか?」


 聞いたことも無いという男に、ミオンは側の木から葉っぱを一枚つまんで、作り方から説明した。それから、その押し花がどんな風に使われるのかや、ついでにルザリア院の事まで、謝罪の意味も込めて熱弁を振るった。もう、話し忘れたことは無いだろうか。これくらいで満足してくれただろうか。


「すごいな。花一つで、そんな風になるのか」


 男は感心したように頷いている。大満足してくれたようだった。


「はい、リンスベルさんはどんな花でもできるって言ってました」

「それならそのうち試してみよう。いい話をありがとう」


 そう言って男は、最後に笑って去って行った。ミオンは、うっすらとかいていた額の汗を拭った。頑張って話した甲斐があった。こんなにたくさんの話をしたのはしばらくぶりだ。マギーはいなかったけれど、とても楽しい時間だった。


「あ……マギー……そういえば遅すぎない?」


 すっかり忘れ去っていた親友の身を案じて本殿に向かって走ると、ちょうど出てきたばかりの本人と鉢合わせした。


「わ!」

「マギー?! よかった!」


 無事だったと抱きつくと、マギーは抱きしめ返してくれた。


「父の知り合いの方がちょうどいらしてて、掴まってたの。ずいぶん待たせちゃったわよね。ごめんね」

「ううん、大丈夫。見に来てた人と話してたから、そんなに気にしないで」

「そう、見に来てた人と……話してた?」


 がばっと身を剥がしたマギーは、半眼だった。


「ミオン、それ、知ってる人だったの?」

「え……う、ううん、神託を見に来てた人で……」


 そういえば男の名前も素性も何も聞かなかった。顔の脇に冷や汗を垂らして目を逸らすが、マギーは離してくれない。


「ここで会ったばかりの人? どんな人?」

「えーと……大きい人で、でも、すごくいい人だったよ!」


 口は災いの元。

 この後、丁寧な口調の悪人について、マギー講師の実例を交えた実践的な講義への強制参加が決まった。

いろんな意味でジェラールの身に危険が迫りつつありますが、なんとなく回避しそうな気がしてきました。ミオンの兄ってことで周囲も納得してるみたいですし、きっと大丈夫。


それでは、今回もお読みくださってありがとうございました!


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