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――間に合ってないでしょ、まだ。
過去の自分の呆れ声に、ミオンはこっそりむくれた。
あの子猫を助けなければ意味が無いと咎められるのはわかる。だからといって、他の動物を無視していいわけがない。
断固として抗議してみたが、返事は無かった。納得したのか、あるいは呆れかえって言葉も出なくなったのか。後者の方が可能性は高そうだ。
「こちらが思っている以上に深刻な事態のようだ」
エリューサスの声に、アビアナは振り返って頷いた。
「王都をお騒がせしたことは重ねてお詫び申し上げます。すべて、私の浅慮が招いた事態です」
「そちらにも事情があることは承知しているつもりだ」
「それでも敢えて言わせてもらうと、もう少し早く打診が頂きたかったですね」
アルファドの追撃に、アビアナは深く項垂れる。
「全て内々に納められると過信した私の責任です。相手の動きは予想以上に狡猾で、素早いものでした」
「その辺りは後ほどゆっくり伺わせてもらおう」
エリューサスはそう言って、ミオンを見た。
「とりあえずお前は謹慎しておけ」
「え?」
唐突すぎて意味がわからない。アルファドに助けを求めると、こちらからも苦笑が返ってきた。
「危険だから、関わらないようにって言ったはずだよね? 約束を守れなかったんだから、ミオンはしばらく外出禁止」
「えー!」
声を上げてみたが、それ以上の言葉は出てこなかった。説教を食らう覚悟はしていたが、謹慎は予想できなかった。
「……フィルフィーの新作、楽しみだな」
横を向いて、エリューサスが呟く。表情はまったく動いていないが、ちらりとこちらを見る目が、微かに笑っている。
「……うっ!」
フィルフィーは、ワノバス通りで人気の焼き菓子店だ。店主はイベント好きの性格で、新作を出すときは必ず予告をしてから売り出すので、学生達もこまめにチェックを入れている。ミオンも、エリューサスも例に漏れず、だ。ちなみにエリューサスは周囲にいくら言われても、自身の足で店を訪れて買い求める。列が出来ていれば、並ぶ。なので、エリューサスファンの女生徒は、別の意味でフィルフィーの新作発表日をチェックしているそうだ。
そのフィルフィーの新作は、来週販売予定だった。それを知っての上での謹慎命令とは、酷すぎる。
(いいもんいいもん、マギーにお願いするから! 焼き菓子なら持ち帰りも出来るんだから!)
できたてを食べられない悲しみを抱えながら、ミオンは寮に戻った。口止めはされなかったので、待ち構えていたマギーに別邸での話を全て語って、最後に涙目でフィルフィーの新作を買ってきて欲しいと頼んだら、怒られた。
「そういうことも含めて謹慎なんだから、ダメに決まってるでしょ! だいたい、あなた、私の誘いを断ったのってそういうことだったのね!」
説教の追加までくらって、ミオンはしばらく立ち直れなかった。夕食はちゃんと食べたが、いつもより美味しくなかった。マギーの機嫌が直るまで一晩かかりそうだったので、早々にベッドに潜り込む。予習復習なんて、知るものか。今、ミオンを慰めてくれるのは、動物たちが助かったというアビアナの言葉だけだった。
(いいんだ、はやくあの子も助けて、それで全部終わりにするんだから)
お説教ばかりの学院生活はそこで終わりにして、新しい生活を始めるのだ。ベッドでいじけながら、ミオンは助ける予定の子猫と暮らす明るい生活を妄想する。
(飼っちゃダメって言われたら、どうしようかな。餌も自分で買うって言えばいいかな……あ、そしたら働くところ見つけないと)
子猫と一緒の新生活は、次第に将来設計もどきに膨れあがり、最後は結婚以外の学院中退者に明るい未来があるのかどうかという重圧になってミオンから安眠の時間を奪った。
「……今にも寝そうだね?」
翌日、教室で顔を見るなり、ニスモアが言った。今朝から会う人全員に言われているので、もはやミオンは頷くことすら面倒くさくなっていた。ミオンのやさぐれた心を読んだのか、ニスモアは、どうしたのと、隣のマギーに目で問いかけた。
「人生計画で疲れたらしいわ」
マギーの回答は、ニスモアをしばらく考え込ませた。ミオンがあくびを三回したところで、おずおずと問いかける。
「なあ、それって、ハベト族の王女様が殿下を訪ねてきたことに関係ある?」
「相変わらず耳が早いわね」
「そうでもないだろ。ま、知ってる奴は限られてるだろうけど」
少しだけ得意げに言って、ニスモアはまた声を落とした。
「じゃ、やっぱりそうなんだ?」
「関係があると言えばあるけど……たぶん、ニスが考えているようなことじゃないとは思うわよ?」
「だってハベト族の王女殿下が来て、人生設計が狂ったんだろ?」
「狂ってはいないけど……?」
睡魔を追い払いつつ、ミオン。声はまだ寝ぼけている。ニスモアは首を傾げた。
「あれ? 違うのか?」
「なんとなくわかるけど、あなた、ミオンがどんな人生設計していたと思ってたのよ」
「それはほら、やっぱりあれだろ、身分差も考えずに殿下のおそばに、とか考えてたんじゃないのか? それで婚約者が出てきたから落ち込んでたんだろ?」
「……はあ?」
眠気も吹っ飛ぶとはこのことだ。思わず上げた声に、教室中の注目を浴びて、慌てて首をすくめる。
「そんなことだと思ったわ。私も最初はそう思っていたし」
マギーは、予想通りと頷いていた。
「え、ちがうの?」
ニスモアはまだ信じられない様子だ。
「違うらしいわよ。本人が言うには」
「うん、わたし、王女様が殿下の婚約者だってことも、いま初めて聞いたし」
「うそだろ!」
ニスモアが言うには、アビアナとエリューサスの婚約話はずいぶんと前から噂になっていたという。実際に婚約者と決まるのはエリューサスが十八歳になってからなので、婚約者候補、ということではあるが、かなり有力視されているそうだ。
「すっごい有名な話だと思ったんだけど……」
「そういう話、こっちが悲しくなるくらいこの子ったら知らないのよ」
そんなにマギーに悲しい思いをさせていたのかと思うと申し訳ないが、知らないものは知らないのだ。
(だってゲームでエル様の話ってほとんど出てこなかったし)
過去の記憶を思い出さなかったとしても、王子様がどこのお姫様と結婚しようが、別世界の話なので気にも留めない自信はある。
ただ、ニスモアの考えはきっと、ミオン以外の全員が思っていることかもしれない。何の思惑もないまま、王侯貴族の側に庶民がつきまとっているのは理解しがたいだろう。
(知ってたらちゃんとご挨拶したのになあ)
思い返してみると、アビアナにきちんと挨拶できていたかどうかも記憶が曖昧だ。ただひたすら、驚いて終わった気がする。
「もしかして、王女殿下の存在自体を今初めて知ったとか……?」
「まさか! それくらい、ちゃんと知ってるから!」
怪しむニスモアに、強く訂正しておいた。横でマギーが疑惑の目を向けているのをひしひしと感じるが、振り返ったら負けだ。
「……といっても、ニスほど詳しくは知らないけど……」
「いやまあ、あの一族って秘密だらけだから、そんな詳しいってほどじゃ……」
もごもごと言い訳しながらニスモアが話してくれたのは、アビアナがハベト族領王の長女で、エリューサスより一つ年下であること。領内では女性でありながら軍務に携わり、騎士団をを一つ預かる身だということだった。あのきびきびとした口調は、そのせいだったのかとミオンは納得した。
「年齢だけなら、テルスター殿下の婚約者でもいいんだけどね」
(それは無理じゃないかなー)
テルスターにはクロシェナでないと、シナリオが成り立たない。
「立場もあるから、やっぱりエリューサス殿下じゃないかしら」
「そうなるかな」
マギーとひとしきりうなずき合ってから、ニスモアは思い出したように振り返った。
「そうすると、ミオンの人生計画って、なんだったんだ?」
「えーと……」
マギーを見ると、目を逸らされた。言いたいことはわかっている。今朝、同じ問いを受けて、出した答えに呆れかえっているからだ。朝食の間中、煩悶している様子がわかったのでミオンも無言で食べ続けた。食べ終わったら、マギーはいつもどおりに戻っていた。ニスモアはどのくらいかかるだろう。
「猫を一匹飼うのに、どのくらい働いたらいいのかなって」
ニスモアは遠い目をした。言葉の裏の意味を賢明に読み取ろうと無駄な苦労をしているのが手に取るようにわかる。
「……お前、数学得意じゃなかった?」
読み切れなかったニスモアは悪くない。そもそもミオンの言葉に裏は無いからだ。マギーが慰めるように肩を叩いてやっている。
「詳しく聞くともっと悲しくなってくるわよ」
「だって王子殿下とあんなに親しくしてて、猫一匹とかどういうことだよ!? なんでそれと王女殿下が関係あるんだよ!?」
「あんまり関係ないと思うけど……関係あるのかなあ」
アビアナがやってきたことで外出がバレて謹慎を言い渡されて、フィルフィーの新作を買いに行けなくなって、拗ねながら将来のことを考えていたら眠れなくなった。一連の流れは繋がっているのだが、ミオンの人生とアビアナの登場の因果関係を問われると、自信が無い。
授業開始のベルが鳴ったので、混乱したままニスモアは自席に引き上げていった。ニスモアが普段通りに戻るまでは丸一日かかった。
そんなことがあってから数日後、ミオンは再びエリューサスの別邸に呼ばれた。
「――あれから、身体の調子はどうかしら?」
「はい、なんともないです」
思ったとおり、アビアナが待っていた。先日の言葉通り、医師も一緒である。父親と同じくらいの男性医師は、ミオンと、アビアナと、エリューサスとアルファドを順に見比べて、またミオンの上に視線を戻したときにはきっぱりと迷いを捨てていた。その気持ちはよくわかる。
(やっぱり、ここにわたしがいるのって場違いだよねえ)
医師は一通りの問診をしただけで、退室していった。症状が出ると一目でわかるものらしいので問題は無いそうだ。
「時間があるのなら、先日の話の続きを少ししたいと思うのだけど」
アビアナの申し出は願ってもない。あの偽神官が、いずれ子猫を攫う秘密教団の一人かどうか、是非確かめたいところだ。
一応、エリューサスとアルファドの様子を窺うと、どちらも小さく頷いただけだ。
「お願いします」
「では、話す前に一つ教えてくれる? あなたはどうして、動物たちの行方を追っていたの? あなたやあなたの知り合いのペットがいなくなったという報告は上がっていないわ」
アビアナに先回りされてしまったので、ごまかしはきかないようだ。こんなときは正直に話してしまえれば良いのだが、真実を話すと逆に胡散臭くなるので、やはり話せない。
「まだミオンの疑いは晴れていないと言うことか?」
エリューサスの口調は鋭い。アビアナは首を振った。
「私自身が持っていた疑いは晴れました。ですが、直接ミオンと話せなかった者には旨く伝わらなかったようです。そもそも、王都まで騒ぎを持ち込んだのも私の判断ミスでしたから」
「今回も君の見る目が間違っているのでは、という意見を覆せなかったと」
それも仕方ないですねと、アルファドは表向きは同情的な口調だった。なぜだろう、微かな怒りを感じて、ミオンはアルファドを直視できなかった。
「とはいえ、僕も多少気になっていたんだ。ミオン、どうして?」
「えーと……この前、ダーフィ先輩から迷子のペットを探す仕事があるって言ってました。でも、その仕事のやり方が、わたしには無理で、あんまりいいやり方じゃないということだったので、私に出来る方法はないかなって思って。もう何日も経ってたから危なくないと思って……」
アビアナ、エリューサス、アルファドと、順に上目遣いで見てみれば、三人三様の渋面を作っていた。
「……あの、学院を卒業したら、働かなきゃいけないし、それならそういうお仕事も良いかなって……」
まるっきりの出任せでもなく、ミオンはそれも子猫を助ける方法の一つだと思っている。クアイドのあの時の言葉は天啓だと言ってもいい。学院にいなくても、最初からそういう仕事に就いていれば、誰にも憚ることなく、好きな場所で子猫を探せる。
問題は、職として成り立つかどうかで、その疑問の行き着いた先が今朝のニスモアへの答えだ。
やっぱり誰かに弟子入りした方が良いのかと、ミオンが明後日の方向に考えを飛ばし始めた頃、アルファドがため息を吐いて言った。
「王女殿下、少なくともミオンについては僕と、エリューサス殿下が保証します。これでいかがでしょうか」
「もちろん、十分ですわ」
アビアナは、ほっとした様子で大きく頷いた。
さらに余談ですが、エルが菓子店に並ぶときには護衛代わりにロネも呼ばれます。なので彼は甘い物が好きじゃありません……肉体派だし、茶会でも肉とか食べていそうな気配がします。
ロネとティオナも設定だけは濃いので、出番を増やしたいなとは思っていますが……。
それでは、今回もお読みくださってありがとうございました。いつもながら、ブクマや評価、感想もありがとうございます!




