23
新しい年が明けた。
進級試験や卒業式でめまぐるしかった年末の月とは打って変わって、穏やかな新年をミオンは実家で迎えることができた。無事に進級できたのが、一番の要因だったと思う。
成績が悪ければ初級科一年のまま、ということもあると脅されていたので、年末、進級を認めるとの通知を受けとったときには本当にほっとした。その後、両親と兄がミオン以上に安堵していたのを不審に思って尋ねると、兄から両親に自分の成績が事細かく伝わっていたことが判明した。
(偏ってるって言われたしなあ……)
久しぶりの自宅の自室は、狭いけれども安心できる空間だ。眺めていた成績表を枕元に放り出してベッドに寝転がれば、窓から変わらない青空が見える。今日もいい天気だ。
(休みの間にちゃんと復習しておかないとなぁ)
成績の差は、前世の自分の記憶が活用できるかどうかの違いだった。歴史や文学は壊滅的なのに、数学や物理は時折教師の知識を抜いてしまっているのを隠すのが大変なほどで、教師陣も困惑しているらしい。いっそ不出来な分野は取りやめてしまったらどうかとも言われたが、初級科からそれもどうなのかと言う意見も出て、現状維持となっている。
(来年はもう少し頑張ろう)
ミオンとしては不得意だからといって止めてしまいたいとは思わない。前世の自分の記憶がこの先も通用するかどうかも不明だし、通用しなければ学院から除籍されてしまうことも考えられる。学問に未練は無いが、せめてアリーゼが入学してくるまでは学院に残っていたい。退学になっても子猫を見つける役からは降ろされない確信はあるのだが、学院にいる方が今のところは何かと子猫探索には有利だ。路地裏通りを見つけたのも、そこがどんなにか危険な場所だったのかを知り得たのも学院に通えていたからこそだ。
(あとは……なんとかしてアジトを突き止めたいな……)
秘密教団のアジトがありそうな路地裏を見つけただけで、アジトがあるかどうかは不明のままだ。実は全く見当違いの場所だったというオチもあり得る。どうにかして、安全に路地裏を調べる方法はないものか。
(住んでる人に頼むとか……住んでる人がそもそも怖い人なんだっけ……うーん)
思いついては却下するを繰り返して、ミオンはいつの間にか止めていた息を、ぶはっと吐き出した。考えた結果、少なくとも、自分一人で路地裏を捜索するのは不可能だという結論に至った。
(でも、手伝ってもらうとしても誰に……なんて言ったらいいんだろ)
唯一使えそうなのは、地図だ。図書館で調べたこともあるが、路地裏までの詳細な地図はどこにもない。かつてクアイドへの言い訳に使ったように、探検ごっこを始める、というのはどうだろう。
(いまさら探検ごっこは無しかなあ……)
子供の遊びの延長、しかも入り込むのが裏路地とあっては誰も賛同しない。むしろ止められる。やはり、身の安全を保証できない限り、路地裏の探索は諦めた方がいいのかもしれない。
(そうするとあとは……)
路地裏を探索しないで秘密教団のアジトを探すしかない。
過去の記憶に、もう一度頼ってみるか――ミオンは目を閉じた。
(えーと、アリーゼが子猫を追いかけて)
以前にも試した道筋を辿る。過去の記憶にアジトの詳しい場所は出てこない。
(路地裏に入って……角を曲がったら、子猫を誰かが抱き上げていて……)
飼い主だとは思えなかった。子猫は全力で暴れていたし、鳴き声も上げていた。その人は、子猫を押さえ込むようにして抱えていた。
(普通の、街の人……?)
過去の記憶では子猫を抱き上げた人物の詳しい描写は無かった。ただアリーゼは直感的に怪しんで、後をつけたのだ。
(それで……)
追いかけて入り込んだ建物が秘密教団のアジトだった。生け贄の儀式を知ったアリーゼは子猫たちを助けようとして逆に掴まる。テルスター王子が助けに入って、真実を聞かされる。
(ハベト族が関わってるらしいって……)
どのシナリオにも出てくるのだが、決して概要は明かされない一族。図書館でもろくな資料が揃わなくて、この一族から秘密教団のことを割り出すのは難しいと諦めたのは数ヶ月前のことだ。
(そもそも関係してるってだけで、ハベト族の神様が秘密教団ってわけじゃなかったわけだし……?)
ミオンは目を開けた。
「……あの人たち、いつ集まったんだろ」
秘密教団は、つまるところ魔神の教えによって集められた反政府組織だ。現体制に不満と反発を持った人間の願いを叶えてくれる都合のいい神をどこから見つけ出して、教団を造り、教えを広めて信者を集めたはずだ。
(教団が、王国内を騒がせている、って……)
王都でなく、王国を騒がせている。テルスター王子はそう言っていた。それだけの規模の集団なら、先月できたばかりです、ということはないだろう。
ミオンは起き上がった。あと、もう少し。
(王国内の、騒ぎ……)
いつから騒ぎが起きていたのだろう。王都で、テルスター王子が動き出すまでにどんなことがあったのだろう。
残念だけど、そこまで詳しい話は無かったわ――過去の記憶に冷たく告げられて、ミオンは頭を抱えた。
「でも、きっと、もう何か起きてなきゃいけないよね?」
問題は、何が起きているのかがわからないことだ。
***
教団の活動を探すこと。
不得意科目の復習をすること。
新年の決意は堅かったが、家族で新年のお祝いをして、近所の友達と久しぶりに会って、ルザリア院やルルバの店や下級学校をのぞきに行ったりして忙しくしているうちに休暇がが終わってしまった。来年は改善したいという目標だけを抱いて、ミオンは学院に戻ってきた。
(制服が新しいなあ……)
新学期が始まって三日後が入学式だった。去年はあの中に混ざっていたのだと思うと、不思議な気分だ。
「よう。無事に二年になったのか」
昼、校舎内にある食堂のテーブルに頬杖を突いて新入生達を眺めていると、後ろから肩を叩かれた。以前だったら、今度は何を言われるのかとびくついているところだが、クロシェナの一件以来、おかしな視線はほとんど感じなくなった。なので、最近は安心して校舎内の食堂を利用している。今も、振り返るとそこにいたのはクアイドだった。
「あ、先輩。はい、なんとか進級しました」
「そうか。よかったな。来年は余裕で進級しろ」
新年早々で無茶振りされた。出会う度に度合いが酷くなる気がするので、そろそろ一言言っておくべきか。
「がんばります……」
言い返せば多方面から揚げ足を取られるので、防御態勢が整うまでは殊勝な態度を取るのが上策である。いつ体制が整うのかは神のみぞ知る。
「で、一人か? 商会のお嬢ちゃんはどうした?」
「今年の新入生がマギーの知り合いで、校内散策につきあってます」
「あんたはいかないのか?」
「呼ばれてもいいようにここで待ってたんですけど、大丈夫みたい……?」
見回しても、新入生は全員食堂の外に出て行ってしまったようだ。
「じゃ、ヒマだな。ちょっと手伝ってくれ」
「ヒマってことはないですけど……」
時間が空いたらやろうと思っていたことは一応あるのだ。
が、言い終える前に、クアイドは口の端をつり上げて、さらに数回、肩を叩いてきた。
「そうかそうか、手伝ってくれるか。そうだよな、イヤとは言わないよな。何で俺がこんなことしてるのか、あんたならよくわかってるもんな」
「……」
昨年、ミオンがエリューサスとアルファドに提案した話し合いの場は、なぜか、クアイドがサロンを主催するという形にすり替わっていた。
『僕らが話を聞いてくれと言うより、第三者の会話の中に、偶然、加わっていた方が効果的だと思うんだよね』
『とはいえ、話題の内容も選ばないといけないし』
『そういう風に考えていくと、実家が情報屋で相談屋の彼なら話題も豊富で適任だと思うんだよね』
以上が、アルファドがクアイドを推した表向きの理由で、これらをエリューサスが要約すると、
『一枚噛みたいなら、こっちに来い』
ということになる、らしい。
ミオンはその場にいたわけでもエリューサスから直接聞いたわけでもないので、そういうやりとりがあったかどうかは全てミオンの想像だ。確かめる勇気は、まだ無い。
(断らなかった先輩だって責任はあると思うんだけどっ)
命令ではなかったよというアルファドの言葉を信じるならば、という厳しい条件は付くけれども、クアイドは主催を引き受けたのだ。だから現状についてミオンが責任を追及される謂われは無い。いつかそう言ってやりたいなと思いながら、ミオンは立ち上がった。
「わかってます、またサロンの資料集めってことですよね」
「そういうことだ」
どんな前評判、前宣伝があったのか、クアイドのサロンは参加者が多く集まった。主題は『王国の今を語る』と毎回同じだったが、堅い話から噂話まで幅広く取り上げ、立派な時事問題に昇華する話術は、上級生にも下級生にもウケが良かった。徐々に評判になったところで、エリューサスとアルファドが参加を決め、その頃からアルファドの誘導で固定の参加者が厳選されていった。
今現在、クアイドのサロンの構成者はエリューサス、アルファド、ジェラール、マギー、ミオンの他、中級科のロネ・サームス、ティオナ・ハルブ、の二名と、初級科からニスモア・カルグクの一名となっている。固定の八名の他に、一般の参加者を数名募集するというスタイルだ。参加者は事前に予約して、その可否についてはエリューサスとアルファドが決定する。同じ学院の生徒とは言え、やはり王族が同席するとなると特別な計らいが必要だった。
「図書館ですか? 夕食までに終わりますよね?」
クアイドと違って、ミオンとマギーは手伝いの名目で強制参加を言い渡されている。クアイドが求める資料の多さに毎回げんなりしているので、資料の方も厳選して欲しい。
「まあ、多分終わるだろ」
マギーもいないし、時間になったらとっとと帰ろうとミオンは誓った。新入生も加わって、寮の食堂も混むはずだ。遅れるときっと悲惨なことになる。
小道を通り抜けて辿り着いた図書館は、通常営業だった。
「新年でも、ここは変わらないんですね……」
学院内は校舎も寮も、新入生の歓迎と新年の祝いの飾りつけで溢れている。どちらも半分は学生の手作りで、半分は貴族位を持つ学生の実家が懇意にしている職人の作品だ。真意はともかく、見ていて楽しいので、ミオンには何の不満も無い。
「鉄壁図書館に飾りはいらねえだろ」
図書館の周囲には、浮かれた飾り付けは一つも無い。いつもどおり、不審者かどうかを観察するような空気の中を通って扉を開けると、別世界が広がった。
「中は飾ってましたね……」
「……新年だしな」
他の校舎ほど華々しくは無かったが、鉄壁図書館でも新年は祝うようだ。
「じゃ、これとこれ。頼んだ」
今回クアイドに頼まれたのは、物価に関係する資料だった。作物の値段から各種労働の賃金まで、地方と比較できる資料が欲しいらしい。クアイドのサロンは当日に自由な会話から始まるが、収束すべき方向は決めてある。今回は経済でまとめるつもりのようだ、というところまではミオンにもわかった。
(帳簿の付け方ならわかるんだけどなぁ)
リンスベルは新年に会ったときはとても元気そうだった。帳簿を付けなくていいって最高と言っていた後ろで、マーキン院長がため息を吐いていたことは内緒にしておいた。
(あ、そうだ)
ふと思いついて、ミオンは司書が待機しているカウンターに向かった。司書のナーザ・ブロワは年が明けても変わらなかったが、司書のケープに新年を祝う、小さな花飾りが付いていた。
「あら、あなた、図録の子ね。新年早々熱心ね」
ブロワはミオンのことを覚えていた。ついでに、ミオンの調べ物が画集となったことも知っていた。次は何を作るつもりかと訊かれて、ミオンは困った。ここにも、クアイドと同じことを考える人間がいたようだ。
「今のところは何も。それより、図書館に古新聞って、ありますか?」
結局、夕食の時間に遅れて食べ損ねたことは、当然の帰結だった。
クアイドがサロンの主催を言い渡されたり、文句を言いながらサロンを進めていたりするシーンを書いていたら、ますます子猫が遠ざかることに気づいたので、そのうちどこかで閑話として短くまとめようかなと思います……。前回の後書きで期待していた方がいましたらスミマセン。
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