21
翌日の夜になっても、マギーは戻ってこなかった。最短で三日と言っていたから、もう一日二日は戻れないと思っていた方がいいようだ。親戚が多いと葬儀も大変らしい。
(どうしようかなあ……)
マギーがいないと、相談相手は皆無だ。一人きりの二人部屋で空間をもてあましながら、ミオンはぼんやりと考えていた。
アルファドは、クアイドのことは放っておいていいと言った。同時に、積極的に話して欲しいとも言った。改めて思い返すと、この二つの意見は矛盾しているような気もするのだが。
(向こうから話しかけてくるまでほっとけ、ってことかな?)
もとより学年が違うので、気軽に話しかけられる環境には無い。クアイドの方から声をかけてくるまで、普段通りの生活を送れば良いということなら簡単だ。簡単じゃないのは、声をかけられた後だ。
(次に何をしようとしてるのか……って言われてもなあ)
子猫のことを差し引くと、残るのはやっぱりクロシェナの画集のことだけだ。ミオンが提案者であると知っているのは、少数の関係者だけだが、どこから聞きつけてきたのだろうか。世事に通じている父親からというのが確実な路線だ。
(そうすると……え、まさかダーフィ先輩も画集を出したいとか……?)
絵を描くようには見えなかったが、見かけで判断してはいけませんとジュスロー先生も言っていた。そしてクアイドの望みが本当にそうなら、マギーに声をかけるべきだ。つまりミオンに声を掛けたのは、マギーに紹介して欲しいと言うことだろうか。
(……やっぱりちがうかな)
あれこれ理由を付けて、マギーに相談したいだけの自分にため息を吐いて、ミオンはベッドに潜った。
(考えててもしょうがないし。やっぱり本人に直接訊こう)
すっぱりと思考を投げ捨てたおかげか、ぐっすり眠れて、翌朝はすっきりと目が覚めた。あと、ほんのちょっぴりだけ早く起きられていれば完璧だったのだが。
「――やっと来たな」
朝食を慌ただしくお腹に納めて教室に向かうと、入り口前でクアイドが待ち構えていた。前回より寝癖が酷い上に、少々、顔が怖い。
「あんたもっと早く来いよ。ぎりぎりだろ!」
挨拶もそこそこに説教された。
「すみません……」
「んで、今日の放課後、ヒマ? ヒマだよな、いつもの商会のお嬢さんもまだ帰ってきてないし、殿下とお供は揃って出かけてるはずだし」
尋ねていると言うよりは、確認している口調だった。マギーの不在はともかく、エリューサスとアルファドの予定なんて、聞いたこともないのだけれど。
ミオンが首を傾げている間に、クアイドは早口にまくし立てた。
「じゃ、放課後、この校舎の裏の庭園で待っててくれ。そんなに待たせないと思う。じゃあな」
「はあ……はい、また後で……」
ミオンが最後まで言う前に、クアイドは立ち去った。授業開始までに中級科の校舎に辿り連れるかどうか、微妙な残り時間だった。寝過ごしてごめんなさいと、ミオンは見えなくなった背中に謝った。
(えーと……放課後?)
本人に直接尋ねようと思っていたので、クアイドの誘いは願っても無い機会だった。画集の話は無いとは思うが、万が一の場合には、日を改めて、マギーとクロシェナを紹介するほか無い。
(……やっぱり、わたしに聞くような話って何も無いと思うんだけどなあ……)
何を考えても行き着く先は、エリューサスを始めとする周囲の人間に紹介するだけ。もしくは相談するだけ。
中継地点に過ぎない自分に何を訊きたいのか、クアイドの真意は全くわからなかった。
凹みながら放課後を迎えたミオンは、初級科校舎の裏手に回った。ここの庭園は寮への通り道でもあるので人通りも多い。つまりベンチが埋まってしまう確率も高い。庭園に出てすぐに見回すと、まだクアイドは来ていないようだった。ベンチはいくつか空いていたので、ミオンは木陰の一席に腰を下ろした。見上げれば、今日もいい天気だ。
「――ミオン」
人の往来をぼんやり眺めていると、名前を呼ばれた。聞き覚えのある声だと思ったら、ジェラールだった。隣に、クアイドがいる。
「あれ、お兄ちゃんも一緒?」
「その方が安心するかと思って」
答えたのはクアイドだ。確かに安心だ。ほっとするミオンの左右にジェラールとクアイドがそれぞれ座った。
「とりあえず……急に、悪かった」
クアイドは開口一番、謝ってきた。ハルニー兄妹は、顔を見合わせた。これって、何の謝罪?
「あんたのことは、前々からいろいろ聞いていたんで、家の前で見かけたときには、よく知ってるような気になってたんだよ。それであんな風に誘ったんだが、あんたにしてみたらただの不審者だよな。悪かった」
怖がらせて悪かったと、そういう謝罪らしい。ミオンは頷いた。
「えーと、大丈夫です。うろうろしてたわたしも良くなかったし」
クアイドにしてみたら、治安の悪い地域を出たり入ったりしていたミオンの方がよっぽど不審者だ。
「そうだな。探検するのもほどほどにな」
「はい……」
ちらりとジェラールを見やれば、今にも問い詰めてきそうな顔をしていたので、ミオンは慌てて続けた。
「それでっ。私に聞きたいことがあるってことだったんですけどっ」
「あ、ああ」
やや引き気味に、クアイドは頷いた。ミオンの肩越しに、ジェラールも言う。
「なあ、クアイド、もしお前がミオンを使って親父さんのために儲け話を引き出そうってつもりなら、やめといたほうがいいぞ」
「……お兄ちゃん?」
旨く気を反らせたようだが、内容が予想外でミオンは目を丸くする。
「画集の件は、たまたまうまくいっただけだ。仮にあの話に親父さんが加わったとしても、どこにも誰かの金を差し入れる隙間なんて無かったはずだ」
淡々と、諭すような口調で話すジェラールに、クアイドは徐々に己を取り戻して薄く笑った。
「ああ、そういうことか。たぶん、それ、殿下のお供の入れ知恵だな。違うよ、俺は別に親父の儲け話を手伝いたいわけじゃない。俺は純粋に、って自分で言うのも恥ずかしいな、単純に、あんたの話が聞きたいだけなんだ」
クアイドはポケットから一枚のカードを取り出した。見覚えがある、押し花が蝋引きされたカードだ。
「これ。少し前から、上流階級を中心に出回ってるんだってな。貴族の女性中心に大人気らしくて、かなり潤ってる業界になってるんだってだよ」
「へえ」
アルファドからは、押し花の件はうまくいっている、とだけしか聞いていなかったので、部外者からの情報はこれが初めてだ。頷くミオンに、クアイドは呆れたような顔をする。
「へえ、じゃねえよ。これ作ったの、あんたなんだってな?」
「……」
こっそりジェラールを伺うと、兄はしかめ面で頷いた。
「こいつがそこまで言うなら、隠しても無駄だ」
「だそうです」
右から左にミオンが答えを流すと、クアイドは笑いを堪えていた。
「ぶっ……いや、悪い、ほんと、欲がないって言うか、何にも考えてないって言うか、なあ、ジェラール、お前の妹、ほんとにもったいないぞ。なんとかしないと殿下のお供にいいように使い捨てられるぞ」
「そんなわけあるか。どっちも偶然の産物だ。そんな偶然、何度も起こってたまるか」
むっとしたように、ジェラール。クアイドは笑いを漏らしながら、首を振った。
「お前さ、最近の茶相場の変動、知らない?」
「茶相場? いや……」
怪訝そうな視線を向けられて、ミオンは慌てて首を横に振った。
「最近はお茶とか、買ってないし」
食堂で無料でいくらでも飲めるし、アルファドやクロシェナや、マギーまでが代わりばんこに差し入れてくれるので、学院に入学してからミオンのティータイムは全く経費がかかっていない。相場に刺激を与えるようなことは、何もしていない。はずだ。
「確かにあんたは何も手を出してないんだろうな。でも、きっかけを作ったのはあんただって、聞いてる」
「えーと……?」
お茶、きっかけ、と聞いて、ミオンの記憶の一部が刺激される。まさか、と冷や汗を垂らしていると、ジェラールに見とがめられた。
「ミオン、お前、何やったんだ?」
「何も……あの、入学する前に、ルルバさんのお茶屋さんでお手伝いしたくらい……」
「そうそう、ルルバの店、って名前だった」
クアイドが調子よく後を引き継ぐ。
「最初に始めたのはその店だってな。常連の客に、『茶農家でよく飲まれている野草茶』をおまけに付け始めたんだ」
うわあ、やっぱり――ミオンは叫び出さないように口を押さえるので精一杯だった。あの日、卸商人から受け取って味見していた日に初めて、エリューサスに出会った。エリューサスはミオンのことよりも野草の方に興味津々だったのだが。
「王都の住人の半分、まではいかないかな。三分の一以上は、地方から出稼ぎに出てきている人たちだ。中には、その野草茶を飲んでいた人もいただろうさ。懐かしい味が手に入るとなれば好んで買い求めるだろうし、しかもその値段が、最低ランクの茶葉より安いとなれば、地方出身者じゃなくても貧困層は、あっという間にそちらに切り替える。結果、どうなる?」
「そのきっかけを作ったのが、ミオンだって言うのか?」
「それは本人を見れば、俺が答えることじゃないよな?」
ミオンは口を押さえていた手を慌てて下ろして、何でも無い顔を作った。とっくに、手遅れではあることは自覚しているが、そうしないわけにはいかない。
「ルルバさんは、あんなマズいお茶、売れるわけないって……」
「ところが実際、よく売れてるらしいぜ。茶農家も副業に手を出してきて、各地で野草が足りなくなり始めてるそうだよ」
専用に栽培される日もそう遠くないと、クアイドは笑顔で言った。反してジェラールは、眉間の皺を深くしている。
「いずれその野草茶とやらが元々の茶葉の最低ラインまで引き上げられて元通りだろ。騒いでるのは今だけだ」
「そうかもな。だとしてもそれを読み損ねたんだよ、うちの親父が。珍しく愚痴ってたんだよなあ。カードも茶葉も、まったくヤーベイン家にしてやられたと」
「はあ」
ちなみにここまで、ミオンには半分も話が見えていない。野草茶が売れるようになったのなら、ルルバに申し訳ないことをしなくて済んだと胸をなで下ろす。それを見抜けなかったのが、悔しいのだろうか。
(それってルルバさんが商売上手なだけだし……カードは……綺麗に作ってくれたのは、あの職人さんだし)
カードの件は、ルザリア院の財政をなんとかしたい気持ちで売り込んだが、ミオンが最初に作ったものは『紙くず』とエリューサスからありがたい評価をいただいている。その先を作り上げたのはヤーベイン伯爵の手腕だろう。
「ああ、だからそんな顔するなって。俺は儲け話を探してるわけじゃないんだよ」
微妙な空気を漂わせ始めたハルニー兄妹に、クアイドは笑って手を振った。
「親父も、あんたのことは嗅ぎ付けてるだろうけど、別に手を出す気は無いと思うぜ。俺も手伝う気は無い。ただ、あんたが次に何をして、何を動かすつもりなのかは知りたいと思ったんだ。それでジェラールにあんたのことを聞いてみたんだが……ぼんやりしてるだの、お菓子のことしか考えて無いだのって、酷い言い様だし」
「……」
残念なことにミオンの視線には、ジェラールの髪一筋も動かす圧力は無かった。
「でもこれだけのことをしでかしたんなら、そんなぼんやりしてるはずが無いんだよ。それなら直接話してみて、確かめようと思ったわけなんだ」
それが、あの時の言葉に繋がるというわけだった。過去の疑問は解けたが、新たな疑問がわいている。
「えーと、つまりダーフィ先輩は、この次にわたしが何かやることが、また何か大事になると思っている、ということですか……?」
「たぶんな」
「そんなわけない。全部、偶然が重なっただけだ。カードも、画集も、ヤーベイン家やナトワーズ商会の後押しが無ければ何にもならなかったし、茶葉の件は、本当にミオンが最初に言い出したことかなんてわからないだろ。そんなわかりやすいネタ、他の誰かが考えていてもおかしくない」
「ああ、そうだな。でも、原因を探していくと必ずお前の妹がいるのは、確かなんだぜ?」
からかうように言って、クアイドは急に真面目な顔つきになった。
「いいか、いずれそのことにもっと大勢が気づくんだ。だから、もったいないって言ってるんだ。殿下のお供みたいな奴に、いいように利用されて、使い捨てられないように用心しろ。今は使われるのはしょうがない。でもこの先は、言いなりにならないで済むように金を貯めるとか、なにがしかの地位に就くとか、自衛できるように考えた方がいい。そうじゃないと」
クアイドはいったん言葉を切った。地面に視線を落とした一瞬、辛そうな表情になったのを、ミオンは見た。
「……そうじゃないと、路地裏から、戻ってこれないことになるからな」
パタック通りの果てにあった黒い路地裏を、ミオンは思い浮かべた。みぃ、と小さな声が聞こえたような気がした。
(でも先輩……わたし、そこに行って、戻ってくるつもりなんです)
気がついたら日付が変わっていたという不思議。
ちょっぴりシリアス回、のつもりでしたが、どうでしょう……?
今回も、お読みくださってありがとうございました!