閑話 部屋に飾られたのは
その日、王宮の一室に飾られたのは、国王陛下夫妻の『写真』だった。
部屋自体は賓客用の待合室の一つで、さほど重要な部屋というわけでも無い。
注目すべきなのは、王宮に、『絵』ではなく、『写真』が飾られた。その行為自体だ。
***
「一石投じた、ことになるのかな」
次はテルスター殿下もご一緒に――そう言われたときにはあまり気乗りしなかったけれど、写真を増やす度に、筆頭絵師が朱くなったり青くなったりするところを見られるなら、撮ってもいいかもしれない。昨日まではずっと写真の悪口ばかり並べ立てていたし、今日だって、そんなにイヤなら見なければ良いのに、わざわざ部屋に飾るところを見に来て倒れそうになっているし。いったい、なにがしたいのやら。
「――その波紋が起こすのは、大波になりそうだな」
予期しない声に驚いて振り返ると、友人のギノが立っていた。よかった、ギノなら、今の呟きを聞かれても大丈夫。でも王宮内ではもっと気をつけないと。
「ギノ。脅かすなよ」
「そんなつもりはなかった。扉は開いていたし、てっきり気づいているのだと思っていた」
ふざけ半分に言ったのに、ギノは生真面目に詫びてきた。これだから、迂闊に冗談も言えないんだ。そもそもぼんやりしていた方が悪いのだし、ギノを呼びつけたのも、いつでも入ってこられるように扉を開け放しておくように言いつけたのも僕だから、ギノが責められる理由は何一つ無いことに気づいてない?
「これが例の写真か」
ギノは室内に入ってくると、国王夫妻の写真を見上げて、薄青の目をすがめた。その表情は、エル兄様と同じくらいに何も変わらないのだけど、エル兄様よりも読みやすい。明らかに楽しんでいるんだ、ギノは。
「なにか感想は?」
わざとらしく訊いてやれば、案の定、ギノは口の端に笑みを乗せて聞き返してくる。
「おめでとう、とでも?」
「それは兄上に言ってやってくれ」
王宮に飾る絵は、王室専用絵師による絵、のみ。
だから絵じゃなければ、何を飾っても問題は無い。
彫刻やタペストリー等、王宮にあるあまたの芸術作品は、別に王宮専用の職人の手によるものではないのに、絵だけが、理不尽な規則に縛られていた。でもよく見れば、彫刻も、他の作品も全て、王室の姿を写した物は何一つ無い。王室専用絵師による、特権意識が全てを支配していたせいだ。
それを崩したのが、エル兄様が持ち込んだ『画集』だ。
「エリューサス殿下か。相変わらず読めない方だな。筆頭絵師の入れ替わりを狙うのかと思っていたんだが、真正面から当たりに行くとは思わなかった」
「たぶん、その読みは正しかったはずだ。クロシェナ嬢のことが無ければね」
「クロシェナ嬢のため、か」
ギノの視線が痛ましそうになる。オリエン侯爵家のクロシェナ嬢は、確かに現時点では僕の婚約者に最も近い位置にいるし、他の令嬢に比べれば多少、好ましいと思える。けれどもエル兄様と取り合うほどの相手ではないし、仮にそんなことになったなら僕は潔く身を引くね。残念、かどうかはわからないけど、そんなことにはならないのだけど。
「勘ぐりすぎだよ、ギノ。兄上はクロシェナ嬢の名誉回復の看板を掲げただけで、実質は王室専用絵師を蹴落とす作業の門を開けただけだ」
そう、王宮に絵を飾ることの出来る唯一の職人であるという特権の泥沼に、エル兄様が画集という一石を投じた。そこから生じた波紋は、ギノの言うように大波となって絵師達を押し流していったのだ。
クロシェナ嬢の絵の大ファンだった母上は、これ見よがしに客を招いては画集を開いて見せている。時折、絵のすぐ側に、うっかり(、、、、)画集を置き忘れて筆頭絵師から苦情が届けられると、『これは絵ではありませんのよ』と微笑んでみせている。心臓に悪いのでわざと置き忘れるのはおやめくださるようお願いしてくださいと、側付きの者から僕に懇願が届くのは、そういえばどうしてなんだろうな。
「クロシェナ嬢も、利用されただけか……」
「そういう言い方は止めて欲しいな。兄上はただ……目的を果たすための最善の手を使っただけだ」
ギノの言葉を否定できないのは苦しかったけど、たぶんエル兄様自身、否定して欲しくないんだろうと思い直した。そんな薄っぺらい情に流されるような人ではないんだ。
同じような絵ばかりに飽き飽きしていた父上は、この写真を自らの手で飾るほどの歓迎ぶりだし、毎年、肖像画のために長時間拘束されることを心底嫌がっていたメイ兄様もエル兄様に感謝しているとおっしゃっていた。
むろん、くだらない特権意識を存続するために僕の名を利用したことには心の底から怒りを覚えているので、今、王室の誰の所に嘆願書が届けられても、届く端から捨て去られている状態だ。
「確かに効果的だった。ギルド界隈も大騒ぎらしい」
「いまさら、過去の栄光を保つのも大変だろう」
絶対の権力を持っていたはずの絵師ギルドは、今では風前の灯火だ。存命の道を必死で探しているそうだけど、過去の振る舞いのせいでどのギルドからもすげなく追い払われているらしい。
専用に額をつくっていたギルドは早々に解散を決め込んだ。額作りに本気で取り組んでいる者には可哀想だったが、オリエン侯爵家の支援で、新しく絵画ギルドなるものが創設され、そちらに組み込まれることになったと聞いてほっとした。表には現れない職人達もこれで報われるようになればいい。
「いつまでも道を塞いでいられては困るしな」
ギノの呟きは、王室専用絵師に向けられているとしておこう。
ともかく、墜ちていく絵師ギルドの代わりに台頭してきたのは、写真ギルドと、印刷ギルドだ。
どちらも技術は十年以上も前に確立されていたのだけど、地位を奪われることを恐れた王室専用絵師たちにより、表舞台への道を塞がれていたそうだ。
例えば、写真機や現像に使う機材の原価を高く設定させるとか、写真を採用するより絵を採用する方が安くあげられるように手を回すとか、そういう姑息だが、効果的な方法で写真や印刷を虐げていたのだと聞かされたときには、本当に開いた口がふさがらなかった。絵師なら絵師らしく、どうやって良い絵を描くかに命をかけるべきじゃないか?
「ギノ、学院に戻るなら、一緒にいかないか?」
そろそろ学院に戻る頃合いだった。ギノは先週から強化訓練中だったので騎士団に戻るかと思ったけれど、一応誘ってみたら頷いてくれた。多分、僕の護衛のつもりでもあるんだろうな。僕としても、ギノがいてくれれば心強い。王宮から学院までの道のりで、何か起きるとは思えないけれど。
「いや……ギルドに王室が手を出してきたと言う声もあると父上からも聞いている。少し用心した方がいい」
馬車に乗ってから、ギノが低く言った。相変わらず耳が早いな、騎士団長は。それなら僕よりもエル兄様の方を心配すべきだ。でも、納得がいかない。
「兄上はこれまでの不公平を取り払っただけだろう。どうしてそう、おかしな縄切り意識を持ち出してくるんだろうな」
「しがみついてる物をなくしたら終わりだと思っているからだろ」
ギノの言葉は時々、怖いくらいに僕の心に突き刺さる。怖がっていることを知られないようにするのに、どれだけ努力しているか知らないだろうな……知ってて欲しくない。
「ともかく。エル兄様はもっと褒め称えられても良いはずだ」
動揺して兄上と言い損なってしまったけど、ギノなら良いか。子供っぽいから直すように心がけていたんだけど、普段からもっと気をつけないとダメだな。
「本人はそれを望んでいないみたいだぞ」
ギノが薄く笑って言う。確かに彼の言うとおりだ。せっかく創設した写真画ギルド――創案者の少女は絵本ギルドと名付けようとして止められたらしい――もナトワーズ商会に投げっぱなしだ。そうそう、写真ギルドとも印刷ギルドとも一線を画しているのは、あくまでも画集の作成のみに限定するという、意思表示でもあるとナトワーズ商会の娘は言っていた。確かに、ナトワーズ商会ほどの豪商が加わるとまた、ギルド間の力関係におかしな圧力がかかりそうだな。
「エリューサス殿下だけじゃないな。殿下の元にいる女子生徒も、な」
「うん? ああ……下級役人の娘だと聞いている。目立つよりは、兄上の手駒となる方が賢いだろうな」
あの女子生徒、確かミオン・ハルニーと言ったか。遠目にしか見たことは無いけれど、エル兄様がそんなに気をかけるほどの容姿ではなかった。でも、そんな僕の判断をエル兄様は呆れているだろうな。自分でも情けない。
すごい人だと思う、エル兄様は。どこにでもいる少女のわずかな可能性と才能を見いだして、ここまでの偉業に変えてしまう手腕は、見習わなければ。
「……ほんと、かなわないな、兄上には。追いつけない」
「手駒が欲しいのか?」
「そういうわけじゃないよ」
そもそも僕にはまだ、やり遂げたいことが見つかっていない。手駒を見つけるのはそれからだ。
「……ああ、そうか」
「なんだ?」
「なんでもない。ちょっと……昔からの疑問に答えが出たような気がしたんだ」
「そうか」
ギノはそれ以上は訊いてこなかった。僕がこれ以上話したくないって思ったのをわかってくれたんだと思う。
どうして兄上に追いつけないのか、今、少しだけ、わかった気がした。
きっと、どうしても遂げたいことがないからなんだ。
クロシェナ嬢のことも、絵師達のことも、他にもたくさんのことが、僕が気づいたときにはエル兄様が動いた後だった。
「ギノ」
「なんだ」
「そのうち、手伝って欲しいことができると思う……いつか、わからないけど」
エル兄様にも気づけないこと、それを探さなくては。
見つかるかどうかは――わからないけれど。
「いつでも言ってくれ」
「……ありがとう」
ギノを長く待たせないよう、頑張ろう。
……あれ、もしかして、ある意味これも、やり遂げたいこと、なのかな?
あの時語られなかった設定を語る回……のはずだったんですが、なんだかテルスターの自分探しみたいな話になってしまいました。
普段と違う視点と文体にしてみたので、違和感溢れまくりですがいかがでしょうか。
楽しんでいただけましたら幸いです。
それでは、今回もありがとうございました!