20
寮に戻ると、セオラリアから夕食に誘われた。てっきり寮の食堂だと思い込んでいたのだが、了承するとそのまま馬車に乗せられて、再び学院の外へと連れ出された。外出届などは既に処理済みだそうなので、ミオンは安心して座席のクッションのふかふか具合を堪能した。
馬車は、いつも歩くワノバス通りでも今日歩いたパタック通りでもなく、ナタディ通りを王都外門方面に向かって進んだ。途中の中央広場で西に向きを変えた後は、ミオンが知らない場所をひたすら走る。夕焼けに染まる街の様子は、ずっと見ていても飽きなかった。
「こちらで既にお待ちです」
馬車が止まって、ヤーベイン家の従者が案内してくれたのは、一軒の大きな食堂だった。大通りから引っ込んだ立地だったが、店内は満席で、明るい賑わいを見せている。客の年齢層は様々だが、どちらかと言えば、若い客が多いかもしれない。そのせいか、形式張った服装の客がほとんどいないことに、ミオンは少しほっとした。
従者から店員に案内が変わって、店の奥に通されると、仕切りで個室のように囲われた席が用意されていた。
「ああ、来た来た。道は混んでいた?」
奥の席にいたのは、アルファドだ。なぜかジェラールもいることに、ミオンは驚いた。
「少し混んでいたみたいですわ。お待たせしてごめんなさい、ジェラール」
セオラリアが謝ると、ジェラールはぴしっと背筋を伸ばした。
「いえ、大丈夫です」
(お兄ちゃん、緊張しすぎだよ……)
最近ではすっかり慣れてしまったミオンは、アルファドにいつもどおりの挨拶をして、席に着いた。
「急で悪かったね。たまには兄妹同士で食事をするのも良いかなと思って。この辺の店なら、そんなに堅苦しくないから二人とも楽にして欲しい」
そう言われたからってマナーを捨てるんじゃないわよと、マギーの声がどこかで響いた気がした。ミオンは頭の中で教本を開いていたが、運ばれてきた料理を見て、肩の力を抜いた。いくつも並んだ皿の上に盛られているのは、家庭料理をアレンジした物ばかりで、堅苦しいマナーは逆に不似合いだ。どうしても要るとすれば、美味しく食べること、くらいだろう。
「クアイド・ダーフィとは、また面白いところから声をかけられたね」
一皿ごとに緊張がほぐれていくと、話題は尽きなかった。ミオンは今日の外出の話をしていた。クアイドを知っているかとジェラールに尋ねると、アルファドが意外そうな声を上げた。
「アル様も、ダーフィ先輩を知ってるんですか?」
「学年も違うし、直接は知らないかな。僕がよく知っているのはクアイド本人じゃ無くて、彼の父親の方だよ」
「お父さん……て、確か相談屋さんの?」
「なんだ、相談屋って」
怪訝そうに、ジェラール。ミオンが、看板に書いてあったとおりに繰り返すと、ジェラールは納得したように頷いた。
「お前なら、そう言ってもしょうがないな」
馬鹿にされている空気を感じ取ったミオンが抗議の声を上げる前に、セオラリアの声が柔らかく割って入った。
「あら、それなら私だって相談屋だと思いますわ」
「看板の書き方が悪いですよね」
すかさず、ジェラールが同意する。同じ意味の言葉なのに、こうも感じ取れる物が違うのはなぜか。
「あまり表に出ない商売だから、仕方ないかな」
苦笑しながら、アルファドは相談屋なる商売について説明してくれた。
「内容は、よろず相談受付と言ってもいいね。儲け話から揉め事相談までなんでもござれ、が、彼の事務所の謳い文句だったかな。ただしダーフィ氏自身は法律家でも政治家でもない。過去には商工議会の上級議員を務めていたこともあるけど、現在の身分は一介の市民だね」
「そういえば、ダーフィ先輩は、『予想屋』って言ってました。あと、『情報屋』とも」
「ダーフィ氏の商売内容を具体的にいうなら、その二つだね」
「情報屋はなんとなくわかりますけど、予想屋ってなんですか?」
「ジェラールは、経済とか経営とか、そういった科目は勉強してない?」
「一般的な範囲なら、一応は」
アルファドは頷いて、それからミオンを見た。ミオンは黙って首を横に振った。アルファドの顔には、全てを理解した表情が浮かんでいた。
「簡単にいこうか。要するに、ダーフィ氏は過去の人脈と持ち前の才能で、あちこちから集めた情報を元に、次はどんな商売が当たるか、つまり儲かるのかということを予想して、その情報を売っているわけだ」
パタック通りにある寂れた事務所は、知る人ぞ知る、有名な相談事務所だった。多くの名家貴族が相談に訪れ、浮き沈みの激しい濁流に私財を投じているそうだ。
「浮き沈みって……沈んじゃうこともあるんですか?」
「大小の差はあるだろうけど、儲かりっぱなしの人なんていないよ」
目を丸くするミオンに、アルファドは諭すように言った。
「でもそれだと、ダーフィ先輩のお父さん、恨まれたりしないんですか?」
あぶく銭ならまだしも、なけなしの財産を投じて失敗したとなれば、恨み言を吐かれるだけでは済まないだろう。
「その辺はダーフィ氏も心得ているみたいだね。どうやっているのかは知らないけど、事件になったことは無いと記憶しているよ」
「うまく立ち回っているってことですか……」
呟くジェラールに、アルファドは意味ありげな笑みを浮かべた。
「僕が今言ったのはクアイドの父親の話だけど、クアイド本人の方はどうなのかな」
「そう、ですね……」
ジェラールはすこし考え込んでから答えた。
「悪くない友人だと思います。明るいし、誰にでも公平で、気さくで……頭が切れる奴だけど、一緒になってバカな話をしたり、ふざけたりする奴で……」
「なるほどね。旨く立ち回っているわけだ」
アルファドが言うと、ジェラールは苦い顔をして、グラスの水を飲み干した。
「……ミオン、クアイドの奴、お前が何をするのか聞きたいって言ってきたんだよな?」
「え? うん、そう、かな?」
「かな、じゃないだろ。どうなんだ」
怖い顔で睨まれて、ミオンは慌てて首を振った。
「えーと、わたしが次に何をしようとしているのか聞きたいって」
「で、お前は何をしようとしてるんだ?」
「何って……何も……?」
言われてみれば、不可解な話だ。ミオンが次にしようとすることなんて、ミオンにもよくわかっていない。
(わたしが次にすることって……なんだろう)
街人Aであることを思い出してからのミオンの行動は、あちこち寄り道を繰り返してはいるが、子猫を救出するために秘密教団のアジトを探すこと、これに尽きる。しかし、こんなことをクアイドは知ってどうしようというのか。
(ダーフィ先輩って、たぶん、ゲームにも出てこなかったみたいだし……)
ええ、知らない子ね――過去の記憶も素っ気ない。そもそもジェラールの友人という時点で、ゲームには登場しないと思われる。出てきたとしても、ミオンと同じ、名も無い通行人扱いだろう。
(まさか)
一つだけ、思い当たることがあるとすれば、
(ダーフィ先輩も街人Aで過去の記憶があるとか!)
そしてやはり助けられない子猫に心を痛めて、今度こそ助けると息巻いているのでは!?
と、そこまで考えて、ミオンは冷静に自分自身に突っ込んだ。
(うん、そんなわけないね)
もう少し現実的に考え直すべきだ。兄と同じ中級科の男子生徒が、ミオンに聞きたいことは何か。
「次に、ということは、以前にミオンがしていることが関係あるのかしら?」
おっとりとセオラリアが言えば、アルファドが頷く。
「言葉通りならそうなるかな。最近だと、やっぱりあれかな」
「あれって……またなんかこいつにやらせたんですか?」
低く、唸るようにジェラール。アルファドはにこやかに受け流した。
「僕じゃないよ。エリューサス殿下たっての頼みを、ミオンが快く引き受けてくれて解決しただけだから、名誉なことだよね」
「……」
どういうことだとジェラールがじっとりした視線を投げてくるので、ミオンは慌てた。まず、アルファドの説明がおかしい。エリューサスの頼みを快く引き受けた記憶が無い。あれは完全に命令だ。
「そんなすごいことじゃないよ! クロシェナ様が絵を描けなくなっちゃったから、それを何とかしてくれって殿下に言われたら、お兄ちゃんだって断れないよね? ね?」
「……で、何をしたんだ?」
「画集を作りましたっ」
すこぶる簡潔な回答をすると、ジェラールは両手で頭を抱え込んだ。
「あれもお前なのか……!」
ミオンは慌てて手を伸ばした。
「お兄ちゃん……? お皿に顔付いちゃうよ?」
「ついてたまるか!」
妹の手を払ってから、ジェラールは改めて頭を抱え込んだ。手を払われたミオンの方は、びっくりした後に、冷めた目で兄を見つめた。わざわざポーズを取り直すなんて、お兄ちゃんはお芝居の見すぎだと思います。
「えーと、アル様。わたし、何かマズいことしました?」
自分に酔いしれている兄を無視して尋ねれば、アルファドは笑顔で首を横に振ってくれた。
「マズいことなんて全く無いよ。エルもクロシェナ嬢も喜んでいただろ? そうだね、強いて言うなら……世間に与えた刺激が少しばかり強かった、ってことかな?」
「……俺は王宮と絵師ギルドに激震が走ったって聞きましたけどね……」
吐き出すようにジェラール。まだ頭は抱えたままだ。
アルファドは大したことじゃないと肩をすくめた。
「そこは受け取り方の違いだね。しかし、クアイドがそれでミオンに興味を持ったというのも、なかなかに理解しがたいな」
父親の方ならともかく、とアルファドは呟く。ジェラールは、ようやく両手を頭から剥がして、頷いた。
「そうですね。俺から見ても、クアイドは親父さんの商売には興味はあってもそのまま継ぐつもりは無さそうでした」
「へえ、やっぱりそう?」
「やっぱり?」
「うん、やっぱり。前にね、ダーフィ氏と話したことがあってね、そのときに彼は息子のことをこう言ってたんだ。『息子は私よりも才能がある。だから、きっとこの商売を継ぐことはないでしょう』って」
「お父さんよりできるのに、後を継がないんですか?」
ミオンがそのときに思い出していたのは、ルルバの店の代理をしていたリンスベルだった。母親の才能があれば店を継げたのにと、よくこぼしていた。逆に親子仲が悪くて、親の跡なんか継がないと飛び出していったという話もよく聞くが、昼間のクアイドの様子からは、父親を嫌っているような素振りは見えなかった。
「まあ、そこは、いろいろあるだろうから」
アルファドは曖昧に笑って、煮込み料理を口に運んだ。これおいしいよと、セオラリアに分けてやる姿は、優しい兄の像そのものものなのだけれども。
「クアイドの件は、しばらくほっといていいよ。悪いことにはならないと思うし」
「えーと、ダーフィ先輩とお話ししても大丈夫ですか?」
「うん、むしろ積極的に話して欲しいかな。クアイドがミオンの次の行動に何を思っているのか、率直な意見を聞き出せるならそれに越したことはないしね」
何が出るのか楽しみだよ――言葉が進むにつれて、黒さが滲み出てくる笑顔を向けられては、ミオンは、ただ頷くしかなかった。
書き直しを繰り返していたら遅くなりました……。
そして気づいたらお兄ちゃん頑張れの回になりました。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは今回もありがとうございました!