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王子ルートは難しいのよ――過去の記憶に問いかければ、ため息交じりに答えが返ってくる。テルスター王子とのベストエンドを迎えるには、各所に仕掛けられたイベントをこなすのはもちろん、クロシェナにかけられた疑惑も全て取り払うことが条件だった。この条件が満たされないと、クロシェナは疑惑にまみれたまま悲惨な運命を辿り、アリーゼは最後に複数の敵対者に足下をすくわれることになる。
(わたしは別に、テルスター王子殿下と恋人になりたいわけじゃないし、当然クロシェナ様と勝負する理由も無いわけで……)
過去からの膨大な記憶と記録に流されないように踏ん張って、ミオンは何とか抵抗した。どう考えても、どうして自分がクロシェナのやる気を取り戻さなければならないのかがわからない。無礼だろうが失礼だろうが、ミオンは構わず本音で問いかけた。すると、
「クロシェナと仲良くなりたいんだろう?」
何の文句があるのかとばかりに返された。逆にミオンが狼狽えることになった。
「そうなれれば良いですけど……身分も違うし……そんな大げさじゃなくても」
夕食時の一件のように、出会えば即大騒ぎ、というのを止めてもらえれば良いのだ。あとは、クロシェナの今にも死にそうな顔を見たくないので、悪口の言い合いも避けたい。それが結果として仲良くなることなら、それでもいい。
「……とりあえず、会ったら睨まないでくれる程度に誤解が解ければいいなあって」
ミオンの希望は、実は流れにずるずると引きずられた結果なのである。何が何でもお友達になりたい、というわけではない。なので、新入生達にした話をクロシェナにもしてみたらどうかという意見は、エリューサスに「無駄」の一言で却下された。
「それで納得するなら、どこからかおかしな手紙が差し込まれることもないだろう」
あれはあれで面白かったが、という呟きに、アルファドが頷いた。
「もう一回くらいあっても楽しいよね」
少しも楽しくないミオンは、結局断れないまま、エリューサスの別邸を後にしたのだった。
「……うまく面倒くさいことを押しつけられた気がする」
自室の机に頬杖を突いて、ミオンはぼそりと呟いた。
あれから三日ほど経ったが、クロシェナの姿は全く見かけない。一つ上の学年であること、個人部屋を使用する身分であることの二点だけでも、遭遇する確率はかなり低いが、マギーの話術の効果が大きいと思われる。
「そこは否定しないけど、王侯貴族とおつきあいするなら、それは日常茶飯事だと思った方がいいわよ」
何しろ相手は上に立つことになれた存在だから、実行する人間の手間暇なんて考えない。お題に対しての結果が全てだと、マギーは言い切った。結果を出したからこそ、今のナトワーズ商会があるのだろうということは窺い知れた。
「厄介な話なのは皆わかっていることよ。だから殿下も特に期限は設けないとおっしっゃてくれたのではなくて?」
「そう、だね」
王侯貴族とこのままおつきあいするつもりは無いが、今回の件は、いつまでも放っておくわけにもいかない。遅くともクロシェナが卒業するまで、いや、アリーゼと出会う前までには何とかしなければ。
(あれ……このままアリーゼに任せるって言うのもありなんじゃ……)
ちらりと考えて、諦めた。うまくいけば成功するかもしれない。しかし、それではクロシェナがミオンの存在を認めることは無い。平穏な学院生活のためにも、やはり自分がやらなければダメらしい。
「私も手伝ってあげるから、がんばりましょ」
「……うん、ありがとう」
いつになくマギーが張り切っているのは、『殿下の頼みだから』という理由に他ならないが、それでも頼もしい味方ではある。何をするにもミオン一人では限界がすぐそこにあるので。
「じゃあさっそくなんだけど、ナトワーズ商会で本って売ってるの?」
「うちで直接は売り買いしてないわね。注文があれば、取り次ぎをする程度よ。なあに、何か欲しい本でもあるの?」
「ううん、欲しいのは本じゃなくて、本の……本の……作り方とか、売り方とか?」
「本を、作る? ミオンが?」
「ううん、作るのはわたしじゃなくて、クロシェナ様だよ」
「……ねえ、ミオン、エリューサス殿下がクロシェナ様にやってほしいのは、絵を描くことよ?」
「わかってる。ちゃんと考えたよ。本当だよ!」
疑いの眼差しを濃くするマギーに、ミオンは必死に取りすがった。褒められたことでは無いが、この三日間、授業もろくに聞かないで考えていたのだ。
「あのね、クロシェナ様がもう一度絵を描くには、一番大事なのはクロシェナ様が絵を描く気持ちがあるかどうかなんだけど、これは本人に聞いてみないとわからないから、今は考えない。いちおう、あるってことで考えてる」
エリューサスから聞いてもらうのでも良いが、どちらにしろ、ミオンが今すぐ出来ることでは無いので後回しにする。これは、マギーも同意してくれた。
「そうじゃないと、エリューサス殿下のお気持ちも無駄になってしまうものね」
ミオンとしてはその点はどうでも良い。言うと怒られるので、頷いて次に進む。
「でね、そうすると次に考えられるのが、クロシェナ様が絵を描いてもいい状況なのかってことなんだけど、これね、わたしが間違ってるのかもしれないからマギーの意見も聞きたいんだけど、どう考えてもクロシェナ様が絵を描くだけなら何の問題も無いように思うの」
「それは……そうねえ……」
宙を見上げながら、マギーは曖昧に頷く。
噂の元になったのは確かにクロシェナが描いた肖像画だが、騒ぎの要因は額に付いているタイトルであり、内容に至っては侯爵家に野心があるかどうかと言うことだ。
「だからね、クロシェナ様が絵を描かないのは、どうしてかなって考えてたんだけど」
「話が堂々巡りになってるわ、ミオン。結局、そのウワサが原因でしょ?」
「うん。そうするとね、ちょっとおかしいなって思ったの。噂が出てきた目的って、実は侯爵様の評判を悪くすることじゃなくて、クロシェナ様に絵を描かせないことだったんじゃないかなって」
「……」
青天の霹靂って、ああいうことを言うのねと、後にマギーは語ることになる。
しかし今は、ただひたすらミオンを、何か珍しい生き物を見るかの様な目で、見つめ続けることしか出来なかった。
「……わたしの考え、どこか間違ってる?」
目の前で小首を傾げているこの生き物、なんて名前だったかしら。
***
ミオンが生まれ育った下町のイドリ地区には本屋が無かった。本が読みたかったら、持っている人に借りるか、隣の地区まで買いに行くしかない。街人Aだと気づく前はさほど、いや、全く不都合は無かったのだが、気づいてからは不便で仕方なかった。学院に入学した理由が図書館で本を読みたいからというのも、ある。
学院に行けば大きな図書館がある。兄もジュスロー先生もそう言っていた。入学して学内散策で真っ先に連れて行ってもらって――あまりの衝撃に中に入ることが出来なかった。
「……あいかわらず、すごい雰囲気だよね……」
そして今日も、ミオンは入り口の前で立ち尽くしていた。しかし今日は、尻尾を巻いて逃げるわけには行かない。
王立学院図書館は、学院内でも最も奥まった位置にある。静かに書物を捲るという理想的な環境には何一つ文句はない。文句があるのは、その外観である。一言で言ってしまえば異形を放っている。どう考えても、学舎の中にある建物では無い。
「大切な本がたくさんあるから仕方ないのでしょうけど、ね……」
隣に並ぶ立つマギーも、少々緊張気味だ。ごくりと唾を飲み込んで、周囲を見回している。
門は無い。入り口の前だけ開けられた低い生け垣でぐるりと囲われた建物は、城か砦と間違えそうなほどの威圧感を持っている。王立学院と同時に建てられたので長くても数十年しか経っていないはずなのに、まるで数千年の時を経て、内に眠る叡智を脅かすものを威嚇する番人のような雰囲気を発している。これは、本を湿気や害虫、さらには火事やあらゆる災害から守るという行き過ぎた防御魔法のせいだと、ジェラールは言っていた。
王立学院図書館――通称、鉄壁図書館。
いざというときには、最後の砦にもなる備えがあるそうだ。
どこか間違った方向に尖った図書館の入り口を、ミオンは本日初めて、マギーと共に恐る恐るくぐった。
「わあ……」
扉を開けて中に入ると、別世界が広がっていた。
広々とした、明るい玄関ロビーがあった。高い天井を見上げてもシャンデリアのような照明器具は見えない。天井が所々で光っているだけで、柔らかい光が降り注いでくる。床は、歩き回っても靴音が響かないよう、全て薄い絨毯で覆われている。
ロビーの奥には閲覧者用のテーブルと椅子が並んでいる。書架から抜き出した本を持った生徒が、あるいは閲覧を終えた本を戻しに向かう生徒が、テーブルの間を思い思いに歩いていた。外観から想像するような、鎧甲の兵士が始終見守っているような物々しい様子はなかった。当たり前なのだが。
「外と中が違いすぎる……」
「――そんなことを言っているところを見ると、新入生ね?」
入り口脇の受付台にいた女性が、静かに近寄ってきた。二十代の後半くらいだろうか。灰色の、まっすぐな髪を背中に一つで束ねる飾り紐以外、装飾品の類いは一切見えない。司書であることを示すケープが、豪華に見えるほどだ。ほっそりとした体型に、不健康なくらいに白い肌が相まって、冷たい印象を受けた。が、ミオンとマギーを見る目には、茶目っ気が溢れている。
「初級科の、ミオン・ハルニーです」
「同じくマギー・ナトワーズです」
「初めまして、私は司書のナーザ・ブロワ。良ければ少し案内しましょうか?」
「お願いします」
それでは、とブロワは受付様の机から館内の案内図を持ってきた。図書館は三階建てで、三階部分は全面立ち入り禁止区域になっていた。うっかり入り込むと、厳しい処分が待っているそうである。
その他、利用時間や利用方法、通り一遍の規則――図書館の本は大切に扱いこと等――とそれに伴う罰則までを説明して、ブロワは二人をのぞき込んだ。
「二人とも今日の目的は何かしら?」
「調べ物です」
「何を調べるのか教えてくれれば、お勧めの本を探してあげるわ」
「えーと……」
ミオンとマギーは顔を見合わせた。ありがたい申し出だが、旨く説明できるかどうかが微妙だ。
「あの、絵の付いてる本って、ありますか?」
「絵の付いている? 絵本は何冊かあったかもしれないけど……」
「それも見たいんですけど、絵本以外に、絵の付いている本はありませんか?」
ミオンの説明に、ブロワは眉根を寄せた。
「絵本以外……? 図録のようなものでいいのかしら? 図録だけで分類はしていないから、調べる物によって棚が違うのだけど」
「全部教えてください」
意気込む二人に、ブロワは面食らったようだが、なんとか取り繕って案内図を取り上げ、図録のありそうな分類の書架を教えてくれた。かなり幅が広いので、手分けして回ることにする。
「あ、ブロワさん、もう一つ教えてください」
マギーを先に書架にやって、ミオンは受付に戻った。
「ハベト族に関する本って、どこにありますか?」
せっかく図書館に来たのだし、ついでにハベト族のことを調べてみようと思った。秘密教団のことはさすがに書いていないだろうが、少しでも子猫を探す手がかりになれば良い。
ブロワは、なぜか苦笑して言った。
「『関する』の範囲をもう少し具体的にいってもらえるかしら。例えば、歴史なのか、風習なのか、地理なのか」
「ハベト族のことをよく知らないので……全体的にわかる本は無いですか?」
そう返すと、ブロワは口の端に指を置いて、いたずらっぽくミオンを見やる。
「例えば、クアンバド王国民に関する本といわれたら、あなたはどんな本を思い浮かべるのかしら?」
なるほど、答えづらい。ここは出直すしかないようだ。
「……もう少し勉強してからにします」
「はい、がんばってね」
笑顔で言ってから、ブロワは残念そうに付け足した。
「でも、仮に知りたいことが決まっても、協力できないかもしれないわ」
ハベト族とは、併合するまではほとんど交流が無かったことと、併合後も独自路線を走っているのでよそ者とはあまりつきあわないこと、それゆえ情報が入らないのだと、ブロワは言った。数年前から学者が研究のために自治領に向かっているが、大きな成果は上がっていないそうだ。
「外に出す情報を制限しているのでしょうね」
その用心深さは、何を警戒してのことなのか。ゲームのストーリーでは、アリーゼの選択次第で王国と戦ったり協力したりと、よく立場の変わる一族だったが。
(……そういうのはアリーゼに任せよっと……)
ハベト族から秘密教団のことを探り当てるのは諦めた方が良さそうだ、ということがわかっただけでもよしとしよう。
(やっぱり、大通りをしらみつぶしに歩くしかないかな)
まだ大通りを歩いたことは無いが、残り三年もあれば制覇できるだろう。
ブロワに礼を言って、ミオンはまず、当面の目的を果たしに書架の間に潜り込んだ。
まだまだあらすじ詐欺は続きます!(涙)
クロシェナ編はおそらく多分次回で終わりです。次こそ、子猫捜索に、いく、はず……。
それでは今回もありがとうございました。
ブクマも評価も感想も、本当にありがとうございます!
6/26追記
パソコン不調のため、更新をしばらくお休みします。
活動報告にも書きましたのでご覧ください…なんでこんなことに( ; ; )