16
「そういえば」
庭園を抜け、校舎と校舎の間の小道を歩いていたエリューサスは、いきなり立ち止まって振り返った。
「お前、どうしてクロシェナ嬢と親しくなりたいんだ?」
エリューサスの言動は常に唐突だ。身分の高い人と常に行動しているのならば、そんな唐突な質問にも備える心構えがあるのだろうが、ミオンには無い。見慣れない校舎の様子を眺めていたので、危うくエリューサスの背中にぶつかりそうだったくらいに、緊張感が無い。
「え? どうしてって……えーと……」
一番大きな理由は、過去の自分の記憶だ。
ゲームでは叶わなかったツンデレ令嬢のクロシェナとの友情ルートを是非――息巻く過去の自分をミオンはそっと押しやった。いくらなんでも、過去の記憶の話を持ち出すわけには行かない。なにしろミオンはまだクロシェナと知り合って間もない。食堂で出会い頭に、一方的になじられただけで、知り合いと言えるのかどうかも怪しい。だからこそ、エリューサスも疑問を抱いたのだろうが、ミオンだってどうして嫌われている相手に好かれようとしたいのかがわからなかった。他にもたくさん自分を嫌っている生徒はいるのだし、と、そこまで考えて、気づいたのだ。
「直接文句を言いに来たのはクロシェナ様が初めてだったから」
「はあ!?」
「……」
「なんというか……趣味は人それぞれだよね、うん」
最後のアルファドのセリフだけ、なにか引っかかるが、確かにわかりにくい答えだったと自分でも反省した。
「えーとですね、あの手紙もそうだけど、わたしのことが気に入らない人って、絶対に自分がやったってバレないようにしてるでしょ?」
「そりゃあ……仮にも『王子殿下のお友達』に嫌がらせしたとあれば、ただじゃ済まないと思うのが普通だから――ああ、そうか」
アルファドには納得してもらえたようだ。つかえが取れたような、すっきりとした顔をしている。
「なるほどね、クロシェナ嬢の特攻が王族と親しくしているという奢りからなのかどうかはわからないけど、堂々と姿を現してきたのは賞賛に値するね」
ミオンは頷いた。今まで他の誰も、面と向かってミオンに文句を言いに来た生徒はいなかった。
夕べの食堂でも、クロシェナの言動に賛同する空気はあった。けれども誰一人として、立ち上がってクロシェナの横に立とうとしなかった。クロシェナはそれで良かったのかもしれない。ミオンを糾弾できる雰囲気さえあれば旨く流れを運べると思っていたのだろう。しかし、結果はあのとおりだ。ミオンを攻める空気は、そのままクロシェナを攻める空気に変わってしまった。流れを変えたマギーの話術は素晴らしいのだろうが、ミオンの中には、もやもやとした思いが残っていた。
ライバルキャラの運命ってやつね――夕べ一晩、ミオンは過去の記憶からクロシェナのことを思い出していた。テルスター王子ルートでライバルキャラとして登場するクロシェナは、姑息な手段を使わない。正々堂々とアリーゼの勝負を挑んでくる。クロシェナ以外の王子の婚約者候補は、そんなクロシェナを利用してアリーゼを貶めようとする。全部、クロシェナがやったことのように見せかけて、だ。
同じだ、とミオンは思った。
結局、クロシェナに賛同していたと思われる人物は、クロシェナを矢面に立たせて、自分は安全な所で無責任な応援を投げていただけだ。クロシェナが不利となれば、しらん振り決め込む。クロシェナが今にも倒れそうな顔色に変わっても、誰も救いの手を伸ばさなかった。
ミオンも、手を伸ばせなかった。そのことが夕べからずっとしこりとなって残っていた。
「いきなりだったし、いろいろ悪口も言われてイヤだったけど、最後はクロシェナ様が悪者みたいな雰囲気になっちゃってて、ちょっと可哀想だったし」
「あのね、ミオン、出会って早々に悪口を並べ立てるのは悪者だと思うわよ?」
諭すように、マギー。ミオンは言葉を詰まらせた。
「そ、れは、そうだけど、でも周りの人も同じこと考えてたのに、クロシェナ様にだけ言わせてるのはずるくない? それって、全部クロシェナ様のせいにしようとしてるみたいだもん」
「そうね……そういう気持ちは、あるでしょうね」
「間違いなくあるだろうね。で、そこで逆にクロシェナ嬢を味方に付ければ、敵はまた闇に潜んでこそこそするしかないわけだ」
なるほどなるほどと、アルファドが微笑む。にじみ出る黒さに、ミオンは冷や汗を垂らした。
「それはよくわからないですけど……わたしは、悪口を言い合うのはイヤだなっていうだけで」
「そうか」
ぽつりと呟いたエリューサスは、ミオンを見つめて、頷いた。
「それならいいだろう」
「……え?」
振り返ったときと同じくらいに唐突に、エリューサスは再び歩き出した。なにがいいのか、さっぱりわからない。ぽかんとするミオンの肩を、アルファドが叩く。
「納得したみたいだし、いこう」
「はあ……」
きつねにつままれたような思いでエリューサスに付いていくと、高い石壁に繋がった門に行き当たった。門番が二人立っていて、そのうち年かさの方が一礼して近寄ってきた。
「殿下、そちらの女生徒のお名前をお願いします」
「ミオン・ハルニーとマギー・ナトワーズ。二人とも初級科の生徒だ」
「承りました」
門番はまた一礼して下がると、門の横の小窓を開けて何かを伝えた。
ミオンを門を見上げた。背丈の三倍はある鉄の門には、細かい模様が彫られている。中央に見えるのは恐らく家紋だろう。どこかで見たような気がするが、思い出す前に門が開いてしまった。人が一人通れる幅が開くと、エリューサスは遠慮無く進み入った。
門の中は、低木で囲まれた庭園が広がっていた。庭園の奥には、遠目にもわかるほど立派な屋敷が建っている。正面と、左右に、距離を置いて一棟ずつだ。
「……外に出たんですか?」
背後で閉じられていく門を振り返りながら、ミオンは尋ねてみた。門があって門番がいる場所といえば、学院の正門しか知らない。学院の敷地は広いので、他にも門があるとは知っているが、今のところ用がないので行ったことが無い。
「ミオン……門に描かれていた紋章を見なかったの?」
呆れたように言ったマギーは、直後に「聞くだけ無駄だったわ」と呟いた。ミオンはむっとして言い返した。
「それくらい、ちゃんと見たけど……途中で門が開いたからわからなくなっちゃったけど、マギーはわかるの?」
どこの紋かわからないことは、そっと付け足しておく。正直でよろしいとマギーに褒められた。
「ちゃんと覚えておきなさいよ。あれは王家の紋章よ。だからここは、ある意味、学院の外になるわね」
「意味がわからないんだけど」
「でしょうね。でも、私の言ってること、間違っていませんよね?」
マギーが問いかけたのはアルファドだ。くすりと、アルファドは小さく笑い返した。
「うん、そうだね。さすが、ナトワーズ商会の跡取りというべきかな。ここはエルとテルスター殿下の別邸だよ」
「別邸って……おうち、ですか?」
「今は、だ」
少し先で、短くエリューサスが訂正する。はいはいと、アルファドが投げやりに頷く。
「ここは王族が学院に入学したときに使われる、王族専用の別邸ってことなんだ」
学院の生徒は全員入寮が義務づけられている。王族とて、例外は無い。国内政情の安定しているクアンバド王国だからできることらしい。とはいえ、さすがに王位継承権を持つ生徒を、派閥も何も関係なく同じ建物に一緒くたに放り込むというのはいささか無理があり、よって学院内に専用の別邸が建てられていると言うことだった。
「ちなみに今ここを使っているのはエルとテルスター殿下だけだから」
その二人きりの使用者が、それぞれ一棟ずつ屋敷を使っていると聞いて、ミオンは開いた口がふさがらなくなった。学院に在籍している間だけの、一人きりの家ってどういうこと?
(兄弟なんだから一緒に暮らせばいいんじゃないの?)
呆然としている間にエリューサスの別邸に通されて、はっと我に返ったときには広い部屋の中に立っていた。
客間だろうか。それにしてはもてなすつもりが見えない。調度品と言えば部屋の中央のソファセットくらい。代わりにというのか、壁に大小の絵がいくつもかけられている。主に風景画と静物画だ。きちんと額に納められているものもあれば、キャンバスのままのものもある。飾りきれなかったのか、床の上に並べてある絵もたくさんあった。
「全て、クロシェナ嬢の絵だ」
ぐるっと見回したのを見越したように、エリューサスが言った。
「全部……?」
もう一度室内を見回す。壁に掛けられているだけでも二十枚以上はある。床の上にある絵を加えたら、何枚になるのだろう。
風景画の一枚に近寄って見つめていたマギーが、頷いた。
「私が見せていただいたのもこの絵だわ」
「え、マギー、前にここに来たことがあるの?」
「あるわけないでしょ。侯爵家のお屋敷にお父様と一緒にお邪魔したときに拝見したのよ」
「その後、ここに飾るようになった。他にも、いろいろ持ってきたはずだ」
ミオンはもう一度見回した。ほとんどが景色や者を描いた絵の中で、一枚だけ、人物画があった。テルスター王子だった。
隣に並んだマギーが息を飲んだ。どうしたのかと見れば、続いて並んだアルファドが首を横に振った。
「これは違うよ。あの肖像画じゃない」
「私は、別に……」
マギーは慌てたように目を伏せた。ちらりと、エリューサスの様子を窺う。エリューサスは気にした風も無く、部屋の中央に進んでソファに腰を下ろした。その席に座ると、部屋のほとんどの絵が見えるようになっている。エリューサスに促されて三人も席に着いた。
「――失礼いたします」
「!?」
直後、部屋の扉が開いてメイドが現れた。ティーセットの乗ったワゴンを押している。
「……ミオン、何してるの?」
ソファの裏をのぞき込むミオンの襟首を引っ張って、マギー。
「この辺に鈴でも付いているのかと思って」
「そんなわけないでしょ! ちゃんと座りなさい」
そんなやりとりをしている間に、メイドは素早く人数分のお茶の用意を整えて音も無く立ち去った。お茶菓子はクリームのケーキだった。ミオンは即座に座り直した。
カップから一口すすって、エリューサスは語り出した。相変わらず唐突な話しぶりだった。
「オリエン侯爵夫人は病弱な方だった。クロシェナ嬢が物心ついた頃には一日の大半をベッドで過ごすような状態だった。だからクロシェナ嬢は、なかなか外に出られない侯爵夫人のために、絵を描いて見せた」
綺麗に描いて母親に見せたい、その一心で筆を執るクロシェナの絵は、みるみるうちに上達したそうだ。侯爵家と親しくつきあっていた王妃もクロシェナの絵をいたく気に入り、ごく私的な空間に、ひっそりと飾ることもあったそうだ。王宮に飾られる絵は、王室専用絵師が描いた絵画のみと決められていたから、自分以外の目に触れないような場所にだけ。
「それだけのことが、王室専用絵師達のプライドに障ったらしい」
クロシェナはテルスター王子の誕生日に肖像画を描いて贈った。これが、事件の発端になった。
「その絵が届く直前に、運んでいた絵師の弟子の一人が躓いて転んで額を割ってしまったんだ」
幸い、絵には何の損傷も無かったが、割れた額についていたタイトルが『テルスター王太子殿下』と刻まれていたというウワサが持ち上がった。壊れた額の方は速やかに廃棄されてしまったので確たる証拠は無く、王家からもはっきり否定されたのだが、今でもことあるごとに囁き合われている。オリエン侯爵は娘を王子に嫁がせて、権威を振るう予定だったのだ、と。
エリューサスが話を切ったので、ミオンは急いで口の中のケーキを飲み下した。
「額って、絵と一緒に作るんですか?」
「いや、額は絵師とは別の職人が作るな」
「じゃあ、額を作った人が悪いと思います。ちゃんと調べたほうがいいです」
「額を作った職人はオリエン侯爵から使いが来て、注文していったと言っていた」
「じゃあ、そのおつかいの人が嘘を言ったと思います」
「使いのものを探したが見つからなかった。侯爵が身柄を隠してしまったのだと言われている」
ミオンはぽかんと口を開けた。
「どうやっても侯爵様が悪いようになっちゃうんですか!?」
ぷ、と吹き出したのはアルファドだ。
「君はどうやっても侯爵が無実だと主張したいんだね?」
「だって、最初にエル様が言ったじゃないですか。クロシェナ様の絵を飾ったことが王室専用絵師の気に障ったって」
明らかに濡れ衣だと言っているのも同然だ。
「あのね、ミオン、侯爵様以外の誰かがそんな額を注文したっていう証拠が無い限り、疑惑は消えないし、仮にそんな証拠が本当にあったとしても、侯爵様が無理矢理作ったって言われないとも限らないわ」
上品にお茶を口元に運びながら、マギーも言う。そんなの、納得がいかない。ミオンは不満たっぷりにエリューサスを見た。
「エル様は侯爵様がやったと思ってるんですか」
「やらないだろうな」
あっさりと、否定を口にする。それから、少し目つきを鋭くした。
「だからそれを証明するためにも、クロシェナ嬢には筆を取り直して欲しいと思う」
クロシェナがウワサに振り回されずに絵を描き続けることが、ウワサを払拭する方法の一つだろうというのがエリューサスの意見だった。
「それでだ。お前ならクロシェナ嬢が折った筆を元に戻す方法を考えられるんじゃないか?」
エリューサスの言葉はいつも唐突だ。
だからいつもミオンは、こう返すしかない。
「え?」
はい、平常運転です。早めに書きたいなんてもう言いません(涙)
そしてまだ続くんですよ……困ったことに。
それでは、今回もお読みくださいましてありがとうございました。
いつものことながら、ブックマークも評価もありがとうございます!