15
「一応訊いておくけど、クロシェナ様について、どのくらい知ってるの?」
部屋に戻るとすぐ、マギーはそう切り出してきた。上級貴族用の一人部屋ほどではないが、二人部屋にもお茶が飲める程度のソファセットが備え付けられている。クッションが硬いとマギーは文句を言っていたが、ソファに座る生活をしてこなかったミオンには、ベッドの次に快適な空間である。だらしなく沈み込んで、マギーの問いに首を横に振る。
「なにも。今日初めて会ったし、マギーの話で侯爵様のご令嬢ってわかったくらい」
ゲームの人物紹介を読み上げるのはやめておいた。内容は一般的な情報だったが、アリーゼが学院に来た当時の設定だから、うっかりすると未来を予言してしまいかねない。
「マギーは、詳しそうだったよね。お店のお客さんなの?」
「私もクロシェナ様に会ったのは今日が初めてよ。お父様のオリエン侯爵様には何度かご挨拶したわ」
「さっきの、贈り物の話のとき、とか?」
話の直後、クロシェナの様子は一変した。マギーの言葉のどこに反応したのだろう。あの顔色はただ事ではない。
「その話なら、嘘よ」
「え?」
ミオンは思わず身を起こした。向かいのソファで優雅にくつろいでいるマギーが、うふふと笑う。
「ミオンだってわかっていたでしょ。最初からクロシェナ様はあなたを叩き潰す勢いだったわ」
「叩き潰す……まあ、そうだろうけど……」
あわよくば、食堂全員を巻き込んでミオンを糾弾しようという腹づもりだったのは、わかっているつもりだ。そこにセオラリアを巻き込んでしまったのは本当に申し訳ないと思う。
「だから本題に入る前に、お引き取り願おうと思って咄嗟にあの話を思いついたのよ」
「贈り物を選んだってこと?」
「ええ。贈り物でも貢ぎ物でも何でも良かったわ。要は、絵の話を持ち出せればよかったのよ」
「絵の話?」
ミオンはマギーが飾った三王子の絵を見上げた。相変わらず、エリューサスが不機嫌そうにこちらを見ている。絵師は鑑賞者にもう少し配慮すべきだと思う。
「実を言うと、この先は私もよく知らないのよ。だからうまくいくかどうかは賭けだったんだけど」
結果はご覧の通りなので、ミオンとしてはマギーの自信のなさが疑わしい。懐疑的なミオンの前で、マギーは肩をすくめて見せた。
「クロシェナ様が絵を描くのは本当の話よ。その絵を実際に見たのも、すごく上手だったのも本当。王室専属絵師にもなれるくらいの腕だって言われているわ。でも、それが徒になって、ちょっとした騒ぎが昔あったのよ」
「うんうん」
それで、と先を促すが、マギーは眉を寄せたままなかなか続きを話さなかった。
「私も詳しくは教えてもらえなかったのだけど……クロシェナ様が第二王子殿下の絵を描いて、贈られた。その絵が、オリエン侯爵がクロシェナ様を第二王子殿下と婚姻を結んで、ゆくゆくは第二王子殿下を王に、クロシェナ様を王妃にするつもりの確たる証拠だって騒ぎになったそうよ」
「へー……」
ミオンは首を振りながら頷いた。その様子を見て、マギーの目が据わった。
「ミオン……わからないならわからないと正直に言ってちょうだい」
「すみませんわかりませんでした」
ミオンはソファの上で背筋を伸ばし、頭を下げた。マギーは頭痛を起こしたみたいに額を押さえた。
「……いいわ、わかると思って話した私がバカだったのよ。気にしないで」
「はあ……」
気にしたい単語がいくつもあるのだが、ミオンは努めてそれらを無視した。
「ともかく、これからまたクロシェナ様に絡まれたら、何でもいいから絵の話をすると良いわ。勝手に想像して逃げていってくれるでしょうし」
「何でも良いの?」
「いいわよ。授業で絵を描いたとかでも、子供の頃の落書きをした話でもなんでも」
「……」
落書きの話で逃げていく侯爵令嬢の図、というのが想像できない。もっともクロシェナのような令嬢なら、逃げていくときでも誇り高く逃げていくのだろうなと思う。
戦略的撤退ってやつよね――過去の記憶が笑いをかみ殺しながら何か言っている。クロシェナは、己の過ちを認めるときですら、矜持を高く掲げている少女だった。他者にも同じ矜持を要求するからこその、辛辣なセリフだった。これに気づいてしまうと、クロシェナファンが辞められないそうだ。
(ツンデレって複雑だね……)
出来れば遠くから見守りたいミオンだったが、騒ぎを収めるにはどうしてもクロシェナに歩み寄らなければならない。だから――追い払ってはダメなのだ。
黙り込んだミオンを、マギーはのぞき込んだ。
「大丈夫よ? 効果てきめんなのはさっきの夕食の場で見たでしょ? あの勢いで言われたら言い返せないっていうなら、私が代わりに言うわ」
「あ、ううん、そうじゃなくて……」
あの蔑みの目で罵倒されたら何も言い返せない自信はある。今日だって、セオラリアやマギーがいなければ部屋に帰ってベッドに潜り込んでいたに違いない。よくよく考えてみるとクロシェナに歩み寄るには地雷原を踏み越えていく覚悟が必要だった。
「そうじゃなく、なあに?」
「……マギーが絵のことを言ったとき、クロシェナ様、今にも死んじゃいそうな顔してたんだよね。だから……できればあんまり言いたくないなあって……」
「……は?」
理解できないと、マギーの顔にくっきりと書いてある。
しまった、言葉が足りなかった――ミオンは焦った。まさかクロシェナはツンデレだから大丈夫とは言えない。
「えーと、ほら、友達とケンカしたときとか、あんまり酷いこと言い過ぎちゃうと、あとで仲直りしにくいってことあるじゃない?」
「……まさかと思うけど、あなた、クロシェナ様と友達になるつもりなの?」
それ以上バカなこと行ったら潰すわよと、マギーの心の声が聞こえてきた気がする。ミオンは必死で言葉を探した。なにか、何か他にマギーの心を打つ言葉はないものか。
「えーとえーと……クロシェナ様って、最初に殿下とクラスを回ってた時に休んでたんだよね。だからまず、その話を聞いてもらって、それからかなって」
「話を聞いてくれると思ってるの?」
マギーはあきれ顔だ。
「わたしだけじゃ無理かもしれないけど、エリューサス殿下と一緒なら聞いてくれるんじゃないかなあ」
そのエリューサスと連絡を取る方法が思いつかないのが問題だ。
マギーはあきれ顔のままベッドに入ってしまったので、相談相手はいなくなってしまった。ミオンはしばらくソファに沈み込んで、ぼんやりしていた。
(セオラリア様か、お兄ちゃんに頼んでみようかなあ……)
つい、そのままソファで眠りこけてしまったミオンは、翌日、危うく寝過ごすところだった。
***
「ああ、会えてよかった」
その昼休み。
学院の生徒達は寮の食堂と、昼食時のみ開いている校舎内の食堂を選択できる。周囲の視線が気になるミオンは、視線が半分以下に減る女子寮の食堂で取ることにしている。アルファドに声をかけられたのは、寮に入る直前のことだった。
「あれ、アルファド様。こんにちは。何かご用ですか」
「今日、授業が全部終わったら第二校舎の横の庭園に来てくれる? エルも来るから。隣にいる友達も一緒で構わないよ。初級科の校舎から少し遠いから、ゆっくりでいいからね。それじゃまた」
ほっとした表情のアルファドは、どうやらかなり急いでいるらしく、それだけを早口に言うと手を振って走り去っていった。
「ということだけど、マギー、いいかな?」
アルファドを見送って、マギーを振り返る。
「殿下と同席なんて、断るわけないじゃない!」
「そうだよね……」
釈然としないまま昼食を取り、午後の授業を終えたミオンは、マギーに引きずられるように指定の場所に向かった。呼ばれているのは自分なのに、どうしてマギーが張り切っているのかわからない。
「何言ってるの、殿下をお待たせするなんて、そんな失礼なことあり得ないでしょ」
「ゆっくりでいいってアルファド様も言っていたけど」
「社交辞令に決まってるでしょ!」
第二校舎横の庭園には、東屋がいくつか建てられていて、エリューサスとアルファドはそのうちの一つに陣取っていた。ミオンを見つけると、アルファドが手を挙げる。
「こんにちは、アルファド様、エリューサス殿下」
挨拶をしたら、エリューサスに睨まれたので、仕方なく言い直す。
「……じゃなくて、エル様」
「僕の方は言い直してくれないの?」
「じゃあ、アル様」
二人とも満足してくれたのでほっとしていると、横でマギーが微妙な顔をしていた。
「えーと、同じクラスで同じ部屋のマギーです」
「初めてお目にかかります。マギー・ナトワーズと申します。以降、お見知りおきくださいませ」
「うん、こうして会うのは初めてだけど、よく聞いているよ。ナトワーズ商会のご令嬢と知り合えて嬉しいよ。改めて、僕はアルファド・ヤーベイン。こちらはご存じだと思うけどエリューサス殿下。これからもよろしく」
アルファドに椅子を勧められて、ミオンとマギーは二人の向かい席に座った。東屋には椅子の他に、円形のテーブルもあるのだが、今は何も乗っていない。
「急だったんでお茶の用意も無くて申し訳ない」
アルファドが詫びると、エリューサスが口を開いた。
「夕べ、クロシェナ嬢にからまれたそうだな?」
唐突な質問だった。しかも、耳が早い。いつ、誰から話を聞いたのだろう。まさか、こっそり忍び込んで聞き耳を立てたのだろうか。
「誤解される困るんだけど、情報提供者はちゃんといるからね?」
アルファドに念を押された。笑顔が黒くなっていたので、ミオンは慌てて頷いた。
エリューサスはマギーに視線を向けた。
「君が撃退したと聞いたが」
「エル……撃退はちょっと言い過ぎ」
言葉に詰まったマギーの代わりに、アルファドが言う。エリューサスは眉を動かしただけで、マギーに返答を求めた。
「……クロシェナ様にご挨拶しただけです、殿下。ご実家からお戻りになられたばかりで少々お疲れになっていたようで、早々にお部屋に戻られました。それだけですわ」
マギーの、事実を真綿で何重にもくるんだ答えをエリューサスは一蹴した。
「かばい立ては要らない。君はオリエン侯爵にクロシェナの贈り物に画材を勧めたと、それを聞いてクロシェナは逃げ出したと聞いた」
「おっしゃるとおりです、殿下」
先ほどまでのしおらしさはどこかへ追いやって、マギーはエリューサスの視線を真正面から受け止めて頷いた。エリューサスは首を振った。
「そう構えなくていい。咎めるつもりは無い。ただ……その話をどうして持ち出したのかが気になっただけだ」
「あの、マギーはわたしのために言ってくれたんです」
「そんなことはわかっている」
ミオンの必死な発言も一蹴された。勢いを削がれたミオンを、マギーが引っ張る。
「ミオン、殿下がお尋ねになっているのはそういうことじゃないの」
「じゃ、どういうこと……?」
マギーは答えをエリューサスに向かって言った。
「殿下の肖像画の一件を、どこまで知っているのかということでよろしいでしょうか」
「セオラリアの話だとミオンは知らなかったみたいだし、王宮と交流のあるごく一部の人間ということでいいんじゃないかな」
アルファドが頬杖を突きながら言った。マギーは頷いて、目を伏せた。
「私も詳細までは存じません。ただ、クロシェナ様にはあまり良い思い出ではないと判断しましたので、とっさに使わせていただきました。殿下がご不快に思われたのなら、謝罪いたしますわ」
「先ほど言ったとおり咎めたいわけじゃない。昨日の一件、クロシェナ嬢の態度にも問題はある。というか、クロシェナ嬢の態度にしか問題は無いのだが、できればその一件はこの先、二度と口にしないでもらえるとありがたい」
「かしこまりました。殿下のおっしゃるとおりに。ミオン、そういうことだから、夕べの話は無しね」
もともとするつもりのなかったミオンには朗報である。
「うん、やっぱり悪口を言い合ってるとお互い気まずくなっちゃうしね」
沈黙が落ちた。何かマズいことを言っただろうか。マギーと、エリューサスと、アルファドの顔を順番に見ると、諦めと、憮然と、驚愕がそれぞれ返ってきた。
「あの……」
「ああ……ごめん。ちょっと意外というか、ミオンの言い方だと、クロシェナ嬢と親しくなりたいと聞こえるんだけど、気のせいかなって」
驚愕の表情を残したまま、アルファドはからかうように言った。
「やっぱり無理でしょうか……」
「無理というか……そうだなあ」
困ったように、アルファドはエリューサスを見た。エリューサスは項垂れるミオンを一瞥して、立ち上がった。
「行くぞ」
理由も目的も言わない。命令に等しいその一言に、全員、付いていくしかなかった。
蛇足かなと、悩みながらの投稿です。
いきなり本題に入っても良かったかなと。
次は出来るだけ早く投稿したいと思っています…クロシェナ編は区切りが悪すぎる…。
今回もお読みくださってありがとうございました。
感想もブックマークも評価も、本当にありがとうございます!