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結果として、料理にキノコは入っていなかった。テーブルマナーについては、今後の成長に乞うご期待である。まさか食事中の会話にも順番まであるとは知らなかった。同席者が理解ある人たちばかりだったことに、ミオンは心から感謝するばかりだ。少なくとも、料理の味がわかる程度にはリラックスできる。
「――あら、セオラリア様。こちらの席にいらしたのね」
デザートまで食べ終わって、そろそろお開きにというあたりで、甲高い声がテーブルの上を流れていった。誰だろうと見上げたミオンは、声の主とばっちり目が合った。
(うわ、美人さん……もったいない)
ミオンの背後に立っていたのは、艶やかな黒髪に、キラキラと光るリボンを編み込んだ美少女だった。肌は白く、唇は花びらのようで、まつげは長く、大きめのぱっちりとした紫色の目が――ミオンを蔑んでいる。美人なのに、そんな顔をするなんてもったいない。
「クロシェナ様、ごきげんよう。お久しぶりですわね。ご実家に戻られていたとお聞きしましたわ」
セオラリアが流れるような所作で立ち上がり、お辞儀をした。ノエラとフーシアも、ほぼ同時に立ち上がってお辞儀をしている。
「?」
背中を小突かれたので、ミオンは振り返った。既に立ち上がったマギーが、ミオンにも立てと脅して、否、促している。
(えっと……どうしよう)
普通に椅子を引いたのでは、クロシェナと呼ばれた美少女に当たってしまう。ミオンは椅子の角度に苦労しつつ、なんとか立ち上がる隙間を空けた。見よう見まねでお辞儀もしたのだが、既にクロシェナの関心はミオンの上に無かった。
「ノエラ様とフーシア様も、ごきげんよう。ええ、今年は御祖父様のいらっしゃる領地で新年を迎えたので、ずいぶんと落ち着いておりましたわ。ゆっくりしすぎて、王都でのご挨拶回りに手間取ってしまって、学院に戻るのが遅れてしまいましたの」
「そうでしたの。でも、お変わりなく戻られてほんとうに良かったですわ」
「ええ、私に変わりありませんけれど、戻るなり良くないウワサが耳に聞こえてしまって、確かめに来たところですの」
言葉の後半で、ミオンの首筋がひやっとした。マギーに習って一歩下がって顔を伏せていたが、クロシェナの視線が飛んできたのが痛いほどにわかる。
(これって、あれだよね……)
そっと横を伺うと、マギーは小さく首を振った。今は黙って嵐が過ぎ去るのを待つしか無いらしい。
「まあ、良くないウワサだなんて。怖いですわ。いったい、どのようなことでしょう?」
ある意味、嵐の直撃を開けているセオラリアは、そよ風に吹かれる花のように小首を傾げていた。クロシェナは、苛立ちと嫌悪を滲ませて言った。
「口にするのも汚らわしい話ですわ。エリューサス殿下に取り入ろうと下賤の者がまとわりついている、とか。しかも、その者は身の程知らずにも学院に入学したとも聞きましたわ」
「……」
「……!」
クロシェナの言うウワサについて訂正しようかとマギーに確認すると、視線で止められた。とても、強く。ミオンは唇を噛む。
(でも……セオラリア様が)
ミオンを非難するためにセオラリアに言葉をぶつけているというのが、いたたまれない。無知な自分のために世話を焼いてくれた結果が、こんなとげとげしい空気だなんて。
少し前まで和やかなざわめきに満ちていた食堂は、今では静まり返っている。人が出て行く気配は無かったから、全員、この場の会話に集中しているのだろう。その中心に、セオラリアは臆せずに立っている。
「まあ、そんなウワサが。いつでもそのような方はいらっしゃるのですね。本当に悲しいことです」
しんみりとして見せたセオラリアに、ノエラとフーシアが同調する。クロシェナの眉がつり上がった。
「それでしたらセオラリア様、ずうずうしくも同席しているこの者達の身の保証は済んでいらっしゃるのかしら。見たところ、さほどご身分があるようには見えませんけど」
(さほどじゃなくて、全然です)
これは胸を張って言える。視線を感じて横を見ると、マギーがじっとりとした視線を送ってきていた。くだらないこと考えていたんでしょうと、そう言っている。ミオンは気づかないふりで目を逸らした。どうしてわかったんだろう。
水面下のやりとりには気づかず、セオラリアは明るい調子でマギーとミオンを呼んだ。
「そうでしたわ。ご紹介いたしますわね。こちら、新入生のマギー・ナトワーズとミオン・ハルニーですわ。ナトワーズ商会の名前は、クロシェナ様もご存じでしょう?」
「ナトワーズ……ええ、良く存じておりますわ。当家でもよく利用しておりますもの」
クロシェナの、マギーを見る目が一瞬にして変わる。その隙に、マギーは挨拶を滑り込ませた。
「ご紹介に預かりましたマギー・ナトワーズです。お会いできて光栄です。不躾を承知でお尋ね申し上げますが、もしかしてクロシェナ様は、オリエン侯爵様のご令嬢のクロシェナ様でしょうか?」
「あら、まだご紹介しておりませんでしたけれど、お二人とももう面識がおありでしたの?」
セオラリアの問いに、クロシェナもマギーも首を振った。
「いえ……」
「とんでもありません。私の方は父から話を伺っただけで、こうしてお目かかったのは初めてですわ」
慌てて否定したマギーは、微かに頬まで赤らめて言った。
「綺麗な方だとは聞いておりましたけど、こんなに美しいとは思ってもおりませんでしたわ。オリエン侯爵様がクロシェナ様をとても大事にされておいでなのもよくわかります。父がお屋敷にお邪魔するときも、話の半分はクロシェナ様のお話になるそうで――」
「ちょ、ちょっとあなた、そのような話は……!」
顔を引きつらせるクロシェナを無視して、というか、全く聞こえていないように、マギーは一人、顔を赤らめて話し続けている。
「初めてお庭を歩かれたときのドレスの話も、心温まるすてきなお話でしたわ。そうそう、その日以来、お庭に出る度に違うドレスを着られるようにとご用意されたとか。世の中の宝石もドレスも全てクロシェナ様のために存在するのだと言い切られたと――」
「ちょっとあなた、私の話を聞きなさい!」
クロシェナは真っ赤になってマギーに手を伸ばすが、マギーはくねくねと身をよじらせて巧みにかわしている。クロシェナは完全に遊ばれていることに気づかないのだろうか。
(マギー……それわざとだよね……それにしてもオリエン侯爵ってどこかで……クロシェナ……?)
「オリエン侯爵様と言えば、鉄壁の自制心をお持ちの方とお聞きしておりましたけど」
「とても好感の持てる方でしたのね」
「素晴らしい父親ですわよね」
セオラリアとノエルとフーシアが微笑んで頷いている間に、ミオンは思い出した。
(そうだ、あの子だ!)
クロシェナ・オリエンも、『終焉を奏でる君と』の登場人物だ。テルスタールートのライバル的存在で、アリーゼが学院に入学した当時は、非公認の第二王子の婚約者だった。王家の婚姻は王子であれば十八歳、王女であれば十六歳の年に婚約者が決定される。非公認というのは、周囲から王子の婚約者に最もふさわしいと見られている、ということだった。クロシェナ本人は望まれれば従う程度の意識だったが、アリーゼの登場で改めてテルスター王子との関係を見つめ直していく。各所で庶民のアリーゼを貶めるような科白を吐く反面、アリーゼに嫌がらせをする生徒を捕まえて「やるなら正々堂々とおやりなさい」と諫める正義感溢れるツンデレキャラである。クロシェナとの友情ルートを望む声も大きかったとか。
(……ツンデレ……?)
また、頭の痛い言葉を思い出してしまった気がする。ミオンは、クロシェナを盗み見た。何を言っても話を止めないマギーに、顔を真っ赤にして抗議している。真っ赤に怒っていても美少女だというのはずるいと思う。それにしても、先ほどまでの冷ややかさはどこに消えたのだろう。
「侯爵様は先日も当家にいらっしゃって、クロシェナ様が喜ぶようなものは無いかと、それはもう熱心にご相談されていて」
「あなた! いい加減なことばかり言わないで!」
「そんなっ! クロシェナ様。いい加減な話ではありません。このお話は侯爵様があまりにも熱心でしたので、特別なお祝いかとも思った父が私にも相談してきまして、それで一緒に話をお伺いしたんですわ!」
「な……っ!」
マギーの抗弁に、クロシェナは言葉を詰まらせる。マギーはここぞとばかりにたたみかけた。
「ところが伺ってみたら特別なお祝いではなく、単にクロシェナ様の喜ぶ顔が見たいだけだとおっしゃって。本当にお優しい方ですわよね。それで私も一生懸命考えて、一つだけお勧めしましたの」
マギーは、くねくねと動くのをやめて、クロシェナの真正面で満面の笑みを浮かべた。
「画材を一式、それも王家の専属の絵師が使うような最高級の品をお勧めしましたの」
瞬間、食堂中の空気が固まった。セオラリアですら、驚いた顔で固まっている。
(え、なに……?)
一人空気が読めなくなったミオンを置いて、マギーはさらに続けた。
「実は私、以前にクロシェナ様のおお描きになられた絵を拝見したことがありまして、大変感動しましたの。そのことを――」
「やめて!」
遮ったクロシェナの声は、悲鳴に近かった。真っ赤だった顔は、血の気が引いて青を通り越して真っ白だった。
「その……そのような話を、大勢の方がいらっしゃる場でするのは失礼だわ」
どうにか絞り出したとしか聞こえない声だったが、静まり返った食堂によく響いた。マギーは素直に謝罪した。
「まあ、そうですわ。大変失礼いたしました。私、クロシェナ様に会えて嬉しくてつい、はしゃいでしまいました。本当に申し訳ございません」
「……私、気分が悪いのでこれで失礼しますわ」
背中を丸めるマギーを睨み付けて、クロシェナは踵を返した。セオラリアが挨拶を返す間もない。まるで糾弾されて逃げていくかのようだ。その姿が食堂から消えると、セオラリアが言った。
「マギー様、終わってしまったことは仕方ありませんけど、お話の内容にこれから気をつけた方がよろしいわ」
「はい、セオラリア様、ご忠告痛み入ります。それと、私のことでしたらミオン同様に呼び捨てにしてください」
「……」
諫める方も諫められる方も、さわやかな笑顔なのはどう判断したらいいのか。ぽかんと立ち尽くすミオンに、セオラリアは目配せしながら言った。
「今日はもうお部屋で休んだ方がいいわ。ミオンも今日のことを心に留めて、マギーときちんと話し合うといいわ」
「はあ……はい、そうします……?」
「じゃあ早速話し合ってきますので、セオラリア様、ノエラ様、フーシア様、これで失礼いたします」
「え、マギー、ちょっと、早い、早いよ?!」
マギーに半ば引きずられるようにして食堂を出て行くミオンの耳に、その後のセオラリアの呟きは届かなかった。食堂に、さわさわとした囁きが戻ってきていたせいもある。
「ほんとうに……すてきなお友達に巡り会えたのね」
小さな呟きを拾ったのは、ノエラとフーシアだけだ。
「ナトワーズ商会は一人娘で後継に悩んでいるというのは、根も葉もないウワサのようですわね」
ノエラがくすくすと笑えば、フーシアが頷く。
「あれほど弁が立つのであれば、ね。クロシェナ様も、ミオンのことをすっかり忘れて帰られましたし」
「忘れてはいないのでしょうけど……話を戻す隙がありませんでしたものね」
「ええ、特に、絵のことを持ち出されてはね」
「父も母も、商会の情報網を侮ってはいけないと。本当にその通りでしたわ」
「その上であのような話術をお持ちなら、ナトワーズ商会もこの先安泰かと思いますけど、セオラリア様はどう思われます?」
フーシアの問いに、セオラリアは困ったように、はにかんだ。
「そうですわね、私には難しいことはわかりませんけれど、お二人がそうおっしゃるなら、きっとうまくいくのだと思いますわ」
「楽しみですわね」
「ええ……楽しみが増えましたわね」
微笑みを交わし合う三人の令嬢に、食堂に残っていた全員が恐れの眼差しを向けていたことも、ミオンは知らなかった。
マギー無双。
ちなみにこの小説の主人公はミオンです……。
今回もお読みくださいまして、ありがとうございました!




