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波瀾万丈の校内散策期間も終わり、学院は平常時を取り戻した。寮で寝起きして、学院で授業を受けての繰り返しを二週間も行うと、ミオンの周囲は受け入れ派と排除派の二つに綺麗に分かれていた。
「……」
教科書を開くと、いつの間にか見知らぬ走り書きが挟まっている。字を覚えたての子供が書いたみたいな文字で、『資格無き者は立ち去れ』と書かれている。言いたいことはぼんやりわかるが、もう少し明確に書いてくれるとありがたい。
「なあに、また熱烈なラブレター貰ったの?」
横からのぞき込んできたマギーは、走り書きを読んで、鼻で嗤った。
「何のひねりも無い、頭の悪い文章ね」
「前にみたいに難しい文で書かれてもわからないから、しょうがないよ」
ぼんやり書かれるのも困るが、きっちり書かれるのもやっぱり困る。先週、教科書に挟まっていたのは走り書きではなく、手紙だった。一目で高級とわかる便せんの、端から端までびっしりと、三枚に渡って書き込まれていた。量だけでも衝撃的だったのに、書かれている文章にもミオンは打ちのめされた。
有名な詩編の引用と、ありきたりな言葉の中に多くの毒を含めるという高等技術を駆使された文章を、ミオンは全くもって、解読できなかった。所々に出てくる直接表現で、要するに早く出て行けという内容だろうと想像できたが、自信が無い。
結局、マギーに解読を頼んだ。一通り目を通したマギーは「脅迫状ね。預かるわ」と鞄に仕舞い込んだ。それっきり返事が無かったことを、今思い出した。
「そういえば先週のアレ、どうしたの?」
「アレ? ああ、あの素敵なラブレターなら、アルファド様にお渡ししたわ」
「え?!」
「安心しなさいって。犯人捜しをするような野暮な真似はされなかったわ」
「そう、なんだ……」
犯人を捜して、注意をしたところで排除派の態度が変わらないのはわかりきっている。ミオンとしては、こんなメモで嫌がらせをされる程度なら我慢できるし、自分が我慢して済むのなら子猫を見つける日まで頑張ろうと思っていた。しかしなぜか、マギーには片っ端からバレてしまうので、最近では見つかる前に報告するようにしている。基本は放置するのが一番と言ってくれるマギーだが、あの手紙に限ってどうしてアルファドに見せるようなことをしたのか。
(もしかして)
マギーも読めなかったのかもしれないという邪推は、見事に外れた。
「ただねぇ、殿下もアルファド様も手紙の内容にすごく興味を持ったみたいで、先日のサロンの議題にしたそうよ」
「……手紙を、議題に?」
それってやっぱり犯人捜しじゃないのかと青ざめていると、マギーはにっこりと微笑んだ。
「あの手紙の中に、バーラ王国の中期ラッケナ王朝に起きた内乱についての詩の引用があったのだけど、私が習った解釈と違うの。間違っていたことを教わっていたなら訂正したいと思って、アルファド様にお尋ねしたら、同じ疑問を持っていただいたようだったわ」
「はあ……」
「その後、殿下も同じ疑問を持たれたそうなので、サロンで議論したいと言うことになったそうなのだけど、予想どおり全然わかってないわね?」
「異論は無いです」
ミオンはこっくり頷いた。バーラ王国ってどこだっけと顔に書いてあるのを読んで、マギーは遠い目をした。その様子は、見えない何かと戦っているようだった。
「次の授業まで時間が無いから手短に行くわよ」
見えない何かに勝利して戻ってきたマギーの迫力に、ミオンは一言も聞き漏らすまいと居住まいを正した。聞き漏らしたら大変なことになるぞと、心の隅でマギーに負けた何かが囁いている。
「サロンが何か、知らないわよね?」
学院では中級科以上になると個々人の課題によって授業の他に議論を交わす場として、サロンを設けることが出来る。主催も参加者も自由な場ではあるが、やはり貴族階級の生徒が多い故、身分の高い生徒が主催するサロンには自然と参加者が多く集まる傾向にある。招待制の場合、招待されることがステータスにもなる。
「主催者にしてみれば、自分の権力と派閥の確認ってとこかしらね。この辺は社交界と同じよね」
「あの、でもここって……学校だよね……?」
「人の集まりはどんな形を取っていても小さな国家よ? ミオンの家だって、順列が決まっているでしょ?」
その通りだが、家庭に政治や国家を持ち込むのはどうかと思う。国家レベルの重要案件が、今晩の夕飯レベルに下がってもいいのだろうか。腑に落ちないミオンのおでこを、マギーは指先で弾いた。地味に痛い。
「とにかくそういうものだって納得しておいて。その上で、殿下が主催するサロンに集まる人っていったら、想像付くでしょ?」
「うーん……一組みたいな人たち?」
「そういうこと。生徒だけじゃなくて、高名な学者の方もいるそうよ。そういう場で、あの疑問について議論がされたそうなんだけど、手紙を回し読みしたら他にも議論すべき点が見つかったので、改めてサロンを開く計画になったそうよ。しかも今回は特別に、下級生からも参加を募るからって、昨日、掲示板に貼りだしたんですって」
「……え?」
ミオンが首を傾げたところで、教室の扉に付けられた鈴が鳴る。授業開始の合図だ。
(っていうか、手紙を回し読み……?)
あの手紙には、ミオンの名前も無ければ、当然、差出人の名前も書かれていない。誰から誰に当てたかはわからないが、マギーが一目で脅迫状だとわかった以上、物議を醸す点はそこにならないのだろうか。単なる犯人捜し以上に恐ろしいことになるのでは、びくびくしながらミオンが掲示板を見に行ったのは、全ての授業が終了してからだった。
「そんなに怯えなくても大丈夫よ。ほら」
掲示板は、学院内の各棟の入り口横に設置されている。マギーの言うとおり、エリューサス主催のサロンへの参加者募集の掲示があった。
今回の議題は、詩の登場人物について、だった。とある文章での引用について幅広く意見を交わしたいので、我こそはと思う者は参加をとのことだった。手紙を張り出しているわけでもない。掲示の内容自体は、よくある募集掲示だ。
しかし、掲示板の周囲に立つ生徒達の様子は、不自然だった。わざとらしくため息を吐いたり、馬鹿にしたり、笑ったり、ミオンの方をちらちらと見てくる生徒もいる。いくらミオンが鈍くても、わかってしまう。
「マギー……もしかしてみんな、あたし宛の手紙に書かれてたってわかってる……?」
否定してくれることを期待しつつ隣の袖を引くと、不敵な笑みが返ってきた。
「当たり前でしょ。私にはまだ無理だけど、一組や、殿下のサロンの方々なら、書いた人間もわかっていらっしゃるでしょうね」
「……あの、それって……犯人は……」
「あら、犯人てなにかしら? 誰が書いたのかも誰に当てたのかもわからない怪奇文を、物好きな方が添削して分析しているだけでしょ。まあでも、ああいった文章を書きたがる人間なら、普段から自分の知識をひけらかしているに決まってるわ。詩の引用なんか、特にわかりやすいのよ。あの手紙も得意になって書いたんでしょうけど、私程度に疑問を持たれるようじゃ、底が知れてるわ」
ほんと、半端な知識って身を滅ぼすわね――昂然と笑うマギーの横顔に、ミオンはアルファドの姿を見たと思った。
***
それからしばらくは、走り書きすらも送りつけられることは無くなった。寮の一室から出てこない生徒がいるという噂も聞いたが、一瞬で消え去った。もう、教科書を開くときにドキドキすることも無い。ただ、マギーだけは気を抜かないようにと忠告してくれた。敵はまだ態度を決めかねているだけだからと。
(さすがにアルファド様でも曖昧なメモに難癖付けたりはしないと思うけどなあ……)
世間一般の評価では、アルファド様ならやりかねないの一択なのだろうか。あと、廊下の先から漂ってくるこの匂いは何だろうか。
マギーがこの場にいたらそうじゃないと突っ込むところだが、ミオンは一人、寮の中を歩いていた。アルファドと夕食のメニューを同時に考えながら食堂に入ると、入り口で呼び止められた。
「あちらの席でセオラリア様がお待ちよ」
進級する度に人数が減っていく女子寮の食堂は、席に余裕があるので身分でテーブルが決まっている。案内されたのは、紗のカーテンで仕切られた向こう側の別世界だった。
(うわぁ……!)
ぱっと見ただけでも、置かれているテーブルとその上に掛けられているクロスが全く別物だとわかる。テーブルの上には花器まである。調度品と同じくらいに、席に着いている人が違う。学院では制服の着用が義務づけられているが、授業が終わった後の寮での服装は自由となっている。ので、席に着いている生徒たちの様子が、小さな社交界状態だ。あとでマギーに聞いた話だが、一応『普段着』については、レースはどこまで付けていい等の制限はあるそうだ。
「ミオン、こちらよ」
そんな場違いな空間に足を踏み入れたミオンは、マギーに手を振られても、ぎょっとすることしか出来なかった。ミオンの普段着はセオラリアが用意してくれたものなので、さほど見劣りはしない。しかし隅々まで手入れしているご令嬢の中に入れば、その差は一目瞭然だ。
(マギーの言うこと聞いておけば良かった)
入学以来、あれこれ世話を焼いてくれるマギーは、肌や髪の手入れにも口を出してくる。ミオンとて女の子だから人並みに興味はあるのだが、手入れをしたところで良くなるとも思えず、適当に聞き流していたのだ。しかし手入れが見栄えを良くして目立つことではなく、見栄えの良い人の中に溶け込むためだとは気づかなかった。人並みって、実は偉大なことだったんだと遅まきながら気づいたので、今から時間を遡りたい、是非。
「そんなところで立ち止まってると、余計に注目されるわよ」
立ち上がってきたマギーに手を引かれて、ミオンははっと気づいた。当然だが、貴族階級が上がるほど、ミオンへの反発は強い。セオラリアの用事を済ませて早く元の世界に返ろうと、ミオンはマギーを追い抜く勢いで歩き出した。
「こ、こんばんは、セオラリア様」
「こんばんは、ミオン。ごめんなさいね、急に呼び立ててしまって」
セオラリアは相変わらず可愛らしかった。以前と変わったところと言えば、少し髪型を変えたことだろうか。リボンを付けていても、大人っぽく見える。席を勧められたので、戸惑いつつも腰を下ろす。マギーが隣に腰を下ろしてくれたので、少しだけ心強い。
「せっかく一緒に学院で学べることになったのだから、せめてお食事くらい一緒にと思っていたのだけど、なかなか時間が合わなくて」
「は……いえ、ぜんぜん」
再度謝られて、ミオンの頭の中は真っ白だった。何か今、不吉な単語を聞いたような気がする。
「えっと……もしかしてこれから一緒にご飯? マギーも?」
「ええ、光栄にもお誘いいただいたわ」
すまして答えたマギーは、次いでミオンの腕をぎゅっと握りしめた。
「ちょうどいいじゃない、ミオン。ここにいる皆様を見習っておけば、完璧なテーブルマナーが身につくわ」
「ええっ!」
「何が『ええっ』なのよ。同席される皆様にあなたからお願いするのが礼儀でしょ」
それならマギーからお願いしても良いのではと思ったが、考えてみたらマギーのテーブルマナーは既に完成されていた。よって、頼むのはミオンしかいない。
「……よろしくお願いいたします」
「そうね、そういうことなら招待した甲斐もあるかしら」
「私たちなどで良ければ喜んで」
「お手本になれると良いんですけど」
セオラリアとその両脇に座っていたご令嬢がしとやかに微笑んだ。
「いいお友達を作ったのね、ミオン。それじゃ私のお友達も紹介するわ。こちら、トロエス伯爵のご令嬢でノエラ様。こちらが、ジャタメイ伯爵のご令嬢で、フーシア様」
向かって右側、栗色の巻き毛のご令嬢がノエラで、反対側の藍色にも見える黒髪に真珠の飾り物が良く映えているのがフーシアだ。二人ともセオラリアによく似た柔らかい雰囲気で、庶民二人を快く迎えてくれた。もっともマギーは、こういった席になれているので緊張しているのはミオン一人だ。
「メニューはこちらで決めてしまいましたの。嫌いなものがあったら遠慮無くおっしゃってね」
そんなもったいないことはしないと首を横に振ったミオンだが、キノコが入っていませんようにと密かに祈っていた。
思ったより長くなってしまったので、区切りは悪いのですが一度切ります。
学園生活なんて書くこと無いと思ったのですが、書いてみると意外と面白かったり……子猫はまだまだ辛抱強く待っていてくれると信じています……!
今回も、ありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです。




