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「ふ、あぁぁあ……ふ、ぎゅっ!?」
「はしたないわよ、ミオン」
マギーに脇腹をつつかれて、ミオンは飛び跳ねて距離を取った。
「卑怯なっ」
「何が卑怯なのよ。廊下の真ん中であくびなんかしないの。誰が見てるかわからないでしょ」
むしろ感謝して欲しいと、マギーのすまし顔には書いてある。
(わたしのことなんか誰も見てないと思うけど……)
寮から校舎に向かう渡り廊下を、ミオンは見回してみた。平凡な通行人を注目する人なんていないはず。たまたま、同じ女子寮から出てきた同級生と目が合った。
「あ、おは――」
すぐ逸らされた。
「……よう……」
足早に立ち去る同級生を見送って、ミオンは立ち尽くした。足下がすっと冷えた。昨日までだったら、少なくとも同じクラスの子は挨拶してくれたのに。
王立学院の教育課程は初級科から始まり、中級科に続いて高等専攻科で終わる。諸事情で生徒数が減っている上の学年に比べて、初級科は人数が多い。入学当初は、上流貴族の一組、中流貴族の二組、下級貴族と庶民の三組に分けられている。しかしこれも選択講義などで徐々に身分差は取り払われ、進級すれば人数も減っていくのでクラス編成そのものが無くなる。最後には等しく王国に役立つ人員が揃うという筋書きなのだろうが、ミオンはいきなりその一歩目で躓いていた。
「ミオン、気にしないでいくわよ」
「うん」
マギーに背中を押されて、ミオンは止めていた足を動かし始めた。たった一日で、たった一人と知り合いだとわかっただけで、状況は変わってしまった。それも、あまり嬉しくない方向に。気にするなと言われても、無理だ。できれば教室に行きたくない。ミオンが入った途端、痛いくらいに空気が張り詰める様子が今から目に浮かぶ。
(お兄ちゃん、今日も暇かな)
唯一の救いは、まだ校内散策期間だと言うことだった。出欠さえ取れば、どこに行くのも自由だ。
「ねえ、ミオン。今日の予定が何も無いのなら、他の子とも話してみたら?」
いっそ部屋に戻ってベッドに潜り込んでいようか――後ろ向きな計画を見透かされたのかと、ミオンは大いに動揺した。
「え! ううん、別にベッドは……じゃなくて、うん、予定はなにも無いけど……話って……夕べの話?」
「ベッド……?」
マギーは何か訊きたそうだったが、話を先に進めることにしたようだ。
「ええ、そう。あなたに聞くなと殿下はおっしゃったけど、あなたが進んで話す分には何の問題も無いでしょ。へんなやっかみが始まる前に、話しちゃった方がいいと思うわ」
「やっかみ……?」
ミオンは眉を顰めた。あれは、周囲から妬まれるような関係なのだろうか。首を傾げていると、マギーに肩を掴まれた。マギーは笑顔だった。ただし、目が、全く笑っていない。
「まだわからないのかしら、このお馬鹿さんは。いいこと、殿下と同じ部屋で、同じテーブルで、同じお茶を飲んだっていうだけで、国中の女性から恨まれてもおかしくないのよ?」
「それだけで?!」
「それだけで、よ。あなた自分で言ったでしょ。庶民が王族と知り合う機会なんて、普通は無いって。王家の方々と親しくできるのは本当に限られた人間だけなのよ」
自分で言っておいて、ミオンは言葉に含まれる意味を真に理解していなかった。まさに夢のような機会を得たミオンを、他の子が羨むのは当然だ。エリューサスの人となりについては、この際問題では無い。ミオンとしては一番問題にしたい点ではあるが、黙って堪えることにする。
「わかった? だから、先にアルファド様と知り合いだったってことを話しておいた方がいいのよ。殿下と知り合ったのは、アルファド様繋がりの偶然だって。アルファド様を強調しておけば、特に貴族の生徒達から何かされることは無いと思うわ」
「何かって……何かされるの、わたし……」
「あたりまえでしょ。あなたを排除して、あなたの位置に収まろうって考えない子はいないと思うわ」
「ええ……?!」
排除について具体的に訊けば、マギーは目を伏せて首を振る。単なる嫌がらせでは済まなさそうだ。
「ど、どうしよう!?」
「だから先に話しなさいって言ってるの。あなたが知り合いなのは、あくまでもアルファド様だってね」
「ね……さっきから気になってるんだけど、なんでアルファド様を強調するの……?」
「そこから説明しないといけないの?」
めまいを起こしたように、マギーは頭を押さえた。あわてて手を伸ばすミオンを制して、また目だけ笑っていない笑顔を向けてくる。
「なんとなくあなたって人がわかってきたような気もするけど、やっぱり訊いておくわ。あなた、アルファド様について、どの程度知ってるのかしら?」
「えーと」
ミオンが知っていることは少ない。ヤーベイン伯爵家の嫡男であること、セオラリアの兄であること、それと、エリューサス第一王子の友人であること、くらいだ。
「それだけなの?」
マギーが絶望的な目で見てくる。ミオンは焦った。何を言ったらマギーを絶望の縁から引き上げられるだろう。過去の自分の記憶を問い詰めても、ゲームの登場人物じゃないからと冷たい答えが返ってくる。
(そういえば、お兄ちゃんが、なんか言ってたような?)
昨日の庭園での様子を思い出す。
「確か……殿下の、懐刀?」
「そうね、その顔だと、意味は知らないようね」
「危険なときに身を守るための剣のことで、人の場合だと、頼りになる人のこと」
「誰が言葉の意味を言えって言ったのよ」
マギーを指さそうとして、やめた。まだ怖い笑顔のままだったからだ。
「えーと、つまりそれって……アルファド様って、殿下より怖い人だってこと?」
黒い笑顔を除けば、お菓子をくれて、妹思いで、エリューサスの暴言を諫めてくれる素晴らしい人なのだが。
マギーは肩をすくめた。
「とりあえずそれでいいわ。さ、早く行きましょ」
「それでって……あんまりよくないんだけど……」
具体的に訊く前に、教室に着いてしまった。深呼吸してドアを開けると、一瞬で室内が静まり返る。マギーが手を引いてくれなかったら、ミオンはそのまま回れ右して部屋に閉じこもったに違いない。席に着いたときには、緊張で息が詰まりそうだった。
(ちゃんと話せば、マギーみたいにわかってくれるから……)
まずは同じ庶民出身の女子生徒から話そう――担任の教員がやってきて出欠を取る間に、ミオンは隣の席のジーナ・マドシャに狙いを定めていた。まずは、深呼吸だ。
「それじゃあ、本日も各自、気をつけて行動するように」
担任教員がそう言って教室から出ると、生徒達が一斉にざわめく。数人が早速立ち上がった。
「あの、ジーナ――」
隣でジーナも立ち上がった。ミオンは意を決して呼びかけた。
教室のドアが開いた。クラスの全員がドアの方を見て、固まった。運悪くドアの前まで行っていた男子生徒は、エビの如く後退した。机にぶつからずに教室の後ろまで下がった様子を最初から最期まで見届けたミオンは、心の中で拍手喝采を送った。名前を覚えていないのが悔やまれる。
「エ、エリューサス殿下……?!」
一方、教室の各所では、小さな悲鳴が上がっていた。
困惑する室内に堂々と入り込んできたのはエリューサスと、アルファドだ。エリューサスはいつもの仏頂面で、アルファドはいつもの笑みを浮かべて。
「いきなり入ってきて申し訳ない。僕は中級科二年のアルファド・ヤーベインだ。こちらは同じ中級科二年のエリューサス第一王子殿下。特に畏まらなくてもいいと許可はいただいているので、皆、そのままで。よければ少しばかり時間を貰えないかな。君たち全員に話したいことがあるんだ」
教室の前に立って、アルファドは簡単に自己紹介をして新入生達を見回す。表面上はアルファドのお願いだが、ここは下級貴族と庶民のクラスだ。誰も、自分より身分の高い人物の言葉には逆らえない。
「では――殿下」
沈黙を肯定と読み取って、アルファドは横に立つエリューサスに場を譲った。
王子殿下からのお言葉だ――全員が固唾を呑んで耳を傾ける。
エリューサスは一歩前に出て、言った。
「いちいち聞きに来られるのは面倒なので、まとめて話しに来た」
以上。
良くも悪くも簡潔な説明に、アルファドが少し慌てて付け加える。
「昨日の今日だけど、もうみんな知ってるかな。そこにいるミオン・ハルニーと僕とエリューサス殿下はちょっとした知り合いなんだけど、そのことでみんなを無駄に騒がせてしまう前に話しておこうと思って。興味がなければ、そのまま今日の予定をこなしに行ってくれ」
誰も、動かない。アルファドは満足そうに頷いて、ミオンを呼んだ。こちらを見る笑顔は黒くないが、イヤな予感がする。というか、イヤな予感しかしない。
「なんでしょうか……」
「うん、あとはよろしくね」
さらっと丸投げされた。
「え……あと、って……え?」
時間をくれと言ったのはアルファドで、話しに来たと言ったのはエリューサスのはずだ。
「お前が説明しておけ」
これは決定事項だと、エリューサス。
「だからどうしてわたしが?!」
「俺が言うと、理解しろという命令になるからだ」
「……」
少しだけ、納得した。それなら、と一縷の願いを込めてアルファドを見上げると、
「僕が話しても良かったんだけど、僕の話だと胡散臭くなるからダメなんだって」
あまり残念そうでも無い様子で肩をすくめられた。
「……」
誰だろう、そのストレートな表現で真実を告げた大物は。
(お兄ちゃん、じゃないよね……?)
誰でもいいが、ついでに胡散臭くならない話し方を伝授しておいてくれればよかったのに。
「ということだから、頼んだよ」
王族と貴族相手に断ることも出来ず、結局ミオンは、ジーナを含む同級生全員に、夕べの話を繰り返した。結婚相手が云々と言った余計な話はしない。エリューサスと知り合った経緯だけ、それもマギーの忠告通り、あくまでもアルファドの知り合いだということを忘れずに強調する。横から生暖かい視線を感じるが、気のせいだと自分を騙しきった。忠告をくれたマギーが魂の抜けたような顔をしているのだけが解せないが。
(よくやった、わたし!)
話し切って満足したミオンが室内に目を向けると、様子がおかしい。みんな、唖然とした顔をしている。アルファドが「質問があれば今のうちに」と言うと、少しずつざわめきがわき上がってくる。
「一緒のテーブルにいたのに……?」
「目の前、だよね……」
「うそでしょ……」
「どうして気づかない?!」
昨晩のマギーと同じ反応を、人数分の倍数で返されるとは思わなかった。これが、『王子』に対する世の中の常識か。
(みんなすごいな……)
会う予定も無い人のことをよく知っていると感心していると、がしっと頭を掴まれた。
「――次、いくぞ」
見れば、エリューサスがいつも以上の仏頂面をしている。頭がへこみそうなので、あまり手に力を込めないでほしい。
「そうだね、次は二組でいいかな」
アルファドも肩に手を置いてくる。さあ行こうと言わんばかりだ。
「あの……次って……?」
「新入生のクラスはあと二つあるぞ」
そんなことも知らないのかと、エリューサス。しかしここでむかっ腹を立てて論点をすり替えられるような間違いは起こさない。
「知ってますけど……あの、もしかして……隣のクラスでも説明しろと……?」
「いちいち聞きに来られるのは面倒だと言ったはずだ」
「それは聞きましたけど……」
「各クラスの担任教員には話してあるから、一組でも二組でも、話を聞きたい人は待っているはずだよ」
いつの間にか、全クラスで説明会が開かれる予定になっている。そんな話は初耳だ。しかもやっぱり断る隙が見えない。
せめてマギーも一緒に来てくれないかと振り返るが、当の本人は自席で、手を振っていた。
がんばってね――マギーの投げやりな見送りは、少しも励ましにならなかった。
その日、ミオンは初級科一年生の全クラスでエリューサスとアルファドとの関係について説明し、全クラスからマギーと同じ反応を返されることとなった。
すみません、まだ子猫を探しに行ってません……次くらいからきっと行動に移す、はず……!
月並みですが、ブックマークも評価もありがとうございます!毎回舞い上がっております!
それでは今回もありがとうございました!




