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どうしてエリューサスに寮まで送ってもらうことになったのか。そもそも、どうして王子と知り合ったのか。
街人Aにドラマチックな出会いはない。『王子』なんて単語が混ざっているから仰々しく聞こえるだけで、およばれした先で一緒にお茶を飲んでいただけの関係だ。お菓子の取り合いをした件は、お互いの名誉のために黙っておく。
「それだけって……」
なのに、同室のマギー・ナトワーズは、濃い紫の目を丸くして絶句した後、「信じられない」を繰り返して赤ワイン色の頭を振り続けている。そろそろ止めた方がいいだろうか。昔買ってもらった人形みたいに首が細いので、ぽろっと頭が取れてしまわないか心配だ。
(あの人形、どこにやったっけ)
人形の方は、本当に頭が取れてしまった。泣きながら母に渡したところまでは思い出せたが、その後はどうなっただろう。
「あなた……そんな間近で見てたのに殿下に気づかなかったの?」
あれって何で首が取れたんだっけ――余計なことを思い返しているうちに、マギーは立ち直っていた。頭は、ちゃんと付いている。
「え? えーと……ほら、まさか目の前に王子様がいるなんて思わないよね? 普通、ないよね?」
存在を忘れていたとか顔を覚えていないとか、細かい話は抜きにして、まずは王族と庶民の遭遇率の低さを主張してみる。同じ学院に通っていても、エリューサス王子がミオンを伴って寮に来たと言うだけで大騒ぎになるくらいなのだ。まるで接点の無かった頃に、目の前に王子がいることに気づけという方が無理だ。
ちなみに、今現在、寮は不気味なくらいに静かだ。エリューサスが去り際に、ミオンとの関係について訊きたければ、直接自分に問い合わせるようにと寮長と寮母に言い置いていったからだ。その後、寮長からミオンを直接問い質すようなことがあればエリューサスに報告が行くことが通達されたため、皆、沈黙を守っているというわけだ。
マギーに話したのは、やはり同室の人間にはヘンな気遣いはして欲しくないからだった。実は、と口を開いた辺りまで、マギーは期待と興奮に満ちた顔をしていた。が、話し終わるってみると、視線が冷たい。というか、目が据わっている。何か気に障るようなことを言っただろうか。
「そうね、普通に考えたらあり得ないでしょうけど、でも、お顔は拝見できたんでしょう?」
何かを堪えているような口調で、マギー。
「そりゃ、一応は」
一緒のテーブルで顔を見ずにお茶を飲むとしたら、ミオンの席はテーブルの下だ。いくらお菓子が美味しくてもそれは寂しいな、なんて考えていると、ばしんとテーブルが叩かれた。
「だったらなんで気づかないの!」
「なんでって言われても……」
会ったことも無い人に気づく方がおかしいのではと言い返す前に、マギーが、ぐいと顔を寄せてきた。
「ミオン、あなた生まれも育ちも王都だって言ってたわよね?」
「うん」
軽く頷くと、マギーはますますヒートアップした。
「『うん』じゃなわいよ! 殿下の姿絵なんて毎日でも見る機会があったでしょ!」
初耳だった。少なくともミオンは、この年になるまで毎日王族の絵を見たことなんて無い。
「そんなことは……あ、ほら、わたしが住んでいた所って下町だから……?」
「下町だって、市場に姿絵くらい売ってるでしょ!」
「売ってたかな……うん……売ってたかも」
マギーの視線が怖いので、頷いておく。冷や汗をかきながら記憶の底をさらってみる。言われてみれば、商店街の片隅に、あるいは決まった日に立つ市の露天で、大小様々な額に入れられた王族の姿絵が売られているのを見たような気がしてきた。
(……そうだ、お祭りの時に、これが王様だよって教えてもらったっけ)
街に出回っている絵は、王室専用の画家が描き上げた姿絵の模写なので、ものによっては本当に同一人物かと目を疑う品も多い。本人に会う機会なんて無いので、綺麗に描けていれば誰も文句は言わない。
「でも、毎日は、見ないかな……」
本人確認のためではなく、室内空間の雰囲気作りに使われるインテリアなので、主に役所等の公共機関や大通りに店を構える大商店に飾られることが多い。熱狂的な王族ファンでもない限り、個人の家に飾られる確率は低い。ミオンの住んでいる界隈ではそんな家は一軒も無かった。もちろん、ミオンの家にも無い。
そう説明すると、マギーは不思議そうに首を傾げた。
「持ってないの?」
「……持ってるの?」
繰り返しになるが、熱狂的な王族ファンでもなければ、個人所有は珍しい。
マギーはさっと立ち上がると、荷物の中から綺麗な額に納められた姿絵を持ってきた。女性が片手で持てる程度の小さな絵なので、どこに飾っても邪魔にならない。
「王国民なら当然でしょ」
「……」
王国民の一言で一緒にされてしまうのは範囲が広すぎるので止めて欲しい。心からのお願いだが、マギーの心に届いただろうか。
「といっても、王家全員のは大きくなってしまうから、王子殿下だけのものなのだけど」
絵には三人の王族が描かれていた。さすがにミオンでも、これはわかる。第一王子と第二王子と、王太子だ。
現在、この国の継承権は少々複雑になっている。
第一王子と第二王子は、現国王夫妻の息子だが、王太子は前王の息子だ。前王は現国王の兄で、十年以上前に急な病に倒れ、そのまま回復すること無く還らぬ人となった。前王には王子が一人いたが、まだ幼かったため、王位は弟が継いだ。しかし現国王は兄の遺志を継いで欲しいと、兄の息子、つまり甥のメイジャス・オヴィ・クアンバドを王太子とした。
近所のおばちゃん情報によれば、兄弟仲の良かった王家は、現在は前王妃ともども、一つの家族として王宮で仲良く暮らしているとか。王子達も王太子を兄と呼んで慕っているそうで、王家内に限っていえば王位争いの心配は無いらしい。なのでマギーが持ってきた絵のタイトルも、『王家の三兄弟』となっているわけだ。
(これはよく描けてるかも)
三王子は揃って金髪だった。メイジャス王太子だけが緑眼だが、それ以外はよく似たイケメン三人組である。ただ、ミオンが良く描けていると思ったのは、王太子と第二王子が微笑んでいるのに対して、一人、むすっとしたような顔をしているからだ。この絵を見ていたなら、エルと初対面でも『この人もしかして王子様?』と、疑ったかもしれない。
「えーと……これって、高いんじゃない?」
模写とはいえ、豊富な色使いで描かれている品は、それなりの値段がするはずだ。マギーは細い指を顎に当てて、上目遣いになる。
「そうね……子供のお小遣いだと、ちょっと厳しいかも」
特にこの絵は妙齢の女性を中心によく売れているので、少しばかりふっかけてあると、商家の娘は隠しもせずに言い切った。いっそ清々しいほどの商売根性である。
「でもね、王都なら買わなくたっていくらでも見る機会があるでしょ。お店だって一杯あるし、有名な画家のアトリエだってあるのよ。しかもお祝いの度にお城からお姿を拝見できるし、学院に入学すれば直接お目にかかれるじゃない!」
「はあ……」
絵なんか見に行ったこともないし、お城のバルコニーは遠すぎて顔なんかよく見えないし、学院は三日前に入学したばかりです――ミオンの正しい意見は、右から左に聞き流された。
「私たち領地住まいの人間から見たら、夢のような生活よ。特に今は殿下が二人も学院に通うお年頃だから、知り合いの女の子はみんな、学院に絶対通うってがんばってたわね」
私もその一人よと、マギーは胸を張った。頑張った上に入学許可が降りたのだから、どこにも恥じることはない。ないのだが。
「それはやっぱり、間近で王子様を見たいから、とか……?」
「当たり前じゃない。しかも何かのきっかけでお近づきになれるかもしれないし、まかり間違って見初められたりとかもあるかも! そしたらもう――って、何言わせるのよ!」
言って、一人で真っ赤になって照れるマギーを、ミオンは生温く見守った。やっぱりここって、乙女ゲームの世界なんだなと、こんなところで実感してしまう。
(確かにそういう展開はあるけど……でもそれってアリーゼにしか用意されてないから……あれ?)
本当にそうなのだろうか。
ゲームの中でアリーゼは学院で誰かと出会う。誰と出会って、誰と恋をするのかは、ミオンでも知らない。テルスター王子かもしれないし、親友のギノかもしれない。
(なんだっけ……逆はーれむっていうのはないんだよね?)
無いわね――過去のミオンの記憶が断言する。
攻略相手全員の心を射止めるという、神業的なストーリーは無い。逆に、誰とも恋を実らせないというストーリーはある。この場合のアリーゼの人生は奇妙なものになるが、とにかくアリーゼに選ばれなかった誰かは存在するのだ。その誰かが、マギーの言うような、まかり間違った出会いをしないとは言い切れないのでは無いだろうか。
(例えば、マギーがアリーゼと同じことをテルスター王子に同じことをすれば……? アルファド様とかエルとか、最初からアリーゼに選ばれる対象じゃない人なんかはみんなに機会があるんじゃ……でも婚約者とかいるんじゃないのかな……)
「そういうミオンだって、考えなかったの?」
肩を掴まれて、ミオンは我に返った。恐ろしいくらい真剣なマギーの顔が目の前にある。
「ごめん、何を……?」
「だから! 学院で、身分の有る方に見初められて、ってことよ」
「ああ、そういう……」
納得して頷くと、マギーがさらに近づいてきた。
「……実際のところ、エリューサス殿下とはどうなの?」
「それは絶対に無いから」
即座に否定したが、マギーの顔から疑惑が晴れない。
「ほんとに……? まかり間違って奇跡が起きてたりしない?」
「そんな奇跡いらないから」
あれはただの茶飲み友達、お菓子を奪い合うライバルである。
「いらないって……なんて贅沢な……あ、もしかして実はアルファド様狙いとか?」
「それもないし」
以前ならともかく、昼間のあの黒いものが漂う笑顔を見た今では、遠慮したい。
淡々と首を横に降り続けるミオンに、マギーは不可解きわまりない表情だ。
「ねえ、ミオンって、どうして学院に入学しようと思ったの?」
学院に入学することが、学ぶ機会を得るためだと思っていた。けれども、マギーの話を聞く限り、有力者の目にとまる機会を得るためという、将来を見据えた高い目標を掲げている生徒もいるわけだ。決して、悪いことではない。
(でも、わたしは……)
周りに流されるままに入学したミオンの目的は、子猫を助けるため、だ。勉学派でも出会い派でもないので、アルファドには申し訳ないが、三年後に子猫を助けたら学院を辞めるという道も考えている。
「わたしの場合は前も言ったとおり、アルファド様のお手伝いをしたご褒美みたいなもので」
「うん、すごいご褒美よね。それを活かそうとは思わないの? 余計なお世話かもしれないけど、学院にいるウチに結婚相手を見つけないと嫁き遅れるわよ?」
マギーの懸念は正しい。下町でも上流階級でも、女性の結婚適齢期は十六歳から、ぎりぎり二十歳までだ。学院に入学して、順当に卒業を認められるころには十八か十九歳になってしまうので、女生徒の半分以上は結婚を理由に退学するそうである。残って卒業するのは、特別な才能があって教育課程を最後まで受ける必要があるものだけ。その最たるものが――魔法。
ミオンはまだ見たことも無いし、魔法使いなんておとぎ話の存在だと思っていたが、入学初日に学院長から、魔法が存在すること、限られた人間だけが使用できること、クアンバド王国では魔法について研究する部門があることの説明があった。さらに、このことを、例え家族でもむやみに話したりしないことを教室で一人一人、宣誓させられたのだ。背けば軽くて自宅謹慎、重ければ退学もあり得るとのこと。ジェラールから今まで聞かされなかったのも、納得だ。
「まさかと思うけど、魔法の才能があるの?」
「そういうのはぜんぜん無いから」
あったらいいなとは思うが、ただの街人Aにそんな華麗な才能は存在しない。
「じゃあ、どうするのよ」
ないない尽くしのミオンに、マギーは段々焦れてきた。ここまで自分の予想を裏切る相手は初めてだ。
「うーんと、とりあえず勉強して、アルファド様のお手伝いを続けて……そのうち誰かと結婚するのかなあ」
「その『誰か』って言うのが問題なんじゃない」
「そうだけど。たぶん、アルファド様が誰も相手がいないのを気の毒に思って紹介してくれるんじゃないかなって」
「最初から他力本願なのは気に入らないけど……それもありね」
不承不承ながらも納得したマギーは、続くミオンの言葉に動きを止めた。
「うん、それで何年かしたら、離縁されるからそうしたら――」
「待って。どういう……いえ、まずはそのまま続けて」
マギーの声が一段低くなったことにも気づかず、ミオンは描いている将来を語った。
「マギーは美人だから大丈夫だろうけど、わたしはそうじゃないから、そのうち若い子に乗り換えられちゃうの」
「……それで?」
「家に帰って働きに行く代わりに、学院で学んだことを活かして、商売を始めて大もうけするの」
「……そう」
「それでね、えーと……そう、『男なんかもう要らないわ』って言う大物になるの」
そのときにはリンスベルにも報告に行こう。よくやったと、褒めてくれるに違いない。
リンスベルの暖かい笑みを想像していると、重たいため息が、響いた。
「ねえ、ミオン、何の商売をするつもりか知らないけど……それ、結婚する前に始めて大もうけするのじゃダメなの?」
リンスベルの笑顔は消え、代わりに、表情の無い目でこちらを見るマギーの顔が現れた。
「え……あ! ああ! そうだ、その手が! あ、でもそれだと結婚が!」
壮大な人生計画にダメ出しをくらったミオンは、その晩、よく眠れなかった。
ブックマーク100件越えました。快挙です。ありがとうございます!
お礼にリクエスト受付、なんて偉そうなことを考えましたが、せめて子猫が出るまでは控えたいと思います…(需要があるかどうかすら不明)
それでは今回もありがとうございました!




