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「あーあ、バレちゃった」
少しも残念そうでは無いアルファドの笑い声が、頭の上を通り過ぎていった。
(……第いチ、王じ、デン下?)
ジェラールの言った言葉が頭の中でバラバラに反響している。単語を拾い集めて、『第一王子殿下』を再構築した瞬間、ミオンの背筋にひやりとしたものが走る。
そうだ、いるはずだ。いなければおかしい。『終焉を奏でる君と』の攻略相手であるテルスター・ダイ・クアンバドは、第二王子だ。第二王子がいるのだから、第一王子が存在しなければならない。
ミオンも、曲がりなりにもクアンバド王国民だ。王国の将来を担う兄弟王子のことは――ジェラールに言われるまで綺麗さっぱり忘れていた。下町の学校の友達の兄弟なんてよく知らないのと同じだ。日頃関わりあわない人なので、そういえばもう一人いたな、くらいの認識でしかない。街頭アンケートを採れば百人中、三人くらいは賛同してくれると思う。
(確か……よく似ているとか……)
覚えているのは、今のミオンでは無く、過去のミオンだった。
第一王子である、エリューサス・ハルギオ・クアンバドも、弟王子同様の金髪碧眼のイケメンだ。テルスター王子攻略ルートで時折登場するだけの彼は、テルスター王子の目標として描かれている。二つ年上の、常に冷静で物事を遠くまで見透かす目を持つ兄王子に尊敬と憧れを抱くテルスター王子は、自らもそうなろうと努力して、人知れず苦しんでいる。しかしアリーゼと出会い、『自分らしさ』に気づくという、王道のストーリーだ。
(確か一枚だけ、兄弟並んだ絵があって……)
基本は、テルスター王子の会話の中にしか出てこないエリューサス王子だが、ごく希に登場して会話シーンが発生する。その時の選択肢次第で、兄弟が並んでいるスチルが手に入るのだ。
あのレア度がいいのよね――過去の記憶がうっとり呟いているが、ミオンにその良さは少しも理解できない。
(イケメンかもしれないけど、いろいろ微妙だし……)
数えるほどしか会っていないが、エルが口を開く度に、好感度は等加速度的に下落している。まだマイナス評価で無いことに感謝して欲しい。弟が憧れる理想的な兄という設定は、街人Aには全く活かされないことはよくわかった。これがゲームなら、バッドエンドまっしぐらだ。街人Aの攻略ルートは無いのでどうでもいいが。
(そもそもこういう人なんですよって、先に言っておけば良かったなあ)
横を見れば、ジェラールは気の毒なくらいに真っ青になっていた。今、ジェラールの頭の中は、無知な妹が無知のままに雲上人と気安く話してしまったという失態をどう償うのかで一杯に違いない。
確かに何も知らないままに、お菓子の争奪戦を繰り広げたりしていたが、一度も非礼を指摘されたことは無い。むしろいろいろ失礼なのはエルの方だ。最後に一つ残っていたクッキーの取り合いに勝利しても、次こそは勝つと宣言されたが、自分は王子だから譲れなんて言われなかった。王子としてそんな態度はどうかなのかと言うことは置いておくとして、ミオンにとってエル、あるいはエルにとってのミオンもきっと、『アルファドの無遠慮な友人』でしかなかったのだ。
(ていうか、最初に言ってくれれば良かったんじゃない?)
段々、腹が立ってきた。
思い返してみても、誰もエルのことを紹介してくれなかったし、エル本人からも何も言われなかった。知っていれば、ちゃんと礼儀を持って接したはずだ。たぶん、きっと。
「無駄に有名だという自覚はあるから、気にしていない」
自分は何も悪くないという結論に達している頃、頭上ではアルファドと、エルことエリューサスの会話が流れ続けていた。
「そうなの? てっきり自分から言うまで誰にも言って欲しくないと思ってたけど」
「そんなことはない。どうせすぐ気づく、と思ってたんだがな」
言葉尻にため息が混じっている。そのため息が、なんだか重たい。そしてなぜかじっとりした視線を感じる。きっと顔を上げたらエリューサスが非難がましい目で見ているのは間違いない。おかしい。ほんのりと、ミオンが悪者のような気配が漂っている。言い返したいが、ジェラールの腕はミオンの頭にがっちり回されていて離れない。
「それはほら、制服姿だとわからなかったんじゃないかな」
(アルファド様ナイスフォロー)
「それにしたって、よくも三日も気づかれなかったと感心しているところだ」
あまり感心しているように聞こえない。
「感心してるという割には、拗ねてない?」
アルファドも同意見だった。笑いをかみ殺している気配だけが伝わってくる。
(えー……気づいて欲しかったとか?)
「拗ねてない。昨日なんか、真横を通ったんだぞ」
昨日は何をしていたっけ――必死に記憶を遡っても、全く覚えが無い。こんな目立つ人が真横にいたら絶対にわかるはずなのに。
「あれは君のタイミングが悪いと思うよ。ちょうど友達と話をしていたところだったから」
(アルファド様ナイスフォローその2)
「その友達とやらは気づいていたぞ。周りの奴らもな」
「……」
どうなってるんだと、ジェラールが生温い目で問いかけてくる。とても、説明しづらい。特にこの体制では。
「うーん、まあ、とにかく一番の原因は君が最初に名乗らなかったことなんだからさ」
「それは、認めるが」
「じゃあ、非はこちらにあると言うことで、二人ともそろそろ顔を上げてくれないかな」
話がまとまったようなので、兄妹はおそるおそる身体を起こした。ベンチを挟んだ向こう側に、相変わらず笑顔のアルファドと、仏頂面のエリューサスが立っている。ジェラールは反射的にお辞儀しかけて、踏みとどまった。
「そういうわけで、すごく今更なんだけどね、紹介するよ。こちら、君のお兄さんの言うとおり、エリューサス第一王子殿下だよ」
一国の王子を紹介するには、とても軽かった。日当たりのいい庭園の片隅というのも、威厳を損ねる要因だったかもしれない。
「……初めまして。ジェラール・ハルニーです」
名乗り返していいのかなという疑問を全身に表しながら、ジェラールが一礼する。おそらく厳格な場所なら、アルファドが紹介してくれるまでジェラールは一言も話せないはずだが、エリューサスは頷いて片手を差し出した。
「今更の第一王子、エリューサス・ハルギオ・クアンバドだ。よろしく、ジェラール。君のことはミオンからよく聞いている」
一呼吸分の沈黙を置いて、ジェラールは意を決して尋ねた。
「どんな風に聞いているのか、お聞きしても?」
「自分のことを馬鹿にしなければとてもいい兄だと」
エリューサスは即答した。ミオンはとっさに空を見上げた。今日もいい天気だ。
「……おい、ミオン……」
「ジェラール」
呼ばれて、ジェラールは妹を睨み付けるのを止めて真顔になった。
「聞きたければ後で詳しく話すが、ミオンとはアル……アルファドを通じて知り合った。君やご両親が心配するようなことは何もない。ただ、何となく名乗りそびれてしまって、ここまできてしまったんだ。あまり叱らないでほしい」
「わかりました」
ジェラールは、まだ納得のいかない様子だったが、王子殿下にここまで言われて、ただの庶民が頷かないわけには行かない。
「アルファドの家でミオンと話すのは楽しかった。君ともそんな風に話せたらいいと思っている」
エリューサスの顔にはひとかけらの笑みも無い。他の人なら、ただのお世辞と受け取るだろう。だがエリューサスの場合は、逆に、純粋な感想を語っていることが伝わってくる。
「……」
差し出されてままの手を、ジェラールは見つめた。ためらう兄の横から、ミオンがエリューサスの手を奪った。
「今更のミオン・ハルニーです。これからよろしくおねがいします、また一緒にお菓子を食べてください、エリューサス第一王子殿下」
一瞬だけ驚いた顔をしたエリューサスは、すぐに仏頂面に戻ってミオンの手を軽く握り返した。
「……エルでいい」
「それはちょっと……」
難しいことを要求された。応じないと手を離さないとばかりに強く握られる。
「じゃあ……エル様で」
「妥協しよう」
頷く時、微かに笑ったように見えた。光の加減かもしれない。
「それなら僕もアルと呼んでくれると嬉しいな。親しい友人しかいない場所限定でね」
アルファドがそう言って、ジェラールに目配せをする。ミオンの手を離したエリューサスは、改めてジェラールに手を差し出した。
「……妹の非礼を咎めるのは遅すぎたみたいですね」
観念したように笑って、ジェラールはエリューサスの手を握り返した。もうどうにでもなれと言わんばかりだ。
「たぶん、非礼を咎めるなら俺より君のことの方だと思う」
「それはこの後問い詰めることにします」
「お兄ちゃん、わたし、今日はもう寮に帰ろうと思う」
後ずさるミオンの腕を、ジェラールはがっちり掴んだ。退路を断たれて、ミオンは項垂れた。
「揉める前に僕にも挨拶させてくれる?」
無理矢理間に入り込んだアルファドも手を差し出した。ジェラールは、今度はためらいなくその手を取った。というか、不敵に笑って睨んでいる。
「……改めてご挨拶いただかなくとも大丈夫です、エリューサス殿下の懐刀のお名前は、殿下本人と同じくらい有名ですから。ミオンを学院に入学させてくださって、ありがとうございます」
ミオンは耳を引っ張った。どうしてだろう、『お前が元凶だろこの野郎』としか聞こえない。首を傾げていると、応じるアルファドも、いつものふんわりとした笑みの裏に黒いものが見える気がする。
「そんな大層なウワサは信じなくていいよ。それに、お礼を言うのはこちらの方だから。ルザリア院の件では君たち兄妹には本当に世話になったと思っているし、これからもよろしく頼みたいと思っているんだ」
「俺も妹も凡人ですからそんな期待されても困ります」
「そうかな。その辺はこれから具体的に話し合っていきたいね。ミオン、カードの件でまた話がしたいな」
「あ、はい」
「妹も俺も、これから授業で忙しくなりますから話す余地は無いと思います」
「君とは楽しい時間を持てそうだよ」
堅く手を握りしめたまま、表面上は和やかに語り合う二人の横で、ミオンはエリューサスを見上げた。
「……わたし、もう帰ってもいいですか?」
「送るか」
「いえ、エル、様、が一緒だと騒ぎになると思うので道だけ教えてください」
「それならもう遅いと思う」
ほら、と顎で示された先には、遠巻きにこちらを窺う生徒達がずらりと並んでいる。会話までは聞こえないだろうが、寮に戻るには彼らの間を通り抜けなくてはならない。知らない振りは、通じないだろう。
「送るか?」
再度問われて、ミオンは遠い目をして頷いた。
「……お願いします」
もうどうにでもなれ――入学して三日目で、ミオンは平穏な学園生活に別れを告げた。
単なる自己紹介回だったのに、腹の探り合いになるという不思議。
アルがこんなに腹黒かったとは私も知りませんでした…。
今回もお読みくださってありがとうございました!




