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誤字と、不自然だった箇所と寮についての記述を修正しました。
「まさか、お前まで王立学院に通うことになるなんてなあ」
兄ジェラールの言葉は、そのままミオンの心情でもある。
ここ、王立学院はその名の通り、王家の勅命で、身分を問わず、国の将来を担うような人物を育成するため、およそ五十年ほど前に設立された。紆余曲折はあったにしろ、外交も内政も、ほどよく安定している現状を作り出した卒業生達の功績は称えられるべきだろう。
立派な卒業生に続くべく、新しい生徒たちが入学したのが三日前のことだ。その中の一人に、ミオンも数えられている。
「わたしも、通うつもりはなかったんだけど……」
ジェラールの夢は知らないが、ミオン自身は、国の将来を背負うなんて考えたことも無かった。気づいたらここにいた、といってもいい。そもそもあの日のアルファドの提案は、決定事項の通達だったと、今なら思う。
「でも、家に帰ったらそういう話になってて……」
具体的にいうと、そういう話になる前の段階の話があった。今思い返しても、頭が痛い話だ。
あの日、大量のお菓子と押し花のカードをお土産に、ほくほく顔で家に帰ったミオンは、パニック状態の両親に出迎えられた。
「ミオン、いったい何をしでかしたの!?」
伯爵家からの使いというのは、単なる伝言だったとしても、庶民にとっては脅威でしかない。母に力一杯抱きしめられながら問い詰められて、心配をかけたことに思い当たった。が、答えようにも、マイサは取られまいとするかのように頭を抱え込んでくる。窒息寸前で、腕の力が緩んだ。
「マイサ、落ち着きなさい。ミオンがびっくりしている」
父親のメーシュは、もう少し落ち着いていた。いつもより帰りが早いのは、やはり伯爵家からの使いが、職場にも行ったからだった。
「あのね……」
マイサの腕からようやく解放されたミオンが一息吐く間もなく、メーシュは嗚咽を漏らし始めた。
「ミオン……すまない……お父さんが不甲斐ないばかりに……」
「え。」
待って、何の話!?――崩れ落ちる父親にぎょっとしていると、母親まで一緒になって「そうね、私たちのせいね」と涙をこぼし始めた。
(なにこれ。誰か説明を! 説明を求む!)
救援要請はどこにも届かなかった。たぶん、玄関を開けたら近所のおばちゃん達がずらりと並んでいる気がするが、飢えた獣にエサを与えるつもりはない。
抱き合って泣き続ける両親を必死に宥めて話を聞いてみると、なぜかミオンはアルファドに見初められたことになっていた。この時点でミオンの目は点だ。しかし話はこれで終わらない。庶民のミオンは最後は日陰者となり、寂しい一生を送ることになるだろう。かといって、伯爵家が相手では、下級役人風情では断り切れない。不甲斐ない父親、力の無い母親を許してくれ、とそういうことだった。
どうしてそうなった――ミオンの感想は、この一言に尽きる。
「それでか……」
ハルニー家の最大の修羅場に遭遇しなかったジェラールの元に連絡が行ったのは、翌週のことだった。その頃には両親も落ち着いて、いたのだが。
「やたらと目を離すなって言われたけど、そのせいか」
「……」
少しも落ち着いていなかったらしい。やはり自分で直接、話しに行けば良かった。
言い訳すると、入学の日を迎えるまで大忙しだったので、それどころではなかった。
王立学院への入学は、新年を迎えた年の、二番目の月と決まっている。伯爵家の推薦があるといっても、相応の能力を示さなければ入学は許可されない。ミオンが入学の意思を示す前に、伯爵家から派遣された教師が入れ替わりにハルニー家にやってきた。
さらに月に一度は伯爵家に呼び出されて、進捗状況を報告。主に聞き役はアルファドだったが、時々、セオラリアとエルも同席した。この間に手を抜いていれば入学も取り消しになったのだろうが、教師達はミオンの手綱の取り方を心得ていた。
『次の報告会では新作のお菓子が用意されるそうですよ』
きっとこれはエルの入れ知恵に違いないと思う。
気づいたときには、入学許可は降り、ささやかながらお祝いをしてもらったのが先月のこと。家庭教師の襲来を終えてほっとしたのも束の間で、今度は身の回りを整えるのに忙しくなった。
学院の生徒は全員入寮が義務づけられているので、ミオンもジェラール同様に寮住まいをする。部屋の中のものは家具以外は自分で用意しなければならない。一番重要なのは制服だ。とはいえ、これらは伯爵家が全て用意してくれることになっていたので安心していたら、セオラリアがやってきて、採寸だの買い物だのと、連れ回される羽目になった。人生で一番多く馬車に乗った月だったと思う。クッション一つに店を三軒も回るなんて、今でも信じられない。
もっとも、そのおかげで、引っ越しは入学式の前日で問題なかった。ぎりぎりまで両親と過ごして、手荷物だけ持って学院の門まで見送ってもらって、門の中で兄が待っていてくれたのを見たときには、本当に泣き出しそうだった。
「だいたい、お前みたいのが貴族のお坊ちゃまに見初められるとか、絶対あり得ないだろ」
そんな感動をぶちこわすくらいに、普段はちっともありがたくない存在であることは否めない。
「だよねー、だったらお兄ちゃんだって、お姫様に一目惚れされるよねー」
自分たちではわからないが、他人から見ればよく似た兄妹らしい。髪の色も目の色も同じなので、つまりは顔立ちも平凡だと言うことだ。遠回しに言ってやると、おでこを小突かれた。
「うるさいな。俺のことはいいんだよ。お前はどっちかっていうと、甘い言葉でころっと騙されそうだから母さん達も心配なんだろ」
「そんなことないもん」
お菓子に釣られて入学してしまった事実は隠しておこうと決心した。
「お兄ちゃんだって、仕立屋のテムゼンさんみたいに、綺麗な女の人に騙されて人生を棒に振らないようにね!」
途端に、ジェラールが固まった。
「……え、なに、仕立屋のテムゼンさんて、あれって結局そういうことだったのか? って、おまえ、どこでそういう話聞いてくるんだ?」
「向かいのナシアおばちゃん」
「……情報通だったな、ナシア小母さん」
このときばかりは、同じ思いで頷く兄と妹だった。
下町の情報伝達力を甘く見てはいけない。ちなみにミオンが伯爵家に呼ばれ日も、夕方までには通り中に伝わっていたのだから、推して知るべし。
「あー……で、どうだ、そろそろ慣れたか? 寮はどうせ二人部屋だろ?」
ジェラールは無理矢理話を変えた。ミオンもそれ以上口げんかを続ける気はないので、素直に頷く。
「うん、マギーっていう子と一緒になったの。持ち物がすごいって、驚かれた」
今年の新入生も、例年通り、貴族の子女が大半を占めていた。庶民出身の子はミオンを含めて十四人。そのうち女子は、ミオンを含めて四人だけだった。寮の一人部屋は一定の身分以上でなければ使用できないので、ミオンは当然のように二人部屋。同室は、マギー・ナトワーズという、王都の外からきた商家の子だった。裕福な家庭で育ったマギーは、ミオンの身の回りの品がどれも高級品であることを見抜いて、驚いていた。
「一目でわかるってすげぇな」
「買ったお店まで言い当てられてびっくりしたよ……」
きっとマギーは、セオラリアのいい話し相手になると思う。クッションの違いを熱く語れるだろう。ミオンは、一緒に買い物に行っても色の違いくらいしかわからない。セオラリアはその感覚が大事だと言ってくれたけれども、そんなのは誰でも持っているものだ。
「お前それ、自分で買ったとか言わなかったよな?」
「まさか!」
自分は下町育ちで、部屋の品は全部ヤーベイン伯爵家が用意してくれたことをマギーに話すと、また驚かれた。
「そりゃまあ、普通は貴族様と接点なんて見当たらないからなあ」
「だよねえ」
ミオンだって、未だに、自分がこの場にいることが夢じゃないかと思うことがある。子猫を助けると決めた日には、どうやって学院の近くまで行くのかと悩んでいたというのに、気づけばアリーゼと同じ敷地内にいられることになっている。これもやはり、ゲームのシナリオ通りと言うことなのだろうか。
(まだ本人は来てないけれど、ね)
アリーゼが入学してくるのは三年後だ。その頃には、彼女を中心として様々な事件が起こるのだろうが、ミオンには、たった一つのイベントを除いて全く関係ない。
(そういえば、第二王子以外の人も入学してるのかな)
入学式で、新入生の代表として宣誓を行ったジェヴァン・シローネは、王家の血筋にも繋がるエナンサ公爵の嫡男で、アリーゼの恋人候補だったはずだ。銅色の髪の少年は、年下に見られるのがイヤでやたらと大人ぶった振る舞いをするのがいつも裏目に出る、ちょっぴり可哀想な少年だった――過去の記憶の囁きに、ミオンは吹き出しそうになった。
「なんだ、急におかしな顔して」
「なんでもない。ちょっと、眩しかっただけ」
「ん、日が射してきたか」
ジェラールも、顔を上げて眩しげに目を細める。
王家直轄の土地の中に作られた学院は、王城と同じくらいの広さがあると言われている。その中には校舎や寮の他に、各種の実験施設や運動場もある。これらの施設と施設の間には、綺麗に手入れされた庭園がいくつか作られていて、学生達の憩いの場となっていた。ミオンとジェラールが話し込んでいたのは、そんな庭園の片隅にあるベンチだった。
入学式を終えてから一週間は、新入生達は校内に慣れることを課題として与えられる。前年に入学した生徒が案内するのが通例だが、兄弟や親戚がいるのなら、そちらに頼ってもいいことになっている。
「移動するか。校舎の位置はだいたいわかっただろうから、あとは迷子にならないように寮に帰る道を覚えとけばいいか」
「うん」
「あ、そうだ」
一度立ち上がったジェラールだったが、何かを思い出して座り直した。ミオンも、もう一度腰を下ろす。ジェラールは大真面目で顔を寄せてきた。
「いいか、上級生の校舎には間違っても迷い込むなよ。教室と寮と図書館と売店以外はヘンなところに入り込まないように。あと、寮も一人部屋区域には近づかないように気をつけろ」
「うん、わかった」
新入生の校内散策は、一人歩きは禁止とされている。関係者以外立ち入り禁止の区域もあるし、上級生の、しかも自分より身分の高い生徒の前をふらふらと歩き回るのはよろしくないと、暗黙の了解が出来ているからだ。同級生同士ですら、すでに身分格差のグループ分けが出来ているのだから、気をつけるにはこしたことはない。
「特にお前、アルファド様を見かけても、迂闊に声なんかかけるんじゃないからな」
「わかってる。前からそんなことしたことないし」
「前は声をかけられるような距離で出会わなかっただろ。学院内だと、偶然にすれ違うこともあるからな。向こうから声をかけられても、お辞儀してすぐに立ち去るんだぞ。それでなくても、あの人の側にはおっかない人がいるんだから」
「……おっかないひと?」
強面の護衛でも付いているのだろうか。庶民がうっかり話しかけたら剣を持って追いかけ回してくるラダートのような兵士を想像していると、ジェラールは辺りを憚るようにして、声を潜めた。
「いいか、アルファド様の一番の友人ってのがすげぇ人なんだよ。金髪で背の高い奴がいたら、声をかけられる前にすぐ逃げろ」
「――そこまで警戒しなくても大丈夫だと思うけど」
苦笑を含んだ声に、兄と妹は同時に顔を上げた。
「アルファド様っ!?」
「なんでこんなところに!?」
アルファドは、ベンチに後ろ側に立っていた。ここまで視界に入らなかったと言うことは、こっそり近寄ってきた以外、考えられない。
「なんでって……一応学院内だし、僕もまだここの生徒だしね?」
しらじらしくも言って、横を向く。
「エルも言ってあげたら? 目が合ったら息の根が止まるくらいの話しぶりだったよ?」
「――魔物か、俺は」
アルファドの横で、憮然と呟いたのは、当の金髪長身の少年、エルだった。陽光を受けた髪が、光そのもののように輝いている。光の化身と化した少年は、そろって呆然としているハルニー家の兄と妹を眺めて、頷いた。
「……なるほど、よく似た兄妹だな」
やはり他人から見るとよく似ているらしい。あんなに綺麗な髪だったら、似ていると言われても嬉しかっただろうと思う。
「……そんなに似てますか?」
思わず聞き返すと、エルは頷いた。
「顔かたちもそうだが、雰囲気だな」
「特にそうやって同じ制服を着ているとね。あ、そうそう、制服、よく似合っているよ」
「ありがとうございます!」
アルファドに褒められて、ミオンは立ち上がってお辞儀をした。今さっき、話しかけられてもすぐに立ち去れと言われたのだが、この制服も伯爵家が用意してくれたものだし、お礼を言うくらいはいいはずだ。あと、褒めてくれたのは他人ではアルファドが初めてである。アルファド様バンザイ再び、だ。
「確かに、制服姿だとそれなりに見えるな」
「……ありがとうございます……」
エルにも、一応、お辞儀をしておく。それなりがどういう意味かは、訊かないでおく。
「――っ!」
ここで、ようやくジェラールが我に返った。
「すっ、すみません、妹が、しっ、失礼を! ミオン、何してる!」
バネでも仕込まれていたみたいにベンチから立ち上がったジェラールは、ミオンが今まで見たこともないくらいに、丁寧にお辞儀をした。不思議そうに見ている妹の頭を抱え込んで、無理矢理お辞儀をさせる。
「お兄ちゃん、痛いよ!?」
「バカ、静かにしろ。お前、この方がどなたか知らないのか! この国の、第一王子殿下だぞ!」
「…………はい?」
だからすぐ立ち去れって言ったんだよ――俯いた顔から漏れる呟きに、ミオンは完全に硬直した。
滑り込みました……間に合って良かった……。
お待ちいただいていたら、大変嬉しく思います。
今回も、ありがとうございました!




