プロローグ
R15は念のためです。
よろしくお願いします!
「わあ、見て! 可愛い子猫!」
ミオンの声に、隣の友人が振り返る。
同時に、通りの反対側の彼女が振り返ったのも見逃さない。さらさらの金の髪をなびかせながら、彼女は子猫の姿に微笑む。子猫は彼女を見上げてから、さっと路地に飛び込んだ。子猫を追いかけた彼女が路地の奥に見えなくなるのを確認して、ミオンは小さく頷いた。
任務完了。ミッションコンプリート。
「――それじゃあ、またね」
道ばたで、ばったり出会っただけの友人と別れて、ミオンは急いで通りを渡った。
新規任務開始。ネクストミッションスタート。
ここからは慎重に、確実に、行動しなくてはならない。
この先は――シナリオには書かれていないのだから。
***
ミオンが自分の役割というものを理解したのは、十才の時だった。
突発的な事故もなかった。原因不明の高熱に悩まされたわけでもない。
いつもどおりに寝て起きたら、「あ、そうだったんだ」と納得してしまった。母親に買い物を頼まれていたのを思い出した、そんな感覚だった。
「……そりゃ、あんまりだ」
残念すぎる。もう少し感動的な事象が欲しかった。世界の隠された秘密を暴いたとも言えるのに、『おつかい』はないだろう。
少しだけ混乱する頭の中を整理する意味で、まずは今までの自分を振り返ってみよう。ミオンはベッドの上にのっそりと起き上がった。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。今日もいい天気だ。昨日もいい天気だった。ここ数日、ずっと晴天が続いていて、ミオンは毎日のように『今日もいい天気だ』と目を覚ました。違う、代わり映えしない毎日を思い出している場合じゃない。
名前はミオン・ハルニー。ちょうど一ヶ月前に十才の誕生日を迎えた。クアンバド王国の王都リパリアの一角に、下級役人の父親と専業主婦の母と、二つ年上の兄と暮らしている。
兄のジェラールは頭が良く、奨学金を貰って王立の学院に通っている。現在は学院の敷地内の寮住まいだ。月に数回は帰ってくるので、家族仲は悪くないと思う。
一方、ミオンの頭のできはそこそこなので、下町の学校に通っている。兄はそのことで帰ってくる度にからかうので、しょっちゅうケンカになる。
そんな風に生まれ育った記憶に、間違いは無い。
「ここまではオッケー。で、問題は」
おつかい感覚で暴いた世界の秘密は、結構重たい、と思う。
きっと誰も信じない。実はこの世界が『かつてのミオンがやりこんだゲームの世界』であり、ミオン自身がゲーム内の登場人物の一人である――なんて言い出したら、まさに子供の戯言と笑い飛ばされること間違いなし。ミオンだって、人から聞いた話なら大笑いする。絶対する。
自分のことだとしても、おかしな夢を見たと思うのが普通だが、今回ばかりは妙な確信があった。過去の記憶と言ってもいいのだが、思い出せるのはゲームの内容ばかりで、ゲームをやりこんでいた自分自身のことは一つも思い出せないので絶対そうだと言い切れないもどかしさがある。しかしそこを差し引いても、絶対にここは、あのゲームの世界なのだ。
「……えーと、『終焉を奏でる君と』……だっけ?」
簡単に暴いてしまった世界の秘密、つまりゲームの内容はというと――王都の外からやってきた主人公アリーゼが、王族も通う学園に入学し、様々な出会いの中から未来を選ぶという、女性向け恋愛シミュレーションゲームだ。攻略相手は王侯貴族から庶民まで、年上年下もありの、色とりどり、よりどりみどりだ。もちろん全員イケメン。方向性は様々だが絶対にイケメン。サブキャラにもイケメン複数が用意されていたし、イベントもサブストーリーも充実という盛りだくさんのゲームだった。ファンタジーで学園もので、エンディングによっては悲恋気味となるストーリーに、かつてのミオンはどハマりした。らしい。
「……ちょっと、びっくり、した」
ミオンは頭を押さえた。今のミオンが知らない知識まで怒濤の勢いで流れ込んできて、思わず息をするのも忘れてしまった。やたらとイケメンが強調されていたのが気になる。とはいえ、イケメンが美形の男性を示す言葉であるとか、母親に聞いてもきっと知らないだろう。
ぶはっと止めていた息を吐いて、ミオンはベッドから飛び降りた。
「……金髪だったよねぇ、アリーゼって」
テーブルの引き出しから手鏡を取り出す。写っているのは、焦げ茶色の堅い髪に同じ色の瞳の子供だ。子供故に肌はつやつやだが、顔立ちは女の子だとわかる程度の平凡さしかない。さらさらの金髪で美人の主人公とは似ても似つかない。
改めるまでもなかったけれど、やっぱり自分は主人公ではない。そもそも名前が違うし、主人公なら王都で暮らしているはずがない。
ミオンは手鏡を置いて嘆息した。同時に、イヤと言うほど納得した。
ミオンが確信した役割は、主人公でもないし、主人公の親友でもなくライバルでもなく、ゲーム内容に関わる重要人物でもない。
言ってしまえば、ただの通行人。画像も名前も出てこないモブキャラ、街人A。主人公と知り合いでもなく、通りすがりにたった一言、セリフを言うだけの存在だ。
「……これ、今から思い出すようなことでもなかったんじゃない……?」
ゲームの設定どおりなら、ミオンが役割を果たすのはアリーゼが王都にやってきてからだ。アリーゼは、クアンバド王国の第二王子と同い年の設定で、彼女が王都にやってくるのは十六才の年。第二王子の十一才の誕生日は先週盛大に祝われたばかりだから、ゲーム開始まで残り五年と言うことになる。
主人公やライバルキャラなら今から攻略ルート変更を狙っていくのもいいかもしれないが、ただの街人Aには練り込むルートすらない。まさか、この五年間、たった一言のセリフを練習しろとでも言うのだろうか。ちなみにミオンのたった一つのセリフというのは、
『わあ、見て! 可愛い子猫!』
だけである。
「……」
練習なんてあり得ない。噛んでもつっかえても、スキップボタンで飛ばされても何の問題も無い。当日に思い出しても、いいよねというミオンの意見は間違っていない。
「……バグってやつ?」
記憶を呼び覚ます相手を間違ってませんかね?――設定した奴は今頃慌てているに違いない。誰かわからないけれど。
鏡を引き出しにしまって、ミオンはベッドに腰掛けた。しばらく待ってみたが、『間違えたからやり直しね、全部忘れてチョーダイ!』というメッセージも来ないし、やっぱりここがゲームの世界だと気づいたままだ。街人Aが設定を知っていても別に構わないと思われたのか。確かにその通りだ。メインシナリオに食いついていく根性も容姿も無い。全力で肯定できる自分が少し悲しい。
「子猫、って言うだけなら他の誰でもいいだろうし」
ミオンがたった一言のセリフを言う場面は、街の中の、どこかの通りで、だ。可愛い子猫が通りを歩いている。街人Aが上げた声でアリーゼは子猫に気づき、裏通りで子猫が攫われるのを見てしまうのだ。アリーゼは子猫を攫った人物を追いかけて、秘密教団の隠れ家に行き着く。その教団は、魔神を召喚するために子猫以外にも何匹もの動物を生け贄の供物として攫ってきていたという事実を突き止める。
「これ、誰ルートだったっけ……」
アリーゼは誰かと魔神召喚の儀式を止めるのだが、子猫を始めとする生け贄たちは命を捧げられた後だった。人種問題とか戦争の遺恨とか、重たいテーマが裏に隠れていたシナリオだったから、その辺に関係のある攻略相手だったと思う。だが攻略相手は王子だの貴族だのと有力者の子供がほとんどだったから、誰が関わってもおかしくない。むしろ、そこにミオンが関わる方がおかしい。あくまでも自分は傍観者だ。
「……子猫、ね」
耳の奥に、みぃと小さく鳴いた声が聞こえた気がした。あの子猫は、どうやっても助けられなかった。かつてのミオンは猫好きだった。飼っていた猫に子猫がそっくりだったという記憶も蘇った。だから、何度やり直しても助けられないことがわかった時には、バッドエンド以上に胸が痛かった。
「――よし」
役割は、決まってしまったのなら仕方ない、引き受けよう。平凡な人生に罪はない。恨みもない。問題は、子猫だ。
「生け贄はダメだ、うん」
命は大切にしなければ。あんなに可愛らしい生き物の命は、特に。
詳しいルートは思い出せなかったけれど、何度もやり直した結果、どの選択肢でも魔神召喚は阻止されたのは間違いない。主人公が子猫を無視しない限り、だが。
「見つけたらすぐに助けちゃえばいいのか」
子猫は助かるかもしれない。しかし他にも生け贄のために集められた動物がいるので、他の動物だけで満足した魔神が召喚されないとも限らない。どうせなら他も全部、助けてあげたい。というか、普通、魔神の生け贄なら美少女の主人公を攫うべきじゃないだろうか。それとも魔神は動物好きなのか。
「動物好きなら殺す前に出てきそうな……ってまあ、そんなことはどうでもよくて」
魔神の生け贄基準の研究は後進に託すとして、ミオンの、当面の目標は決まった。
「まだ生まれてないだろうけど……絶対、助けるからね」
街人Aによる隠しシナリオ、生け贄救出大作戦のスタートである。
次回からしばらくミオンの準備編となります