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#9

 アレスが目を覚ますと、既に窓の隙間からは鋭い日差しが突き抜けいてた。ベッドから抜け出して窓を開けると、日は既にかなりの高さまで昇り、空気も朝の静謐というよりは、ほどよく陽気を含んで充実した生命の香りを漂わせている。

 隣のベッドには既にレイチェルの姿は無いが、ベッドの凹み具合から見て、離れてからそう時間は経っていないだろう。自分も部屋から出るべくドアノブに手をかけたところで、遠くから何かを規則正しく叩くような音が響いてくるのに気付いた。

 そのまま部屋を出るが、家の中に人の気配がない。とりあえず音のする方向に見当をつけて追って行くと、それは家の外から聞こえてくるようだ。

 裏口から外に出たところで、その音は隣にある、水車付きの石造りの建物から聞こえてくることがわかった。そしてその入口には見覚えのある姿があり、こちらの足音に気付いたのか顔だけで振り向いてくる。

「お兄様遅いですわ、ようやく目が覚めましたのね」

「そう言うお前もさっき起きたばかりじゃないのか?」

「そういった可能性も無くは無いかもしれませんわ。そんなことより、どうやらあの娘はずっとここに籠っているようですわね」

 言われてアレスも入口に近寄り、そこから中を覗いてみると、奥で何やら人影が動いており、その動きに合わせて金属を叩くような音が鳴り響いているのがわかる。

「もう少し近くで見てみませんこと?」

「入っていいのか……おーい、入るぞ?」

 内側から鍵のかかるはずの扉が完全に開け放たれているということは、少なくとも絶対誰にも入って欲しくないというわけではないだろう。アレスはそう勝手に判断すると、念のため声をかけながらゆっくりと足を踏み入れる。


 二人が足を踏み入れた部屋は、外から見て想像していたほどには広くは感じられなかった。たちまち火に炙られるような熱気に襲われ、思わず顔をそむけそうになりながら、なんとか部屋の様子を観察する。

 何よりもまず目に付くのは、部屋を埋め尽くす機構の数々である。部屋の奥で重苦しい音を立てながら動く、ひときわ大きな歯車は、おそらく外の水車の動きと直接連動しているのだろう。そこに更にいくつかの歯車が接していて、次にどの歯車に動力が伝わるかをレバーで切り替えられるようになっているらしい。

 歯車の繋がる先を視線で追って行くと、いくつかの機械に繋がっているようだ。円形テーブルのような機械、石臼を横倒しにしたような機械などが見受けられるが、その中で動力が伝わっている先は今のところ一つしかない。

 その先にあるのは、赤々と燃え盛る炭を抱える石の炉だった。一体どこに動力を伝える要素があるのかと思ったが、よく見ると炉の奥で何やら激しく回転しているものが見える。おそらくあれで外の空気を送り込み、炭の燃焼速度を調節しているのだろう。

 そしてその炉の前には金床が置かれ、もちろんそこには作業をする人間もいる。先程から一心不乱にハンマーを振り上げ、そして熱によって赤味を帯びた鉄の棒に向かって振り下ろす作業を繰り返している。

 その少女――ルティアの姿に視線を奪われ、アレスはしばしその場に立ち尽くす。

 昨日店で身に着けていたものと同じデザインの、しかしいくつもの焦げ跡のついたエプロンの下は、袖の無い無地のシャツといかにも作業着じみたズボンといった服装で、そして額から流れる汗を止めるたの長細い布を頭に巻いている。大きく開いた脇の下からは、胸を固定するために巻いているものと思われるサラシがはっきりと見えているが、汗で完全にぐっしょりと濡れているようだ。

 肩から先が丸出しのせいで、昨日よりもはっきりと肩から腕にかけての筋肉の様子が見て取れる。服の上から見た印象よりははるかにしっかりとした筋肉がついているが、それでも金属製の重いハンマーを振り回すのに十分かと言われると微妙ではある。腕を動かすのに邪魔になるような脂肪はついていないが、その割には全体的にあまりゴツゴツとした感じはしない。

 そんな腕の先、今は右手に握られているハンマーは、アレスがこれまでに見たことのある鍛冶用のハンマーと比べても一回り大きいように見える。それを毎回、ここまで持ち上げる必要があるのかというくらいに高々と振り上げ、そして狙い澄ました位置に向かって弧を描くように振り下ろしている。もしかしたら、腕力の不足を補うための手段なのかもしれない。

 そこで一旦、ルティアは叩く作業をやめた。そしてそれまで叩いていた鋼の棒に、傍らに置かれていた他の数本の棒を慎重に重ね合わせ始める。

 相変わらず歯車の音が響き渡るが、ハンマーの音がなくなったことでようやく会話ができる程度の音量になったところで、横で同じように立ち尽くしていたレイチェルが声をかけてくる。

「今ので終わりではありませんの?」

「いくつかの種類の鋼材を重ね合わせて、耐久性と切れ味を両立させる技術というのがあるのは聞いたことがある。かつて東方から伝わった技術らしいが伝承者も少なく、一部の最高級品で使われているらしいが俺も実物はいまだに見たことが無い。これがそれかどうかはわからないが……」

 そんな会話をしているうちに、炉で熱して真っ赤になった鋼の束を再び金床に据え、先程と同じように一心不乱にハンマーで叩き始める。どうやらアレスやレイチェルが見ていることにすら全く気付いていないらしい。

 炎に照らされた横顔が、金床の上を見つめるまっすぐ過ぎる視線が、アレスの目を惹いて離さない。灼熱に晒されながらハンマーを握りしめた少女は、完全に自分の世界に入り込んでいるようにも見えるし、これから剣になろうとしている鋼の塊と全力で対話を試みているようにも見える。

 そんな中で予想外の――しかしよく考えてみれば当然の事態が起こった。

 これまで順調に振り上げられ、そして振り下ろされていたハンマーの振り上げられる速度が、徐々にとはいえ確実に落ちてきたのだ。これまである程度精神が肉体を凌駕していたのかもしれないが、さすがに疲労が限界を超え、物理的にこの運動を繰り返すことが不可能になりつつあるのだろう。

 が、そこでルティアは更に予想外の行動に出た。

 なんと、それまで右手で握っていたハンマーを左手に持ち替え、逆に左手で握っていたやっとこを右手に握り、温度の下がってきた鋼の塊を炉で再加熱し――そして何事もなかったかのように再び叩き始めたのである。

 アレスの記憶が確かならば、ルティアは食事の際に確か右手でフォークやスプーンを持っていたはずだ。つまりおそらくは右利きなのだろうが、その割には左手に持ち替えたハンマーに、右手の時と比べて特に安定性が欠けるとかそういった気配は感じられない。


 そんなことをしばらく繰り返すうちに、鋼の塊は徐々にその形を変え、ついには誰がどう見ても剣と呼ぶにふさわしい形になりつつあった。

 赤々と加熱された「ほぼ剣のようなもの」が水槽に沈められてひときわ大きな音を立てると、その工程の存在を知らなかったのだろう、隣でレイチェルが背筋をびくんと震わせる気配が伝わってきた。

 そこから先は仕上げの工程だった。ハンマーで叩いて微調整、更に炉で軽く熱して自然に冷ました後、砥石で刃をつけ、柄を取り付けて固定し――そして最後に予め刃にぴったりと合う大きさに作られていた鞘に納めたところで、ようやくルティアは大きく一息ついた。

「ふぅ……ってひゃあああっ!?」

 どうやらようやく二人の姿に気づいたらしく、ルティアはあまりの驚きに石の床で足を滑らせて尻餅までついてしまった。

「あ、いやその、音がするので様子を見に来て、つい最後まで見入ってしまった」

「何といいますか……ええ、その、物凄いですわね」

 そんな二人に向かって顔を真っ赤にしながら――単に恥ずかしいだけでなく、炉の熱気を間近で長時間浴びていたせいもあるのだろう――もじもじとした調子でルティアは小声で告げる。

「ずっと見ていらしたんですか? なんだかちょっと恥ずかしいです……その、基本は兄から教わったのですが、応用的な部分は結構独学の試行錯誤で付け焼刃的なところが多いので、ちゃんとした職人から見ると結構変なことをやっているんじゃないかと……あっ! こうしちゃいられないです」

 突然ルティアは顔を上げて叫ぶと、打ち終わったばかりの剣をその場に置いたまま、物凄い勢いで部屋から駆け出して行った。

「どうしたんだ?」

「あれでまだあそこまで走る体力が残っているとか……どこか肉体の構造がおかしいのではありませんこと?」

 炉の火は既に落とされているとはいえ、いまだに残る熱気のせいか微妙に顔色の悪いレイチェルが呆れたように呟く。

 間もなく駆け戻ってきたルティアの姿は、先程までのシャツとエプロンの姿ではなく、一点の染みも無い純白のローブを身にまとっていた。どことなく神聖さを漂わせたその雰囲気に、アレスは思わず息を呑む。

「これから最後の仕上げを行います。よろしかったら一緒に見て行かれますか?」

「最後の仕上げ?」

「精霊を呼び込み、この剣を霊剣にするための儀式です。剣が打ち終わって数時間以内に行わないと、その間に剣が周囲のいろいなものを取り込んでしまって、精霊の入り込む余地がなくなってしまうんです」

「そうだな、せっかくだから見ておこうか」

「では、こちらについて来てください」


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