#6
「あの、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
店員の少女にそう背後から話しかけられ、アレスは恐る恐る振り返った。
相手に気付かれないように自然に距離を取りながら、そして決して目が合わないようその辺の陳列棚に目を向けながらアレスは訊ねる。
「実は新しい剣を探しているのだが……この村の工房でいい剣が手に入るという噂を聞いてやって来たのだ」
「噂? ということはやはり……」
少女は幾分声を落とし、言いにくそうに告げる。
「この工房の初代マスターは、私が言うのもなんですが、間違いなく一流と呼べる職人でした。その噂は王都にまで及んでいたと聞いています。ですが昨年、この村が山賊による大規模な襲撃を受けた際に亡くなりまして……」
「ああ、それでなのか」
「それで?」
アレスが思わずそう呟いたのに対し、少女が不思議そうに訊ねて来たので答える。
「ああいや、村の警備がやたらと厳重だったから」
「あの戦いで、八闘神をはじめとした村の男の人たちが大勢命を落としたんです。初代――私の父もその一人でした。それ以来、一年がかりで塀を強化して、ようやくちょっとやそっとの襲撃では揺るがないくらいになったんです。おかげで領主様に目を付けられてしまっていますが、背に腹は代えられません」
「そうか……悪いことを訊いたな」
「こちらこそ、はるばるお越し下さったのに申し訳ございません。初代の遺した品はもうあまり残っていないのですが……どのようなタイプの剣をご希望ですか?」
「形状は、これと似たようなもので」
そう言いながら、アレスは腰の剣を鞘ごと取り外して手渡す。
そして意志の力を総動員し、少女の様子をうかがう。もしもこの剣が本当にここで作られたものならば、何らかの反応を示すはずだ。
「片手直剣の一番オーソドックスなサイズですね……ちょっと抜いてみてもよろしいですか?」
アレスが頷くと、少女は剣を抜き放とうとして――しかしわずかに鞘から抜きかけたところでぴたりと動きを止める。
「あの……お客様」
「なんだ?」
「こちらの剣ですが、どこでお買い上げになられたものですか?」
少女の表情に特に動きはなかった――というより、全ての表情が抜け落ちているようにも見える。
「モフトの街の、店の名前は覚えていないが多分一番大きい武器屋だ。今日買ってきたばかりなのだが――」
「……つかぬことをお伺いしますが、おいくらほどでご購入されたのですか?」
「八千ソルとか意味のわからない金額を吹っかけられたが、五百まで値切った」
「はっせ――」
絶句した少女は顔をひきつらせつつ、震える手でなんとか刃を鞘の中に戻した。
「許さない……こんな何もかも踏みにじるようなやり方……もう心に決めた。あの商会にはもう二度と、何一つとして売り渡したりしないんだから……もし今日みたいに強硬手段で来るならこっちも八闘神に頼んで……」
その静かに燃えるあまりの気迫にたじろぎ、アレスは思わず数歩後ずさった。そんな様子に気づいたのか、少女ははっと顔を上げて言う。
「すみません。お見苦しいところをお見せしてしまって」
「あ、ああ。これは一体……」
「スーザン商会、というこの一帯では最大手の武器商があるのですが、そこからの依頼で定期的に簡易鍛造品を納めていたのです。工房の設備面でも技能的な面でも、あまりこの手の大量生産には向いていないのですが、初代が亡くなっていろいろ入用だったこともあって請けてしまったのです」
そこまで告げると、少女は拳を強く握りしめて続ける。
「まさか本格品に偽造されて売られるなんて……しかもよりによって初代の……父の名を騙って刻むとは絶対に許せません。最近北方の軍備強化で剣が品薄になっていて、それが解消されるまでの間に大量に売りさばく必要がある、と彼らは言っていましたが……」
「軍備強化の話は知らないが、少なくともモフトの街の武器屋には、安物の武器なら大量に置いてあったな」
概ね、この詐欺商法が広く知れ渡ってしまうまえに荒稼ぎしておこう、という腹だったのだろう。そう考えると、あの三人組がこの剣を見て慌てて引き上げて行ったのも理解できる。
「正直言って、こんなものは叩き壊してしまいたいのですが、しかし代わりにお渡しできる剣の在庫が無いのです。このタイプの剣は売れ筋ですから、初代の作品はおろか、私の作品も在庫を切らしておりまして……」
「まあ確かに、そんな状況で在庫があるはずが……ん?」
何気なく告げられた少女の言葉を、もう一度頭の中で反芻してみる。
「『私の』作品……?」
アレスが訊ねると、少女は預かっていた剣を返し、改めて姿勢を正して告げてくる。
「申し遅れました。ガンドリック工房、二代目工房主代理のルティアです」
丁寧に頭を下げられ、アレスは極力驚きを顔に出さないようにしながらこちらも名乗る。
「俺はアレスだ。訳あって旅をしている。それでこっちが妹のレイチェル……」
そう紹介しようとしたところで、後ろにいたはずのレイチェルがいなくなっていることに気付く。そういえば先程尻を蹴飛ばされてから一言も発していなかったような、などと考えつつ辺りを見回すと――
「……お前は何をやっているのだ?」
そう呆れ気味に訊ねるアレスの視線の先には、いつの間にかルティアと名乗る少女の背後に回り込んでいたレイチェルの姿があった。
手を伸ばせば届くほどの距離から、レイチェルはルティアの周囲をゆっくりと回るように移動しつつ、その頭の先からつま先までを、それこそ舐めるようにじろじろと観察している。
「な、何……?」
ついに正面にまで回り込まれ、間近からじっと見つめられ、ルティアはさすがに戸惑いの色を隠せないようだ。
しばらくそのように見つめ合っていたが、ふとレイチェルがルティアから視線を外すと、かろうじてところどころ聴き取れる程度の声で何事かを呟き始める。
「……うーん……まあ見た目もそれなりだし、こんな辺境の村娘にしては育ちもそこまで悪くはなさそうね。ちょっと頭のネジが飛んでいるところはありそうだけれど、危惧すべき種類の邪悪さは持ち合わせていないようですし、まずはこのくらいがお兄様にはちょうどいいのかしら」
「だからさっきから何を言っているのだ」
「お兄様!」
レイチェルは突然振り返るとアレスに詰め寄り、そして有無を言わさぬ口調で告げる。
「在庫が無いのでしたら、今から発注して作らせれば良いですわ」
「発注ってお前、意味が分かっているのか? 店頭予約とは訳が違うぞ」
商会やら大規模領主やらの大量発注ならともかく、自身で使うために個人が一本だけの剣を発注する――つまり注文した通りに作らせる、というケースは、アレスの知る限り皆無とは言えないまでも非常に稀な例だった。普通に店頭で置いてあるものを買うのに比べ、どうしても割高になるため、よほど懐に余裕がある、しかも剣そのものに並々ならぬこだわりのある趣向の剣士でなければ、そもそもそんなことをしようとすら思いつかないものだ。
そんな考えを読んだのか、レイチェルはさも当然のごとく答える。
「王都ではあるまいし、こうでもしないと、お兄様のような重度のマニアのお眼鏡にかなうほどの一流品など手に入らないのではなくて?」
「誰がマニアだ。それにここで発注したところで、そもそもこの工房で一流品が作れるかどうかもわからないだろう。出来上がってから、やっぱり気に入らないからやめます、と言ったところで発注代が返ってくるわけでもない」
そこまで言って、ふとアレスは考える。
「ええと、ルティア……だったか? 確か工房主代理と言っていたが、他の職人は?」
「今は私だけです。本来は兄が後を継ぐはずだったのですが、二年前に村を飛び出したきり一度も戻っていなくて……」
「なるほど、それで代理か」
つまり、ここで剣を発注すれば、実際にそれを作るのはこの目の前にいる少女ということになる。
アレスは思わずまじまじとその姿を見つめてしまう。ハンマーを振るうであろうその腕は、さすがにレイチェル程に細いということはなさそうだが、服の上から見る限りでは、いわゆる十代半ばの女の子の基準からそう極端に逸脱してはいないように見える。
体付きについても、余分な肉が無い分それなりに細く見えるものの、よく見るとそれなりに鍛えられているようで、立ち居振る舞いから見るに、同年代の男の子と喧嘩してもそうそう負けないのではないかとも思える。とはいえ、アレスがこれまでに出会ったことのある、筋骨隆々のむさ苦しい武器職人どもの平均と比べると、せいぜい半分くらいの体重しか無いのではなかろうか。
「いや、常識的に考えれば明らかに無理だろう……」
さすがに女性の身体をまじまじと見つめるのは、今のアレスにとってあまりにも精神的負荷が大きかったようだ。立ちくらみに耐えながら、鉄製の農具の並べられた陳列棚に寄りかかるようにして、なんとかその場に踏みとどまる。
そんな様子を見ていたルティアが、恐る恐るといった感じで口を開く。
「ええと……剣の発注を考えているけれど、私の技術レベルが分からないから難しい、ということですよね?」
「まあ、そういうことになるのかな」
アレスは曖昧に頷く。本来であれば剣工ギルドでの階級がある程度の指標になるのだが、本当に一つ星程度の実力しか無いのであれば発注など論外である。しかし、少なくともこの簡易鍛造の剣を作ったのは彼女本人だという。よほどの幸運が重ならない限り、簡易鍛造でこのレベルの――少なくともあの武器屋に置かれていた玩具の中では明らかに一番マシだった――代物を半人前が作れるとも思えない。
「それでは、こういうのはどうでしょう。実は以前より作りかけていた剣が一本ありまして、しかしスーザン商会の大量発注にかかりきりでなかなか手を付けられていなかったのですが、これを明日中に完成させようと思います」
「つまり、それを見て判断してほしい、と?」
「いかがでしょうか。こちらとしても全力で作れ――いえ、実際の使用者の方からわざわざ発注を頂くというのは非常にたの――光栄な機会ですから、できるだけお請けしたいと考えていますので」
ふと窓の外に目を向けると、既に空は夕焼けの色に染まっているようだ。今からモフトの街に戻ろうとすれば、着く頃には完全に真っ暗になっているだろう。いずれにせよ、この村に泊まるしかないのだ。
「わかった。せっかくだから、それを見てから考えよう」
「ありがとうございます!」
ルティアがぱっと表情を輝かせる。
「それでだ、今日はこの村に泊まって行こうと思うのだが、良かったら宿を案内してくれないか?」
そうアレスが訊ねると、ルティアははっとした表情になり、そしてばつが悪そうに告げてくる。
「ええと、うちの村にいわゆる一般の人が泊まるような『宿屋』って無いんです」
「ちなみに……食事を取れるような店は?」
「パン屋さんはもう閉まっていますし……酒場が一軒ありますけど、さすがにレイチェルさん連れては入れないと思います」
モフトの街まで日帰りで歩いて行ける距離にある以上、この村に外部の人間が長く留まる用事などそうそう無いのだろう。
そんなことを考えている横で、レイチェルが深いため息交じりに呟く。
「なんということでしょう……また野宿ですのね。保存食の残りも尽きつつありますのに……そもそもあのテントは山間の風に耐えられるのかしら……」
独り言のようで、しかししっかりと聴き取れるギリギリの大きさの呟きに、アレスはレイチェルの意図を読み取って苦笑する。
「あっ、それでしたらうちに泊まって行ってはいかがですか? 食事も、さすがに今からでは特別なおもてなしはできませんが、一応それなりに食べられるものをご用意します」
狙い通り、とばかりに密かな笑みを浮かべるレイチェルを横目に、アレスはさすがに警戒心が無さすぎやしないだろうかと逆に心配になって訊ねる。
「大丈夫なのか? いきなり見知らぬ他人を家に上げて泊まらせるなんて――」
「ああ、そうですよね。いきなり見知らぬ他人の家に泊まるというのは不安ですよね。さすがに無理にとは言いません。でも、その……野宿は身体に毒ですから……それに私一人暮らしですから、そういう意味でレイチェルさんの身を案じる必要は無いと思います」
「……いや、いいんだ」
アレスは何かを言いかけたが、結局飲み込んだ。自分一人であれば、二重の意味でこんなところに泊まったりはしないが、さすがにレイチェルの健康状態と引き換えにしてまで貫くべきとも思えない。