#14
移動した先は、どうやら自警団の詰所になっているらしい小屋だった。前には広く開けたスペースがあり、ここでおそらく普段の鍛錬などを行っているのだろう。
「ねえルティア、あなたこの勝負、どちらが勝つと思いますかしら?」
「うーん……普通なら迷わずグレンさんって言うところだけど、さっきのアレスさんの試し切りを見てしまった後では、ちょっと何とも言えないかも」
「あのグレンさんという方、そんなに凄い方ですの? 先程のは霊剣の力といった感じでしたし、あれだけではいまいちよくわかりませんわ」
「グレンさんは元々は村を出て傭兵をやっていて、その筋ではかなり有名だったらしいけど、なんでも人を殺すことに疲れたとかで村に戻ってきたんだって。少なくとも今の村では一番強いのは確かだけど……」
「ああ、傭兵は命を取り合うのが仕事ですものね。お兄様もそれが嫌で用心棒に転向したと言っていましたし」
そんな会話をよそに、グレンは倉庫から二本の剣のようなものを持ってきて、アレスに差し出した。好きな方を使えということだろう、と判断したアレスは、少なくとも見た感じは全く差がないように見えたので、適当に左側の一本を選んで手に取った。
「……本当にそっちを選んでしまって良かったのか?」
「何か違いがあるのか?」
「そっちは俺が普段から練習用に荒っぽく使ってるやつだからな、微妙に曲がってたりするかもしれないぜ? まあこっちが荒っぽく使われてない保証はどこにも無いけどな」
言われて、改めてじっくりとこの剣のようなものを観察する。練習用とのことだが、アレスが見たことのないタイプである。刃は全くついておらず、また巧みに衝撃を逃がす構造になっており、意図的に衝撃を伝えるような叩き方をしない限り、当たっても痛いだけでそうそう怪我はしないだろう。
そして最大の特徴は、重心のバランスや持って振った感じなどが、限りなく本物の剣に近いという点だ。これが大量にあれば、王軍訓練所の訓練効率も事故率も飛躍的に改善されるのではないだろうか、とアレスは本気で考える。
「というか、そもそもこれは何なんだ?」
「見ての通り模擬戦向けの練習剣。ルティアちゃんから自警団に寄贈された試供品だよ。それよりルールの確認だ。捧武会本戦と同じ形式。審判はいないが、まあ勝ち負けくらいはお互いにわかるだろう。以上。質問は?」
「それで構わない。ああ、一つ質問があった。この剣の量産開始はいつ頃になる?」
急に質問を振られたルティアは、戸惑いながらもしっかりと答える。
「ええと、来年頃の発売を目指しています。一応危なくないように作ったつもりですが……それでも万が一ということは十分あり得ます。お二人とも、怪我をしないように気を付けて頑張って下さい」
捧武会形式とは、一言で言えば「相手の急所に剣を触れさせた側の勝ち」というルールである。文字通り触れるだけでも構わないし、「意図的に相手に傷を負わせたり、意図的でなくとも相手を死に至らしめたら反則負け」という決まりもあるのだが、互いに死力を尽くした戦いの中でどうしても強烈な一撃が入ってしまうことも多い。重症者や死亡者が出ることもある、実は結構危険なルールである。
本物の捧武会では常に医師団が待機しており有事に当たれる態勢を取っているのだが、ここでは当然そんなものは望めない。ただしこの練習剣は本物の捧武会で使うものに比べてはるかに安全性は高そうであり、そのため意図的にそうしない限り重傷を負うようなことはないだろうが――
「行くぞ」
グレンはそれだけ言うと、それまでの若干軽そうな表情を引き締め、瞬く間に戦士の顔つきとなった。アレスもそれに応え、静かに剣を構える。
先に仕掛けてきたのはグレンの方だった。明らかに様子見と思われる牽制攻撃を軽くいなし、アレスが反撃を試みるも正面から弾き返される。そんな攻防が何手か繰り返されるうち、アレスは大まかに相手の力量を読み取っていた。
グレンの方が体格に利がある分、力押し勝負になってしまえばどうしても不利になるが、純粋な技量という点ではややこちらに利がある。しかしその動きは明らかに修羅場を数多く潜った者特有のそれであり、間違っても油断していい相手ではない。彼がレイチェルを狙う刺客の類でなくて本当に良かった、というのがアレスの偽らざる本音である。
しかしあくまで純粋な勝負相手として考える限り、久々にかなり楽しめそうな相手である。アレスは無難な様子見の攻撃をやめ、いよいよ本気で一撃を入れるための動きに切り替えて行く。黙っていても隙を見せそうな相手ではないため、むしろ積極的に隙をこじ開けに行くスタイルだ。
そしてこじ開けた隙に一撃を叩き込もうと構えた瞬間、何かを察したらしいグレンは一気に後ろ飛びに距離を取り、互いに剣の届かない位置からの睨み合いに戻る。
「お兄様と互角に戦えるほどの人間が、このような村の自警団をやっているなんて……世も末を通り越してそろそろ意味がわかりませんわ」
「うちの自警団の中でも、八闘神はいろいろと規格外なんです。でもあのグレンさんをここまで追い詰めるなんて、先程の話はひょっとして――」
その続きをルティアが言う前に、グレンが構えを大きく変化させ、猛然と襲いかかってきた。
先程までのような、同格あるいはそれ以下の相手に確実な勝ちを収めるための、隙を生じさせないことに重点を置いた戦法は捨て去ったらしい。これは明らかに、格上相手に逆転劇を狙いに行くための戦法に切り替えてきている。
全ての技と力をぶつけ、そしてあわよくば運までも味方につけて何が何でも倒そうとしてくる気迫に対し、アレスも相応のもてなしを返すことにした。いつか聖剣士隊の隊長にリベンジするために磨いていたとっておきの一撃を、良い機会だとばかりにお見舞いする。
互いの重い一撃が空中で激突し、共にバランスを崩す。しかし、わずかに体格で勝るグレンの方が一瞬だけ早く体勢を立て直した。それに伴い、一度生じていたはずの隙もほとんど閉ざされてしまった――が、針の穴ほどに残されたわずかな隙をアレスは見逃さなかった。
バランスが崩れたままの不自然な姿勢から、その針の穴を通すような一撃をねじ込む。まさかこんな姿勢から攻撃が飛んでくるとは思わなかったらしく、グレンの迎撃は決定的に遅れていた。
アレスの持つ剣の先が、グレンの首にぴたりと触れた状態で止まる。そしてその一秒後、無理矢理な一撃を繰り出したせいで完全にバランスを崩していたアレスはその場に尻餅をつきながらひっくり返った。
しばし呆然と立ち尽くしていたグレンだったが、やがて駄々をこねる口調で喚き始めた。
「うわーあの状態から負けるとかないわー! 絶対行けてたでしょあれ普通に!? マジでやってらんねって! あんなところからあんなん来るとか思わないでしょ!?」
一方、尻餅をついたままのアレスも憮然とした表情で呟く。
「一応勝負には勝ったはずなんだが、この姿勢ではそういう気分にもなれないな……というか最後無理をしたせいで微妙に肩が……」
肩を抑えながら立ち上がり、いまだに呆然と立ち尽くしているグレンに歩み寄り、練習剣を返す。
「最近は負けたら後の無い戦いばかりだったからな、久々に純粋な勝負ができて楽しめた」
「なるほど……わかった、そういうことなんだな」
アレスから剣を受け取りつつ、グレンは肩を揺らして笑っている。
「おい、どうしたんだ――」
「あは、あはは、あははははは!」
「大丈夫か、頭でも打ったか?」
「おっと何も言わないでくれ。そうかそういうことだったのか。あんたはあれだ、当代剣聖の名を名乗る超絶自信過剰野郎に見せかけておいて実は本物でしたとかそういうオチだろう! そうだそうに違いない、なんで聖剣士なのに聖剣持ってないのかと聞かれればそれは何か知らないけど聖剣を失ったからルティアに作ってもらうためにやって来たとかそういう流れだろこれ。はい論破!」
「いや、見せかけも何も最初から普通に本名しか――」
「あーあー聞こえない! この俺がその辺のよくわからん奴に負けるとかあり得ないから! 今度はちゃんと聖剣士っぽい恰好して来いよ! じゃあな!」
それだけ言い残すと、グレンは二本の練習剣を抱えたまま、全速力でどこかに駆けて行ってしまった。
残されたアレスとレイチェル、そしてルティアと門番の男も、その後ろ姿を呆然と見送ることしかできなかった。