#11
そうして儀式を続けることおよそ二十分――
一方の燭台から灯りが消え、さして間を置くことなくもう一つの燭台も力尽きたかのように沈黙する。そしてルティアの動きも止まり、辺りは完全なる静寂に包まれた。
遠くの林で、まるで様子見のように鳥が鳴き始め、そして丘を吹き抜ける風も徐々にその勢いを戻していく。そんな中で、呆然とした様子のルティアの声が漏れ聞こえてくる。
「そんな……何も現れすらしないなんて……」
「ええと、儀式に失敗した、のか?」
アレスの問いに、ルティアはゆっくりと小さく頷く。
「普通であれば、早ければ一分、遅くても三分もすれば近くを通りがかった精霊がやって来て、そこでこの剣に住んでもらうための交渉を行うことになるんです。精霊が剣を気に入ってくれれば成功、気に入ってもらえなければ交渉失敗で、剣は壊れてしまうことが多いらしいです」
「らしい?」
「実はこの儀式、父が行っているのを一度見たことがあって、父が亡くなった後に私が一度だけやったことがあって――二回とも成功しているんです。なので実際に失敗したのを見たことがなくて、でもこんな風に失敗するとは全く予想していなくて……」
これまでの落ち着きぶりが嘘のように、ルティアの視線が辺りを右往左往している。
「とりあえず落ち着いて深呼吸しろ。……少し落ち着いたか? こういう、そもそも精霊が来ないケースというのは、どういう状況の時に起き得るのだ?」
「ええと、まずは儀式の手順そのものを間違えている場合。でもちょっとやそっとの間違いであれば、何も来ないということは理論上あまり無いはずです……むしろ、変なものを呼んでしまう危険性が高い、と私が読んだ書物には書いてありました」
具体的な質問を得て、ルティアの頭が少しずつ本来の動きを取り戻しつつあるようだ。
「もう一つ、辺りに何か非常に強力な力が働いている場合。例えば近くで聖剣や魔剣が開放状態や融合状態になっていたり、天使や悪魔が降臨していたり、あるいは巨大な天災の直前あるいは直後であったり、などという場合が考えられるそうです」
「その中であり得るとすれば、これから巨大な天災が起きようとしている、くらいか」
さすがにそれは考えるだけ無駄だろう。アレスの聖剣を折った魔剣士がここまで追ってきた、という説もあり得なくはないが、それなら今頃村中が大騒ぎになっているはずだ。
「それと最後に、これが普通に考えて一番あり得るんですが……用意した剣自体の出来があまりにも悪い場合、交渉以前に見向きもされない、というケースもあるらしいです。一応、簡易鍛造品や見習いの練習作レベルでもない限り起き得ない話らしいのですが……」
そう呟きながら、ルティアは周りに広げた道具類を、おぼつかない手つきで袋の中に戻していく。そして最後に剣を手に取って鞘に納め、半ば抱きかかえるように握りしめる。
「正直この子――今回の剣は会心の出来だと思っていたんです。でも、精霊はそう感じてくれなかったみたいですね……」
そう言いながら祭壇を後にするルティアの背をアレスも追って、工房へと戻る下り坂を歩いて行く。
「その剣は……どうするんだ?」
「欠陥品かもしれないものを、売り物にするわけにも行きません。私自身の護身用に使うにはちょっと長すぎますし、おそらく倉庫に仕舞い込むことになると思います。もちろん、その前にいろいろ解析して、失敗の原因を究明する必要がありますが……」
肩を落としてとぼとぼと歩くルティアの背を見て、アレスも心が締め付けられるような感覚にとらわれる。
「そうだ、その剣を――」
そうアレスが言いかけた瞬間、ふと何かを見つけたらしいルティアが足を止め、道端に視線を向ける。釣られてそちらを見ると、そこにはルティアの脚くらいの太さの丸太が転がっていた。
ルティアは道端に屈みこんでそれを引き起こし、平らな断面を下にして直立させた。
「工房に戻ってから検証しようと思いましたが、ちょうどいい実験台があったのでここでやってみます。ちょっと下がっていてください」
「まさか――」
アレスが何かを言うよりも早く、ルティアは再び鞘から剣を抜き放ち、そのままの勢いで斜めに振り下ろす。
その動きは剣士と呼ぶにはあまりにも素人くさいものではあったが、さすがに自分で作ったものだけあって扱いを熟知しているのであろう、道具としての「剣」の扱い方としてはそれこそ教科書的なお手本に近いものだった。
乾いた甲高い音を響かせ、丸太の上部が斜めに切り裂かれる。残った部分も地面に倒れ伏し、切り落とされた部分はころころと数回転してから少し離れた場所で動きを止めた。
ルティアは剣を鞘に収め、残った丸太の近くに歩み寄って断面を調べる。
「私の腕ではやっぱりダメですね、微妙に断面が引き攣れています。無駄に音も大きかったですし、そもそも丸太が倒れている時点で――」
「待て待て待て!」
思わずアレスは声を荒げて横やりを入れる。
「ど、どうしたんですか急に?」
「置いてる基準が何もかもおかしいだろうそれ。あれか? 君の中ではこの太さの丸太を滑らかに一刀両断できて当然なのか? そんなもの、一流の剣と剣士が揃って初めてできる芸当だろう」
「そうなんですか? でも父はよくこうやって試し切りをしていて、あのつるつるの断面の触り心地は私もよく覚えています」
微妙に納得していない表情のルティアに、アレスはついに切れた。
「そこまで言うならもういいからそれを貸してみろ」
アレスはルティアの傍に歩み寄ると倒れた丸太を再び引き起こし、そして半ば奪い取るように剣を受け取る。そしてそれをすらりと抜き放ち、刃の部分に顔を近づけて目を凝らしてよく観察するが、先程の一撃で刃が欠けたり曲がったりした形跡は一切見られない。うっすらと刃に浮かぶ模様は、複数の種類の鋼を組み合わせたことによって得られるものだろう。
「少し離れていろ」
そう言って、ルティアが離れたのを確認すると、流れるような動作で剣を一閃させた。わずかに空気を斬るような音が響いたが、それ以外に何も起こらない。
そして、そのままアレスが剣を鞘に収めるとほぼ同時に、丸太を斜めに貫くような線が生まれ、そこから丸太の上部が滑り落ちるように動き始める。それが地面に転がっている間も、残された下部の方は微動だにしない。
「す……凄いです!」
ルティアが歓声を上げながらやって来る。そして丸太の断面を愛おしそうに撫でながら告げる。
「そうです、この滑らかさです。さすがに父のはここまで完璧ではなかったと思いますが、いずれにしても頬ずりしても痛くないくらいの……あれ? こんなに断面積広かったでしたっけ?」
「……一つ頼みがあるのだが」
震える声でアレスが言うと、ルティアはきょとんとした表情で向き直ってくる。
「ええと、改まって何でしょう?」
「剣の発注云々については工房に戻ってから考えるとしてだ。その前にまず、この剣を売ってくれないだろうか?」
「それは構いませんが……ってええっ!?」
村の門あたりにまで聞こえそうなほどの大声で叫ばれて、目の前にいたアレスは思わず耳を抑える。
「いやそこまで驚かなくてもいいと思うが」
「だって、もしかしたらまだ重大な欠陥が隠れているかもしれないんですよ? そ、それにいくら売るアテがないからといって無闇に安売りとかするわけにも行かないんですよ? これはガンドリック工房創設以来の鉄の掟で、破ると父が化けて出て来るかもしれないんです!」
「懐具合から考えて、安く売ってくれるなら正直それに越したことはなかったが……では、いくらなら売ってくれると?」
「えっと、その、あの……い、一万ソル! そう、一万ソルです! それ以上は一ソルたりともまかりません!」
いっぱいいっぱいな様子でそう叫ぶルティアを、アレスは黙ってじっと見る。ルティアも負けじと見返してきたが、やがて力なく視線を肩を落とす。
「ごめんなさい、でも――やっぱり自分の心に嘘はつけないんです。この子はきっと欠陥品なんかじゃなくて立派な子なんです。仮に精霊が認めてくれなかったとしても……」
「妥当だな。それで買おう」
「えっ」
「普通の店ではこうは行かないだろうが、中抜き無しで直接工房から買う値段として考えれば、まあ君のお父上が化けて出てくるということもないだろう。こう言ってはなんだが、会ったことも無い精霊などよりも自分がその身で感じた現実の方が信用に足るからな。俺もそれなりに腕に覚えはあるが、さすがに半端な剣で今みたいな芸当ができるほどの超人ではない」
そう言いながら、いまだに呆然としているルティアに剣を手渡す。
「ああ、ただ代わりにと言ってはなんだが、三つほどオマケして欲しい点がある」
「な、何でしょうか?」
「一つ目は支払いの方法だ。さすがに現金の持ち合わせは無いから、手形で勘弁して欲しい。街の銀行にでも行けば換金できるだろうが、俺の口座のある王都の銀行とやり取りして支払いが行われるまで数日はかかるかもしれない」
「もちろん問題ありません。むしろ現金でもらってしまうと街の銀行に預けに行く道中が怖いです」
「二つ目は、昨日の宿代と飯代もその手形に上乗せさせて欲しい。そろそろ現金が心許なくてな」
「いえ、あれは元々お金取るつもりありませんでしたし、サービスということにさせて下さい」
「それは助かる。三つ目は――引渡し前に少々調整をして欲しいところがある。本来なら専門の砥ぎ屋にでも頼むべきなんだろうが、この辺にちゃんとした砥ぎ屋があるかどうかも知らないからな」
「もしかして、切れ味の調整ですか?」
「ああ、さすがにこれではいくらなんでも切れすぎて、逆に使いづらい」
一般に、民間人が護身用に使う剣であれば、できるだけよく切れるように砥ぐのが通例である。切れ味に反比例して強度が落ちるという欠点はあるが、その辺の追い剥ぎが金属鎧を着ていることはまず無いし、そういった輩を撃退するためには何は無くとも肌や肉を切り裂き、派手に血を流させてやることが一番手っ取り早い。
逆に、軍人や傭兵が戦場で使うような剣は、素手で握っても手が切れない程度に丸く砥ぐことが多い。鎧の上から敵兵の骨を叩き割るためには、とにかく強度が重要になってくるからである。それでも一流の使い手がうまく扱えば、恐るべき速さで刃を引くことによって一撃で首を刎ね飛ばすことも可能になる。
この剣の出来栄えを考えれば、このまま切れ味重視のままにしておいても強度的には問題ないかもしれないが、あまりに切れ味が良すぎると、今度は逆に「切ったはずの傷口が開かず血も流れない」などといった現象が起きたりしていろいろと面倒なのである。これは使い手の技量が高ければ高いほどむしろ起こりやすくなると言われている。
「ええと、それでは鈍角砥ぎくらいにしておきますか?」
鈍角砥ぎというのは、切れ味重視と耐久性重視の中間に位置する、主に用心棒などが好む砥ぎ具合を示す業界用語である。用心棒稼業の長かったアレスにとって、そのくらいの切れ味が一番慣れている。
「そのくらいで頼む。さて、そろそろ戻らないとレイチェルが心配だ――」
アレスがそう言いかけた時、ちょうど遠くで何やらざわついている気配が伝わってきた。眼下に広がる村の光景を見渡すと、何やら門の付近で何人かがドタバタと走り回っているようだ。
「まさか、追っ手がもうこんな所まで――!?」
「誰かに追われてるんですか? だとすると、一刻も早くレイチェルさんと合流した方が良さそうですね。急ぎましょう」
二人は頷き合うと、工房に向かって駆け出した。