#10
鞘に入った剣と、儀式用の道具が入っているらしい袋を抱えて出て行くルティアの後を追って、アレスとレイチェルも工房の外に向かう。
川沿いの道を歩いて中央通りに出て、村の奥へと向かう。道はゆるやかな上り坂になっていて、途中でふと振り返ると民家や畑のみならず、村を囲む塀や門なども広く見渡すことができる。
それはアレスの目から見てもなかなかの眺めだったが――少し遅れてついて来たレイチェルに目を向けると、何やら様子がおかしい。
「どうした? 顔色が良くないぞ」
「うーん……どうやら先程の熱気に当てられてしまったようですわ」
そんな様子に気づいたのか、先を歩いていたルティアが足を止めて戻ってきた。
「大丈夫ですか? ベッドに戻ってお休みになった方が――」
「残念ですが、そうさせてもらいますわ。冷たい水などがあれば尚良いのですけれど」
「台所の水差しに、今朝汲んだばかりの水が入っているはずですが……」
ルティアがアレスに視線を向けてきたので、アレスは頷く。だがその先を制するようにレイチェルがきっぱりと告げる。
「戻るのはわたくし一人で戻れますから、お兄様はしっかりとその剣の完成を見届けるべきですわ。決定的瞬間を見逃したりしたら承知致しませんことよ!」
そしてくるりと身体を反転させると、元来た道を早足で戻って行った。微妙に足に力が入り切っていないようだが、とりあえずあの調子なら帰り着く前に倒れるといったことは無いだろう。
多少後ろ髪を引かれる思いを残しつつも、ルティアの後について再び坂を上り始める。
「長旅の疲れがここに来て出たか……? さすがにここまで無理させ過ぎたか」
「あの熱気は、慣れるまではかなり身体に堪えますからね。アレスさんは大丈夫でしたか?」
「ああ、まあ君ほど近くに居たわけではないし、真夏の炎天下での訓練や任務に比べればあのくらいは」
「さすが本職の剣士の方は違いますね……私も慣れるまでは本当に大変でした。それで兄によく怒鳴られていましたし」
「やはり修業は厳しかったのか?」
「いえ、その……夢中になっているうちに気づいたらいつの間にかベッドで倒れていて、命を粗末にするなと怒られてました。何度も繰り返してようやく倒れる前に気付けるようになりました」
「……なるほど、君はそっちの人種か」
呆れたように呟きつつ、ふと前を見上げると、そこには村の中でもひときわ立派な建物があった。
独特の形状の剣のシンボルを掲げる、武天使教会である。
「やはり、この辺りでも信仰の中心は武天使なのか?」
創世神の身体の一部から生まれたと言われる最高位天使、通称『御柱』のうちの一柱である通称『武天使』は大陸全土で信仰されているが、特にこの王国では事実上の国教と言って良いほどに強い勢力を誇っている。武天使の教えは「忠義や礼節を重んじ、常に己を鍛え備えること」を説いており、それが国風や法制にも強く反映されているのだ。特に、軍人や用心棒などといった職業の世界では、少なくとも表向きは武天使の熱烈な信者であることにしておかなければ生きていけない域にまで達している。
他の『御柱』に属する天使もそれなりに信仰されており、王都のような大都市にはそれらの教会も存在するのだが、地方での扱いはその地域によってまちまちであり、場所によっては武天使と同等以上の信仰を受ける他の『御柱』が存在することもあれば、武天使以外の信仰は押しなべて白眼視されるような極端な地域も存在する。
「教会の中に、魂天使様や和天使様の像なども置かれてはいますが、どうしてもその、言葉は悪いですがオマケみたいな扱いになってしまっているところがあります。村のお祭りなんかも、基本的に武天使様を称えるものばかりですね」
その口ぶりから判断する限り、ルティア自身はそこまで武天使を深く信仰しているわけではないのだろうか、とアレスは考えたが、さすがに昨日初めて会ったばかりの相手にそこまで踏み込んで訊ねるのは躊躇われた。
そんな会話を交わしながら二人は教会の前を通り過ぎ、やがて周囲には草原ばかりが広がる小高い丘の上に辿り着く。
その中心には、小さな石造りの祭壇が鎮座しており、上部には紐を引くと鳴らせる鐘が備え付けてある。それなりに掃除が行き届いており、場所的に考えて教会が管理しているものと思われるが、しかしその割には武天使のシンボルなどが刻まれていないのは不思議なところである。
「この祭壇は、王国が生まれるより前からあったものらしいです。御柱の天使様たちの他にも、この村の守り神様のような存在がいくつもあって、この祭壇を通じてそれぞれに祈りが捧げられた、なんて伝説が今でも残っています」
アレスの顔に浮かんでいた疑問を読み取ったのだろうか、ルティアはそう説明してくれた。そしてそのまま祭壇に歩み寄り、持っていた剣を鞘から抜き放ってから台の上に置き、更には袋の中から出した小道具をいろいろ並べて行く。一組の燭台、六つの水晶塊、紋様の刺繍された布、更には小型の錫杖のようなものまで取り出し、祭壇が瞬く間に独特の雰囲気に彩られていく。
最後に油壺と火打石を取り出し、壺の中身を燭台に注ぐと、辺りに不思議な香りが漂い始める。
「これから儀式を始めます。もう少し下がって――そのあたりで大丈夫です。そこから見ていて下さい」
ルティアはそう告げると、火打石を激しく打ち鳴らし、香油を注いだ燭台に火を灯した。そして鐘を鳴らすための紐を引くと、村中に響き渡るほどの音量が一帯を支配する。
錫杖を掲げ、明らかに人間の言語とは思えないような言葉で何かを唱えながら、更に鐘を鳴らす。遠くの林から聞こえていた鳥の声のみならず、丘の上を吹き抜けていた風の音すらも鳴りを潜め、明らかに辺りの空気が変わったのをアレスも感じ取っていた。