#1
うっすらと木材と鉄の匂いのする部屋を、青年はぐるりと見回した。
部屋の中央近くには、抜身の剣がずらりと立てかけられた台が、いくつも並べて置かれている。よく見るとそれぞれ微妙に形の違うそれらの剣には、何か文字の書かれた木札のようなものがそれぞれ紐で結わえつけられている。
そんな感じで部屋の中央部に数十本程度――更に壁に埋め込まれたフックに横向きに架けられている分まで含めると百を超えるだろう。こんな王都からはるばる遠く離れた辺境の街の武器屋にしては、かなりの品揃えであることは疑いようもない。
だが――
「簡易鍛造しかないのか……」
そう呟いた青年の姿は、ある一点をけば見るからに放浪の剣士といういでたちであった。擦り傷だらけの革鎧、その下に着込んだ丈夫さだけが取り柄の濃緑色の厚手のシャツ。背中に背負った鞄は、戦士としてはむしろ小柄と言えるかもしれない青年の体格に比して、かなりの存在感を放っている。
歳の頃は二十歳前といったところだろうか、端正な顔立ちながらも目つきは鋭い。額から生える一房のみが白く、特に長くも短くもない黒髪の中で目立っているが、それ以外に特にこれといった特徴は見当たらない。
しかし、そんな彼には「剣士」と呼ばれるには決定的なものが欠けていた。剣を腰に吊るすためのベルトを着用している――にも関わらず、そこに吊るされるべき剣の姿が見当たらない。
誰がどう見ても、失った剣の代わりを求めてここに来ていることは明らかだ。そんな青年――アレスに、中年と呼べるかどうか微妙な年頃の店主の男が声をかけてくる。
「お客さん、この街でこれだけの品揃えのある店はここだけですぜ。高級品からお買い得品まで一通り揃ってるんで、じっくり見て行ってな!」
そんな店主の声をよそに、アレスの傍らに立っていた少女が小声で訊ねてくる。
「お兄様、簡易鍛造というのは何ですの?」
そう言いながら見つめてくる瞳は、アクアマリンを思い出させる、ぞっとするほどに透き通った青に輝いている。一点の染みも無い白くきめの細かい肌、下手な人形よりもよほど整った顔の造形。そして薄暗い室内ですら動くたびに煌めきを放つ銀髪は、背中のあたりまで優雅に流れている。
旅装にしてはフリルの多くついた、白と黒を基調としたワンピースは何の変哲もない木綿製であったが、安物らしさが微塵も感じられないのはこの少女の持つ雰囲気とあまりにもマッチしているせいだろうか。
そんな少女――レイチェルは同じ屋根の下で一緒に育った妹でもあるに関わらず、時々別の種類の生物であるかのようにアレスには見えてしまう。もっとも、既に彼女の内面を嫌というほど知っているアレスとしては、今更そんなものに惑わされるような余地などあるはずもないのだが。
「簡易鍛造というのは、剣の製法の一種だ。正規の手順で打って鍛えた鋼鉄製の剣は本格鍛造と呼ばれるが、そこから手間のかかる工程を極力抜いて、剣として最低限機能する程度に作る製法を簡易鍛造と呼ぶんだ。本格鍛造の数分の一の手間で作れるから、量産もしやすいし値段もそれなりに安い」
「つまり安物ですのね?」
その声はしっかりと店主の男にも聞こえていたらしく、若干顔をひきつらせつつ、それでも営業スマイルをギリギリのところで崩すことなく声をかけてくる。
「最近は技術の進歩もあって、ちゃんとした工房の品であれば簡易鍛造でもちゃんと使えますぜ。このフレデリック工房製のやつなんて、この街を拠点にする用心棒の方々にも使って頂いてるくらいでさ」
そう店主が指差した剣の根元には、確かにフレデリック工房のロゴが刻まれている。工房のロゴのみが刻まれているのは簡易鍛造品の証で、本格鍛造品ではそれに加えて職人の銘が、中でも最上級品ともなると剣自体の固有の銘が刻まれる、というのが近代では一般的な習わしとなっている。
「古道具屋に並んでいる鋳造品よりはマシだろうが……状況を考えるとさすがにこれでは不安だな。もう少し上の品は無いのか?」
つい先日まで使用していた品と同等、というのはいくらなんでも望めないにしろ、少なくとも用心棒時代に使っていた品程度のものは最低でも確保したい、というのがアレスの本音だった。しかし、ここまで辺境に来てしまうとそれすらも見つかるかどうか――という考えが顔に出ていたのかどうかはわからないが、店主の男が眼をぎらりと光らせて告げてくる。
「そこまで言われるなら、うちのとっておきを見てもらわにゃあなりませんな」
そう言われて案内されたのは、布カバーのかけられたケースの並ぶ壁際の一帯だった。店主がそのカバーを剥ぐと、中からはガラス張りのケースが現れた。
部屋中央付近に大量に立てかけてあったものと比べると、このガラスケース内の品物はいかにも大事にされているようで、ビロードのような光沢のある布の張られたクッションの上に一つ一つ並べられている。値札に書かれた金額も一桁ほど高い。
「今うちで扱える最高級品は、この一番右のやつですぜ。あのガンドリック工房に直接発注して仕入れてる逸品でさ」
見ると、そこにはアレスが使い慣れたサイズの片手直剣が横たわっていた。ガンドリック工房といえば、これまで王都付近からほとんど離れたことのなかったアレスでも一応名前を聞いたことのある、つまりは王国規模でそれなりに有名な工房ではあるのだが、確かにその工房のロゴが根元に刻まれている。更には職人の銘と思しきイニシャルが刻まれているが――
「八千ソル、か」
値札に書かれた額は、王都に住む標準的な市民階級の家族が四ヶ月は食べていける額である。アレスにしてみれば、さすがに現金払いは無理でも手形払いにすれば払えなくもない――が、それでもいつまで続くかわからない逃避行を続けることを考えると、ここで気軽に払ってしまえる金額ではない。
それでも、本格鍛造の一流品として考えるならば、決して高い額ではない。もっとも一言で本格鍛造品といってもピンからキリまであり、品質だけなら聖剣にも匹敵するような超一流品から、出来のいい簡易鍛造と対して差のないような三流品まで様々である。その性能差は顕著であり、例えば一流品と三流品で剣の打ち合いなどを行えば、まず三流品は刃がガタガタになり使い物にならなくなる上、下手をすれば一発でへし折られることも稀ではない。
「……ご主人、この剣、直接触らせてもらっても構わないか?」
アレスがそう訊ねると、店主は一瞬怪訝そうな顔をする。
「ちょ、直接ですかい? いやー、防犯のためにできればあまり開けたくはないんですがね」
「まあ無理にとは言わんが、さすがにガラス越しに見ただけで購入を決めるわけにもいかないからな」
アレスが無表情に告げると、店主は少し悩んだ後に頷いた。
「……少々お待ちを」
店主はポケットから鍵束を取り出し、その中の一つを使ってガラスカバーを開ける。
「安い代物じゃありませんからね。くれぐれも慎重に扱って下さいよ」
アレスは店主から剣を受け取り、その刃の部分を軽く爪で弾いてみる。そして表面に顔を近づけ、近い距離から金属の状態を確かめる。
「あのー……」
戸惑う店主の声も耳に入らず、アレスはしばらくの間そうやって確かめていたが、しばらくしてため息をつくと、その剣を店主に手渡した。
「……念のためもう一度確認するが、これはどういった品なのだ?」
「いやですなあお客さん、そんな怖い顔をなさらんで下さいよ。この件はガンドリック工房から直接入荷している、間違いのない品ですよ」
「なるほど、そういってあくまでウソはついていないと白を切り通すつもりか」
「お兄様、ひょっとしてこの剣ニセモノですの?」
レイチェルの問いに、鼻息荒く割り込んで来ようとする店主より先にアレスは答えた。
「偽物、という言い方は正しくないかもしれんな。少なくとも、このガンドリック工房のロゴは偽物には見えない。しかし、これはあくまで簡易鍛造品だ」
「簡易鍛造……ってことはあちらに並んでいる安物と同じ?」
「まあこちらの方が大分マシな出来ではあるがな。しかし普通、簡易鍛造品には職人の銘までは入れないのが習わしなんだ。しかもこの値段――アンティークでも何でもない簡易鍛造に八千というのは、場所によっては衛視にしょっ引かれてもおかしくないレベルだ」
「つまりあれですのね、はっきりとそうとは言わずにあたかも高級品であるかのように装い、仮に買った後に客が苦情を訴えたとしても、あくまで客側が勝手にそう思い込んだだけと言い張るつもりですのね。いやらしいですわ」
レイチェルが嫌悪感たっぷりに呟く横で、店主が今にも爆発しそうな形相で拳を握りしめている。そんな店主に、アレスはそれまでと変わらぬ調子で訊ねる。
「で、あんたはこれをいくらで売ってくれるつもりなんだ?」
その言葉に虚を突かれた店主は、思わず目を瞬かせる。
「そ、それはどういう……」
「本来ならもっとちゃんとした品が欲しかったのだが、どうやらこの店でこれが一番マシな品であることは間違いなさそうだからな。で、いくらだ?」
そこまで言ったところで、我に返った店主がアレスを睨み付けてくる。
「さっきからあんた、適当なイチャモンつけてくれてますがね、この剣は八千ソルの値打ちのある一流品だ。それが払えないっていうなら余所に行ってくんな」
「そうか。そういえばそろそろ昼飯の時間だな。どこか酒場は無いか? 傭兵や用心棒の多く集まるようなところがいいな。そこでこの剣について話して、地元の人間の意見を聞くというのもいいかもしれないな」
「ちょ、ちょっと待て」
アレスの言葉に、急に慌て始めた店主が遮るように言ってきた。
「ここだけの話――あくまでここだけの話ということで済ませると約束するなら、特別に二千ソルで売らないこともない」
「五百だ」
アレスはきっぱりと告げる。
「えっ?」
「少なくとも王都であれば、このクラスの剣の定価は五百が相場だ。馴染みの店であれば更に二割引き程度が普通だが、さすがにそこまでは望まない」
「ご、五百ってさすがにあなた」
「もしもこの剣の仕入れに四百以上かけているなら、仕入れ担当の目が節穴になってないか調べ直した方がいい。そうでないなら、よく考えてみるんだな。ここで黙って五百で売るのと、俺がこの街の用心棒連中からありがたい助言を受けてくるのを待つのと、どちらが店にとって得になるかってことを」
押し黙って考え込む店主に、アレスは駄目押しの一言を発した。
「ちなみに、五百で良ければ現金で払えるぞ」