帰る家
馬車から降ろしてもらい、ウヴァの店の前に立つ。不思議と、その姿をみて安心した。
玄関を開けると、みんなの顔がそこにあった。
「ベル! 無事なのね?」
ウヴァが私の両肩を抱く。その肩ごしにポンムや、シナモン、ミルクの心配そうな顔も見えた。
「良かった! おかえり!」
「ポンム」
「ちがくて、ただいま、でしょ?」
だって、おかえり、なんて言われたことなかった。
「ただいま」
そう言うと、思わず頬が緩んだ。
「みんな、ごめんなさい。私、正体がばれてしまったかもしれません」
「うん。かなり手強い男だったね」
ポンムは一部始終を聞いていたはずだから、だいたいのことは把握しているはずだ。
「サフラン、ね。」
「彼は最初から私を疑っている様子でした。それに、」
みんなが言葉の続きを待っている。
「私の本名を知っていた」
誰かがひゅっと息を吸った。
「ベルちゃんって、そんなに有名じゃなかったはずだよね」
「ええ。公の場に出ることは許されていませんでしたから」
「となると、伯爵の近親者? 近しい人物ってことじゃないかしら」
ウヴァ以外のみんなが首をひねる。確かに、親戚とかかもしれない。ブロンドだったし……。
「さぁさ、この仕事のまとめは私たちに任せて、ベルガモットはしっかり休みなさい」
私たちが考えているところを、ウヴァがばっさり言い切った。彼女はさっきから、みんなほど心配していない。
「え? まだ彼の件をどうするか」
「いーの! 部屋に行って、暖かくして、ゆっくり寝るのよ」
彼女がこんな重要なことを解決しないままにするだろうか。それとも何か隠している?
私は、言われるがままに屋根裏部屋へと押し込まれ、「寝ろ」という一言と共に戸は閉じられた。
ドレスを脱ぎ捨てて、髪もほどく。化粧を落としてベッドに横たわる。でも、納得はできなくて、ウヴァが何かを隠しているんじゃないかという考えを捨てきれなかった。
あの涼しげな瞳。ムカつく瞳。私の中の、熱いものがせり上がってくる。全身の血流が、そう、指の先まで感じられる。気に食わない。
でも、あの女に感じるのとはまた違う。全然違う。
潮の匂い。波の音。カモメの鳴き声。暖かな日差し。春の日。窓の外には彩り豊かな花。遠くにはきらめく海。
庭には母の姿。豊かな薄いブロンドの髪と、少し日に焼けた肌。垂れた瞳。柔らかな笑み。ああ、母の姿だ。どうしてだろう。忘れかけていた。
「シャーリー! こっちにいらっしゃい」
母が私を呼んでいる。
傍らには、あれは、父の姿か。でも、顔が見えない。どんな顔をしていたっけ。そう思えば思うほど、父の顔が黒く渦巻いて……。
「父上、父上!」
起きあがると、目の前に真っ白な頭があった。その下には見開かれた猫のような目。
「み、ミルク。それじゃ」
「夢見てたみたいだね。すごい汗」
彼女が私の額を拭ってくれる。
嫌な夢だ。それでも、母の姿を見ることができた。
「どうして、あなたが?」
「起きてこなかったから」
そうか。早起きするって誓ったのに。でも、ミルクがここに来てくれるなんて、想像してなかった。
「ばか。早く起きろ、飯が冷める」
「ば、ばかって! ちょっと待ってよ!」
急いで階下に降りると、みんなが待っていた。
「遅いよベル!」
「おはよう、早く朝食にしましょ」
ポンムもシナモンも、私に笑いかけてくれる。でも昨日の仕事の顛末はまだ聞けていない。
「ベルガモット、急いで朝食をとったら、いつもよりおめかししてちょうだい」
「へ?」
「この後、宮廷にあがりますから。陛下に会いに」
え? え、ちょっと急ですってマダム! それは昨日のうちに言ってほしかった! 確かに、初仕事の後陛下に会うって約束だったけれど!
私はおいしい朝食を、味わう余裕もなくお腹のなかに詰め込んだ。ああ、せっかくの朝ごはんが。もったいない。
馬車から降りると、そこにはこの世のものとは思えないほど美しい白亜の城があった。本で読んだような、お姫様が住んでいるようなお城だ。
「う、うわぁー」
私が関心していると、ミルクに肩でどつかれた。
「田舎もんみたいに、口あけんな。それでも元貴族?」
貴族。昨晩の舞踏会で娼婦扱いされたからか、ウヴァたちとの生活に慣れてしまったからか、自分が貴族出身だという意識が薄れている。
「貴族だったのは、とっくの昔。今は誇り高き一般庶民よ」
それに、本当に初めて見るものばかりなのだ。口が開いたって仕方ないだろう。
私の言葉に、ウヴァも、シナモンも、ポンムもミルクも顔を見合わせた。
「言うようになったじゃん」
「ようこそ、ベルガモット・アールグレイ」
「麗しき庶民の世界へ」
私は彼女たちの言葉に、正式な淑女の礼をとって答えた。
「お招き頂き光栄ですわ」
ウヴァはそんな私の所作を見て、とても愉快そうに笑った。みんなも楽しそうに笑う。そこにマナーとか、そんな小さなことを気にする必要はない。
「さぁ、みんな行きましょうか」
そして、庶民的とは程遠い、まったく正反対の場所にある宮廷へと一歩踏み出した。