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美少女窃盗団「ティータイム」の謎  作者: 倉山雪乃
第一章 ガラスの靴
8/13

鐘の音の前に

 気がつくと私は、サフランの胸を押し退けて、走り出していた。彼の肩ごしに、会場を去ろうとする子爵の姿が見えたから。それとも、彼の目から逃れたかったから?

<ベル! 急いで子爵を止めて!>

「分かってる!」

 子爵の背中が屋敷の奥へと消えていく。いくつもの部屋の前を通りながら、懐かしいような男女の喘ぎ声を聞きながら、私は子爵の背中を追った。

 サフラン・ピエ・ボヌール。彼は私の名前を知っていた。屋敷から一歩も外に出たことのない私の名前を。ティータイムのみんなも知らない本名を。どうして。

 子爵の背中が近くなる。

「子爵様! お待ちください!」

 それでも彼は足を止めない。だめ、私のせいで、みんなの計画が。

 私はその中年の背中に抱きついた。

「子爵様、意地悪しないで。あなたのために来たのに」

 ようやく子爵は止まった。

「私は、人の手垢の付いたものなどいらん」

「そんな連れないこと言わないでよ。あなたが全部洗い流してくれれば良い話じゃない?」

 自分の口はいったい何を言っているのか。思ってもいないことがつらつらと言葉になる。

「お前、十六そこらのガキかと思ったが、それは見た目だけか」

 そう言うと子爵は下卑た笑いを漏らした。

 彼の言葉の意味が分からない。しかし、私は多くの女性が父にしていたように、その肩にしなだれかかった。

「ねぇ、パーティーに戻りましょうよ」

「ならん。お前と一緒にいるところを見られるわけにはいかない」

 そりゃそうか。でも、父の影響か、公の場で毎回異なる女性を伴うことに抵抗がない私は、普通の世間体というものが分からなくなっていた。

 なんだ今夜は。父のことばかり思い出す。あのサフランって奴が私の名前を呼んだから? 

「えー、残念。じゃ、何して遊ぶ?」

 最上級の甘い声。もてはやされたこの美少女フェイスをフル活用する。子爵がうろたえるのが分かる。

「ふん。じらされるのは嫌いだ」

 子爵は、私がついてくることが分かっているから、振り返ることなく早足で進んだ。でも、この先には、子爵の自室がある。

<ベルガモット! あと三分、いえ、一分持ちこたえて!>

「了解!」

 でも、どうやって。手に汗がにじむ。その時だった。

「ここにいたのか、ベルガモット嬢!」

 突然の背後からの声に、子爵が振り返る。その顔はただの不機嫌というだけじゃ済まないくらいで、怪訝そうに歪んでいた。

「探したよ。突然いなくなってしまうんだから」

 無理矢理肩を引かれ、振り返るとそこには彼がいた。サフラン・ピエ・ボヌール。涼しげな顔して、なんてタイミングなの!

「これはこれは、初めまして、かな? このような場所まで、どんなご用件で」

 慇懃な態度だが、どこまでも不機嫌。脂ぎった顔が歪み、子爵を更に醜くしていた。こんな男に抱きついたのか、私は。なんであんなことができたのか、私は自分が信じられなかった。

「失礼、ブッフ子爵。しかし、私とベルガモット嬢は約束がありまして」

「約束? ほう?」

 子爵が私に視線を向ける。

「ええ。ファースト・ダンスをご一緒に、というね」

サフランは私の顔を除きこみ、王子様のような笑顔で話しかけた。

「君、ひどいじゃないか。まだ一曲踊りきらないうちに。すぐ戻るって言っていたろ?」

「そ、それは、その、」

 子爵がぐっと声を殺すのが分かる。子爵は私をじっと睨んで、私を指さして言った。

「黙って聞いていれば! この私を誰だと思っている! ばかにするのもいい加減にしろ!」

 サフランは、私と子爵の間に立った。

「子爵、それくらいにしておいた方が良いのでは?」

 彼はそう言って、後ろを指さす。すると、そこには扉から顔を出した何組もの男女の姿があった。子爵の怒鳴り声に、何事か、とお楽しみの最中に顔を出してきたのだろう。

「お前、どうなるか分かっているんだろうな。アンドール館にこのこと一つも漏らさず伝えるからな!」

 アンドール館。それは私が所属しているとされた高級娼館の名だ。ある程度の年齢の貴族ならば、一度は耳にしたことがあるはずの。

「何とでも言え。代わりに私が彼女と楽しむさ」

子爵の顔は汗にまみれ、最後にはうなりながら屋敷の奥へと下がってしまった。まだ舞踏会のゲスト達に挨拶しきれていないだろうに。しかし、それよりも、

「あんた、何てことしてくれたのよ!」

 私は彼に食ってかかった。しかし、目の前の男は、何か哀れなものを見るようにしている。

<ベル! 作戦成功よ! 速やかに撤退!>

「え?」

 そうか、子爵と公爵が言い合っていた時に時間が稼げていたのか。ん? 時間稼ぎ? もしかして、結果的にサフランに助けられたってこと?

 私が彼について考えを巡らせていると、そのサフランの顔が間近にあった。

「了解」

 耳元で、いや正確にはコール・ビーンズのそばで彼が囁いた。ポンムの反応はない。完全にばれてる!

 何故気づかれた?

「つーか、あんた、そんなにあの男とベッドインしたかったわけ?」

「は?」

 サフランは、子爵が消えた方を顎で示しながら言った。

「だってあんなに誘っちゃってさ。『イジワルしないでぇ! 何してア・ソ・ブ?』だったっけ?」

「やめて! そんな言い方してない!」

 彼はその涼しげな容姿に反して、私の台詞を余計な調子をつけて言った。

「いーや、俺はそっくりそのまま言ったけど。子爵を誘惑して、何が起きるか分かってないとか言わないよね?」

 分かるさ。そんなの。男と女の欲望なんて、実家では飽きるほどに……。ま、まぁ我が身のこととは思っていなかったけど……。

 すっ、とサフランの手が私の顎に触れる。顔の輪郭を辿るように、そして彼の親指が私の唇にかする。私の奥の奥まで見透かすように見つめられ、私もその宝石のようなブルーグリーンの瞳を見つめてしまう。そこに彼自身は見えない。映っているのは私だけ。これじゃ、サフランの言うとおりじゃないか。何も知らない、ただの女の子。

「ふん。処女か」

 なんだそれ! 今の、一瞬のドキドキは何だったんだ!

「しょ、! あったまきた! 何様のつもりよ! その股にぶら下げてるもん、二度と使えなくしてやろか!」

 私がシナモン仕込みの決め台詞を言うと、相手は腹を抱えて笑い出した。

「あんた、相当ばかなんだな! ぶ、ぶははは」

「あんた呼ばわりはやめて!」

 彼はおもしろくて仕方ないというように笑い続ける。

「だいたいね、私は自分の生きる道を模索中なの! 忙しいの! 全く、もう!」

「それで、娼婦ってわけ?」

 彼は笑いが収まったのか、でも顔は笑いながら言った。

「……私、もう行かなきゃ」

 全くおもしろくない。屋敷を後にし、早足で馬車に乗り込む。ドレスは乱れているし、なんだかムシャクシャして、きれいにセットした髪を手でかきむしった。

「出して」

「はい」

 ああ、腹が立つ! 何者なの。私のことを知っているようだった。だけど、彼のことは分からずじまい。もう二度と会いたくない男だ。

 それなのに。それなのに、王都のはずれのウヴァの店までの道中、彼のことが頭から離れてくれなかった。

改稿しました

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