初めての朝
改稿しました
朝、目覚めると、まず肩に触れる毛先に驚いた。背中まであった金の巻き毛は、今は肩口で揺れていた。
「起きてー、ベル!」
ドタドタと足音を響かせて、上がってきたのはポンムだ。床に開いた穴から顔を出している。
私には屋根裏部屋があてがわれた。暖かみのあるオレンジで統一された可愛らしい部屋だ。まるで私の好みを知っていたかのように選ばれた家具。ひと目で私は気に入った。
「あ、起きてたの。早く着替えて! 朝ご飯だよ」
私は彼女が降りていくのを見送って、クローゼットを開けた。またしても急ごしらえとは思えないほど洋服がそろっている。しかも、私の淡いブロンドに似合う色ばかり。その中から私は水色のワンピースを選び、生成のロングカーディガンを羽織った。コルセットがないというのは、こんなにも開放的なものだったのか。
食堂に降りると、すでに他の四人が朝食をとっていた。
「ごちそうさま」
ミルクが食器を片づけにいく。
「おはようございます。みなさん朝が早いんですね」
「あんたが遅いんだってば」
ミルクはすれ違いざまにそう言うと、食堂をあとにした。私、相当嫌われてるなぁ。
「まぁ、気にしないで。あの子って人見知りなの」
シナモンの声が聞こえる。でも、ただの人見知りって感じではないと思うけど。私が貴族なのと関係あるのだろうか。あるよな、絶対。
「それより、髪は乱れてるし、ワンピースも後ろのボタンがちゃんと閉まってないわよ」
「はい?」
見ると、本当にボタンがかかっていない。髪は、鏡を見ないと分からないが、ばつが悪くて手ぐしで整えた。
「ちょっと動かないで」
シナモンが私の背中側でワンピースのボタンを閉めてくれる。
「どうもありがとうございます、シナモン」
「ふふ。どういたしまして、お嬢様」
メガネの奥の瞳には、からかうような笑いが浮かんでいた。確かに私の家にいた時は、自分では何もしてこなかったから、自分じゃできないことの方が多い。恥ずかしくて、ついうつむいた。
「さ、ベル、座って」
笑顔でポンムが椅子を指さす。上座はウヴァ。彼女の右手にシナモン、左手にミルク(今はいないけれど)。ミルクの隣にポンム、そしてシナモンのとなりが私の席だった。
席につき、すでに用意されていた朝食をとる。私が遅れたせいか、スコーンはもう冷めていた。飲み物は紅茶。一口飲むと、ベルガモットの香りが鼻にぬけた。
「まあ、おいしいアールグレイ」
ウヴァに言うと、彼女はその妖艶な雰囲気を少し崩して、可愛らしい笑顔で答えた。
「あら、やっぱりお嬢様ね。他の子ったらみんな、味が分からないのよ」
シナモンとポンムが目を逸らす。
「紅茶店の店員として、あり得ないわよねぇ」
ウヴァがそうやっていたずらに言うと、二人は更に身を強ばらせた。
「え? 紅茶店?」
「そうよ。言ってなかったかしら。私は紅茶専門店の主人なの」
聞いてない。けれど、私にとっては嬉しい話だ。紅茶は好きだもの。
「シナモンは経理担当。ポンムは接客。ミルクは品出しってとこ。本当は品出しなんていらないんだけど、あの子接客は不向きだから」
ウヴァの言葉に納得する。
私は冷めたスコーンを手に取った。中にはブルーベリーが混ざっているらしい。そっとかじる。
「わ! おいしい! 冷めてもおいしいスコーンだなんて。中はしっとりしてるし、クリームチーズが入ってる。まぁ、スコーンでこんなに感動したの初めてだわ」
驚きのおいしさだったのだ。私が興奮してしまうくらい。周りの人がすこしぎょっとするくらい。
「ベル、あなたって人は。それはミルクが作ったの。うちじゃ一番料理上手なのよ。お茶の味には無頓着だけど」
私はミルクがいる居間の方を見た。
「焼きたてはもっと美味しい」
私の視線に気が付いたかのようにミルクの声がした。ふ、そろそろミルクの冷たさに慣れた。そしてその中に不器用な優しさまで感じる。うちの父より分かりやすいんじゃない?
「明日は絶対早起きするわ!」
聞こえているのかいないのか。私は再びスコーンを口に運んだ。
「さ、早く食べちゃいなさい。仕事を教えるわ」
その言葉に私は背筋を伸ばした。
「ここが洗濯室よ。ドレス以外の肌着なんかはここで洗うの。洗濯板に、こうやってこすりつけるわけ」
シナモンのやることを、見よう見まねでやってみる。まぁ、できないことはない。でも、水は冷たいし、手の感覚もなくなりそう。
私は今、十五歳だ。社交界デビューまで、あと少しというところだった。そのための毎日の授業に、ダンスや所作の特訓、アクセントが直るまで、何度も何度もやり直し、やっと拾得した宮廷言葉。それが何だったというのか。ダンスじゃ、洗濯も料理も終わらない。
使用人たちのあかぎれた手を思いだし、私は苦笑しつつ手を動かした。
「うん、良い線いってる。がんばってねお嬢様」
シナモンの言葉にうなずくと、彼女は笑って洗濯室を後にした。
たまった洗濯物を見て、気が遠くなりながらも、とにかく手を動かすことに専念した。
「シナモン! 終わりました!」
書斎で帳簿をつけていたシナモンに言う。
「意外と早かったわね。ちゃんと干してくれた?」
「はい、言われた通り、テラスに」
「ありがとう。後で確認しに行くわ。でも、その前にあなたをお店に案内しないとね」
そう言うと、シナモンは立ち上がって、私を促した。
書斎を出て、居間を抜けて、台所の向こうにある勝手口を開ける。
「さ、どうぞ。ここがウヴァの紅茶店よ」
シナモンの後に続いて勝手口を通ると、そこには壁面すべてを埋める紅茶缶の棚と、座って紅茶を楽しむことができるカウンターがあった。店の中には紅茶の香りと、甘い焼き菓子の香りが広がっている。
「あら、ベルガモット。仕事は終わったの?」
カウンターの向こうにはウヴァがいる。短い髪を大柄のスカーフで包み込み、パリッとしたシャツを着こなす姿は、今までに見た女性とは全く違うスタイルだった。やっぱ、この人かっこいい。
「そうなの、結構早いでしょ? 助かるわ」
そう言うシナモンの姿を改めて見る。彼女は、首の詰まったセーターに、ふくらはぎまであるスカートという出で立ちだ。その理知的な雰囲気にぴったり。
「シモンさん。この子、うちで新しく働くことになったベルガモットよ」
シモンと呼ばれた男性は、店内にいる唯一のお客様で、カウンターで紅茶を楽しんでいた。
「ほお、これはまた可愛らしい子だね。南の風みたいな。うん、ベルガモットという名前がぴったりだよ」
とっても紳士的。白髪交じりのグレーの髪に、深いブルーの瞳。おじいさんと呼んでいいくらいの歳だろうに、その背筋はピンとしている。
「南の風。そうね、ベルちゃんってそんな感じね」
ウヴァさんが納得するのを不思議な気分で見ていると、シモンさんが席を立った。
「今日もおいしかったよ。ごちそうさま。来週の配達もよろしく頼むよ」
あ、と思い、店の入り口にかけられていた帽子をステッキを手渡した。ステッキの柄には、ウサギをかたどった銀装飾がついており、その目には赤い宝石がはめ込まれていた。
「おお、気が利くね。ありがとう、ベルガモット」
扉の鐘がカランと鳴り、彼は店から出て行った。
「あら、ベルちゃんよく気が付いたわね」
「い、いえ」
褒められると、照れる。嬉しい。
「シモンさんはね、王都で一番の人気洋服店の経営者なの。一代であそこまで大きくされて。もとは貴族の次男坊だったみたいだけどね」
へぇ、すごい人だったんだ。じゃなきゃあんな良いステッキ持たないわよね。
「さあ、ベルちゃんにはもうちょっと頑張ってもらおうかな」
「ベルガモット、店の窓ふきをお願いするわ」
また、シナモンが手本を見せてくれる。ガラスの曇りが取れて、まるでそこに何もないかのように美しくなるのは、とても快感だった。とはいえ腕の筋肉が痛い。でも、居候の身。お役に立たなくちゃ!