謁見
宮廷に飾られた調度品は、彫刻、絵画、さらに床の大理石模様や、シャンデリアに至るまで、一級品ばかり。美術関連の専門書や、自国他国問わず有名な芸術家の作品集を読み漁っていたためか、それらの価値が分かりすぎてしまう。分かれば分かるほど、この宮廷どうなってんだ?ってくらい高級品で埋めつくされているのが分かる。でも、なんでだろう。ウヴァの家で感じたセンスの良さみたいなものは感じられなかった。
「おーいシナモン!」
国王の書斎に続く回廊を進んでいると、シナモンを呼び止める声がした。見れば、シナモンと同じような薄茶の髪に、髭をはやした精悍な男性が、こちらに手を振っていた。
「クローブ!」
シナモンが驚きと共に喜びの声をあげて、彼に駆け寄った。
「王都に帰ってきているなんて!」
「陛下の外遊が終わったんだ。陛下と一緒に帰ってくるのが普通だろ?」
クローブと呼ばれた男は、なんだかシナモンと親しげだ。
「ああ、ベル、紹介するわ。私の兄のクローブよ」
お、お兄さん!
「お兄さまでいらっしゃいましたか。お初にお目にかかかります、私は……」
「そんな堅苦しい挨拶すんなよー。俺はクローブ、よろしくな!」
差し出された手を握り返す。その手は固くて、大きかった。
「全く、さっきの誇り高い一般庶民っていうのはどこに行ったのかしらね」
ウヴァのクスクス笑いに、思わず口元を押さえる。令嬢らしさっていうのも捨てきれないらしい。
クローブが私の顔をまじまじと見つめる。その男性からの不躾な視線に、思わずうつむいてしまう。
「そっか、君が新入りさんだね。すごい美人だなぁー!」
「クローブ! ベルガモットが怖がってる!」
シナモンがクローブの背中を叩く。
「おっと、こりゃ失礼。ああ、マダム・ウヴァ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いいのよ。それより、任務は滞りなかったようね」
「ええ。途中何度か襲撃に遭いましたが、陛下は無事です」
彼らの言葉に、なにか思い当たることがある。
「もしかして、シナモンのお兄さんというのは?」
「ええ。話していたもう一つの隠密グループのリーダーよ」
リーダーとは言え、彼は今一人だ。私は他の人が近くにいるんじゃないかと辺りを見回すが、誰もいない。
「ベルは本当にバカなのね。隠密がそう姿を見せるわけがないでしょ」
ミルクの言葉に納得するが、じゃあ、クローブさんは?
「俺は陛下の側仕えとして、最前線でお守りしているんだ」
「な、なるほど」
「さ、陛下がお待ちかねだ。奥へ」
クローブは私たちを陛下のもとへ案内するためにここに来たのか。
彼の後ろをついていく時、ウヴァが私の肩に触れ、何故か微笑んでから先を歩いた。
数分歩いて、私たちは、国王がいるなんて信じられないほど小さな扉の前で止まった。
クローブが、二回、三回とノックする。
「お連れしました」
宮廷の奥の奥、豪華な装飾品もない。やっと豪華絢爛な世界から解放されてほっとしていたが、これから最も緊張する瞬間がやってくるのか。
「入れ」
部屋の中から、低く落ち着いた声がする。クローブがこちらを振り返り、ウヴァがうなずく。
「失礼いたします」
クローブがゆっくりと扉を開ける。いや、開けようとしたのだが、扉の向こうに何かが引っかかっているようだ。
「ああ、すまない。ちょっと散らかっていて」
また、低い声。そして、少し開いた扉からさらりとした金の髪がこぼれる。
「陛下、私がやりますから!」
クローブが持ち上げたのは、積み重なった本だった。
「悪いな、クローブ」
そして扉が完全に開かれる。うず高く積まれた本や書類の山の真ん中に、ストレートのブロンドが美しい、少し日焼けした肌の、スラリとした男性がいた。彼は両腕を開き、私たちに太陽のように笑って見せる。でも、そんなことよりも、私は彼の顔に釘付けになった。だって、そんなことってあるだろうか。
「サフラン?」
そう呼びかけると、彼は少し目を見開いた。
「君、サフランに会ったことがあるの? 珍しいね」
珍しい? ん、というか別人? じゃあ、この人が本当に国王陛下なの? こんなに若いのに!
「奴を知ってるんじゃ、そりゃびっくりしただろう。さ、みんな入って」
みんなの後に続いて私も書斎に入る。みんな思い思いに本の上や棚などに腰かけているが、私はどうにも落ち着かなかった。サフランにそっくりな国王陛下が、こんなに近くに。
「ウヴァ、先に昨晩の報告を」
「ええ。子爵家での任務は結果として無事に遂げられました。文書も帳簿もここに」
ウヴァが、文書を帳簿が入った封筒を手渡す。
「結果として?」
「どこかの貴族のバカ息子が、うちのベルガモットに手を出しまして。そのせいで計画に多少のずれが生じました。まぁ、どこの誰とは申しませんけれど」
ウヴァの言葉には何だかとげがある。
「そうか、その男には反省してもらわないとな」
「ええ」
国王陛下も訳知り顔でうなずいているが、他の者たちは何のことだか分らなかった。
陛下は、封筒の中身を確認し、満足そうに頷くと、それを書類の山に放り投げた。
「え!」
「木はね、森に隠すものなんだよ」
なんか違う気がするけど……。
「さて、それでこのサフランのお友達って子が新入りちゃんだね」
新入りちゃん、って。さっきからこの国王陛下はラフすぎないか。
「ベルガモット・アールグレイと申します」
「うん、例によって安直な偽名だよね。似合ってるから良いけどさ。それで、一仕事終えてどう? やってけそう?」
「……やっていけそうかどうかは問題じゃなくて、私はとにかくやるだけです」
うんうん、とうなずき、彼はにこにこしている。
「確かに面白い子だよね。元は貴族だったんだって? なのにどうしてそんなに、根性座ったのかね。死ぬかもしれない仕事なのにさ」
死ぬかもしれない。そうだよね。でも、ベニーが助けてくれなかったら、私はこうして生きていなかった。ウヴァが助けてくれなかったら、私は生きていたかどうか分からない。どうせ普通に生きていこうと思っても、死ぬかもしれない状況はいつだって近くにあるものだ。
「陛下は、この国をどうされたいのですか?」
私の質問に、彼は一瞬真顔になった。
「その質問に答えるには、この男が必要だね。出てこいよ」
陛下の言葉に答えるように、本棚の裏から男が現れた。なんで本棚の裏から。いや、こんな混沌とした空間だもの、なんだってありだ。
「皆さん、ごきげんよう」
「あ、あなたは!」
そう、今度こそ本当に昨晩の男が立っていた。
「私の名は、サフラン・ピエ・ボヌール」