〜 辞める? 〜
大男の理不尽なコンバート指令を受け
とりあえずショートの控え的な扱いでシートノックをこなした、その日の練習後。
私は、悪夢のような出来事を早く忘れてしまおうと
さっさとユニホームを脱いで制服に着替えておりました。
公立高校の弱小野球部に与えられた部室は狭く、全員は入れないため、
毎年3年生の部員だけが使用しておりまして、
他の部員は、
一般の生徒が体育の授業の時に使う更衣室で着替えをするのが
慣例でございます。
2年生、1年生の部員の誰もが私に気を使っているかのように
黙り込んだままの着替え。
すると、ユニホーム姿のままの沼田さんが更衣室の扉を開けました。
「・・・畑中、ちょっと部室に来てもらっていいか。」
「・・・。」
部室に呼ばれて何の話をされるのかは大体の検討がつきます。
でも私は、今日のことは出来るだけ早く忘れたかったわけで・・・。
しかしキャプテンの呼び出しに応じないわけにはいきません。
「・・・はい。」
私は他の部員の重い視線を感じながらキャプテンと部室に向かいました。
部室に入ると、3年生の先輩方はまだ全員ユニホーム姿。
恐らく、今日の出来事について皆さんで話をされていたのでしょう。
しばらくの沈黙の後、口を開いたのは大田さんでございます。
「畑中、ごめんな・・・。」
「・・・え?」
大田さんから謝罪を受ける筋合いなどない私は少々とまどいました。
大田さんは今にも泣き出しそうな顔。
「俺な、自分でもお前より下手なのは分かってるんだ。
だから、チームのためにもお前がレギュラーでサード守るのが当然だと思ってる。
それなのに・・・。」
この人は、いい人すぎる・・・。
「・・・大田さんのせいじゃないじゃないですか。」
私は他に言葉が見つかりませんでした。
またしばらくの沈黙の後、沼田さんが口を開きます。
「畑中、俺たち3年生は全員このままじゃいけないと思ってる。
元々ショート希望だったお前に無理言ってサードに移ってもらったのに・・・。」
いや、確かにショートからサードに移れと言われたときは
多少拒否反応もございましたが、
どちらかというとレギュラーになれるならいいか、くらいに思ってたんですけど・・・。
「俺がタイミングを見て監督と話し合ってみるから、
申し訳ないけど、しばらくは辛抱してくれ。絶対辞めるなよ。」
・・・はい?
・・・辞める?
他の先輩方も次々と続きます。
「辞めたらそれで負けだからな!」
「ここまで一緒に頑張ったんだ、絶対辞めるなよ!」
「お前が辞めることはないって!!」
「絶対チャンスはあるから、辞めるな!!」
・・・いや、ちょっと待ってください。
私今の時点で“辞める”なんてこと、これっぽっちも考えてませんが・・・。
それに、なんか先輩たち熱すぎる・・・。
「・・・分かりました、ありがとうございます。お疲れ様でした。」
私は、部室の熱い空気に耐えられず逃げるように部室を後にしました。
今考えると、自分の性格からして
この時に“辞める”ということを全く考えていなかったというのは不思議でもあります。
もしかしたら、すぐにレギュラーに戻れるかもと思っていたのかもしれないし、
そこまで深く先のことを考えていなかったのかも・・・。
で、先輩たちに“辞めるな!”と言われた後の家までの帰り道、
考えていたのは大田さんのことでした。
大田さんは月並みな言い方ですが、ものすごく努力家で。
1年生の時からサード希望で練習を積まれていたわけで。
それが、上級生が抜けてレギュラーになれるチャンスが来たと思ったら、
後輩の、しかも元々ショート希望だった私にレギュラーを譲る形になり。
その際には当時の監督の澤地先生とキャプテンの沼田さんと話し合われて
大田さんも納得されたということなのですが、
実際の所の心境はどうだったのでございましょう。
形としては、監督とキャプテンにレギュラー失格の宣告を受けたわけで。
恐らく落ち込みもしたでしょうし、
私に対しても複雑な感情を抱いても当然でございます。
しかし、それからも大田さんは私に優しく接してくださいましたし、
後輩の控えに甘んじても、これまで一生懸命練習に励んでこられたわけで。
それを考えると、私がサードのレギュラーを大田さんに譲ることになったとしても、
そのタイミングで退部するなどという、非礼な事が出来るはずないわけで・・・。
とにもかくにも、私の中にこの時点で“辞める”という選択肢はなかったのでございます。
しかし、状況的には何とかしなければ
私の高校野球生活に暗雲がたちこめるのは目に見えており・・・。
でも、しばらくは何の打開策も見つけられないまま
つらい日々を過ごすことになるのでございます。
(つづく)