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第二幕  あらかじめ失うことが決められた初恋(三)

 深夜になっても晴人は眠れずに布団の中で煩悶としていた。いつもは仮眠にあてているこの時間に一睡もできない。

 外は静かで、ときおり風の音が聞こえるくらいだった。晴人の頭の中では昼間の兄との口論がいつまでも離れずにいた。いつまでも根にもって考え込んでしまうのは自分の悪い癖だと晴人もわかっていたが、それでも簡単に切り替えることはできない。晴人は寝るのを諦めて起きている人間の気配が完全にしなくなったところで、そっと布団を抜け出した。


 ジャージに着替えて勝手口に向かうところで壁に張り付いていた家守ヤモリが動いたのが視界の隅に入った。たちまち家守は口から黒い煙を吐き出す。晴人は招かざる客がやってきたことを理解した。


 晴人は外に出て空を見上げた。青白い炎が揺らめいている。この屋敷には結界が張られ、敷地内の霊力が高められているので、普通は決して見えないものも簡単に見えてしまう。


「省吾や……省吾……」


 その炎はよく見ると全身をひどく壊された女の姿をしていた。体のほとんどを真っ黒に焼かれていて、片側はほとんど形をとどめていない。


「そこで何をしている?」


 晴人は声をかけた。女が晴人に気付いてゆっくりと降りてくる。


「息子を……一緒にいた息子を探しているのです」女は言った。


「どこではぐれた?」


 晴人は聞いた。この家の高い霊力のせいで霊に出会うのはそれほど珍しいことではない。その対処もだいたいわかっている。


「飛行機が落ちたのです。家族旅行の帰りでした。どんと大きな音がして飛行機が燃えました。火は一瞬であたりを覆い尽くし、混乱の中で私は懸命に息子を抱きかかえていたはずなのに、気がついたらいないのです。どうか、どうか私の息子を……」


 女は膿のような涙を流しながら晴人に訴えた。晴人はその事故のことを憶えていた。一年ほど前に神宮都市の上空で起こった航空事故だ。あやかしの仕業である。晴人もあやかしが残っている可能性があると、政府の指示で墜落した飛行機の破片を探してあちこちを駆けずりまわった記憶がある。たしか、生存者は誰もいなかったはずだ。


「そうか。けど息子さんはここにはいないよ。調伏してあげるから成仏しなよ。きっとそこで息子さんに会えるから」


「本当ですか、嗚呼……省吾に会える……」


 晴人は手早く印を結んだ。浮遊霊くらいなら祓ってやるだけ十分だった。ちょっと背中を押してあげるだけで良いのだ。彼らはここにいることを望んではいない。



「はらえ たまえ」



 晴人は言霊を唱えた。途端に女は吸い込まれるように上空に消えた。

 女の、泣いた涙の跡だけが地面に残った。


   ***


 そのまま晴人は神宮林の中を歩いた。正式には神宮備林と呼び、寺社の建築用材が栽培されている国有林であって一般人は立ち入りできない。何かを隠すには都合の良い場所だった。晴人は通い慣れた獣道を突き進んで、やがて結界にたどり着いた。知っていても見失ってしまうほど、道は丁寧に偽装されている。晴人は呼吸を整えて中に入った。


 大きな切り株が待ち合わせ場所だった。そこにはすでに三郎が腰掛けて道具の手入れをして待っている。


「よう、遅かったな」


 晴人に気がついて三郎は音楽のイヤホンを外した。小さなスピーカーからは激しいパンクロックの音がわずかに漏れている。三郎は金髪に染め、天に突き刺すように立ち上げた長髪に櫛を入れた。体のあちこちにはピアスが付けられ、袈裟を着ているが悪い冗談みたいだ。どこから見たって質の悪いコスプレで、とても現役の修験者には見えない。


「三郎だけか?」


「ジョニーと呼べや、くそちび」


 三郎は中指を立てる。セックス・なんたら~というバンドのボーカルに憧れていて、同じ名前で呼ばれたいらしい。


「円騨さまは?」三郎の挑発を無視して晴人は訊いた。


「いま見回り中や。しばらく待っときぃ。それよりも、まる助の団子は持ってきたんやろうな? 師匠もわいも待ちかねとるぜ」


 三郎は立ち上がって晴人に近づいた。百八十センチを越える身長と、空に伸ばした金髪で晴人とはかなりの身長差があった。


「ねえよ。そもそも円騨さまは甘いもの食べないだろ」


「くおぉー、おまえも師匠もなんで理解せんのや! 厳しい修行で糖分がどれだけ癒やしに繋がることかを!」


「知らねぇよ」


「まる助の団子の口に入れたときにほのかに香る黒糖の奥ゆかしさ。噛みしめたときの団子のほどよい弾力。焦げの苦みとあんの甘みが絶妙なハーモニーを奏でる……あああぁぁぁ喰いたくなってきたーっ」


 連獅子のように髪を振り乱して暴れる三郎を無視して晴人は黙想の準備に入る。しかし目をつぶっても考えるのは葉月のことばかりであり、集中することは難しかった。近くにいる三郎はいくらでも無視できるのに、遠くの葉月は必要以上に気に掛かる。晴人は首を振って邪念を追い払った。とにかく強くなるしかなかった。そのためにここに来ている。


「本日の修行をはじめる」


 円騨の低く響く声が聞こえて晴人は目を開けた。いつのまにか錫杖を手にした円騨が立っていた。頭には六角形の頭巾をかぶり、白眼からは表情を読み取ることはできない。噂によると度重なる護摩行で目が焼かれてしまったらしいが、本当のことは誰も知らなかった。


「お願いします」


 晴人は膝をついて深々と礼をした。命を助けてもらって以来、晴人は円騨に押しかけ弟子としてつきまとっていた。宗派の掟は厳しく、不寺である晴人に弟子入りは許してくれない。だが修行だけはさせてくれるので、晴人は日々修験道について教えを受けていた。


 円騨の弟子は隣で同じように深く頭を下げている三郎だけだ。両親に捨てられて神宮林を彷徨っていたところを拾われたのだという。パンクロックと和菓子をこよなく愛す三郎は威彦と同じ十九才になる。こんな俗っぽい修験者は他にいないと思うが、三郎にとって円騨は師でもあり、親でもあるのだろう。三郎が修行で愚痴や弱音を吐いているところを晴人は一度も目にしたことがない。


 晴人は三郎と共に日々修行に精を出した。不寺の神法に頼らずに瑞垣の務めを果たそうとするならば、どこか他に道を開拓するしかなかった。修験道は不寺に連なる神道と違って霊力だけでなく己の精神と肉体を徹底的に鍛え上げる。同じ森羅万象を目指す道でも、自然と一体化することが目的の修験道は、自然を操ろうとする神道とは大きく違った。どちらも突き詰めてしまえば常人のあずかり知らない境地へと進んでしまうのに違いはないが、不寺の神法はあまりにも人としての業を逸脱していると晴人は思っている。


「……人を殺して生き延びるなんて……まっぴらだ」


 この忌むべき血を感じることのない世界に、晴人は行ってみたいと思っていた。


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