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第六幕 遷御(二)

 じっと息を潜めていた。一秒が一分にも、一時間にも感じられる。


 遷御の儀が始まる一時間前、晴人は神宮近くにある公園で神事が無事に終わるのを待っていた。神宮にも行ってみたが、鳥居の前で衛士から不寺が今回の遷御の儀に関して立ち入りを禁止されていることを知らされた。しかし何かが起こるような気の焦りを感じて、ずっと周辺をうろうろしていたのだった。


 街は遷宮の儀に参加できずとも少しでも神の恩恵を賜りたいと、いつもよりずっと行きかう人の数が多かった。晴人は一目につかないように少ない所持金から安物のコートを購入して背に十束剣を忍ばせた。


 心なしか近くにいた人たちが鼻をひくひくとさせるが気になる。神宮林に籠もっているあいだも服は洗濯していたが、替えがないので着たきりだった。どれだけ川で体を洗おうとも、野生の匂いがどこかに染みついているのかもしれない。晴人は自分で自分の匂いを嗅いで、大きなため息をついた。


 一人しかいない環境で孤高なら問題ないが、大勢がいる環境で孤独なのは気が滅入る。晴人はすぐにでも神宮林に戻りたい気持ちと、最後まで遷御を見届けたい使命感に挟まれて揺れ動いていた。


 暗がりなのでしばらく気がつかなかったが、夜目が利かないので日没後は活動していないはずの蝶が、一匹ふらふらと晴人の近くにやってきていた。晴人はもしやと思い、街灯の下に移動する。案の定それは明かりに照らされて琥珀色の羽を輝かせていた。


「……どうしてここに?」


 晴人が葉月とあやかしが発生した際のやりとりに使っていた式神だ。蝶蝶はしばらく晴人の周りを飛び回った後、晴人の腕に止まって羽を下ろした。葉月との思い出の品々はすべて不寺に屋敷に置いてきていた。この蝶も部屋に置き去りだったはずである。屋敷で何かが起きていると告げているのかもしれない。

 晴人は考えるより早く、屋敷に向けてひた走った。


***


 晴人が不寺の屋敷に着くと、そこには混沌とした世界が広がっていた。次から次へと現れる異形の者たちが騒ぎ立てながら不寺の家を横断している。晴人は驚きつつも自分に不可視の神法を念入りに唱えてから、注意深く不寺の門をくぐった。


 ――まつりじゃぁ。


 ――まつりじゃぁ。


 屋敷の中はさらに無茶苦茶な状態だった。あちこちで騒ぎ声が聞こえる。すぐ近くでは鳥のくちばしを持った襤褸ぼろの男が柱をつつき、猛り狂った薬缶やかんが茶色の湯気をぷんぷんと撒き散らかしていた。


 晴人は威彦たちを探した。奥の間に続く廊下で悲鳴を聞く。急いで奥の間に突き進むと威彦があやかしを前に何か喚いていた。艶姫がそれを懸命にあやしている。


「さー ひー けい むー ろを」


 晴人は素早く印を結び言霊を唱えると、二人の姿をあやかしたちの目から消し去った。突然獲物を見失ったあやかしはしばらく不思議な顔をしていたが、やがてその場を後にする。火のついた車輪が廊下を駆け巡り、その火が古い屋敷に燃え移っていた。晴人は艶姫が威彦を外へ連れ出すのを見届けて、自分の部屋に向かった。


 部屋は散々に荒らされて足の踏み場もない状態だった。かまいたちでも押し入ったのか、あちこち色んなものが切り裂かれて散乱している。葉月との思い出の品物も例外でない。晴人は残骸をかき分けて無傷なものがないか探した。葉月との思い出ひとつひとつに晴人の心はつまずいた。遠く手の届かなくなった彼女にすがっているようで、むしょうに侘しい。それでも晴人は捜索の手を止められなかった。それによって自分が前に進めなくなる日が来るとしても、いま手放すには心の整理がついていない。


 目に、記憶に、心に、焼き付いている彼女の姿を忘れることが怖かった。


 確かな形が欲しかった。部屋の隅から隅をひっくり返して、ようやく机と本棚の隙間に一枚の写真を見つけた。御白石持行事で二人で撮った立体写真ホログラフィだ。電源スイッチを入れると二人の姿が浮かび上がった。葉月は満面の笑みを浮かべ、隣で晴人はしかめ面をしている。葉月を見る度に毎回自分のしけた面も見なきゃいけないと思うと死にたくなった。これが最後に撮った写真になるのなら、きちんと笑っておけばと晴人は後悔した。晴人は立体写真の葉月の残像を撫で、自身も無理に笑みを作る。こらえきれず涙がつるりと頬を滑った。


「お前にもこんなしかめ面ばかり見せてたたわけじゃないよな……? ちゃんと笑ってやってたよな? 次に会うときにはもっと笑顔で、もっと優しくしてやるからな……」


 晴人の背後で天井が大きな音を立てて崩れ落ちた。背中の十束剣が震える。


 ――悲しみの中で悪いがそろそろ出ないと危ない。


「……喋った」


 久しぶりの十束剣から発する声に晴人は目を丸くした。


「なぜいままで黙ってた?」


 ――元々無口なのだ。それにおぬしの泣き言に付き合っていられるほど、我は愛想も持っておらん。


 落ちついた老年の声に晴人は違和感を禁じ得ない。晴人のなかではカグツチは黄泉で見せた子供の姿だった。涙をふきつつ写真をポケットに仕舞う。


「なんだよ格好つけやがって。黄泉でははなたれ小僧だったくせに」


 晴人は文句を言いつつ屋敷を離れた。燃えさかる炎も神速を用いれば避けて通るのはそれほど難しいことではなかった。屋敷の外で晴人は十束剣の柄をにぎりしめる。


「さて、なんでまた愛想がないカグツチさんがまたその口を開いたんだ?」


 ――あやかしたちの行く先をよく見るがいい。


 晴人が百鬼夜行の進む方角を見た。

 その先には神宮がある。


 ――急げ。


 カグツチに言われるまでもなく、晴人は神速で街を駆け抜けた。


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