第六幕 思いの丈(四)
午後になってかすれた風が吹き始めた頃、威彦は庭先に立って考えを巡らせていた。腹の中をうごめく悶々とした苛立ちが、形を表したくてうずうずしている。
晴人が許せなかった。
神器の十束剣さえも、晴人は盗人同然に持ち去った。
(自分にはまったく落ち度はないのに、晴人のせいで貶められているのだ)
威彦は地面に唾を吐いた。庭に植えた松の葉に手を伸ばして、疼痛に顔をしかめる。手の甲の盛り上がった火傷跡にそっと触れると、途端にしびれるような痛みが広がった。
(この傷もそうだ……)
遷御を前に神器を喪失し、母の期待に応えられなかった。母は健気に看病にあたってくれるが、内心は失望しているに違いない。
(このままでは済まさない)
母の長いまつげが悲しみに濡れるのはやるせなかった。桜の花びらのような唇からため息が漏れるのも耐えられない。母にはいつだって可憐に微笑んでいるべきなのだ。そのためには自分は誰よりも優秀で、誰よりも強くならなければならなかった。
(……母を守ると心の内に誓ったのだ)
威彦のなかで狂おしいほどの想いが交錯する。痛む腕で無理に拳を握りしめる。
「威彦、そんなところにいたのですか」
艶姫が縁側からそのしなやかな声を響かせた。
「母上……」
自分の肉親。
自分にとって唯一のおんな。
「寝ていないと。まだ傷が癒えてないのに、体に触りますわ」
艶姫は威彦の背中を抱いて室内に迎え入れた。風は少しずつ冷たさを含んできていた。
「晴人さえいなかったら、こんなことにならなかったのに……。こんなとき右鏡様がいらっしゃらないのは辛いわ。それも晴人のせいです。出しゃばって任務の邪魔をするから」
「……そうですね」
威彦は思う。けれども、本当にそうだろうか。いま自分に父を救うチャンスがあったとして、父を救うだろうか。いま独り占めしている母を、手放せるだろうか。
(わからない……)
威彦の沈んだ面持ちを見て、艶姫が勘違いをする。
「ごめんなさいね。そうね、いまは威彦が不寺の斎主ですものね。先代のことを引き合いに出したりして悪かったわ。あなたがいれば十分ですもの。わたくしも過去ばかり振り返る必要などありませんのに」
威彦は艶姫を抱きしめようとした。だがその気持ちを知らずか艶姫は威彦のそばを離れ長火鉢から湯を取りお茶を淹れる。
「もうすぐ遷御の儀。つつがなく終えられるようするのも不寺の大切な務めです。それまでに体を万全にしておかなくてはなりません。今夜は威彦の好きな牛鍋にしましょう。立派なお肉を買ってこなくてはいけませんね。すぐに使いを出しますから、威彦はもう少しだけ奥でお休みなさい」
威彦は艶姫にその優しさは愛なのかと問いかけたかった。自分が感じているのと、同じ愛なのかと。
けれども聞けるはずもない。甲斐甲斐しく世話をする艶姫のために、なんとしても十束剣を取り戻し、遷御の儀を滞りなく執り行わなければならないと、威彦は固く決意した。
 




