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第六幕 思いの丈(三)

 小高く昇った太陽が木漏れ日となって地面に差し込む。

 久しぶりにぐっすりと眠った晴人は、遠く木立の向こうに人の気配を感じて目を覚ました。木の幹の根元でうずくまっている晴人に気がつくとは思えなかったが、念のため注意をそらさずに対象が通り過ぎるのを待った。だが一向に立ち去る気配もなく、ずっと一所にとどまっている。


「……!」


 急に近くでカチッと小さな音がしたかと思うと、脇に置いていた十束剣が宙を舞った。晴人は十束剣からすっと伸びる、陽を浴びて光る一本の筋に気がつき、神速で瞬時にその筋の袂に移動した。




「よしっ! 今度こそ不寺の神器ゲットォ!!」


 竿にぶら下がる十束剣を持って笑美はガッツポーズした。


「ゲットォ、じゃねえよ」


「ぎゃぁっっっ」


 振り返ると不寺晴人が笑美の後ろに立っていた。その頬についた傷の痛々しさにも驚いたが、それよりも何十メートルと先にいたはずなのに一瞬で現れたことに心底仰天した。


「人のもん盗んでどういうつもりだ」


 晴人は十束剣を笑美から奪い返すと、絡まった釣り糸をほどこうとしながらぶつぶつと独り言を言った。


「くそ、なかなか取れないな。俺は縛られる趣味なんざねえぞ。……カグツチは知らねえけど」


 笑美はその隙に逃げだそうとしたが、晴人はその機先を制する。


「逃げんじゃねえ。逃げたら容赦はしない」


 ぴしゃりと言われ、笑美は大人しく足を止めた。とても逃げ切れる気がしなかった。諦めて笑美は奪おうとした理由わけを説明する。


「……ごめんさない。事情を説明させて」


「まずこの糸を取ってからだ」


 晴人と一緒にからまった糸をほどきながら、笑美はおずおずと質問した。


「……ねえ、その頬の傷、どうしたの?」


 前に見かけたときから気にはなっていた。以前はこんな傷なかった。大きな傷で、見るからに痛々しい。


「やられたんだよ」


「誰に?」


「木梨軽皇子って知ってるか?」


衣通姫そとおりひめ伝説の?」


「……っ。知ってるのかっ?」


「知ってるも何も記紀の基本じゃないのよ。神職に携わってるならそれくらい常識よ。あなたもそれくらい知っておきなさいよ」


 笑美の答えに晴人は驚いたように目を見開いた。


「お前、俺が誰だか知ってるのか?」


「不寺の弟でしょ」


「なんで知ってるんだ? 兄貴の知り合いか?」


「べ、別にあんな最低なやつ知り合いでもないんだからっ。ただ学校がおんなじなだけで……」


 笑美は告白を思い出して憤慨した。だが後になって相手の家族のことを悪く言うのはどうだろうと思い返して語尾が尻つぼみになる。


「まあ、いいけど。それよりその衣通姫伝説ってやつを教えてくれよ」


 晴人は威彦の話には興味を示さずに衣通姫の物語を催促した。笑美は覚えている限りの知識を晴人に話して聞かせる。


「衣通姫伝説ってのは古事記と日本書紀に残る悲恋物語よ。

 むかし允恭いんぎょう天皇の息子に木梨軽皇子きなしかるのみこって人物がいて、その人は父親の異なる妹の軽大娘皇女かるのおおいらつめに恋をしてしまったの。軽大娘皇女はたいそう美しくて衣通姫そとおりひめと呼ばれていたわ。

 二人は愛し合うのだけれど、当時は異母兄弟の結婚は認められていても異父兄弟の恋愛は禁じられていた。結果として群臣の心は離れていき、木梨軽皇子は天皇の座も弟の穴穂皇子あなほのみこに奪われてしまった。

 このあと二人は引き裂かれ、古事記と日本書紀では結末がやや異なるけれども、どちらにしても想いを遂げられずにどちらも最後は非業の死を遂げるの。この物語については当人たちが歌ったとされるたくさんの歌が残っていて、とてもロマンチックなのよ」


笑美はうっとりと目を輝かせた。


「……そういや愛しのきみなんて言ってたな」


「何、その会ったような口ぶり? 大昔の人だよ?」


「会ったんだよ」


「えっ? ……ええっ?」


 笑美は耳を疑った。冗談にしても笑えなさすぎる。戸惑う笑美を差し置いて、晴人は一人で納得してふむふむと頷いた。


「それにしても、よく隠れてる俺に気付いたな?」


「散々探したんだからね。不寺の弟が神器をもって行方不明になったって聞いて、きっと神宮林だろうって。もう何日ここに通ってるのかしら。先日死体を見つけてからは結衣も留衣も嫌がってついてきてくれないし……。それはもう大変だったんだから」


「暇な奴だな」


「うるさいっ」


「どうしてそこまでしてこの神器が欲しい?」


 晴人は糸をほどいた十束剣の柄を笑美に向ける。笑美が受け取ろうと手を伸ばすと、そのまますっと引いて腰にしまった。


「理由によっちゃ考えなくもない」


「いぢわる。……いいわ。この際だから正直に言うわ」


 笑美は神器を欲している理由をくまなく話した。

 家が代々愛護寺の宮司を務めていること。

 大切な神器が盗まれたこと。

 盗品の売買組織の存在や、新たな商品があればその売買組織を紹介してくれる業者がいること。

 なんとかして寺の神器を取り戻したいと笑美が話すと、すべてを聞いた晴人は大きく頷いた。


「そうか。だいだいの事情はわかった。それで執拗に十束剣を狙ってたんだな。だが貸してやりたいのはやまやまだが、これは不寺の神器である以上にいまの俺には大切な物なんだ。残念ながら手放せない」


「けち」


「けちとか言うな」


 笑美がいーっと顔をしかめると、晴人も負けじと同じ顔をした。あまりに子供の喧嘩じみていて笑美は思わず吹き出した。晴人は困ったように笑美を見ると、


「代わりにこれならやるよ」


 といって懐から勾玉を取り出した。


 笑美はその白い勾玉に目を奪われた。内側からほのかに輝いている。清涼な力がみなぎっているようだった。同じ勾玉でも愛護寺にあった勾玉は朱色で暗く沈んだ色をしていた。笑美は一目でこれは凄い代物だと直感した。


「どうしたの、これ?」


「拾ったんだ。価値があるのかどうか俺にはわからないけど、もしかしたら役に立つかもしれない」


「本当に良いの? 遠慮なく借りちゃうよ? 事が済んだら絶対に返すから」


「やると言ったんだ。お前の物だ」


 笑美は受け取った勾玉をぎゅっと胸に抱きしめた。これで御神体を取り戻せるかもしれない。


「ありがとう。……でもなんでこんな親切に?」


「さあな。なんとなく気が合ったんじゃねえの? 兄貴が嫌いなところとかな」


 聞き流してくれたと思っていた話題を持ち出されて笑美はどきっとした。口を開いて謝ろうとしたが、晴人は笑美に背を向けて歩き出す。


「それに十束剣を盗まれる心配をしなくてすむ。そっちの勾玉は俺にとっては大切な物じゃないから……と」


 言いかけて晴人は振り返った。


「……そういや名前をまだ聞いてなかったな」


「葛切笑美よ」


 笑美の返事を聞いて晴人はまた歩き出す。


「ふぅん。じゃあな、泥棒巫女」


「葛切っ。葛切笑美っ」


 晴人はひらひらと手を振った。その後ろ姿を笑美はじっと見ていたが、晴人は振り返ることなく林の奥に消えていった。


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