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第五幕 黄泉(四)

「何なのよ、一体っ」


 笑美は頭を抱えた。不寺の神器を狙った天使の釣針作戦は失敗し、何故か知らないが不寺の兄弟は神器ともども姿を消してしまった。急いで現場に駆け寄ってみたものの、二人が消えた原因はさっぱりわからなかった。


「誰か倒れてます!」


 留衣が叫んだ。指差す先には女の子がひとり倒れていた。


「うっ……」


「屍体、ほらっ、人っ、殺されちゃってますよ!」


 確認するまでもなかった。全身穴まみれの血まみれで、見開いた目から血の涙の跡がついている。


「この場にいるのヤバイんじゃない?」


 結衣があたりをうかがいながら呟く。落ち葉がぱさりと音を立てた。


「ひゃっ!」

「ひゃっ!」


 双子が仲良く悲鳴を上げたそのとき、後ろから声が聞こえた。


「何が起こった?」


「ぎゃっ!」


 笑美が驚いて振り返ると、そこには袈裟を着た修験僧と思しき男が二人立っていた。


「誰よ、あ、あ、あんたたち!?」


 笑美の質問には答えず、一見修験僧らしくない金髪の男が、死体の巫女装束の千早ちはやの模様を確認した。


「師匠、不寺の神紋がついとる。これ不寺の神子でっせ」


 白眼の男が繰り返し笑美に問いかけた。


「もう一度問う。何が起こったのだ」


 ******


「しっかし、晴人は何をしとるんやろ……」


 冷え込む夜にたき火で暖をとりながら三郎がぼやいた。


 事情を聞いたあと、円騨は彼女たちにきつく口止めして帰した。遺体はすでに違う場所に埋葬したので後から警察などに駆け込んだところで見つかることはなかった。そもそも神宮林で起こった事件など、相手にされるはずがない。円騨は静かに瞑想を続けた。異界の扉が開かれたのだとしたら、何がやってくるのか。霊気が収まるまで、様子を見ておく必要があった。


「待つしかあるまい」


 たき火の炎がぱちりと爆ぜた。


「わい、ちょっと腹減ったんで食べ物を探してきます」


 待つのがいたたまれなくなったのか、三郎が林のなかに消えていった。


 ******


「ラッキーやったわー。野兎が捕れましたで、師匠」


 小一時間ほどして戻った三郎の手には、まだ生きている野兎が耳を掴まれて暴れていた。円騨は変わらず瞑想を続けている。夜が明けるまでにはまだ数刻あった。


「小腹を満たすにはちょうど良い獲物っつてなー」


 三郎が鼻唄交じりに腰から小刀を取り出して野兎の皮を剥ごうとしたそのとき、霊気が大幅に乱れるのを円騨は感じた。立ち上がって空を見上げる。唐突に空が裂けて冷気が吹き荒れた。


「来るぞっ!」


「なにっ? なんやねん!?」


 三郎のまつげがあっというまに凍った。急激な気候変動はあやかしが訪れる前触れだ。すっぽりと空中に大きな裂け目ができていた。深淵を覗き込むような闇が隙間から見える。霊気に枯れた枝が風に舞って三郎の髪にぶつかった。きんと乾いた音がして髪が折れる。


「ぎゃあ自慢のヘアがっ……って、うわっ!」


 闇の隙間から晴人と威彦が降ってきた。どさりと音を立てて地面に落ちる。二人は意識を失ってぴくりともしなかった。やがて裂け目が塞がると同時に冷気も収まった。円騨は晴人の呼吸を確かめると、九字を切って体内に気を送り込んだ。晴人は咳き込みながら意識を取り戻す。


「これは何が起こったのだ」


 円騨の問いかけに晴人は慌てて腰布に差した十束剣を確かめ、それからあたりを見回した。そばにいた三郎の胸ぐらを掴んで問い詰める。


「葉月はっ? 葉月はどこに行った!?」


 三郎は心配そうに眉をよせる。


「おい、気は確かか? 葉月さんはこないだ死んでもうたやないか」


「違うんだっ。いま黄泉から連れ戻して来たんだ。おいっ、カグツチ。どういうことだよっ。なんか言えよ!」


 晴人は十束剣に怒鳴りつけて何度も剣を振り回すが、何も反応も返ってこなかった。三郎は目を白黒させている。


「なんやおかしくなってしもうたんかい」


 ――私ならここだよ。


 葉月の声に晴人が目をやると、そこにいた一匹の野兎が鼻をひくひくと動かした。


「まさか。葉月……なのか?」


 ――私の体はもうここにはないから。この子の体を借りちゃった。


 円騨は九字の印を結んで呪法を唱えた。三郎もそれに続く。みるみると周囲の霊力が高まってゆく。やがて野兎の上にうっすらと一糸まとわぬ葉月の白い肢体が浮かび上がった。葉月はにっこりと微笑んでいだ。


 ――晴ちゃん、いままで一緒に過ごせて嬉しかったよ。


「いきなりなんだよ」


 ――なんかさ、さっき坂を登りながらずっとお話したでしょ? そのときに思ったの。やっぱり私は晴ちゃんのことが大好きだったんだなーって。


「や、やめろよ。て、照れるじゃねーか……」


 葉月は悪戯をする子供みたいにクスリと笑った。


 ――ほんとにあのときの晴ちゃんは、まるで悪者の手からお姫様を救い出してくれる王子様みたいでかっこよかったんだもん。


「……別にそんな洒落たもんじゃねーけど、……葉月が望めば、俺はいつだってそうする。これまでは頼りっぱなしだったけど、これからは絶対に守る」


 晴人は強い意志を込めて言った。晴人にとってそれは希望でもあった。葉月がいてくれさえすれば、なんだってできる気がした。逆に葉月がいなければ駄目なのだ。


 ――ありがとう。でもね、私はここにはいられないの。黄泉の国に帰らなくちゃいけない。だからお別れをしなくちゃ……。


「そんなこと言うなよっ」


 晴人は大きくかぶりを振った。


 ――辛いよね。私もすごく淋しい。大好きな晴ちゃんと一緒にいられないんだもん。


「一緒にいればいいだろう? 伊弉冉の言うことなんて聞かなくたっていいじゃないか! ほら、カグツチだって、またなんとかしてくれるに違いないんだっ」


 晴人は十束剣を握りしめた。カグツチは相変わらず沈黙したままだ。


 ――でもね。私、いつまでもここにいたら怨霊になっちゃうよ。そしたらきっとみんなに迷惑がかかる。


「葉月を怨霊になんてさせない。例えなったって、俺ならいくらでも恨んでくれて良い。そもそも俺が葉月を神子にしたのが間違いだったんだ。葉月を傷つけてばかりで……大切にしたかったのに」


 ――そんなことないよ。一緒に戦えて私は良かったと思ってる。晴ちゃんの苦しみを一緒に分かち合うことができたから。晴ちゃんがもうこれ以上は生きられないってくらいに生きて、しわしわのおじいちゃんになって、もうどうしようもならなくなったら迎えにきて。


「もっと早く迎えに行くよ」


 ――駄目だよ。懸命に生きて。この街を救って。……そして晴ちゃんも幸せになって。私のことなんて忘れてしまって構わないから。


「忘れられるわけないだろう……」


 晴人は涙を隠しきれない。


「……ずっと、好きだったんだから。……ずっと、大切に思ってたんだから。……お前は俺の、俺にとっての……」


 嗚咽で最後は声にならなくなった。葉月は優しい声でうなずいた。


 ――ありがとう。私、とっても幸せだよ。


「そんな……死んでしまって、幸せなわけがない。強がりはよせよ。俺にだけは正直に言ってくれ。とても償いきれないが、できることなら何でもするっ。交換できるのならば、この命だって!」


 ――強がってなんかいないんだよ。いまも好きだって言葉が聞けただけで、こんなに心の中が温かいもの。でも、こんなに嬉しい気持ちになるのなら、生きてるうちにもっと言ってくれれば良かったのにね。


 葉月が涙目でクスリと笑う。その笑顔が晴人には辛くて、愛しくて、胸が張り裂けそうだった。


「本当に……バカだな、俺は」


 ――でもそれが、晴ちゃんらしいよ。


「葉月……ありがとう。俺はお前が好きだ。絶対に忘れないからな。葉月も、この気持ちも……」


 晴人は手を伸ばした。同じように葉月の伸ばした手の先が重なった。実際には光で、触れあったわけではないのに、確かにぬくもりを感じとった。


 ――晴ちゃん……バイバイ。


 葉月は燦めく光となって消えていった。野兎は自由になった体で林の奥に去って行く。三郎が「わいの食事が……」と涙声でうそぶいた。晴人は空を眺めた。もうすぐ夜が明ける。


 徐々に明るくなっていく暁の空を、晴人はいつまでも眺めていた。


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