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第五幕 黄泉(二)

 その日は朝から何かを予感させる一日だった。

 あやかしは神出鬼没。だが、出てきやすい条件もある。


 今日のような雨が降って蒸し暑い日などは、特に。


 陰鬱な気候は憂鬱な思考を生むからだ。人の思いがあやかし出現の主たる理由なら、気候は思いの十分な発現理由に足りた。


「ふふふ、やはり来たか」


 案の定、式神がもたらしたあやかし発見の報告を威彦は嬉々として受け取った。式神を発見現場の雑木林に送り返す。

 遷御に備えて威彦は四人の神子を用意していた。十分な数と言えるかどうかはわからないが、いままで三人以上を同時に必要とした試しもない。今日の戦いで最も働きの悪い一人を大祓に消費したところで、経験則から言えばまったく問題はなかった。威彦はそれぞれの神子に巫女装束を着させて、四人を試すつもりで雑木林に隠れているあやかしのもとに向かう。十束剣を携えると、晴人は何も言わずともついてきた。


 道中は式神の鴉が鳴いて居場所を教えた。やがて鴉の鳴き声に追いつくと、あたりにはただならぬ妖気が漂っている。近くに何かがいるはずだった。


「と おあそ むわ」


 威彦は神法を唱えてあやかしの具現化を試みた。徐々に輪郭が浮かび上がってくる。


「これはまた……驚いた」


 巨大な猿が切り株に腰掛けていた。人ほどの背丈。首元まで垂れ下がった長い鼻。ほおずきのように照り輝く真っ赤な瞳。かつて葦原あしはらを統治するため地上に降りてきたという神ニニギを先導した、神話の猿田彦の姿そのままだった。


「こいつは神か、あやかしか?」


 大猿は威彦たちに気付いていたが、まるで気にするそぶりを見せなかった。神子たちは「お猿さん?」「でかくね?」「こわーい」「……」とそれぞれ感想を言いあっている。威彦は印を結んであたりに結界を張り巡らせた後、その大猿に話しかけた。


「主は名は何という?」


 大猿は威彦を見た。その艶やかな紅い眼に見つめられて威彦は理由もなく恐怖感に襲われた。すべてを見透かすような、痛烈な眼力だった。


(なんて圧だ)


 威彦は身震いして大猿の挙動を待った。しかし大猿はしばらく威彦を眺めたのち、興味を失ったようにそっぽを向いた。呑気に地面を漁って落ちた木の実を食べはじめる。


「もう一度聞く。主は誰だ?」


 大猿はもはや聞く耳を持たない。威彦はあやかしをどう扱うべきか考えた。神ならば、放っておいても特に悪さはしないだろう。だが、確証がない。神など威彦はいままで見たこともなかった。姿形こそ伝承された神を模しているものの、ただのあやかしである可能性は捨て去れない。もっと対話を試みる必要があった。


「答えぬか。すでに周囲には結界を張った。言わねば出られぬぞ」


 大猿は意に介せず虚空から柘榴ざくろのような果実を取り出して食べ出した。馬鹿にしているのだと威彦は思った。異界から果実を取り出して見せ、こんな結界などいつでも破って見せるのだと自分をあざ笑っている。


「面白い……」


 威彦はひきつった笑みを浮かべた。本来であればもう少し様子を窺うのが定石ではあった。普段ならば威彦とてそうしたに違いない。けれども遷御が近い。不寺の斎主を継いで最初のあやかしでもある。神子の数も十分にあった。

 つまり、試してみたくなったのだ。


(神殺しか)


 威彦のなかでそんな言葉も湧き上がってくる。腕試しには申し分ない相手だ。


「話す気がないのなら、少し痛い目を見てもらうぞ」


 大猿と距離を取るために、威彦は神子の中から槍を扱う者を選んだ。先日土産物屋でひっかけた冴えない娘だった。


「友香、行くんだ」


「はい」


 友香と呼ばれた神子は手のひらから光り輝く槍を取り出す。それぞれ残りの巫女たちも得物を構える。


「えいっ!」


 友香の槍が大猿の胸を狙った。神の加護を得た光り輝く鋭い槍の穂先が胸元に届く前に、大猿は食べていた果実の種子を唾と共に神子に向かって吐き飛ばした。


「いっ……!」


 種子は友香の体を直撃した。さながらマシンガンに撃たれたように体中に穴を穿ち、神子は一瞬にして絶命して血の涙を流す。


「ちっ。もう壊れたか。大祓までももたないとはな」


 威彦は舌打ちした。大猿が今度は威彦めがけて種子を飛ばす。威彦は護符を取り出して周囲の霊圧を高めた。種子が見えない壁に弾かれたように角度を変えて流れていく。威彦は神子と手分けして四方を固めながら、徐々に大猿との距離を詰める。そのまま一斉に打ちかかると大猿は真上に飛び上がって攻撃を躱し、逆に威彦に殴りかかった。


「むんっ」


 威彦は間一髪でその長い腕を躱した。離れたところに着地すると、大猿は変わらず切り株の上に座り込んで、歯茎をむき出して笑った。


(挑発してるのか……?)


 十束剣を握る手に汗が滲んだ。いまだ相手の力を読み切れずにいる。このままでは神子をすべて犠牲にしたところで勝てる気がしなかった。

 大猿は立ち上がると両手を大きく広げた。股間にはそそりたった化身が見える。思わず目を背けた神子のひとりに向かって大猿は賤しい笑いを発する。

 大猿は虚空に手を差し入れて何かを取り出した。透明な西瓜ほどの球が、無重力に浮かぶ水滴のように形を変えながらいくつも空中に浮かぶ。大猿はその球体を掴んで神子に投げつけた。神子が避けると、それは地面や木にぶつかって盛大なしぶきをあげた。


「ぎゃっ」


 神子のひとりが球体を避け損ねて足首のあたりに被る。弾けた液体は高い粘度をもって神子の足首と地面を貼り付けた。

 大猿が歓声を上げながら捕まった神子のもとに駆け寄る。神子は剣を振り上げて寄せ付けまいとしたが、大猿は易々と神子を後ろ手にひねりあげた。


「痛っ! 折れるっ 折れるっ」


 神子が悲鳴をあげる。ぎしぎしと威彦のいるところまで骨の軋む音が聞こえるようだった。大猿は片手で神子を押さえつけたまま、もう一方の手で神子の乳房をまさぐった。


「嫌だっ! ……助けてっ」


 懇願する神子に大猿の顔が愉悦にゆがむ。威彦は大猿の意図を察して目眩を覚えた。


 嬲る気だ。


 威彦は大猿の欲望に吐き気がしたが、同時に好機だとも感じた。これだけ神子と近接していれば大祓が狙える。


「威彦さまっ! 威彦さまっ!」


 袴に手をかけられて泣き叫ぶ姿に、残りの神子たちが不安げに威彦を見遣る。だが威彦は大猿が完全に油断するのを待った。嬲られる神子の叫びに胸が痛まないことはないが、集中して意識の外に追いやる。道具に憐れみは不要だ。威彦は何度も自分に言い聞かせる。


「えっぐ、うっく……威彦さまぁ……っ」


 神子の顔に絶望の色が浮かんだとき、威彦の脇を何かが猛烈な早さですり抜けた。


「晴人っ!」


 大人しく追従していたはずの晴人だった。


「邪魔をするな!」


 威彦の制止も聞かずに晴人は飛び上がると大猿に殴りかかる。喉元を掴みにかかってきた大猿の長い手を利用して体を反転させ、大猿の顔に蹴りを打ち込んだ。


「プゴォッ」


 大猿が勢いよく後方に吹き飛む。晴人はさらに打撃を与えるべく瞬時に間合いを詰める。その早さは常人の域をはるかに超えていた。


神速しんそくか……っ!?」


 威彦は驚愕した。型を踏む独自の走法は、過去に書物で読んだことがある。母がいくつもの禁忌の呪法を組み合わせたと言っていたのを威彦は思い出した。それらの呪法はてっきり晴人を治療するためだけに使用されたものだと思っていたが、どうやらそればかりではなかった。


 大猿が繰り出す拳をすり抜けて晴人が懐に入り込んだ。大猿が曲芸のようにくるりと宙返りして後方に離れるが、晴人はさらに距離を縮めて大猿の脇、頬、顎、と立て続けに攻撃を加えた。


「ゴッ! ギッ! ゴァ!」


 二回り以上は大きさの違う大猿に対して、晴人は早さ、力ともに圧倒していた。威彦にとっても羨望を禁じ得ないほどの強さだった。


「フギィゥゥゥゥ! ヒッ! ヒッ!」


 大猿は腹を見せて降参の意志を示した。晴人が手を休めると、大猿は大慌てで虚空をねじ広げて中に逃げ込んでいった。


 あたりは急に静けさを取り戻す。威彦は内心では安堵のため息を吐きつつ、相手なきあと立ち尽くしている晴人のもとに歩み寄った。


「どういうつもりだ?」


「……」


 だが晴人の瞳は変わらず真っ暗闇で何も映し出してはいなかった。何を問いかけても返事はない。


「くそがっ」


 威彦は晴人を殴りつけた。神子に視線を移す。神子たちは体を寄せ合って震えていた。


「大丈夫か?」


 威彦が笑顔を取り繕って話かけると、大猿に襲われた神子を慰めていた二人が愛憎入り交じった眼差しで威彦をにらみつけた。威彦が二人を無視して襲われた神子に触れようとすると、ひとりがその手を邪険に払う。


「何のつもりだ?」


「別に……何でもありません」


 神子たちはそのまま肩を抱き合ってこの場を立ち去っていく。威彦は忌々しげにその姿を見送った。神子の契約は主人と神子、どちらかか死なない限りは破棄されない。逃亡はしないだろうが、一度失ってしまった信頼を取り戻すのは相当に骨が折れることだ。


「ちっ」


 手っ取り早く大祓に使って、新しい神子を調達したほうが早いかもしれない。遷御まで残り日数を考えると、威彦は鬱々とした気持ちになった。


 ******


「……チャンスよ」


 笑美はからからに乾いた喉でどうにか声を絞り出した。


「ええぇー、本当にやるんですか??」


 留衣が目をまん丸にする。


「ええ、女に二言はないわ」


 笑美はこっそりと不寺威彦のあとをつけてきていた。


 不寺の神器である十束剣を奪う。


 いま思い出しても顔から火が出るほど恥ずかしい告白作戦のあとも、この任務を諦めたわけではなかった。色々と策を練って、このときのために猛特訓を重ねた。そして一月近くも監視を続け、ようやく十束剣を手に威彦が外出してきたのである。今日という日を逃す手はなかった。


「さっきの見たでしょ? なんなのあの猿。まじびびるって」


 結衣が林の向こうを指差し騒ぎ立てる。笑美も信じられない光景を目の当たりにしていた。林の中を彷徨って、不寺威彦の姿を何度も見失いながらも根性で見つけ出したとき、不寺の弟が見たこともない大きな猿と戦っていたのだ。


「いーのよっ。やるったらやるっ!」


 大猿はいつのまにかどこかに姿を消し、いまは不寺の兄弟二人しかいなかった。十束剣は無造作に威彦の背中にしょった刀袋にかけられていた。刀袋からは柄がむきだしになっており、狙うにはまたとない機会だった。笑美は鞄から釣り竿を取り出す。


 名付けて天使の釣針作戦(オペレーション=エンジェル・フック)。


 釣り師のAngerと天使のAngelを掛けているのがミソだ。

 悪戦苦闘しながら作戦を練るうちに思いついた下らない方法だったが、ダメ元で空き缶相手に試してみると、笑美の投擲技術キャスティングは百発百中の精度を誇った。どうやら投げ釣りに天賦の才があったらしく、笑美自身も自分の才能に驚きを隠せない。どの作戦も不確定要素が消しきれなかったが、これだけはほぼ確実に決められる自信がある。幼い頃から父に釣りに連れて行ってもらった成果が現れているのかもしれない。これは父の導きなのだと笑美は思った。これも何かの思し召しだろうと無茶を承知で決行することにしたのだった。


 十束剣を背負った威彦との距離は七八十メートルはあった。練習では外したことのない距離だ。笑美は狙いをさだめると、釣り竿を思いっきり振りかぶった。


「いっけぇぇぇっ」


 特殊細工した針は放物線を描いてきれいに十束剣の柄に巻き付いた。


「きたっ!」


「笑美さまの無駄な才能すごすぎる!」


 笑美は針に得物が十分にかかったことを指先に感じ、一気に竿を引き上げ糸を巻き寄せた。


 十束剣が刀袋からすっぽり抜けて空を舞った。

 だが角度が悪かったのか、剣はくるくると回転して剣先が釣り糸に触れ、ぷっつりと音を立てて切れた。


「あっ!」


 ******


「……っ?」


 急に後ろに引っ張られるような感覚がして威彦が振り返るのと、十束剣が高く宙を舞うのはほぼ同時だった。糸を切った剣は回転しながら高度を落とし、まっすぐに晴人のもとへ落ちてゆく。


「触るなっ!」


 威彦が慌てて制止した。晴人は指示通り半身をずらして、剣はその脇をすり抜け地面に突き刺さる。威彦は胸をなで下ろした。

 しかし刺さった剣が地面に倒れそうになるところで、

 晴人がとっさにその柄を――掴んだ。




 何もない暗い海を漂っているようだった。

 自分が誰だったのかも、いままで何をしてきたのかも、考えることはない。

 海中を漂う浮遊生物プランクトンみたいに、ただ時間も意識も関係なく、波間でたゆたっている。その際限のない海のなかで底の方から小さな光が見えた。行きたいと思ったわけじゃない。ただ本能がそのわずかな燐光を求めて潜ってゆく。

 小さかった光の点が徐々に大きく強くなる。深く沈むほどに押しつぶされそうな痛みが発した。それでもその輝きに魅せられて動きを止めることはできない。やがてその中心にたどり着いたとき、大きな気泡シャボンが弾けて、体内に眠っていた自我と呼ぶべきものたちが一気に蘇った。


 母と手を繋いで歩いた参道。父との修行。兄との喧嘩の日々。


 そして、絶えず隣で笑ってくれていた葉月のこと。


 死。


 過ちだった契約。


 死。


 守れなかった誓い。


 死。




 何もない夢から――現実に引き戻される。


「晴人……?」


 威彦が怪訝な顔で、十束剣を握ったまま憤怒の形相で動かない晴人に話しかけていた。「おい、晴人っ」


 威彦が十束剣に手を伸ばした矢先、晴人の眼球が、艶姫によって式神に変えられてからはじめて、威彦を追ってぎろりと動いた。唇が震える。


「……葉月はどこだ?」


 晴人が久々に出した声は上手く出ずにやや高い音になった。右の頬が妙に引きつっている。


「おい、剣を返せよ」


 問いを無視して威彦が十束剣を奪い返そうとする。晴人は柄を強く握って離さなかった。


「葉月はどこにいる?」


 晴人は繰り返し尋ねた。威彦は呆れ顔で答える。


「とっくに死んだ。もうこの世にはいない」


 晴人はかっとなって十束剣を威彦の首に押し当てた。威彦は瞬時に突きつけられた剣先に思わず唾を飲み込んだが、気の取り直し方も十分に心得ていた。あざ笑うかのように晴人に向かって不敵な笑みを浮かべる。


「現実がわかっていないようだな。もう一度言うぞ。一条院のお嬢さんは死んだんだ。お前が殺した」


「違うっ! 俺じゃないっ」


「違わないさ。お前があやかしとの戦いに巻き込んで殺したんだ。神子にしたんだからな。経緯はどうであれ、それはお前にとっての必然であり、そして結果だ」


「うっ……」


 葉月のたおやかな胸を剣が貫く瞬間が晴人の脳裏にまざまざと蘇った。晴人の苦しむ様子を見て威彦は唇の端をつりあげる。


「現場にはわずかな骨と肉片しか残っていなかったそうだぞ」


 晴人は骸の葉月を貪り喰う音を思い出した。頭のなかでぐるぐると反響する。聞きたくなくて、聞こえないように、晴人は頭を押さえて絶叫した。


「うっうわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーっ」


 喉が切れて口のなかに血の味が広がる。それでも声の限りに叫び続けた。 


 葉月が死んだ。

 葉月を助けられなかった。

 葉月を、殺した。


 何故戻ってきてしまったのか。

 いっそ何も考えることなく死の海を漂っていたほうがどれほどよかったか。

 彼女がもうこの世にいないということを認識するには、あまりに苦しかった。


 会いたかった。

 無性に会いたかった。


 晴人は膝から崩れ落ちる。死のう。そう思った。手に握ったままの十束剣を見遣る。こいつならいつでも自分をあの世に連れて行ってくれる。

 葉月に会いたい。それだけを願った。剣先を喉に突きつける。


 ――会いたいか?


 どこからかしわがれた男の声が聞こえた。幻覚だろうか。誰だと思う間もなく、十束剣を持つ手が電気を帯びたようにしびれた。声は十束剣(この中)から聞こえるようだ。


 ――会いたいと望むのなら黄泉への扉を開いてやろう。


 声が言った。その声の導きに、晴人は悩むべくもなかった。心のままに叫ぶ。


(連れて行ってくれ! 葉月のところへ連れて行ってくれ!)


 ――ならば我を振るえ。虚空こくうを切り裂くのだ。


 晴人は立ち上がると、言われるままに十束剣を空に向けて一閃した。水を切りつけたような、空気とは違う重たい感触を腕に感じる。切り裂いた空には、玉虫色の裂け目が広がっていた。


 ――飛び込むがいい。真に欲するのなら。


 晴人は声の導くまま、裂け目に体を滑り込ませた。


 ******


 威彦はあまりの驚きに何度も首をひねった。晴人が狂ったように叫び出すまでは良かった。待ち望んでいた反応に背筋が凍えたほどだ。だが、それからどうしたというのだろう。


「この先にあるのは異界か……?」


 晴人が唐突に剣を振りかざして空間に隙間をあけ、そのなかに飛び込んでしまった。威彦がその切れ目を覗き込むと、中には色が渦巻いていてよく見えない。光の見え方が違うのだと威彦は困惑する。

 旅立ってしまった晴人は十束剣を持ったままだ。奪い返すにはこのまま帰りを待つか、追いかけるしかない。完全に不覚をとったと、威彦は自身のうかつさに腹を立てる。斎主になったことで、どこか心のたがが緩んでいたのかもしれない。不寺の神器を失ったとすれば、母の嘆く顔が真っ先に思い浮かんだ。


「虎穴に入らずんば虎児を得ず、か……。坊主なら南無三と唱えるところだな」


 威彦は思い切って覚悟を決めた。自身を守るために祝詞を唱える。


「……円滑なめらかに成遂なしとげせしめ給たまへと恐かしこみ恐かしこみ白まをす」


 それから「エイッ」と何度も気合いを入れ、威彦は不気味な裂け目の中に自ら足を踏み入れた。


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