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第三幕 御白石持行事(三)

 参拝客のいない愛護寺の境内で箒をかけながら、笑美は苛立っていた。名前のとおり笑みさえ浮かんでいれば愛らしい顔も、いまは見る影もない。


「きぃぃぃーっ! 一体なんだって言うのよぉ!」


 不寺の御神体がいつまで経っても盗めないのである。


「笑美さま、落ちついてくださいー」


 一緒に掃除をしていた留衣が懸命になだめるが、笑美の剣幕に負けて留衣はいまにも泣き出しそうだった。


「泣くんじゃないっ!」


 泣きたいのはこっちだと笑美は思った。十束剣を盗むと決めてからはや一ヶ月が経とうとしていた。


 不寺威彦の動向はほぼ毎日、通学から授業中にいたるまでつきっきりで観察している。全然興味もないのに、いまではちょっとした(フリーク)だ。おかげで校内でもすっかり不寺威彦ファンクラブ、通称「不寺ガール」の一員だと誤解されている。彼女たちは実に秩序正しく不寺威彦を監視していて、彼女たちと競うように笑美も不寺威彦の調査に明け暮れていたのだった。


 まさに学校での不寺威彦の自由は男子トイレくらい(それも男子ファンの存在がいる時点で安全とは甚だ言いがたいが)しかなかっただろう。


 ただ、それだけ監視の目が厳しい威彦も放課後や休みの日に関しては謎が多かった。一日家を出ないときもあれば、関係者以外は立ち入りができないはずの神宮林に姿を消すこともある。ただどちらにせよ威彦が御神体である十束剣を持ち歩いていたのは、深夜に偶然見かけたあの時だけだった。


 業を煮やした笑美は何度か威彦が不在の時を見計らって不寺家に侵入しようとしたのだが、これが上手くいかない。人気がないのを確認して侵入したはずなのに、必ず誰かが現れるのである。


 日中の留守の隙をつけば、いつのまにか庭師がいたり(このときは迷い込んだ観光客の振りをしてごまかした)、深夜に忍び込もうとすると突然電気がついて話し声がしたりする(このときは迷い込んだイノシシの振りをしてごまかした)のである。


 今日こそはと意気込んで威彦の留守中を狙ってみたものの、今度は威彦の母親である不寺の宮とばったり鉢合わせてしまった。笑美は慌てて逃げ出したが、これで不審者として完全に顔が割れてしまったに違いない。機転の利いた会話のひとつでもして不寺の宮と仲良くなってしまえば良かったのだが、動転してそれもできなかった。不寺の宮があまりに妖艶で、完全に気後れしてしまったのだ。


「笑美さまー」


 威彦の監視に出ていた結衣が興奮した面持ちで帰ってくる。


「チュウですよ、チ・ュ・ウ」


 開口一番に結衣はそう言って唇をつきだした。


「何よ突然」


 もうすでに任務失敗したことは携帯で連絡してある。それなのに浮かれた表情で帰ってきた結衣に笑美は怪訝な顔をした。


「不寺の雅がナンパした女の子と濃乃野神社でチュゥしてたんです!」


「きゃー」


 それを聞いた瑠衣が興奮してはしゃぎまわる。笑美は結衣と留衣の頭を順に叩いた。


「なにはしゃいでんのよ! キ、キスくらいで」


 笑美もそう言いながら戸惑いを隠せなかった。


「だって生でチュウしてるところなんてそうそう見ないし」


 頭をさすりながら結衣がしかめっ面をする。


「こちとら十束剣を盗もうと必死に頑張っているさなかに呑気に神聖な神社で女子と接吻なんて!」


 八つ当たりも甚だしい怒りが笑美を支配する。路上チュウなんて、あまりに破廉恥だ。断じて許せない。


 そのとき結衣が「あっ」と声をあげた。


「笑美さまが不寺威彦の恋人に立候補すれば良いんじゃないですか?」


「へ?」


 瑠衣がぽんと相づちを打つ。


「ナイスアイディア! 仲むつまじくなれば十束剣を手に入れるチャンスは幾らでもありそうだもんね!」


「私と、不寺が?」


 二人がうんうんと頷いた。笑美だけが事態を把握できずに、あんぐりと口を開いていた。


   ***


 確かに思いつき自体は悪いアイディアではなかった。いままでの作戦が上手くいっていない以上、本人とお近づきになるのが最も手っ取り早い。


 見栄えに関してはそれほど悪くないと笑美は自覚していた。男子から告白されたことも一度や二度ではない。けれども笑美はすべてを断ってきた。彼氏いない歴イコール実年齢(十八年)である。神職に携わる以上は神様と結婚しているくらいの気持ちでいるし、いままで抱いてきた淡い恋心もそうやって闇に葬ってきた。さらに愛護寺を立て直すと胸に決めた以上、もう色恋沙汰なんて諦めている部分もある。


「……それなのに不寺と付き合えと?」


 笑美はしつこく二人に食い下がった。こんな会話をさきほどから嫌というほど繰り返している。


「別に本気じゃないんですから。魔性の女みたいで格好いいんですから」


 結衣がまるで問題ないと怖じ気づく笑美の背中を押した。


「で、でもっ。付き合うってなったら、チュ、チュウとかするかも、知れないでしょ?」


 笑美は赤面した。残しておいたファーストキスをこんな形で失うなんて、ありえない。


「愛護寺の御神体を取り戻すのとファーストキス、どっちが大切なんですか」


「それとこれを一緒にしないで。それにファーストキスなんて、一言も言ってないでしょ!」


「違うんですか?」


「うっ……」


 留衣の真摯な眼差しに見つめられては嘘がつけない。


「いや私は不寺が嫌だと言ってるだけで、べつにチュウとか、そんな小さなことを言っているわけでは……」


「……で?」


 やるのか。やらないのか。結衣と留衣の目はそれだけを問いただしていた。


「やるわよっ。背に腹は代えられないもの」


 笑美は覚悟を決めた。さっさと十束剣を手に入れて、逃げ出せば良いのだ。


   ***


 そして夏期講習のあった日の午後、笑美と瑠衣は威彦を不寺の最寄り駅で待ち伏せた。威彦を見張っている結衣から、威彦が学校を出て汽車に乗ったと連絡が入る。


「いよいよですね……」


 留衣の言葉に笑美は唾を飲み込んだ。さっきから緊張して胃が痛い。


 遠くから蒸気の煙が見える。やがて下りの汽車が停車場ホームに到着した。

 不寺威彦が降りてくる。その後ろで結衣が大きく手を振った。何人か同じ制服の生徒も降りてきて、笑美たちは慌てて改札の脇に隠れた。心臓がばくばくして気が遠くなりそうだった。落ちつけと何度も自分に言い聞かせる。威彦が近づいてくる。笑美はそのままやりすごし、不寺の家の近くまで行ってから告白をするつもりだったが、留衣が緊張して「えいっ」と勢いよく笑美をつきだした。


「えっ? あっ!」


 物陰から押し出された笑美の目の前に、不寺威彦がいた。


「ん?」


「えっと、……えっと、……」


 言葉が出てこない笑美を見て、威彦は興味をなくしたように脇を通り過ぎようとする。そのときの冷ややかな眼差しが笑美の心に火をつけた。


「ちょっと待ちなさいよ」


 笑美は威彦の制服を掴んで引き留めた。


「なんだ?」


「……ってあげる」


「あ?」


「だからっ……! 付き合ってあげるって言ってんのよ!」


 笑美はなけなしの勇気を振り絞って告白した。威彦の背後では結衣と留衣が目を点にしていた。威彦は呆気にとられた表情でしばらく笑美を眺めた後、真顔になって尋ねた。


「つまり俺のことが好きなのか?」


「そ、そうよ。悪い?」


 笑美は気圧されないように腰に手をあてて言い放った。顔から火が出るほど恥ずかしい。後ろで結衣と瑠衣が頭を抱えている。威彦は鼻を鳴らして冷たい声で言った。


「ふっ。じゃあ、スカートをまくるんだ」


「ここで?」


「好きなんだろ? 証を見せろよ」


 あたりは雑踏。この告白騒ぎに足を止めて成り行きを見守っている通行人もいる。笑美は震える手でスカートの裾をつまんだが、それ以上持ちあげることはできなかった。


「……そんなの……恥ずかしくて無理よ」


「ふん。やっぱりな。覚悟もないのに付きまとうんじゃない」


 ふいと威彦は歩き去っていった。笑美は呆然とその後ろ姿を見送る。


 フラれた。予想外にフラれた。それも完璧に。


 自分の都合ばかりを考えていて、まさかフラれるとは夢にも思っていなかった。


 どこから見ていたのか不寺ガールたちのくすくす笑いが聞こえた。結衣は必死に笑いをこらえ、留衣は青い顔をして笑美を見ている。笑美は屈辱のあまり泣きそうだった。声に出せば泣き出しそうで、じっと俯く以外にできない。


「……あ、笑美さま?」


 留衣が恐る恐る声をかける。音を立てて新たな汽車が停車場に滑り込んできた。笑美はこれ以上景色が滲む前に、無言で汽車に乗り込んだ。


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