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第一幕 木本祭

 世々にあやかしあり


 あやかしとは人の業なり


 業とは執着、争いの遺恨にや


 世俗を脅せしむとあやかしの形と成す


 記紀に曰く、調伏せしめむ神の化のものありや


 俗これを瑞垣といふ

 晴人はるひとはいまにも泣きそうな顔をしている。かたや葉月はづきは口を真一文字に結んだままである。二人ともまだ齢にして八つ。真夜中の林の中を忍び歩くのに、遠く大人たちが灯す松明の炎だけが目印ではあまりにも心許なかった。


「ほら、遅れちゃうよ」


 先を歩く葉月が遅れがちな晴人を急かす。大人たちにばれぬように、こっそりついて行きたいと駄々をこねたのは晴人だった。なのにもう帰りたくてたまらないのも晴人だ。卯月の神宮林はしっとりと露を含んで重ねた上着越しにも冷気が染みいってくる。二人とも肌着の上に重ねた蒸気たんぽ(スチームカイロ)はすっかり冷え切ってしまっていた。晴人は凍えながら葉月の温かな手のひらをしっかりと握った。


「ねえ、はーちゃん」


「しっ。見つかっちゃうでしょ」


「もう諦めようよぉ。疲れたよ」


「ダメよ。ここまで来たのに。遷宮は二十年に一度きり、木本祭このもとさいも見逃したら次は二十年後なのよ」



 遷宮とは社殿の建て替えにより御神体を古い社殿から新しい社殿に移す行為だった。ここ大飛鳥神宮では二十年周期で遷宮が行われ、およそ準備に七年をかける。今年はその最初の年で、木本祭は心御柱しんのみはしらを伐採する特別な神事だった。時間も場所も関係者以外には明かされることなく、深夜こっそりと秘密裏に執り行われるのがしきたりだった。



 葉月はとかく度胸がよかった。神宮で事務方を務める葉月の父は、母のたおやかさを引き継がなかった愛娘をいつも嘆いていたが、本人はそんなことはどこ吹く風で活発に動き回ることを好んだ。そんな幼なじみの葉月を晴人はときに頼もしく、ときにうっとうしく思いながらもいつも行動を共にしていた。


「だってほらっ、なんか変な声聞こえるしっ」


 気味の悪さに晴人は身を震わせた。


「ただの梟の鳴き声よ」


 葉月は冷静に言い放って林の中を突き進む。



 なぜ木本祭は深夜こっそりと行われるのか。

 関係者はその理由を知っている。

 それは危険だからだ。

 神殿の床下に祭られるこの柱。


 心御柱しんのみはしら、またの名を忌柱いむはしら


 類い稀なその霊気は、いままでも様々なものを呼び寄せてきた。



 しかし晴人たちにはそんなことはわからない。二十年に一度しか行われないこの神事を見逃したくないと、それだけの思いで心御柱となる神木の伐採へ向かう神官たちの後をつけ回していた。


   ***


 たっぷりと一時間以上は歩いて、やがてかがり火が焚かれた場所が見えてきた。その中心には一本の立派なひのきがそびえ立っている。そこだけが拓けていて、まるでその檜の冷厳さにほかの木々が遠慮しているようだった。檜には注連縄しめなわが張られ、数人の木こりと斎服を着た神官、巫女、そしてそのまわりを取り囲むように武装をした男たちが立っていた。その数は二十人ほどで、各々が刀や弓、長刀などの武器を手に持ち、あたりに注意を向けている。そのなかには晴人の父親である不寺右鏡ふじ うきょうの姿もあった。


 不寺は瑞垣のなかでも平安時代から繋がる由緒ある血筋だ。代々、大飛鳥神宮を守護してきている。瑞垣とは一般には神社を囲う石垣のことを指すが、元々は国を守る陰陽師の総称だった。戦後、国家神道の廃絶を掲げるGHQの神道指令を前に、瑞垣は政府の指示で意図的に寺社から外され表舞台から姿を消した。現在は神宮寺など姓だけとしか残されておらず、その存在を思い出す者もいない。しかし秘密裏に任務を遂行する政府管轄の秘密機関として、いまも瑞垣の血筋は脈々と受け継がれているのだった。


 檜の前では紙垂しだれを結んださかきの枝をもって巫女が神楽を舞った。神聖な雰囲気があたりを包み込む。神官が祝詞のりとを神に向けて奏上したが、晴人たちがいるところまでは距離があってその言霊を正確に聞き取ることはできなかった。


「ねえ、もう少し近づけないかな」晴人が呟く。


「無理よ。もっと頭を下げて。怒られたくはないでしょう?」


 頭を上げた晴人を葉月が咎める。大人たちはふたりに気付いてはいないようだった。もっと別の、目に見えないものに気を払っているからだ。現に彼らの周りには絶えず小さな生き物が駆け回っていた。その一匹が晴人の近くを横切った。小汚く毛羽立った栗鼠が鼻をひくひくと動かして左右を見回していた。よく見るとその栗鼠の目は白く濁って何も映し出してはいない。天敵のてんにでもやられたのか臓腑にはぽっかり穴が空いている。


「きゃっ」葉月が小さく悲鳴を上げた。


 死骸である。


「平気だよ。式神しきがみだけど、何もしない」


 死骸の栗鼠は晴人たちには目もくれず、やがて別のところへ駆け去っていった。


「気持ち悪いわ……。いったい”しきがみ”ってなによ?」


「召使いみたいなものだよ。敵を探したり、一緒に戦ったりもするよ」


 答えながら晴人は父親の姿だけをじっと見つめていた。父は印を結んで直立したまま動かない。その姿を晴人は畏怖の念をもって胸に刻みつけた。


   ***


 ゆらゆらと揺れるかがり火の影にわずかな違いが生まれだしたのは、ご神木に木こりが斧が入れはじめてからすぐのことだった。


「来たぞっ」


 誰かが叫んだ。

 唐突にひとりの男が苦しみだした。喉を押さえてのたうちまわる。他の男たちが一斉に空を見上げて神法を唱えた。神木の伐採はそのあいだも手を止めることなく続き、斧が幹を穿つ音が響く。

 やがて何もなかったはずの暗闇の空に徐々に姿形が現れてきた。


「あやかし……」


 晴人は自然と声が漏れた。上空に舞う朝服を着た男の姿が見えたのだ。晴人はあやかしを見るのは初めてだった。男たちが発する神法の影響だろう、宙を浮くあやかしの体全体が青白い光を放っている。そこにいないものを討つことはできない。だからまず姿を明らかにする必要があった。男たちは神法により森羅万象を読み解き、異界に住まうあやかしに現身を与えようとしていた。しかしあやかしがその見えない鎖を振りほどくように袖を振り払うと、一陣の風がさっと巻き起こって神法を唱えていた男たちを切り裂いた。負けじと武器を持った男たちも次々とあやかしに襲いかかるが、その刃はどれもがむなしく空を切った。


「具現化させる霊力がまだ足りていないんだ」


 晴人はもどかしく頭をかきむしった。

 残りの神法を唱える男たちの声がさらに大きくなった。決して大声を張り上げているわけではないが、その声は神宮林全体を振るわせた。晴人の父である右鏡もあやかしに向けて神法を唱え続けている。しかしその姿に晴人は違和感をおぼえた。


「神子を連れていない!」


 神子は不寺に伝わる秘儀であり、神子なくして不寺の神法は成り立たなかった。神子をこの日に限って連れてきていないなど、あまりにも考えにくい。


「……晴ちゃん? 平気?」


 葉月に声をかけられて、晴人は自分がひどく汗をかいていることに気がついた。あやかしを見た興奮なのか、この場に対する恐怖なのか、晴人はとにかく葉月の手を強く握ると固唾をのんで事態の推移を見守った。

 あやかしは徐々にその姿をはっきりとさせた。漆の冠と白色のほうをまとい、その出で立ちは風雅な佇まいを感じる。肌は白く、鼻梁は細く、目には得も言わぬ力強い光を含んでいた。その服装と佇まいから、かなり古い時代の高貴な身分であることが察せられた。

「汝らはわれの邪魔をすると申すか」

 あやかしは空高くのぼり、力強い風のつぶてを男たちに浴びせかけた。その風もいまはおぼろげにその身を写している。

 風の正体は、死した兵士だった。

 骸の兵士たちが武器を手に空を疾走していた。その刃に触れた者たちが次々と傷を負っていく。またいくつかの骸は刀を捨てて素手で男たちの首を締め上げた。すでに倒れた者を喰らっている骸もいる。その光景はまるで地獄絵図をみるようだった。


「……怨霊オンリョウだ」


 晴人は呟いた。


「オンリョウ?」


 葉月が首をかしげると、晴人は父から学んだ知識を記憶の中から引っ張り出す。


「あやかしにもいくつか種類があるんだよ。死んだ人間の強い恨みから生まれた怨霊、物に霊魂が宿った付喪神つくもがみ、神が乗り移った神霊しんれい、その他にも色々。このあやかしはきっと怨霊なんだよ」


 怨霊の禍々しい妖気にあてられたのか、見入っているうちに晴人は金縛りにあったように体がしびれて身動きがとれなくなった。ただ目だけが慌ただしく父と、あやかしの動きを追う。すでに男たちの半数ほどが地面に伏していた。父も素早く印を結んで神法を唱えて戦っているが徐々に追い詰められている。残された者を取り囲むように骸の兵士たちは距離を縮めてきていた。祝詞を奏上していた神官もすでに倒れ、巫女たちは震えて膝をつき、神木に斧をあてていた木こりたちもとうに喰われてしまっている。


「大変! 助けなきゃっ」


 葉月が悲鳴を上げる。無謀にもあやかしのもとへ駆け込んでいこうとする葉月を晴人は必死に押しとどめた。


「駄目だよ死んじゃうよ!」


「だって、だって晴ちゃんのおとうさんがっ」


 晴人にとって父は手の届かないほど強く、確かな存在だった。晴人は心のどこかでまだ父がなんとかしてくれるに違いないと信じていた。


「あやかしはとんでもなく強いんだ。見つかったらはーちゃんも殺されちゃうよ。父さんがきっと何とかしてくれるはずなんだ。神子さえいれば父さんだってあんなに苦戦しないはずなのに……なんでこんなときに連れてないんだよっ」


「ミコって何?」葉月が訊いた。


「不寺の家に伝わる秘儀だよ。不寺の男は女の子を神子にしてあやかしと戦わせるんだ。神の加護を得た神子はあやかしよりもずっと強いんだよ」


 父がいつも語っている神子の力の大きさを、晴人は葉月に言って聞かせた。


「じゃあそのミコってのがいれば、あの変なおばけにも勝てるのね?」


 葉月が目を輝かせる。


「うん、きっと勝てるよ」


「晴ちゃんはそのヒギっていう魔法を使えるの?」


「もちろん、不寺の男だもん。使えるよ。……試したことはないけど」


 晴人は先日教わったばかりの神法を思い出して曖昧に頷いた。不寺の秘儀は口伝でのみ伝えられ、その内容を紛失しないように直系の男子が八つになった段階で教えられる。細部はうろ覚えだが、祝詞自体は憶えていた。ただ、この術を使うにあたって父が何か言っていた気がするが、晴人はそれがなんであるか思い出せない。


「じゃあ、やって! あたしをミコにしてよ!」


 晴人は目を白黒させた。


「はーちゃんがっ? 神子になるの?」


「そうよ。できるって言ったじゃない。ミコがいれば勝てるんでしょ?」


「でも、だって……」


「なによ、あたしが女の子らしくないって言いたいのね! あたしはこれでもれっきとしたレディよ!」


 葉月はぺったんこな胸を張って言い放った。晴人は気圧されて頷きそうになり、それでもどうにか考える。この場所にはこっそり来ているのだった。見つかったら怒られてしまうだろう。でも、もしここで役に立つことができるのならば、父は褒めてくれるかもしれない。いつも厳しく自分を叱ってばかりの父が褒めてくれるのならば、それはとても誇らしいことだと晴人は思った。


「晴ちゃん!」


 葉月が悲鳴を上げた。晴人は慌ててあやかしを見遣る。気付けばまとも地に立っているのは父ただ一人になっていた。父が懐から小刀を抜き出した。空を舞い襲いかかる骸を蹴って宙を飛ぶ。器用に空中を彷徨ういくつかの骸を足がかりにして白袍の怨霊に接近した。そのまま小刀が男の胸を貫こうとしたそのとき、怨霊の体が砂のように崩れて風に流れた。具現化が足りなかったのだろう。目標を失った父が地面に着地すると共に骸の兵士たちが襲いかかった。

 寄り集まった骸の兵士にまみれて、父の姿が見えなくなった。


(父さん!)


 晴人の叫びは声にならなかった。絶望で視界が真っ暗になる。


「あっ!」


 群がっていた骸たちが吹き飛ばされる。父はまだ雄々しく立っていたが、その体は血で真っ赤に染まっていた。


「晴ちゃん、早くっ」


 晴人は覚悟を決めて葉月と向かい合った。印を結んで呼吸を整える。神法は発音が大切だ。晴人は父から何度も言われたことを思い返して、ひとつひとつ丁寧に印を切った。


 呼吸が肝要。

 意識が大事。

 音がすべて。

 冷静さを失わずに、やりきるのがコツだ。


 晴人は葉月を見つめ、そして言った。


「葉月 とも に めし もうす」


 二人のあいだに見えない衝撃が走った。葉月は電撃に打たれたようにのけぞり、その瞳には艶やかで清廉な神の御霊みたまが映し出される。



「……!」


 邂逅は一瞬だった。いまは焦点を失い呆けた顔をした葉月がいる。


「……はーちゃん?」


 晴人は心配して声をかけた。葉月の生気を失った白い顔に徐々に紅が差していく。


「……感じるよ。すごく力が湧いてくるのが」


 葉月が大きく手を広げるとそこには光り輝く弓があった。左手に弓を、右手には矢を、どちらも羽毛みたいに軽いと葉月は言った。


「これは……?」


「それがはーちゃんが神さまにもらった祝福の力なんだと思う」晴人は答える。


「でもあたし、弓なんて使ったことないし……」


 葉月は泣きそうになる。確かに、突然こんなものを持たされてどうすればいいのか、晴人だって混乱する。


「だよね……。僕も使ったことない」


 晴人は両手を挙げてバンザイをした。


「何よっ。ちょっとは考えなさいよ!」


 もうこれ以上は訊かれても困ると言わんばかりの態度の晴人を葉月は怒鳴りつける。それでも葉月は見よう見まねで弓を引き絞った。弦は柔らかで子供の腕でもすんなりと引くことができた。


「とにかく、やってみるしかないよね……」


 葉月は白袍の怨霊に照準を合わせた。怨霊は運良く葉月に背中を向けていて、こちらには気付いていない。


「えいっ」


 葉月が思い切って、目をつぶって弓を撃った。矢は多少山なりの軌道を描きながらも勢いを止めることなく怨霊に向かっていく。


 ただならぬ霊気を感じたのか怨霊が振り返るのと、その顔をかすめるように輝く物体が通り過ぎていったのはほぼ同時だった。外れた。晴人が声を漏らす。


「どこに隠れている、不埒ものめ」


 怨霊が晴人たちを見て顔色を変えた。


「そこにおるか。いま始末をつけてくれよう」


「待て……」


 右鏡がよろめきながらも立ち上がった。


「ほう、まだ生きておうたか。まこと大した気概よのう。だがそちはもう飽いた。次の獲物がおるのでとっとと朽ち果てよ」


 怨霊は袖を軽く振り払った。骸の兵士たちが一斉に襲いかかる。今度はまったく抵抗させなかった。圧倒的な力を持って兵士が呪術師の首をはねるのを見届けてから、怨霊は晴人たちのほうへと近づいていった。



 晴人は言葉を失った。父が首をはねられた。悪い夢だと思った。葉月もとなりで呆然と立ち尽くしている。白袍の怨霊が風に乗るように晴人たちに向かってきた。葉月は慌ててもう一度矢を放ったが、矢は先程よりも大きく目標を外れて流れていった。


「ちょっとっ! 晴ちゃんっ。どうしよう!」


 葉月が晴人の肩を揺さぶる。晴人はただ立ち尽くした。葉月の呼びかけも晴人は聞こえていない。凍える夜の冷たさも、死骸が放つ血の匂いも、何も感じはしなかった。父の顔だけが、そこにあるのだった。切り離された首は空を見つめている。その眼差しはまだ怨霊を倒そうと戦っているようでもあり、自身の力の及ばなかったことに憤怒しているようでもあった。父を失った衝撃を、どう消化していいのか晴人にはわからない。不寺右鏡は晴人にとって父であり、師であり、絶対的な存在だったからだ。


 その父がこうも簡単に死んでしまうとは、にわかに信じることはできなかった。


 それに、もう手もなかった。いくつかの簡単な神法を父から教わっていたが、神子を超えるものはない。そもそも神子の神法だってまだきちんと学んだものではなく、晴人の体に流れる不寺の血が運良く成功に導いたに過ぎなかった。もう万策尽きたのだ。


「晴ちゃん逃げようっ」


 葉月が太郎の手を引いて逃げようとして、骸の兵士たちが進路を遮った。


「どこへゆく? 邪しき神の眷属よ?」


 白袍の怨霊が涼やかに微笑んだ。全身が粟立つほどの妖しく魅惑的な顔をしていた。晴人の目に涙が浮かぶ。それは父を失った悲しみなのか、これから自分の身に降りかかる恐怖のせいなのか、よくわからなかった。ただ強く握りしめられた葉月の手の体温を感じ、巻き込んでしまったことを申し訳なく思った。ひっひっと嗚咽がこみ上げてきて、やがて晴人はこらえきれなくなって泣き出した。わんわんと泣き叫ぶ晴人を、葉月が白袍の怨霊からかばうように抱きかかえる。


「憐れな小童わっぱよのう」


 白袍の怨霊が笑みを浮かべたまま手を軽く振り上げる。骸の兵士たちがその合図を待っていたかのように動き出す。葉月も観念して目をつぶったそのとき、


「待ていっ」


 と地面を轟かす低い咆吼とともに錫杖しゃくじょうが骸と晴人たちの間に突き刺さった。


「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・りんびょうとうしゃかいちんれつざいぜん……臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前……」


 どこからともなく呪法がこだました。地に刺さった錫杖の遊環ゆかんが振動でぶつかり合って音が鳴り響いた。怨霊の近くにあった杉の木がばさばさと揺れ、ひとりの男が悠然と大地に降り立った。頭に多角形の頭巾ときんをかぶり、屈強な体に袈裟をまとっている。神宮に数多くいる修験者の格好だ。


「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前」


 修験者が低い声で呪法を唱えた。怨霊が憎々しげに吐き捨てる。


「こしゃくなっ。吾に現身うつせみなど」


 骸の兵士が修験者に襲いかかる。修験者は人間離れした跳躍で檜の頂上に登った。骸が風に乗って追いかけるが、修験者はむささびのように木から木へ軽快に飛び移る。


「いまなら……」


 葉月は白袍の怨霊めがけて弓を構えた。怨霊はさっきよりずっと近くにいて、修験者に気を取られていて葉月の行動はまったく気に留めていなかった。葉月が狙いをさだめて矢を放つ。今度こそ一筋の軌跡が白袍の怨霊に吸い込まれていった。


「ぐああああぁっ」


 光り輝く矢が怨霊に打ち当たり、怨霊は顔を押さえてのたうち回った。


「畜生のこざかしき……」


 怨霊が鬼の形相を見せる。矢の突き当たった右目は醜くただれていた。怨霊が袖を振るった。骸の兵士が迫ってくる。晴人たちを喰い尽くさんと、骸はその骨だけの顎を広げた。

 逃れられない恐怖のなかで、晴人は懸命に助けを求める。



 助けて!



 何度も叫ぶ。



 助けて!!



 やがてどこからか、声が聞こえた。


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