9話:最強がもたらす結果
強さは、救いになる。
だが同時に、それは必ず“何か”を壊す。
最強であるということは、
誰よりも前に立ち、誰よりも多くを背負うということだ。
守れた命の数だけ、守れなかった現実が積み上がっていく。
回道 丞は、まだ知らない。
自分が踏み越えたその一線が、
どれほど多くの運命を巻き込み、歪めていくのかを。
最強は称号じゃない。
それは結果であり、責任であり、
逃げることを許されない呪いだ。
この話は2人の最強のどちらかが勝つまで終わらない。
四神の同時攻撃が、校庭を蹂躙する。
阿修羅の連撃、プロメテウスの重圧、ガネーシャの拘束、スサノオの斬撃。
それぞれが単体でも脅威――それが同時だ。
だが回道は、正面から受けない。
回道が地を蹴る。
消える。
現れる。
ほんの一瞬だけ存在を表し、最短距離で打ち込み、また消える。
阿修羅の拳が空を裂き、
プロメテウスの炎が地面を焦がし、
ガネーシャの鼻が虚空を掴み、
スサノオの大剣が地面を抉る。
だがその度に、
「カッ」「ゴッ」と鈍い衝撃が走る。
確実に。
少しずつ。
四神の身体に、ひびが入っていく。
剛堂「……削ってる」
思条「真正面から勝つ気じゃないな」
回道の目は冴えきっている。
未来視で“勝てない未来”を避け、
思考加速で最適解だけを拾い続ける。
一撃必殺じゃない。
勝ち筋を、積み上げている。
扇が舌打ちする。
扇「そんなチマチマやったとこで、後六神残ってんだぞ!」
空間が軋む。
扇の背後、幾重にも重なる裂け目。
神々の“気配”が、さらに増す。
扇「――ギア、上げる」
その瞬間、
圧が変わった。
回道の皮膚が粟立つ。
本能が警鐘を鳴らす。
回道(……来る)
扇が空中に、指先で円を描く。
これまでの裂け目とは違う。
歪みは静かで、異様なほど“整って”いた。
回道「次は何出すんだ?」
扇は一瞬だけ目を閉じ、叫ぶ。
扇「――卑弥呼ッ!」
円が淡く光り、音もなく広がる。
そこから現れたのは、攻撃的な神ではなかった。
台座。
その上に、ゆっくりと腰を下ろす一人の女。
長い黒髪。
閉じた瞳。
纏う空気は、威圧ではなく――支配。
校庭の空気が、重く沈む。
回道「……」
卑弥呼が、静かに目を開く。
その瞬間。
世界が“ズレた”。
剛堂「……っ、息、しづら……」
思条「空気が……命令されてるみたいだ……」
卑弥呼は一言も発していない。
だが、回道の脳に“選択肢”が流れ込む。
――動くな
――攻撃するな
――膝をつけ
回道「……ッ!」
反射的に歯を食いしばる。
思考加速。
未来視。
存在隠蔽。
――全部、弾かれる。
回道(概念にまで干渉してくるのかよ……!)
卑弥呼はゆっくりと手を上げる。
それだけで、地面に走る見えない線。
回道の足が、止まった。
回道「……クソ……!」
無理やり踏み込もうとするが、身体が言うことを聞かない。
まるで「そこに立ってるだけ」がルールであるかのように。
扇が、息を吐く。
扇「卑弥呼は攻撃神じゃない。
支配と統治の神だ」
回道を、見据える。
扇「お前みたいな“最強”ほど、縛りやすい」
卑弥呼の視線が、回道を貫く。
その目には感情がない。
あるのは、ただ“裁定”。
回道の背中に、冷たい汗が流れる。
回道(……ヤバいな、これ)
今までの敵は、殴れた。
速さで、力で、工夫で、どうにかなった。
だがこれは違う。
戦闘そのものを、否定してくる存在。
扇が一歩、前に出る。
扇「どうする、回道」
回道は、ゆっくりと笑った。
回道「……なるほどな」
止まったまま、顔を上げる。
回道「最強の弱点ってのは――
“ルールを作られること”か」
卑弥呼の周囲で、空気が揺れる。
回道の足元で、見えない“命令”が軋む。
卑弥呼の支配は続いている。
動けば拒絶され、思考すら縛られる感覚。
回道「……支配、統治、裁定……」
小さく呟き、息を整える。
歯を食いしばり、無理やり力で抗う――その瞬間。
回道は、やめた。
力を入れない。
動こうとしない。
“従う”という選択を、あえて取る。
卑弥呼の瞳が、わずかに揺れた。
――従順。
その判定が下りた、刹那。
回道の思考が、極限まで加速する。
思考加速。
未来視。
そして――ステータス可視化。
回道(……見えた)
卑弥呼の能力は、対象の「概念」に干渉する。
言ってしまえば、“存在隠蔽で回道という存在”を消してしまえば縛れない。
干渉する概念自体を消してしまえばいい
回道は、一歩も動かないまま、存在隠蔽を起動する。
回道がいたその場には卑弥呼の支配が残っているが、回道の本体は別次元にいる。
次の瞬間。
卑弥呼の支配が、抜け落ちた。
支配対象が居ないからだ
回道「――今だ」
地面を蹴る音はしない。
気配もない。
ただ、空間が歪む。
回道は卑弥呼の真横にいた。
回道「支配する側が、殴られるのは想定外だろ」
一撃。
迷いのない、最短距離の蹴り。
卑弥呼の台座が砕け、光が弾ける。
卑弥呼は声も上げず、霧のように霧散した。
静寂。
校庭に立っていた全員が、言葉を失う。
文月「……え?」
数埜「今……何が……」
扇ですら、目を見開いている。
回道「存在隠蔽を忘れんなよ」
その瞬間回道と宇未が重なる
剛堂が、低く呟いた。
剛堂「……まだだ」
全員が剛堂を見る。
剛堂「まだ、本気じゃない」
思条「は……?」
数埜「あれで、か……?」
剛堂は視線を回道から逸らさない。
剛堂「俺が見た、あの技……
あの本霊戦で使った“連撃”を、まだ一度も使ってない」
空気が、凍る。
剛堂「どういうことだ……?」
そして、息を呑む。
剛堂「……まさか……」
回道の背中を、見据えたまま。
剛堂「十神家の能力……
コピーしようとしてるのか……!?」
クラスメイト達が、一斉に息を呑む。
コピー。
それは回道の切り札。
天城が、静かに言った。
天城「……愚策でもあり、最善でもある」
文月「どういう……」
天城「十神家の能力は“神格”だ。
並の器なら、触れただけで壊れる」
回道の背中が、わずかに揺れる。
剛堂「……それでも、やるって顔だな……」
回道は振り返らない。
ただ、前を見る。
戦鬼は、まだ進む。
“最強”の、その先へ
卑弥呼が霧散した瞬間、空気が一段冷えた。
扇が目を見開く。
扇「……あれを、制圧しただと?」
信仰も精神干渉も通じない。
“内側から崩す”という選択肢が潰えたことを、扇は即座に理解した。
扇「武力で行けないなら内側から、と思ったが……それも超えていくか」
回道は鼻で笑うように息を吐く。
回道「舐めんな」
その一言と同時に、阿修羅の三連撃が空間を裂く。
拳、蹴り、衝撃波――三方向からの必殺。
だが回道は、動かない。
半歩、重心をずらすだけで拳が空を切り、
足先で地面を弾き、衝撃波の“間”をすり抜ける。
まるで攻撃が来る“前提”を知っているかのような動き。
阿修羅「――ッ!」
次の瞬間、回道の姿が掻き消える。
プロメテウスが反応するより早く、
顎に衝撃が叩き込まれた。
回道の蹴りが、下から上へ突き上げる。
炎が爆ぜるが、それより先に顎が跳ね上がり、
プロメテウスの巨体がのけぞる。
プロメテウス「ゴァッ……!」
止まらない。
回道は着地しない。
空中で身体を捻り、そのまま回転。
視線の先には、ガネーシャ。
落下エネルギーをそのまま叩き込む。
かかと落とし。
頭頂に直撃し、鈍い音が大地に響く。
ガネーシャの巨体が膝を折り、地面が沈む。
ガネーシャ「パオォ……ッ!」
四神が、同時に押されている。
剛堂が喉を鳴らす。
剛堂「……まだ、こないのか」
連撃が来ない。
“あの嵐”が、まだ来ていない。
扇は歯を食いしばる。
扇「……クソッ」
その視線は、神ではなく――
能力そのものを見ていた。
扇は完全に頭に血が上っていた。
怒りと焦燥で視野が狭まり、回道が何を狙っているかにすら気づいていない。
回道はそれを理解しているからこそ、煽り続ける。
回道「どうした? 十神家の神様ってこの程度か?」
一瞬の静寂。
次の瞬間、爆音と共に阿修羅が吹き飛んだ。
地面を削り、転がり、霧散。
扇「……なっ! 阿修羅が……!」
無意識に、一歩引く。
その隙を逃さない。
回道はガネーシャの巨体に飛びつき、
伸びた鼻を両手で掴む。
そのまま全力で引きずり下ろす。
ズドン!!!!!
ガネーシャの頭部が地面に叩きつけられ、
地面が陥没する。
だが、止まらない。
掴んだまま回転。
巨体を武器として振り回す。
その軌道上に――スサノオ。
スサノオが大剣を構え、真正面から受け止める。
金属音。衝撃波。
だが――
力負け。
剣が弾かれ、スサノオの身体が吹き飛ぶ。
同時に、ガネーシャも投げ飛ばされ、
二神同時に地面へ叩きつけられ霧散。
観ている全員が、言葉を失う。
その瞬間。
背後から灼熱。
プロメテウスの炎が爆ぜ、奇襲。
回道の背中に直撃し、衝撃と共に吹き飛ばされる。
回道「チッ……」
空中で体勢を立て直し、着地。
地面に靴底が擦れる音。
ゆっくりと顔を上げると――
視線の先。
扇が、次の印を結んでいる。
空間に、線が走る。
回道の目が細くなる。
扇の呼吸は荒く、
目は怒りと焦りで濁っている。
扇「……殺す」
冷静さはもうない。
判断も、戦術もない。
ただの“感情”。
扇の指が止まる。
空中に描かれた三本線が、じわりと震え――そのまま天へと射出された。
線は消えない。
雲を裂き、風を押し退け、一直線に太陽の位置へと吸い込まれていく。
回道「……ッ」
視界が白く滲む。
直視したわけでもないのに、目の奥が焼けるように痛む。
本能が理解する。――見てはいけないものが、降りてくる。
太陽が、歪んだ。
次に落ちてきたのは、線ではない。
人影だ。
輪郭は曖昧だが、確かに“立っている”。
太陽を背負い、空からゆっくりと――落ちてくる。
扇が叫ぶ。
扇「太陽が出てる時にしか召喚できない条件付きだ!
味わえ! 太陽神ッ!!」
影が地面に触れた瞬間――
空気が変わった。
熱。
いや、熱という言葉では足りない。
数十メートル丸々がオーブンに入れられたかのような、焼かれる前段階に入ったような感覚。
草が音もなく枯れ、
地面がひび割れ、
呼吸するだけで喉が灼ける。
クラスメイトたちが、思わず後退する。
剛堂「……なんだよ、これ、」
天城が低く呟く。
天城「観客にも被害が出始めるころか……」
影が、ゆっくりと顔を上げる。
そこに“目”はない。
だが確実に、全てを見下ろしている。
扇が、勝ち誇ったように腕を振り下ろす。
扇「――ラーッ!!」
太陽神ラー。
照射。
裁き。
逃げ場のない、絶対光。
回道は、歯を食いしばりながら笑った。
回道「……なるほどな」
背中を、汗が伝う。
回道「やっと、神らしいのが来たじゃねぇか」
扇が肩で息をしながら、なおも言葉を吐き捨てる。
扇「残りの神は次元がちげぇ……一体ずつしか出せねぇからリスクなんだがよ」
指先が、わずかに震えている。
それでも退かない。退けない。
扇「ここまで来たら関係ねぇ。
――お前を止める」
ラーの足元から、光が脈打つ。
照射という概念そのものが、固定され始めていた。
回道は一歩、前に出る。
熱で靴底が焦げる感触がはっきりと伝わる。
回道「次元が違う、か」
軽く首を鳴らす。
ステータス可視化が自動的に走る。
だが――表示は、途中で歪んだ。
【対象:太陽神ラー】
【分類:神格】
【警告:解析不能領域を含みます】
【警告:照射範囲=戦場全域】
回道「……へぇ」
笑う。
だが、目は一切笑っていない。
剛堂が歯を食いしばる。
剛堂「冗談だろ……逃げ場、ねぇじゃねぇか」
思条も、息を呑む。
思条「光そのものが攻撃……?」
ラーが、ゆっくりと腕を上げる。
太陽が、呼応する。
空が、白くなる。
扇「しかも、プロメテウスは太陽神ラーと相性がいい。残したことが間違いだ」
回道は走りながら、視線だけをプロメテウスへ向ける。
違和感があった。
――さっきと、違う。
扇「大きいのがプロメテウスの弱点だ。だが、ラーを出せればその弱点も消える」
空から降り注ぐ太陽光。
灼熱。
照射。
それらが、プロメテウスの体へと吸い込まれていく。
炎を喰らう炎。
熱を取り込む神。
先ほどまで、印の中から上半身だけを覗かせていた存在は、ゆっくりと“完成”していく。
光を纏いながら、全身が地に降り立つ。
細身。
だが、明らかに圧が違う。
剛堂が息を呑む。
剛堂「……縮んだ、のか?」
思条「いや……凝縮してる」
その通りだった。
体積は減った。だが密度が違う。
一歩踏み出すだけで、地面が軋む。
プロメテウスが顔を上げる。
燃える眼が、回道を捉えた。
その瞬間――
空気が爆ぜた。
回道「ッ――!」
横薙ぎに振るわれた腕から、炎と光が同時に放たれる。
回道は地面を蹴り、浮遊で軌道を変える。
だが、完全には避けきれない。
肩口が焼ける。
回道「チッ……!」
扇が笑う。
扇「逃げ切れねぇぞ。今のプロメテウスは、ラーの加護下だ。
光も熱も、全部“力”になる」
回道は着地し、即座に距離を詰める。
スピードに全振り、太陽神ラーですら追えないスピードで、
だが、次の瞬間――プロメテウスの視線が、正確に回道を追った。
回道「……見えてる?」
違う。
見ているんじゃない。
感じている。
光の揺らぎ。
温度の変化。
空気の歪み。
回道の存在そのものを、熱として捉えている。
プロメテウスが拳を振り上げる。
太陽光が収束し、灼熱の塊となる。
ステータス可視化が、再び走る。
警告音。
解析不能。
【対象:回道 丞】
【警告:体温超過】
それでも、回道は笑った。
回道「上等、上等ォ!」
次の瞬間。
回道は、炎と光の中心へ――自ら飛び込んだ。
回道の体中に、焼けるような痛みが走る。
皮膚が悲鳴を上げ、視界の端が白く滲む。
ステータス可視化が、脳内でけたたましく警告を鳴らし続けていた。
ダメージ過多。
危険域。
限界突破。
――それでも。
回道は、光を帯びたまま笑っていた。
その姿を見た瞬間、扇の表情が凍りつく。
半殺しにする覚悟はあった。そこまでしないと止めれないからだ。
だが、“自分から焼かれに行く”という発想は、どこにもなかった。
明らかな自殺行為だ
扇「えっ……ちょっ、なに……」
声が揺れる。
その揺らぎを、召喚された神は見逃さない。
十神の神々は、術者の精神と直結している。
プロメテウスが、わずかに動きを止めた。
ほんの一瞬。
だが、戦場では致命的な一瞬。
回道「あめぇよッッッ!!!」
叫びと同時に、回道の身体が軋む。
剛堂から受け継いだ身体強化――力に全振り。
踏み込み。
腰の回転。
全身の筋肉が、限界を超えて収縮する。
渾身の一撃。
拳が、プロメテウスの顔面に突き刺さった。
鈍い衝撃音。
神の顔が陥没し、そのまま地面へ叩きつけられる。
大地が揺れ、砂煙が舞う。
プロメテウスはなおも、最後のあがきのように炎を噴き上げる。
ぼう、と空気が燃え、熱が広がる。
――だが。
その炎が、途中で途切れた。
同時に、太陽神ラーの輝きも、急激に失われる。
照射。
熱。
光。
周辺一帯を支配していた能力が、糸を断たれたように消失していく。
静寂。
回道は、焦げた体で立っていた。
息は荒い。
体は限界だ。
それでも、倒れない。
断隙「――無効」
空気が変わる。
半径数メートル。
能力“だけ”が、沈黙した。
断隙「もうちょい早く止めてあげてよ、天城先生」
天城の指示で断隙が能力を使った
回道は舌打ちする。
チッ、と短く、苛立ちを隠しもしない音。
ゆっくりと顔を上げ、扇を見る。
――その目が、違った。
そこにあったのは、
「主人公になりたい」と笑っていた頃の回道ではない。
正義だとか理想だとか、そんなものを語る顔でもない。
まるで――敵側の人間みたいな目。
それを見た瞬間、扇の顔が強ばる。
背筋に、はっきりとした寒気が走った。
回道は、一歩踏み出す。
次の瞬間、走り出していた。
能力なし。
小細工なし。
真っ向勝負。
致命傷を負っているのは回道の方だ。
呼吸も荒く、身体は限界を超えている。
――それでも。
対人能力の差は、圧倒的だった。
扇は反射的に構える。
だが、分かってしまう。
(勝てない)
理屈じゃない。
未来視でもない。
“本能”がそう告げていた。
その刹那。
スッ――と、影が割り込む。
気づいた時には、天城がそこにいた。
回道の動きが止まる。
いや、止められた。
関節を極められ、重心を崩され、逃げ場を完全に潰される。
一瞬。
本当に、一瞬の出来事だった。
回道は歯を食いしばる。
気合いだけで、意識を繋ぎ止めてきた。
――だが。
プツリ、と。
糸が切れるように、意識が途切れた。
崩れ落ちる回道の身体を、天城が静かに支える。
校庭には、重たい沈黙だけが残っていた。
一目で見れば、勝敗は明白だった。
扇は、ほぼ無傷。
回道は、満身創痍。
血に塗れ、火傷だらけで、立つことすらままならない姿。
この場にいなかった者が見れば、誰もが同じ結論に辿り着くだろう。
――扇の勝利だ、と。
だが。
この戦いを“見た者”だけは、違った。
あの場で何が起きていたのか。
どれほどの狂気と、執念と、理不尽が叩きつけられていたのか。
それを理解している者だけが、同じ答えに行き着く。
――勝ったのは、回道だ。
そして、その事実を誰よりも痛感しているのは、扇自身だった。
汗が、止まらない。
呼吸が、異様に速い。
だがそれは、神を呼び出した反動でも、能力使用の代償でもない。
純粋な――恐怖。
回道の戦い方。
一切の躊躇なく、限界を越え、壊れることすら厭わずに踏み込んでくるその姿。
勝ち負けじゃない。
生き方そのものが、異質だった。
扇
扇は、無意識に拳を握り締める。
神の力を扱ってなお、
人としての領域を踏み越えてなお、
気持ち的に最後に立っていたのは、回道だった。
その事実が、
扇の心に、深く、深く突き刺さっていた。
他のクラスメイトも、誰一人として声を出せなかった。
息を呑む、という表現ですら生温い。
喉が閉まり、思考が止まり、ただ目の前の光景を焼き付けることしかできない。
――こんなもの、見たことがない。
いや、違う。
今後の人生でも、確実に見ることはない。
誰もが直感的に理解していた。
遥か昔――
妖怪封印大戦争。
この業界に身を置く者なら、知らぬ者はいない大事件。
歴史書に刻まれ、語り継がれ、
「二度と起きてはならない」と言われ続けてきた災厄。
だが、今ここで行われた戦闘は、
それと同列に並べられる。
いや、もしかしたら――
それを超えるかもしれない。
規模の話じゃない。
被害の話でもない。
「人間が、ここまでやれるのか」という、
世界の前提をひっくり返す戦いだった。
最強。
そして、最強に限りなく近い者。
神を従え、世界の理を歪める天才と、
神すら踏み台にして前へ進む異物。
その衝突。
誰もが理解している。
この戦いは、今日で終わりじゃない。
今日のこれは、
**歴史が動いた“最初の一撃”**に過ぎない。
そして――
この戦いの中心にいた名は、必ず残る。
回道 丞。
十神 扇。
その名前は、
いずれ畏怖とともに語られることになる。
「最強と最強に近し者の戦い」
――そう呼ばれるには、あまりにも相応しすぎる光景だった。
扇が、恐る恐る口を開く。
自分がどうかしていたことは、分かっていた。
戦闘の最中、自分の口から飛び出した言葉。
――殺してやる。
その言葉が、回道の顔と重なって、何度も頭の中を巡る。
やりすぎた。
取り返しのつかない一線を、踏み越えかけた。
そんなことは、もう十分すぎるほど理解している。
今、考えるべきことは一つだけだった。
回道は――無事なのか。
扇「か、かい……回道は……大丈夫、です、か?」
声が途切れ、震える。
さっきまで神を従えていた人間とは思えないほど、弱々しい声だった。
天城は、回道に視線を落とし、短く息を吐く。
天城「……ほんと、こいつはバケモンだな」
淡々とした口調。
だが、その奥にある感情は、誰の目にも分かった。
天城「この損傷で生きてる。致命傷ギリだが……死にはしない」
その言葉を聞いた瞬間、
扇の肩から、張り詰めていた力が一気に抜けた。
安堵と、後悔と、恐怖が混ざり合い、
胸の奥がぐちゃぐちゃになる。
扇は、唇を噛みしめた。
(……次は)
次に向き合うときは、
こんな形じゃない。
そう、心の底で誓いながら――
扇は、回道から目を離すことができずにいた。
校舎の陰。
戦場から少し離れた位置で、二つの影が静かにその一部始終を見届けていた。
厓山「……なんすか、あいつ……」
厓山、現三年教師で禍津学園の中では百目鬼校長を次いで古株の教師、十神と天城に実力は負けており知識でしか勝てることがない
厓山「とんでもねぇ……マジで、とんでもねぇ……」
百目鬼は腕を組んだまま、視線を校庭から外さない。
百目鬼「少し落ち着いてください。気持ちは分かりますが、クラス全員が能力持ち、という時点で異例です。それだけでも前代未聞なのに……」
百目鬼「何十年も生徒を見てきましたが、あのレベルは初めてですよ。しかも――二人も、です」
厓山は喉を鳴らした。
厓山「十神 扇……それと回道 丞、だっけ、“とが先”の弟、マジでやべぇな……」
その瞬間、百目鬼のこめかみにピキッと青筋が浮かぶ。
百目鬼「だから、十神先生のことを“とが先”と呼ぶのを、いい加減やめなさい」
厓山「え、でも本人いないし――」
百目鬼「いなくてもダメです」
ぴしゃり、と言い切る百目鬼。
厓山は肩をすくめて、視線を再び校庭へ戻した。
厓山「……にしてもよ、あれ、生徒同士の喧嘩の域、完全に超えてますよね」
百目鬼「ええ。間違いなく」
百目鬼は、意識を失って倒れている回道を見下ろす。
百目鬼「才能、資質、本能……どれか一つでも欠けていれば、成立しない戦いでした」
百目鬼「そして何より――」
一拍、間を置く。
百目鬼「あの回道という生徒。自分が“何になりかけているか”を、まだ自覚していません」
厓山「……それ、ヤバくないっすか」
百目鬼「ええ。非常に」
静かに、しかし確信を込めて。
百目鬼「あれは、育て方を間違えれば――災厄になります」
風が吹き、校庭の砂埃が舞う。
厓山は苦笑しながら、ぽつりと漏らした。
厓山「……教師って、楽な仕事じゃねぇなぁ」
百目鬼「今さらですね」
二人はそれ以上言葉を交わさず、
ただ“最強が生まれる瞬間”を、黙って見つめ続けていた。
飛鷹がずかずかと二人の前に出てくる。
無駄に胸を張り、勝ち誇ったような顔だ。
飛鷹「あんたらが知る前から、俺はあいつのこと知ってんだ」
百目鬼と厓山が同時に視線を向ける。
飛鷹「回道 丞だよ。あいつが弱っちい時からな。今みてぇなバケモンになる前から、ずっと!な!」
なぜか誇らしげだ。
自分が強かったわけでも、育てたわけでもないのに。
厓山「……で?」
飛鷹「は?」
百目鬼「それで、何が言いたいんですか」
飛鷹は一瞬言葉に詰まり、視線を泳がせる。
飛鷹「いや……だから……あいつが今こうなったの、俺は前から知ってたって話で……」
厓山はため息をついた。
厓山「自慢になってねぇぞ、それ」
飛鷹「なっ……!」
百目鬼が静かに言う。
百目鬼「弱い時を知っている、というだけで誇るなら」
百目鬼「教師は全員、世界一の自慢屋になります」
飛鷹は口が開いたまま固まった。
百目鬼は視線を校庭へ戻す。
百目鬼「本当に胸を張っていいのは、“今の彼を止められる人間”だけです」
厓山「……それ、ここにいねぇよな」
百目鬼「ええ。残念ながら」
飛鷹は、倒れている回道を見つめる。
さっきまでの得意げな表情は、いつの間にか消えていた。
飛鷹(……俺、あいつの“何”だったんだ?)
答えは出ない。
校庭には、まだ戦いの余韻だけが残っていた。
保健室。
消毒薬の匂いが濃く漂う中、ベッドに横たわる回道 丞を、三人の医療能力持ちの教師が取り囲んでいる。
皮膚は焼け爛れ、内部損傷も深刻だが、それでも微かに胸は上下している。
医療長――猪野手 榅は、治療を続けながら天城に鋭い視線を向けた。
榅「天城……なんで、ここまでほっといたんだ。止めるタイミング、いくらでもあっただろ」
天城は返事をしない。
腕を組み、壁にもたれかかったまま、ただ回道を見ている。
助手――猪野手 壱岐が、回道の胸元に手をかざしながら声を荒げた。
壱岐「……何とか言ったらどうですか?」
治癒の光を維持しながらも、その声には苛立ちが滲んでいる。
猪野手 榅「この火傷、この内臓損傷……普通なら即死だぞ。いや、普通じゃなくても死ぬ」
榅「生きてるのが奇跡ってレベルだ」
天城は、ようやく口を開いた。
天城「……止めたら」
壱岐「ん?」
天城「途中で止めてたら、“最後までやらなきゃダメだった”って、ずっと引きずる」
榅「だからって、殺されかけるまで放置していい理由にはならねぇだろ!」
天城は視線を伏せることなく、淡々と続けた。
天城「あれは訓練でも模擬戦でもない。回道 自身が選んだ“覚悟の量”だ、俺が奪う権利はなかった」
一瞬、保健室が静まり返る。
治癒能力の発動音だけが、低く響く。
壱岐「……これだから嫌いなんだよ教師って」
榅「だが……」
榅は回道の顔を見る。
意識はないが、苦悶の表情はなく、どこか満足げですらある。
猪野手 榅「……確かに、途中で止めてたら、もっと厄介になってたかもしれん」
壱岐「医者としては、納得できませんけど」
天城「それでいい」
天城は小さく息を吐いた。
天城「医者は命を救え。教師は……生徒の“先”を見据えて背負う」
回道の指先が、ほんの僅かに動いた。
壱岐「……反応、ありました」
榅「……ほんとにバケモンだな」
榅は苦笑しながら、治療を続ける。
榅「安心しろ。死なせはしねぇ」
壱岐「俺らがいる限りな」
天城は何も言わず、ただその光景を見つめていた。
目を閉じ、静かに思考の底へ沈んでいた。
(建前では、ああ言ったが……)
本当の理由は、別にある。
十神は確かに言っていた。
回道 丞は、霊力の才能が致命的に低い、と。
測定値も、訓練の結果も、それを裏付けていた。
だから天城自身も、そう認識していた。
――だが。
戦闘中、ありえない現象が起きていた。
霊力反応が、何度も跳ね上がっていた。
一度や二度ではない。
解放現象が起きても不思議ではない領域に、何度も達していた。
(……それでも、解放されなかった)
否。
正確には――されなかった、のではない。
(止めていた)
天城の眉が、僅かに寄る。
霊力には“色”がある。
才能や性質、魂の傾向によって発現する波長は異なり、それは長年この世界に身を置いてきた者なら、感覚的に判別できる。
天城自身は紫。
十神も、同じく紫。
百目鬼校長は黒。
赤、オレンジ、青、緑――
数え切れないほどの霊力色を、天城はこれまでに見てきた。
だが。
(……一色だけ、見たことがない)
炎色――白。
それは古い伝承にしか記されていない色だった。
白炎。
時代の節目、世界が大きく歪む直前に現れるとされる、例外中の例外。
実在しない、もしくは既に失われた霊力現象だと、そう扱われてきた。
(ありえない……はずなんだ)
解放寸前まで膨れ上がった霊力が、次の瞬間には抑え込まれている。
外へ噴き出そうとする力を、内側から押さえつけているかのような挙動。
そして、その一瞬。
天城は、確かに見た。
(……白炎)
ほんの刹那。
錯覚と言い切るには、あまりに明確だった。
回道 丞の内側で、白い炎が、確かに揺らいだ。
(制御しているの、あれは無意識じゃない……)
意図的だ。
才能がないのではない。
出せないのでもない。
(“出さない”選択をしている)
霊力は、本能に近い。
特にあの年齢で、あれ程の命の危機に瀕すれば、霊力暴走するのが常だ。
止めようとして止まるものではない。
それを、回道 丞は――
肉体が崩壊寸前の状態で、押さえ込んでいた。
天城「……」
口には出さない。
だが、胸の奥に重く沈む予感があった。
(もし、あれを解放したら……)
プロメテウスも、ラーも、あの場にいた全員も。
無事では済まなかった可能性が高い。
例外はなく、天城自身も
(それを、あいつは使わなかった)
勝つためではない。
生き残るためでもない。
――人間としての領域を“越えてしまわない”ために。
天城は、眠る回道へと視線を向けた。
ベッドの上の少年は、満身創痍で、静かに呼吸をしている。
だが、その内側には、教師である自分ですら測りきれない何かが眠っている。
天城(……主人公になりたい、か)
その言葉を思い出し、ほんの一瞬だけ、苦く笑った。
天城(なりたいんじゃない。もう、なってるのかもな)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第九話からこの戦闘に至るまで、本作の中でもひとつの「節目」となる場面でした。
最強と呼ばれる存在と、最強に最も近づいた者。
その勝敗は、結果だけを見れば明確ではありません。
しかし、何を賭け、何を選び、何を抑え込んだのか――
そこにこそ、この戦いの本質がありました。
十神 扇は正しさの中に立ちながら、
神の力に頼り、理性を失いかけた。
彼の敗北は、肉体でも能力でもなく、
“戦い方”そのものにあったと考えています。
白炎という要素は、物語の核心に近い存在です。
今はまだ説明されず、理解されず、恐れられてもいない。
ですが、確実に「時代の歪み」として、物語の裏側で息をしています。
この戦闘は、事件として語られるでしょう。
妖怪封印大戦争に並ぶ出来事として、
後の世代が知識として学ぶ戦いになるかもしれません。
けれど、当事者たちにとっては――
恐怖であり、後悔であり、
そして「もう戻れない」と悟る瞬間でした。
ここから先、
回道 丞はさらに孤立していきます。
強くなるほど、理解されなくなるからです。
それでも歩みを止めない理由は、まだ語られていません。
それは、もう少し先の話になります。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




