6話:揺らぐ最強
最強という言葉は、揺らがないものを指すはずだった。
力でねじ伏せ、理で黙らせ、結果だけを積み上げていけば、そこに迷いは生まれない――少なくとも、そう信じられていた。
だが、回道 丞は気づき始めている。
強くなればなるほど、周囲の視線が変わっていくことに。
称賛ではなく警戒へ、期待ではなく恐怖へと。
この学園で初めて訪れた、ほんの僅かな平穏。
笑顔も、会話も、日常も、確かにそこにある。
それでも、その足元にはすでに亀裂が走っている。
これは、最強がさらに前へ進むための物語ではない。
最強が「揺れる」ことを、初めて許される物語だ。
――そしてこの揺らぎこそが、
後戻りできない地獄の、始まりとなる。
寮に戻ると、回道は共同スペースのソファーに深く腰を下ろした。
背もたれに身を預けた瞬間、全身から一気に力が抜ける。呼吸は落ち着いているものの、目の奥に溜まった疲労は誤魔化せていなかった。
剛堂「大丈夫か? まぁ、あんな連戦したらそうなるよな」
回道は一瞬だけ視線を上げ、すぐに天井へと戻す。
回道「……大丈夫。立てなくなるほどじゃない」
そう言いながらも、指先がわずかに震えている。
剛堂はそれを見逃さず、腕を組んだまま小さく息を吐いた。
剛堂「無理してる顔だぞ、それ。最強って肩書きは便利やけど、身体までは守ってくれへん」
回道「分かってる。でも、止まれないんだ」
剛堂「止まらんでええ。ただ――壊れるまで走る必要はない」
その言葉に、回道は何も返さなかった。
ただ目を閉じ、ソファーに沈み込む。
共同スペースの空気が、わずかに張り詰めた。
ソファーに座る回道の前に、一人の男が立つ。
思条 迅。
教室では終始、距離を保ち、警戒の視線を向けていた男だ。切れ長の目は鋭く、感情を読ませない。
迅「……やっぱりここにいたか」
回道はゆっくりと視線を上げる。
回道「何か用?」
迅は答えず、しばらく回道を観察するように見下ろしていた。
その視線には敵意とも好奇心ともつかない、張り付くような重さがある。
迅「コピー能力者。しかも、連戦であれだけ動いて、まだ動ける、」
一歩、距離を詰める。
迅「正直に言う。俺はお前を信用してない」
回道は肩をすくめた。
回道「まぁ、そうだろうね」
迅「奪う力を持つ奴は、いずれ全員の敵になる」
沈黙。
その言葉を、回道は否定しなかった。
回道「……だから?」
迅の目が、細くなる。
迅「だから確認しに来た。お前が“化け物”か、それとも――」
一瞬、間を置いて。
迅「俺たちと同じ、人間かどうかをな」
空気が、静かに軋んだ。
回道「戦うのか?」
迅「いや、俺の能力は戦闘向きじゃない」
その声音は淡々としていて、挑発の色はない。
だが、視線だけは一切逸らさない。
回道「じゃあ、なにで対決するんだ?」
一瞬の間。
迅は眼鏡の位置を指で押し上げ、短く息を吐いた。
迅「フラッシュ暗算だ。俺の得意分野だ」
回道「それ、やりたいだけじゃ?」
思わず漏れた回道の言葉に、迅はわずかに口角を上げる。
それは笑みというより、「当然だろう」と言わんばかりの表情だった。
迅「つべこべ言わず、着いてこい」
背を向け、歩き出す迅。
回道は一瞬肩をすくめてから、ソファから立ち上がる。
回道(戦闘じゃない勝負……か)
その背中を追いながら、回道は直感する。
――これは、ただの遊びではない、と。
食堂の奥、壁に設置された大型モニターの前に三人は立っていた。
夜の食堂は人気がなく、機械音だけがやけに響く。
宮闈はリモコンを手に、軽く肩を回す。
宮闈「はぁ、準備はいいか?」
その言葉と同時に、回道と迅はモニターを見据える。
瞬き一つでも見逃せば終わり――そんな緊張感が場を支配する。
宮闈がリモコンのボタンを押した。
次の瞬間、モニターに数字が走る。
あまりにも速い。
「流れる」というより「叩きつけられる」と言った方が正しい速度で、無数の数字が視界を切り裂いていく。
回道(はっや……!)
思考が追いつく前に、映像は唐突に停止した。
一拍の沈黙。
迅は目を閉じ、わずかに呼吸を整えてから口を開く。
迅「……2万5000だ」
即答だった。
迷いも確認もない、断言。
遅れて回道が口を開く。
回道「……いちまん!」
自分でも曖昧だと分かる答えだった。
数字の残像は頭に残っているが、整理が追いついていない。
宮闈は一度モニターを確認し、ため息混じりに宣告する。
宮闈「迅の勝ち!」
その瞬間、勝敗は決した。
迅は特に喜ぶ様子もなく、ただ当然の結果として受け入れている。
回道は頭の後ろを掻きながら、小さく息を吐いた。
(戦闘じゃなくても……負ける時は、負けるな)
その事実だけが、じわりと胸に残っていた。
回道はモニターから目を離し、迅の横顔を見る。
あまりにも即答すぎた。その一点が、どうしても引っかかる。
回道「……まさか、能力使ってる?」
その一言で、迅の肩がびくりと跳ねた。
図星を突かれた反応だった。
迅「そ、そんな訳ないだろ! 負け惜しみか!」 迅「やっぱ戦闘しか脳のないやつはこれだからだめなんだよ!」
語気だけはやけに強い。
だが視線は泳ぎ、無意識に一歩距離を取っている。
宮闈は腕を組み、半目で迅を見る。
宮闈「……」
回道も無言のまま、同じ表情を向けた。
回道&宮闈(分かりやす……)
その沈黙が一番の答えだった。
迅はそれに気づくと、顔を赤くしてそっぽを向く。
迅「べ、別に能力使ってたとしても校則違反じゃないだろ!授業外でも、試験でもないけど……その……」
語尾がしぼんでいく。
宮闈「いや、普通に校則違反、」
回道は苦笑し、軽く肩をすくめた。
回道「いや、いいよ!戦い以外で負けたの、正直ちょっと楽しかったし」
その言葉に、迅は一瞬だけ驚いたように回道を見る。
そしてすぐ、また視線を逸らした。
迅「……変なやつ」
食堂の空気が、少しだけ和らいだ気がした。
回道は顎に手を当て、迅をじっと観察する。
さっきまでの余裕が嘘みたいに、呼吸がわずかに速い。
回道「フラッシュ暗算ができる。戦闘向きじゃない。反応が異様に早い」
回道「……思考加速とか?」
迅「は? いや? ちがうし!」
否定の言葉とは裏腹に、声が裏返った。
視線は泳ぎ、肩に力が入りきっている。明らかに図星だった。
宮闈は額を押さえ、ため息をつく。
宮闈「なんなんだこいつは……」
回道は小さく笑った。
回道「別に責めてないよ能力をどう使うかは自由だからさ。戦わない選択肢があるのも、強さだ」
迅は一瞬だけ言葉に詰まり、唇を噛む。
そして、ぼそりと吐き捨てるように言った。
迅「……だから嫌なんだ、お前みたいなのは」
そう言い残し、迅は足早に食堂を出ていった。
残された二人の間に、短い沈黙が落ちる。
宮闈「……厄介なの、また一人増えたな」
回道「うん」
だがその表情は、どこか楽しそうでもあった。
宮闈は回道をまじまじと見る。
宮闈「そういやノイズは? 思考加速、コピーしたんじゃないか?」
回道は肩をすくめ、あっさりと言う。
回道「してない。盗む気、無かったからさ」
宮闈「……え?」
回道「嫌そうだったしな。ああいうの、それに、漫画の主人公なら――そんなこと、しないだろ」
宮闈は一瞬きょとんとしたあと、乾いた笑いを漏らす。
宮闈「……意味わかんねぇ」
少し間を置いて、ぽつりと続けた。
宮闈「でもまあ……それでこそ、か」
宮闈は腕を組み、少し考えるように視線を上へやった。
宮闈「でも思考加速ってさ、使い主の戦闘能力が高ければ、めちゃくちゃ使える能力じゃないか?」
回道は即座に否定も肯定もせず、ゆっくりと頷く。
回道「うん。間違いなく使えるね。判断も反応も、全部一段上に引き上げられる」
宮闈「だろ? だったら尚更――」
回道はそこで言葉を継ぎ、静かに続けた。
回道「貰うなら認めてもらわないと意味がない」
宮闈「認める……?」
回道「力だけじゃなくてさ。使われる側が、納得してるかどうか嫌がってる能力を取っても、強くはなれるかもしれない。でも、それじゃ俺が目指してる“最強”じゃない」
宮闈は一瞬、言葉を失う。
合理性だけで考えれば、回道の選択は非効率そのものだった。
宮闈「……お前、ほんと変だな」
回道は小さく笑う。
回道「そうかも。でも、そういうのが好きなんだ」
その会話を少し離れた位置で聞いていた迅は、無意識のうちに拳を握りしめていた。
警戒と戸惑い、その奥に――ほんのわずかな安堵が混じっていることを、迅本人は気づいていなかった。
宮闈は肩をすくめ、苦笑いを浮かべたまま言った。
宮闈「俺のは勝手にとったくせに」
その声音は責めるというより、完全に冗談半分だった。
回道は一瞬言葉に詰まり、すぐに声を荒げる。
回道「戦闘でいっぱいいっぱいだったからしょうがないだろ!!」
宮闈「はいはい。分かったよ」
そう言いながらも、宮闈の表情はどこか楽しそうだった。
あの場で吸引を奪われなければ、今こうして笑っている余裕もなかったのは事実だ。
宮闈「まぁ、あれは仕方ない。命懸けだったしな」
回道「だろ? ああいう時はもう反射なんだよ。考える前にノイズ走ってさ」
宮闈「便利なのか不便なのか分からんな、その能力」
回道は少しだけ真剣な顔になる。
回道「便利だよ。でも、何でもかんでも欲しいわけじゃない」
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
だがそれは気まずさではなく、互いを理解し始めた証のような静けさだった。
宮闈(こいつは、力を集めてるんじゃない誰にでも認められる最強を作ろうとしてるんだな)
そう思った瞬間、宮闈の口元に、わずかな笑みが浮かんでいた。
共同スペースの時計は、すでに深夜を回っていた。
そのとき――
勢いよくドアが開いた。
宇末「何時だと思ってんだ! 馬鹿ども!」
鋭い怒声が空気を切り裂き、場の熱が一瞬で冷える。
回道は肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
回道「ごめん。すぐ寝るよ」
軽い口調とは裏腹に、目の奥にはまだ興奮の名残があった。
宮闈は椅子の背にもたれ、ゆっくりと息を吐く。
宮闈「熱中しすぎたな。時間、完全に忘れてた」
宇末は二人を睨みつけたまま、腕を組む。
宇末「明日も授業あるんだぞ。倒れられたら迷惑だからな」
そう言い捨てて踵を返すが、去り際に一瞬だけ足を止める。
宇末「……話は聞いてたよ、回道、ちょっと見直したわ」
ドアが閉まる音が響き、静寂が戻った。
回道と宮闈は顔を見合わせ、小さく笑う。
回道「……怒鳴りに来た割に、優しいよな」
宮闈「それ、本人の前で言うなよ」
朝の教室は、まだ完全には目覚めていなかった。
生徒たちの声もまばらで、どこか眠気を引きずった空気が漂っている。
そんな中――
教室に入った瞬間、十神が小さく溜息をついたのが目に入った。
十神「……はぁ。宮闈、宇未。ちょっとこっち来い」
低く抑えた声で呼ばれ、二人は顔を見合わせる。
ただならぬ雰囲気に、宮闈が先に口を開いた。
宮闈「どうしたんですか?」
十神は腕を組み、視線を落としたまま答える。
十神「お前らに任務が来てるみたいだ。入学早々で悪いな」
一瞬、教室の空気が張りつめる。
しかしその中で、宇未は一拍も置かずに表情を明るくした。
宇未「いいんですよ。ポイント稼げるなら!」
迷いのない即答だった。
十神はその反応を見て、わずかに苦笑する。
十神「……相変わらず前向きやな。やが、遊びじゃない」
その一言で、宇未の表情も引き締まる。
宮闈は静かに頷き、短く返した。
十神「俺も着いていきたい気持ちはある。……がな」
そこで一度言葉を切り、教室の方へ視線を投げる。
十神「俺がいなくなったら、残りのヤツら面倒見るやつが居なくなるんでな」
冗談めかした口調ではあったが、その裏に責任感が滲んでいた。
宮闈は小さく息を吐き、肩をすくめる。
宮闈「先生らしいですね」
宇未も苦笑しつつ、腕を組む。
宇未「つまり……今回は私たちだけ、ってことですか」
十神「ああ。状況次第じゃ俺も動くが、基本はお前らに任せる」
そう言い切ると、十神の視線が鋭くなる。
十神「任務や。手加減も、油断もするな」
その一言で、二人の背筋が自然と伸びた。
これは“小遣い稼ぎ”でも“腕試し”でもない。
本物の任務だと、はっきり理解させる言葉だった。
宮闈「……了解です」
宇未「問題ありません。必ず帰ってきます」
十神は満足そうに頷き、最後に短く付け加えた。
十神「生きて帰ってこい。それだけでええ」
教室の喧騒が、少し遠くに聞こえた。
十神の後ろから、場違いなほど軽い声が飛んできた。
???「じゃぁーん! 任務から帰還〜!」
十神「……おい、待て。宮闈、宇未」
二人が呼び止められて振り向く。
十神のすぐ後ろに立っていたのは、白衣を無造作に羽織った男だった。
首から下げたIDには〈理科〉の文字。担任を持たない、いわゆる専門教員だ。
常ににやけた表情を崩さないが、目だけはやけに冴えている。
???「あれ? 見慣れない顔だな。……あ、新入生か」
十神「そうや。昨日入って、今日いきなり任務や」
???「え〜、それはきびし。かわいそ」
軽口とは裏腹に、男の視線は一瞬で二人を値踏みしていた。
十神は一度、宮闈と宇未から視線を外し、背後のにやけた男へ向き直った。
十神「……状況、説明しとくわ」
理科教師は白衣のポケットに手を突っ込み、興味深そうに頷く。
???「お、なになに?」
十神「本来この任務は天城の管轄や。
現地確認から処理まで、全部あいつがやる予定やった、だが、今朝になって天城に別の急ぎの案件が入った。
優先度が高すぎて、こっちを切らざるを得ん状況や」
十神は指で宮闈と宇未を示す。
十神「そこで代わりに行くのが、この二人や。
天城の“代行”としてな」
理科教師は一瞬だけ目を細め、すぐにいつものにやけ顔に戻った。
???「へぇ〜。いきなり代役か」
宇未「ポイント稼ぎになるなら、私は歓迎です」
宮闈「……天城先生が任せるって言ったなら、やります」
???「ほうほう。度胸あるねぇ」
十神「俺も着いていきたいのは山々や。
やが、俺が抜けたら残りのクラスの管理が回らん」
理科教師「つまり、現場は完全に二人任せ、と」
十神「あぁ。
俺が“この二人なら問題ない”と判断した」
その言葉に、空気がわずかに引き締まる。
???「……お前がそこまで言うなら、大丈夫だな」
にやけた男は楽しげに笑いながらも、視線だけは真剣だった。
???「ま、無茶はすんなよ。
天城の代わりって肩書き、意外と重いからさ」
宮闈と宇未は顔を見合わせ、静かに頷いた。
十神は腕を組んだまま、理科教師へと向き直る。
十神「そこでなんやが……お前、この後用事あるか?」
???「えっと……その聞き方、めっちゃ嫌な予感するんやけど。
……まぁ、特にはないよ?」
十神「なら話は早い。
こいつらに同行してくれ」
一瞬、空気が止まった。
???「…………うわぁ〜」
理科教師は露骨に顔をしかめ、天井を仰ぐ。
???「やっぱりそう来たかぁ〜。
さっきから嫌な予感しかしなかったんだよねぇ」
宇未「先生も来てくれるんですか?」
???「“先生”って言われると断りづらいなぁ……」
宮闈「……正直、助かります」
その言葉に、理科教師は肩をすくめて苦笑する。
???「まぁ、天城の代行が新入生二人だけってのも、
さすがに危なっかしいか」
十神「お前は戦闘要員やない。
あくまで監督役、緊急時の保険や」
???「はいはい、理解しましたよ〜」
にやけた男は軽く手を振り、二人を見る。
???「ま、気楽に行こ。
最悪の事態になる前に、止めるのが大人の仕事だからさ」
その軽い口調とは裏腹に、言葉の端には確かな責任感が滲んでいた。
十神「……助かる」
十神は短くそう言うと、改めて宮闈と宇未へ視線を戻す。
十神「任務は実地や。
天城の代わりとして行く以上、甘えは許されん」
宮闈「分かってます」
宇未「任せてください」
男は二人の前へと歩み出ると、相変わらずにやけた表情のまま胸を張った。
???「着いていけって言われたからには、全力でフォローするよ」
軽い調子でそう言った直後、ふと思い出したように首を傾げる。
???「……え? てかさ、俺の名前知ってるよね?
一応、有名人だからさ」
その問いに、宮闈は一瞬言葉に詰まった。
宮闈「え? ……いや……」
視線を逸らしつつ、隣の宇未を見る。
宇未「あ、うーん……その……」
二人の反応を見て、男の笑みがゆっくりと引きつっていく。
???「……まさか」
空気が一段階、冷える。
???「……知らない?」
顔が目に見えて強ばったその瞬間、後ろから容赦ない声が飛んだ。
十神「お前みたいな、ちゃらんぽらんな奴、
分かるわけないやろ」
即答だった。
???「えっ」
一拍遅れて、男は胸を押さえる。
???「ちょっと傷ついたんだけど!?」
そして咳払いひとつ。
気を取り直すように、両手を広げて大仰に名乗る。
海若「海若 絆斗」
勢いをつけ、声を張り上げる。
海若「それが俺の名前や!
ちゃぁぁぁーーーんと覚えとけ!!」
その場に、妙な沈黙が落ちた。
宮闈(……このテンションで教師なのか)
宇未(絶対忘れないタイプの人だ……)
十神は額を押さえ、深いため息をついた。
十神「……先が思いやられるな」
こうして、
やたらとうるさい理科教師・海若絆斗を加えた任務は、
否応なく動き出したのだった。
天城不在。
代行任務。
そして、予期せぬ同行者。
この小さな歪みが、後に大きな波紋を呼ぶことを――
この時、誰もまだ知らなかった。
十神は三人の背中が廊下の向こうへ消えるのを見届けると、小さく息を吐き、教室へと戻った。
――そして、扉を開けた瞬間。
視界に飛び込んできたのは、明らかに異常な光景だった。
回道を中心に、数埜と思条が詰め寄り、剛堂が二人を必死に引き剥がしている。
十神「……なにしてんの!?」
教室の空気が一瞬で凍る。
思条「こいつですよ!」
思条は回道を指さし、怒気を隠そうともせず叫んだ。
思条「昨日の夜、俺の能力は“認めてもらえるまで取らない”とか、
格好つけたこと言ってたくせに!」
その瞬間――
思条「俺の《思考加速》、取ったんだよ!!」
床にへたり込み、回道は完全に泣き顔だった。
回道「ごめぇぇぇん!!
ほんとに不可抗力だったんだぁぁ!!」
数埜も腕を組み、険しい表情で畳みかける。
数埜「ねぇ!?
取らないって言ったよね!? はっきり言ったよね!?」
十神はこめかみを押さえつつ、深く息を吸う。
十神「……だいたい察しはつくけどな。
順番に説明しろ」
剛堂が二人を押し返しながら、冷静に口を開いた。
剛堂「十神先生たちが出ていったあとです」
その背後で、回道はなおも数埜と思条にもみくちゃにされている。
回道「ほんとごめんってぇぇ……!」
剛堂「回道がな、
“能力を奪うか奪わないかは、自分で制御できる”って話をし始めたんです」
回道「ごめぇん……!」
剛堂「それを聞いた数埜が――」
ちらりと数埜を見る。
剛堂「調子に乗って、自分の能力を開示した」
数埜「……だって、取らないって言うから」
剛堂「能力は《ステータス可視化》」
その言葉に、十神は眉をひそめた。
十神「なるほどな……」
回道が必死に言い訳するように叫ぶ。
回道「せ、制御が……!
制御がつかなかったんだよぉぉぉ!!」
十神はため息混じりに頷いた。
十神「つまり、
ステータス可視化を見た瞬間、コピー条件を満たしたわけか」
次の瞬間、思条が一歩前に出る。
思条「それだけじゃないです」
歯を食いしばり、回道を睨みつける。
思条「こいつ、昨日の俺の能力も覚えてやがった」
思条「だから――
《思考加速》まで、ついでみたいに取りやがったんだ!」
教室に、重い沈黙が落ちた。
回道は涙目のまま、震える声で呟く。
回道「……ほんとに、わざとじゃないんだ」
その言葉を、十神は黙って聞いていた。
そして一歩前に出る。
十神「……分かった」
その一言で、場の空気が僅かに引き締まる。
十神「回道、
お前の能力は“強すぎる”。
だからこそ、言葉一つ、行動一つで誤解を生む」
視線を数埜と思条へ向ける。
十神「だが、能力を開示したのも事実や。
その覚悟がなかったなら、見せるべきじゃなかった」
そして最後に、回道を見る。
十神「……この話、後でちゃんと整理する。
今は全員、席に着け」
回道は鼻をすすりながら、小さく頷いた。
回道「……はい」
授業が始まっても、教室の空気は重いままだった。
数埜と思条は、席に着いたまま視線を外さない。
その目は、明らかに回道を捉えていた。
――睨む、という表現が一番正しい。
回道は気づいていないはずがなかったが、顔を上げることができない。
回道「……ぐすん」
小さく鼻をすすり、視界の端が滲むのを必死に堪える。
それでも手は止めず、黒板の文字をノートへと写し続けていた。
震える指先。
ペン先がわずかに掠れ、文字が歪む。
――奪うつもりはなかった。
――約束を破るつもりもなかった。
だが、結果だけを見れば言い訳にしかならない。
数埜の視線が、刃のように突き刺さる。
思条の目は、怒りよりも失望を含んでいるようにも見えた。
回道は、唇を噛みしめる。
回道(……ちゃんと、説明しなきゃ)
そう思いながらも、今はただ――
授業の内容を写すことで、心を保つしかなかった。
教室に響く教師の声と、
紙を擦るペンの音だけが、やけに大きく感じられていた。
寮に戻った、その瞬間だった。
並んで歩いていた数埜と思条の前で、回道の姿が一気に低くなる。
――ズサァッ!
勢いそのままのスライディング土下座。
回道「申し訳ありませんでしたぁ! 二度と能力は使いません!」
一拍の沈黙。
数埜は思わず目を瞬かせ、深く息を吐いた。
数埜「……はぁ。顔、上げてください」
恐る恐る顔を上げる回道に、思条が視線を向ける。
その表情は、昼間の険しさとは違っていた。
思条「あの後、俺たちで話したんだ。
正直、言いすぎた部分もあったって結論になった」
回道の肩が、わずかに揺れる。
思条「回道がわざとじゃないのは、痛いほど分かってる。
……悪かった」
続いて、数埜も一歩前に出る。
数埜「私もね、勝手に能力を開示しておいて文句言うのは酷いなって思った。
だから……ごめんなさい、回道」
その言葉に、回道の表情が少しだけ緩む。
回道「……こちらこそ、本当にごめんなさい」
数埜は軽く回道の肩を叩いた。
数埜「よしっ! 暗い話は終わり!
ご飯、行きましょう!」
そう言い残し、数埜は勢いよく食堂へと走っていく。
思条はゆっくりとその後を追い――
途中でふと足を止め、振り返った。
思条「……行かないのか? 回道」
その一言。
それは、友達として、仲間として認めた証だと、回道は理解した。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
回道の目が、再び潤んだ。
思条「えっ!? ちょ、待て!
泣くなって! 俺が悪者みたいになるだろ!」
慌てる思条に、回道は袖で涙を拭い、顔を上げる。
回道「……ごめん。ありがと!」
今度は、はっきりとした明るい笑顔だった。
回道は立ち上がり、思条の隣に並ぶ。
二人は並んで、食堂へと向かっていった。
――夜更け。
街灯の少ない路地を、三つの影が並んで進んでいた。
宮闈、宇未、そして海若。
空気は重く、音がやけに遠い。
宮闈「……眠い」
欠伸を噛み殺しながら、ぼそりと漏らす。
海若「我慢しろ。俺は二徹してんだ」
軽口のようでいて、声にはわずかな苛立ちが滲んでいる。
宇未「でもさ……何もいないよ?
本当にここで合ってるの?」
辺りを見回す宇未に、海若は足を止めて目を細めた。
海若「場所は合ってる。
……が、妖力も霊力も感じられない」
一瞬の沈黙。
海若「……いたずら、か?」
その言葉が落ちた直後――
三人の背後、街灯の届かない暗がりに、不穏な人影が揺らめいた。
気配はない。
音もない。
ただ“そこにいる”という違和感だけが、じわりと空間を侵食していく。
朝方...寮にて
回道「――っ!!」
勢いよく飛び起きる。
回道「遅刻!?!?」
心臓を掴まれたような感覚のまま、枕元の時計を掴む。
表示された時刻を見て、固まる。
回道「……あ」
数秒後。
回道「……30分早いだけじゃん」
どっと力が抜け、ベッドに倒れ込む。
回道「焦ったァ〜……」
天井を見上げながら、深く息を吐く回道。
その胸の奥に、理由の分からない胸騒ぎが、微かに残っていることには――
まだ、気づいていなかった。
早朝の食堂は、静かだった。
回道はカウンターで朝食を頼み、トレーを受け取ると、窓際の椅子に腰を下ろす。
回道「……今日、卵焼きあるのか」
視線の先、湯気の立つ皿に乗った卵焼き。
それだけで、少し気分が上がる。
――卵焼きは、回道の大好物だった。
回道「さて……甘いか、しょっぱいか。
どっちだ?」
ふっと悪戯心が湧き、回道は指先に意識を集中させる。
回道「……ステータス可視化」
昨晩、数埜から正式に能力使用の許可をもらったばかりだ。
相手の能力、ステータス値、弱点があればそれも表示される――それが《ステータス可視化》。
しかもこの能力、人間に限らず“物”にも使える。
回道(卵焼きに使えば……作った人と、味付けが分かるはず……)
一瞬、視界に走りかけた情報を、回道は自分で止めた。
回道「……いや、ダメだな。
それやったら楽しみ減るわ」
能力を解除し、箸を取る前に小さく息をつく。
その時。
思条「……なに一人でブツブツ言ってんだ?」
背後から声がかかる。
振り向くと、いつの間にか食堂に入ってきていた思条が、怪訝そうな顔で立っていた。
思条「誰かと話してるのか?」
回道「え? いや……独り言」
少し気まずそうに笑う回道。
思条は一瞬じっと回道を見たあと、肩をすくめる。
思条「朝から変なやつだな」
回道はようやく箸を伸ばし、卵焼きを口に運んだ。
回道「……甘い」
小さく、しかし確かに嬉しそうな声だった。
思条「……数埜のステータス可視化、使ってみたのか?」
回道「まだ」
そう答えながら、回道は思条へと視線を向ける。
ほんの一瞬、能力を発動させた。
思条「……俺に使うのか」
回道「思条 迅……」
頭の中に流れ込む情報を、思わずそのまま口に出す。
回道「筋力B、速力C、耐久力D、思考力SS、妖力A、霊力B……」
一拍置いて。
回道「……低ッ!」
思条「うるせぇ!!」
思条は即座に机を叩き、顔をしかめる。
思条「戦闘向きじゃないって言っただろ!」
食堂の静けさの中、二人の言い合いだけがやけに響いていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この話は「能力」という分かりやすい力を軸にしつつも、実際に描きたかったのは――それをどう扱うか、どう向き合うかという部分です。
回道は強力な力を持っていますが、決して万能でも完璧でもありません。
むしろ、無自覚で、優しくて、不器用で、だからこそ衝突を生む存在として描いています。
今回の一件も「奪った/奪われた」という単純な対立ではなく、
・善意が裏目に出ること
・言葉にしないと伝わらないこと
・怒りの裏にある不安
そういった人間関係のズレが中心でした。
思条や数埜も、決して被害者一辺倒ではなく、
自分の弱さや軽率さを認め、歩み寄ることで「仲間」になっていきます。
この和解は、物語全体においても小さくない意味を持つはずです。
一方その頃、外では任務が進み、静かな違和感が積み重なっていく。
何も起きていないようで、何かが確実に近づいている――
そんな不穏さも、少しずつ滲ませています。
次に崩れるのは日常か、信頼か、それとも――。
この物語を、もう少しだけ見届けていただけたら幸いです。
追記
ステータス一覧
筋力
速力
耐久力
思考力
妖力
霊力
ステータスランク一覧
測定不能
SS
S
A
B
C
D
E
現在回道が所持している能力一覧
未来視
浮遊
吸引
存在隠蔽
言語
ステータス可視化
思考加速




