4話:最強は誰?
「最強」とは、何を指す言葉なのでしょうか。
力が強い者か、能力が優れた者か、それとも――勝ち続けた者か。
回道は、未来視と浮遊という異質な力を手に入れ、確実に“特別な側”へ足を踏み入れました。
しかし、それは同時に、彼がまだ知らない世界の深さと、底知れない強者たちの存在を意味します。
禍津学園。
表向きは学生を育てる場所でありながら、その実態は力を選別し、試し、時に切り捨てる場所。
そこで語られる「最強」は、単なる称号ではありません。
この第四話では、
回道が“自分はどこまで通用するのか”を突きつけられ、
そして読者もまた問いを投げかけられます。
――最強は、誰なのか。
その答えは、まだ誰にも分かりません。
ただひとつ確かなのは、この問いが、回道の運命を大きく動かし始めるということです。
学校の体育の授業中。
校庭には、いつもと変わらないざわめきがあった。
クラスメイト「おっし!回道!今日もやるか、競走!」
回道「望むところだ」
二人は並んで定位置に立つ。
周囲の生徒たちがひそひそと声を潜め、教師が笛を構えた。
教師「位置について〜……よーい、どん!」
合図と同時に、クラスメイトが勢いよく地面を蹴る。
――だが、回道は動かない。
回道は一瞬だけ遅れて、ニヤリと口角を上げた。
その様子に、周囲がざわつく。
「え?」「遅れた?」
そんな声が聞こえた直後。
回道は踏み出した。
地面を蹴る、その“直前”。
足裏で空気を踏みしめる感覚を意識し、浮遊の応用で一気に加速する。
一歩、二歩――地面と空気を交互に蹴るような動き。
視界が流れ、風が頬を打つ。
気づけば、前を走っていたはずのクラスメイトを横目に捉え、次の瞬間には追い抜いていた。
クラスメイト「は!? ちょっ、速っ――!」
回道は答えず、ただ前を見る。
胸の奥で、確かな手応えが弾けていた。
ゴールラインを駆け抜けた瞬間、回道は勢いよく立ち止まる。
回道「よしっ!」
小さく拳を握り、ガッツポーズ。
だが――その背後は、あまりにも静かだった。
教師は笛を口に当てたまま、口を半開きにして固まっている。
吹くはずだった音は、最後まで鳴らなかった。
クラスメイトたちは、まるで時間を奪われたかのように動かない。
前傾姿勢のまま止まっている者、足を踏み出したまま固まっている者。
誰一人、声を出せない。
回道は振り返り、その光景を目にして首を傾げる。
回道「……あれ?」
次の瞬間。
クラスメイト「はぁぁぁぁぁ!?」
クラスメイト「待て待て待て今の何!?」
クラスメイト「途中から消えたんだけど!?」
一斉に時が動き出し、ざわめきが爆発する。
教師も我に返ったように咳払いをした。
教師「……か、回道。今の、どうやった」
回道は一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに笑って誤魔化す。
回道「気合い、ですかね」
そう言いながら、内心では確信していた。
(バレてない……よな?)
放課後。
校門を抜け、そのまま帰ろうとした回道は、不意に立ち止まる。
門の脇に、見慣れた男が腕を組んで立っていた。
回道「……師匠? 今日、用事なくない?」
十神「あるから来とるんや」
そう言って十神は一歩近づき、懐から黒い封筒を取り出す。
光を吸い込むような、やけに重そうな封筒だった。
回道「なにそれ」
十神は何でもないことのように、回道の胸にそれを押しつける。
十神「これを渡したくてな」
回道は受け取り、封筒を見下ろす。
触れただけで、ぞくりと背筋が粟立った。
回道「……手紙?」
十神「禍津学園への入学書や」
回道の動きが止まる。
十神「この封を開けた瞬間、お前は入学扱いになる。」
回道「は……?」
十神は口角を吊り上げ、いつもの軽い笑みを浮かべる。
だが、その目はやけに真剣だった。
十神「ここから先は、普通の道ちゃうぞ」
回道は喉を鳴らし、封筒を握る力を強める。
十神「安心せぇ」
一拍置いて、はっきりと言い切る。
十神「俺が、お前を――化け物にしてやる」
夕暮れの校門で、回道の胸が大きく高鳴った。
十神「準備が終わったら、その封を開けろ」
そう言って、十神は顎で黒い封筒を示す。
十神「親には適当に言っとけ。友達と旅行とか、合宿とか、その辺でええ」
回道「そんな雑で大丈夫なんですか」
十神「大丈夫やない」
即答だった。
十神「でもな、辻褄は合わせとけ。ここを適当にすると、後々めんどくさいことになる」
回道は封筒を見つめたまま、喉を鳴らす。
ただの紙切れのはずなのに、妙な圧を感じた。
回道「……開けたら、戻れない感じですか」
十神「せやな」
笑いながらも、否定はしない。
十神「普通の学生生活には、まず戻れん」
回道は一瞬だけ迷い、それから封筒を胸に抱き寄せた。
回道「……わかりました」
十神「ええ返事や」
夕焼けの中、十神は背を向けて歩き出す。
十神「覚悟が決まったら来い。禍津学園は、待ってくれへんからな」
その背中を見送りながら、回道は黒い封筒を強く握りしめた。
家に帰った回道は、部屋に入るなり鞄を床に置いた。
少しだけ息を整え、机の上に黒い封筒をそっと置く。
着替え、財布、スマートフォン、充電器。
最低限の必需品だけをリュックに詰め込む。
無駄なものは入れない。――戻らないと、決めたからだ。
回道は封筒を手に取る。
回道「……行くか」
封を開けた瞬間、視界が歪んだ。
床が遠ざかり、重力が一瞬だけ曖昧になる。
次の瞬間、足裏に硬い感触が戻った。
回道は顔を上げる。
目の前には、見覚えのある巨大な校門。
知っている名前が脳裏に浮かぶ。
――禍津学園。
夕闇の中、校門は静かに佇んでいた。
周囲に人の気配はない。音も、風も、どこか薄い。
回道「……来ちまったな」
振り返っても、そこにあったはずの家も道もない。
戻る場所は、もう消えていた。
校門の奥から、誰かの足音が響く。
十神「遅かったな」
影から現れた十神は、いつも通り軽い調子で手を振った。
回道「結構早く来たんですけど」
十神は校門を見上げる。
十神「ようこそ、禍津学園へ」
十神「お前が一番最後だ。急げ」
回道「嘘でしょ!?」
そう叫ぶと同時に、回道は地面を蹴った。
十神も無言で走り出し、二人は並んで校舎の間を駆け抜ける。
夕暮れの禍津学園は静かで、やけに広い。
足音だけがやたらと大きく響き、回道の胸は自然と高鳴っていく。
回道(初日から遅刻とか、主人公的にどうなんだ……?)
そんなことを考えながらも、足は止めない。
体育館が見えた。
すでに中から、ざわついた声と重い空気が漏れてくる。
回道「……マジで最後っぽいですね」
十神「せや。主役は最後に登場するもんやろ」
回道「そういう問題ですか!?」
軽口を叩き合いながら、二人は体育館の扉へと駆け込んだ。
扉を開けた瞬間、空気が一変した。
体育館の中央に、十人ほどの人影が並んで立っている。
年齢も雰囲気もまちまちだが、全員がただ者ではないと一目で分かる佇まいだった。
重い沈黙の中、誰かが舌打ちする。
???「……ちっ、遅刻すんなよ」
その視線が回道に突き刺さる。
だが次の瞬間、別の方向からざわめきが起きた。
???「お? え? あいつと一緒にいるの、十神じゃね?」
???「ホントじゃん……」
空気が一段階、張り詰める。
???「十神様と話せるとか、死罪にあたるだろ……」
ひそひそとした声が連鎖するように広がり、視線は一斉に回道へ向けられた。
好奇、警戒、敵意、そして僅かな畏怖。
回道は無意識に背筋を伸ばす。
回道(……完全に場違いだろ、これ)
そんな回道の隣で、十神は欠伸混じりに頭をかいた。
十神「うっせぇな。遅れたんは俺のせいや」
その一言で、場が静まり返る。
先ほどまでのざわつきが嘘のように消え、誰もが口を閉ざした。
十神は一歩前に出て、後ろを振り返る。
十神「紹介しとくか。こいつは回道って言うんや」
一斉に集まる視線。
回道は喉を鳴らし、小さく息を吸った。
「回道」という名前が出た瞬間だった。
それまで興味なさそうにそっぽを向いていた男が、弾かれたように振り返る。
扇「は!? 何してんの兄ちゃん!!」
目を見開き、信じられないものを見るように回道を凝視する。
扇「そいつ連れてくるとか、ありえんやろ!!」
体育館の空気が一気にざわつく。
周囲の視線が、今度は扇と回道を行き来した。
十神はため息をつき、肩をすくめる。
十神「うるさいなぁ。正式に入学や、問題あるか?」
扇「問題しかないわ!! こいつ、まだ一般人やろ!? ここがどこか分かっとるんか!?」
回道は突然の剣幕に一歩引きつつ、素直に口を開く。
回道「……えっと、正直、まだよく分かってへん」
その一言に、扇が頭を抱える。
扇「あーもう最悪や……」
だが、扇はすぐに顔を上げ、真っ直ぐ回道を見る。
その視線は、敵意と警戒、そしてわずかな興味が入り混じっていた。
扇「……兄ちゃん。この話、あとでちゃんと聞かせてもらうからな」
十神「はいはい」
十神は軽く受け流し、回道の背中をぽんと叩く。
十神「気にすんな。ここに立っとる時点で、もう戻れん」
回道は小さく息を吸い、体育館に立つ面々を見渡した。
回道(……最強への道、思ってたより騒がしいな)
だが、その口元は、わずかに笑っていた。
十神は教師用の椅子へとどかっと腰を下ろす。
体育館の中央に集められた生徒たちは、誰一人座ることを許されず、立ったままだ。
その中で、十神が指先で軽く床を叩きながら声をかける。
十神「回道、こっち来い」
回道「ん?」
戸惑いながら近づく回道に、十神は顎で椅子の隣を示す。
十神「ほら、座れ」
一瞬、時間が止まった。
次の瞬間、周囲の生徒たちが一斉にざわめく。
「は……?」
「座れって、今……?」
「教師席やぞ、あそこ……」
明らかに動揺が広がる中、回道はきょろきょろと周囲を見回す。
回道「え、俺? ここ?」
十神「お前以外おらんやろ」
半ば投げやりに言われ、回道は恐る恐る椅子に腰を下ろす。
ざわ……ざわ……。
空気がさらに騒がしくなる。
扇が歯噛みするように睨みつける。
扇「……マジかよ」
十神はそんな反応を楽しむように口角を上げる。
十神「ええ顔すんなお前ら。」
教師席に座る回道と、立たされたままの生徒たち。
その対比が、この場における“異常”をはっきりと示していた。
???「特別扱いっすか? 贔屓するんすか、十神先生……」
十神「あぁ」
即答だった。
???「不公平っすよ。俺たちだって何年もこの道を極めようと必死に――数週間そこらのガキに……」
言い切る前に、空気が変わった。
――ズン、と。
十神の霊力が解放される。
二段階目《威圧》。
体育館全体に、目に見えない重圧が落ちた。
息が詰まり、床に縫い付けられるような感覚。
???「がっ……くっ……! お、重すぎ……る……!」
膝をつく者、歯を食いしばる者。
立っているだけで精一杯だった。
十神は椅子に座ったまま、淡々と口を開く。
十神「勘違いすんな。ここはな、弱肉強食の世界や」
視線が、生徒全体を一撫でする。
十神「俺から言わせてもらえば――てめぇら全員まとめてかかっても、回道には勝てねぇ」
体育館が静まり返る。
回道が勢いよく立ち上がった。
回道「いや! 言い過ぎ!!」
張り詰めた空気の中、その声だけがやけに間の抜けた響きを残した。
体育館の扉が勢いよく開く。
天城「十神ッ! 愛弟子を可愛がるのは自由だが、程度は弁えろ」
鋭い声が空気を切った。
十神「あぁ?」
互いに視線が噛み合い、霊力がぶつかり合いそうになった、その瞬間――
パンッ!
乾いた音が一つ鳴り、空気が凍りつく。
誰もが反射的に背筋を伸ばした。
百目鬼「――静粛に」
低く、しかしはっきりとした声。
威圧でも怒声でもない。ただ“逆らうという選択肢”を消し去る声だった。
十神は舌打ちしつつも霊力を引っ込める。
十神「……はいはい」
天城も一歩引き、深く息を吐く。
天城「失礼しました、百目鬼校長」
百目鬼はゆっくりと体育館全体を見渡し、最後に回道へと視線を向ける。
百目鬼「……なるほど。確かに、噂に違わぬ“異物”ですね」
回道「え、異物……?」
百目鬼「褒め言葉ですよ」
その一言で、場の空気が再びざわめき始める。
百目鬼「さて――特別扱いに見えるでしょうが、それも実力のうちです」
一瞬、間を置いてから告げる。
百目鬼「納得できない者がいるなら、いずれ実力で理解する機会を用意しましょう」
生徒たちの表情が引き締まる。
百目鬼「以上です。続けなさい、十神」
十神「……了解」
そう言って立ち上がり、回道の肩に手を置く。
十神「ほら見ろ。校長公認や」
回道「いや、余計プレッシャー増えてるんですけど……」
体育館に、張り詰めた緊張と、これから始まる“異常”への予感だけが残っていた。
十神「はぁ...ようこそ、禍津学園へ。
ここはな、人間に牙を剥く悪しき者――妖怪や霊を撲滅するために設立された、由緒正しい学校や」
一度、体育館を見渡す。
十神「表向きは“学園”やけど、中身は戦場や。
生半可な覚悟で立っていい場所ちゃう」
低く笑い、言葉を続ける。
十神「ここで学ぶのは、知識でも成績でもない。
どう生き残るか、どう殺すか、どう守るか――それだけや」
視線が回道で止まる。
十神「覚悟があるやつだけ、ついて来い。
ないやつは……今のうちに逃げとけ」
体育館に、重たい沈黙が落ちた。
十神「改めて言っとくで。
ここに集められたお前らは、日本中から引っ張ってきた“少数精鋭”や」
十神「まず校則や。細かいのは端折る」
十神「他者を殺すな。能力の私的使用は禁止。裏切りは即退学。
この三つ守れんやつは、今すぐ帰ってええ」
十神「次、生活面やな」
十神「寮は校舎裏。二人一部屋。
家具も生活用品も最低限は揃っとる。文句言うな」
十神「最後に一番大事な話や」
十神「この学園は三年制やけど、年数で進級ちゃう。
点数制や」
十神「一年は百点、二年は二百点、三年は五百点。
授業、試験、任務――全部点になる」
十神「点が足りりゃ進級も卒業もできん。
逆に言えば、溜めりゃ即卒業や」
十神「卒業後は教師になるか、フリーでやるか選べる」
十神「――以上や」
十神「覚悟決めたやつだけ、残れ」
十神の説明が終わり、体育館は静まり返った。
だが、その静けさは納得や理解によるものではない。
――視線が、刺さる。
回道は肌で感じていた。
自分に向けられる、露骨な敵意と苛立ち。
(……あー、これ完全に嫌われたな)
立っている生徒たちは誰一人として声を出さない。
だが、心の中では同じ言葉を吐いているのが分かる。
――なんであいつだけ。
――なんであいつが座ってる。
――なんで十神の隣なんだ。
扇は腕を組み、明らかに不機嫌そうにそっぽを向いている。
他の生徒も、隠す気すらない視線で回道を睨みつけていた。
空気が重い。
説明は終わったはずなのに、場はまったく終わっていない。
十神はその様子を一瞥し、鼻で笑う。
十神「……まぁ、そうなるわな」
誰に向けた言葉でもない。
だが、確実に全員に届いた。
十神「言っとくけどな」
十神「ここは仲良し学級ちゃう」
十神「妬みも、嫉妬も、憎しみも全部ひっくるめて力に変えろ。
それができんやつから消えてくだけや」
回道は小さく息を吐いた。
向けられるヘイトを、どこか楽しんでいる自分がいた。
――最強への道は、
いつだって敵意から始まる。
体育館には、
回道 丞という存在への感情だけが、濃く残っていた。
生徒たちは天城に促され、ぞろぞろと寮へ向かっていく。
ざわめきと共に距離が開き、体育館には回道と十神だけが残った。
その背中を見送ったあと、十神が回道に声をかける。
十神「実力でねじ伏せたれ」
回道「……」
十神は口角を少しだけ上げる。
十神「明日の授業、場を設けてやる」
その一言で、回道はすべてを察した。
これは配慮でも救済でもない。
――証明しろ、という宣告だ。
回道は小さく息を吐き、前を向いた。
回道「……了解」
その声は、静かだが迷いはなかった。
寮に入り、全員が集まったところで部屋割りが告げられる。
天城が名簿に目を落とし、淡々と読み上げる。
天城「回道は……」
その言葉を遮るように十神が口を挟む。
十神「扇と同室な」
一瞬、空気が止まる。
扇「はぁー? こいつと? 嫌なんだけど」
露骨に顔をしかめ、視線を逸らす扇。
回道は何も言わず、その反応を静かに受け止めていた。
部屋に入る直前、扇が足を止めて振り返る。
扇「あの時は油断しただけだ。もう一度やったら、確実に俺が勝つ」
そう言い残すと、扇はドアを開けて部屋に入る。
中に入るなり乱暴に荷物を置き、そのまま踵を返した。
扇「飯行く」
短く言って、食堂へ向かっていく。
静かになった部屋に、回道だけが残される。
ぽつりと呟く。
回道「……流石にちょっと傷つくな」
そう言いながらも、回道の表情には微かな笑みが浮かんでいた。
回道も遅れて食堂へ向かったが、空気は明らかに違っていた。
視線が合いそうになると、誰もが自然に目を逸らす。
席を探して歩くだけで、ひそひそとした気配が背中に刺さる。
回道(……あ、これ完全に避けられてるな)
扇はすでに食事を終えたのか姿はなく、同じ部屋の相手ですらいない食堂は、やけに広く感じた。
翌朝。
教室の扉を開けた瞬間、ざわついていた空気が一拍遅れて静まる。
回道が一歩踏み出すと、数人が露骨にそっぽを向いた。
机に着いても、隣の席は必要以上に距離を取られる。
回道(昨日の入学説明が効いてるな……)
理由は分かっている。
十神の一言。
“回道には勝てない”。
それだけで、敵意と嫉妬と恐怖が一斉に向けられた。
回道は小さく息を吐き、椅子に深く腰掛ける。
回道(まぁ、いいか。どうせ……)
視線を前に向け、静かに決意を固める。
回道(実力で黙らせろって、そういうことだよな)
教室の空気は冷たいまま、授業開始の時を待っていた。
扉が乱暴に開く。
入ってきたのは十神だった。
十神「今日から俺が、このクラスの担任だ」
ざわり、と教室が揺れる。
その中で十神は一瞬だけ回道の方を見て、口角を吊り上げた。
回道(……嫌な予感しかしない)
十神は教卓に肘をつき、教室全体を見渡す。
十神「てめぇら、ずいぶん幼稚なことしてるみたいじゃねぇか」
数名の生徒が顔を強張らせ、視線を逸らす。
十神「無視だの、距離だの……くだらねぇ。だがまぁ、分かりやすくて嫌いじゃねぇ」
一拍置き、低く笑う。
十神「そんなに気に入らねぇなら――」
十神は回道を親指で指した。
十神「見せてやるよ。俺の“愛弟子”の力をな」
回道「ちょ、ちょっと待ってください十神先生!?」
十神「うるせぇ。黙ってろ」
有無を言わせぬ口調で言い切る。
十神「全員立て。授業変更だ」
椅子が一斉に軋む音が響く。
十神「校庭に来い」
その言葉に、教室の空気が一気に張り詰めた
校庭に出ると、すでに天城が腕を組んで待っていた。
状況を一目見て、ため息をつく。
天城「……やはり、こうなりましたか」
十神は愉快そうに笑い、肩を鳴らす。
十神「見とけよ、天城」
天城「ほどほどにしてくださいよ」
十神は聞く耳を持たず、前に出る。
十神「さて、最初は誰からやる? 俺が適当に――」
そこまで言いかけた瞬間、前方に一人踏み出す影があった。
扇「……再戦を申し込む」
校庭がざわつく。
回道は思わず目を見開いた。
回道「扇……」
扇は一切視線を逸らさず、真っ直ぐ十神を見る。
扇「前回のは油断だ。今度は本気でやる」
十神は一瞬きょとんとした顔をし、次の瞬間、破顔した。
十神「おぉ! いいねぇ!」
手を叩き、声を張り上げる。
十神「一試合目は――我が愛弟子と!」
親指で回道を指し、
十神「我が実の弟!」
今度は扇を指す。
十神「因縁バッチリ! 文句なしだろ!」
天城「……勝手に決めないでください」
十神「細けぇことはいいんだよ」
一歩下がり、腕を大きく振り上げる。
十神「――レディー、ファイト!」
その瞬間、校庭の空気が一変した。
号令が落ちた瞬間、二人は同時に踏み込んだ。
砂利を蹴る音が重なり、次の刹那には互いの姿がぶれる。
未来を覗いた者同士の戦闘――先手を取るという概念そのものが意味を失っていた。
扇は回道の拳が来る未来を視て、半歩左へ。
同時に回道は、扇が左へ避ける未来を理解している。
拳は空を切り、代わりに肘が飛ぶ。
扇はそれをしゃがんで回避し、カウンターの掌底を放つ。
――だが、当たらない。
回道の体がふっと浮いた。
扇「……っ!」
掌底は空振りし、回道は空中で体勢を入れ替える。
空気を蹴るように足を動かし、軌道を強引に変えた。
回道「――そこだ」
未来視で“当たる”と理解した一撃。
踵落としが真上から落ちる。
扇は歯を食いしばり、後方へ跳んだ。
だが、その未来すら回道は視ていた。
回道は地面に着く前に再び浮遊し、斜め前へ加速する。
空中での二段加速――常識外の挙動。
扇「っ、速……!」
視えている。
だが、対応が追いつかない。
未来は理解できても、身体が追随できなければ意味がない。
回道は空中から拳を叩き込み、着地と同時に回し蹴り。
扇は防御するが、衝撃に足が滑る。
十神「ほらよ、差が出始めたな」
天城は無言で目を細めていた。
扇は距離を取ろうとする。
だが、回道は逃がさない。
空気を踏み、空中を走るように詰める。
上下左右、三次元の軌道――未来視があっても読み切れない。
扇「くっ……!」
拳、肘、膝。
回道の連撃が容赦なく叩き込まれる。
最後に、未来を確定させた一撃。
回道は一瞬だけ浮遊を解除し、全体重を乗せた正拳を放った。
鈍い音。
扇の体が宙を舞い、地面に転がる。
校庭が静まり返る。
教師、生徒、全員が言葉を失っていた。
回道は軽く息を整え、倒れた扇を見下ろす。
回道「……終わりです」
沈黙のあと、ざわめきが爆発する。
生徒「未来視同士で……あの差?」
生徒「浮いてた……空、走ってなかったか?」
生徒「圧勝じゃねぇか……」
十神は満足そうに笑った。
十神「な? 言っただろ」
回道は視線を上げ、集まる無数の目を受け止めた。
その中心で、確かに理解していた。
回道は肩を回し、視線を正面へ戻す。
さきほどの勝利の余韻が、身体の奥で熱になっていた。
回道「さぁ、こいよ」
ざわついていた校庭が、ぴたりと静まる。
十神「……乗ってんな。次……」
その言葉を遮るように、一人の男が一歩前へ出た。
???「俺、行きます」
低く、落ち着いた声。
その瞬間、周囲の空気がわずかに張り詰める。
天城は即座に反応し、回道の横に立つ。
天城「あいつは宮闈 引頭。能力は――」
十神「いや、言わなくていい」
天城「……十神?」
十神は口角を吊り上げ、楽しそうに回道を見る。
十神「未知のまま殴り合うのも、いい経験だろ。
それに――」
視線を宮闈へ移す。
十神「あいつも、手の内を知られたくねぇタイプだ」
宮闈は無言で構えを取る。
派手な動きはない。だが、地に根を張ったような重さがあった。
回道は未来視を開こうとする。
――が、先ほどまでのように、はっきりと像が結ばれない。
回道(……見えづらい?)
宮闈の未来が、霧がかかったように揺らいでいる。
宮闈「……」
一歩、踏み出すだけ。
それだけで、回道の背筋にぞくりとした感覚が走った。
十神「ほら、始めろ。
次で分かるぜ――“相性”ってやつがな」
回道は小さく息を吐き、浮遊の感覚を呼び起こす。
回道「……上等です」
二人の距離が、ゆっくりと縮まっていく。
校庭は再び、息を潜めた。
宮闈は静かに手のひらをこちらへ向けた。
その仕草だけで、空気が変わる。
回道(……来る)
未来視を開く。
――だが、見えた未来は一瞬で歪んだ。
回道(引き寄せ……!?)
次の瞬間、身体が前へと強く引かれる。
地面を蹴る暇すらなく、回道の身体が宮闈の方へ吸い寄せられた。
回道「っ――!?」
空気を蹴って浮こうとする。
しかし、その“空気”ごと、引かれている。
宮闈「俺の能力は《吸引》だ」
淡々とした声。
宮闈「指定したものを、自分の手元に引き寄せる。
物体、エネルギー、そして……」
手のひらが、回道を正確に捉える。
宮闈「お前自身も、だ」
一気に距離が詰まる。
回道は咄嗟に身体を捻り、拳を繰り出す。
――未来視では、当たっている。
だが。
拳が届く直前、さらに強い引力がかかり、体勢が崩れる。
回道「くっ……!」
宮闈の拳が腹部に突き刺さる。
鈍い衝撃が走り、息が詰まる。
周囲がざわめいた。
生徒「当たった……!」
生徒「回道が押されてる……?」
十神は腕を組んだまま、黙って見ている。
回道(未来は見えてる……なのに、身体が追いつかない)
浮遊で距離を取ろうとする。
だが、宙に浮いた瞬間、今度は“浮力そのもの”を引かれた。
回道「なっ……!」
空中でバランスを失い、地面へ叩き落とされる。
宮闈「空気を蹴る?浮く?
関係ない。引けば、終わりだ」
ゆっくりと歩み寄る宮闈。
その手は、まるで見えない鎖を操っているかのようだった。
回道
未来視を最大まで集中させる。
三秒先――自分が完全に捕まれ、試合が終わる未来。
回道(……負け筋、はっきり見えてる)
歯を食いしばる。
回道(でも……“指定”だ)
宮闈の能力は、指定したものを引き寄せる。
なら――指定されなければいい。
回道は一瞬、霊力の流れを乱す。
存在感を薄め、浮遊を解除し、重心を落とす。
未来視の中で、宮闈の“掴み”が、わずかにズレた。
宮闈「……?」
その隙に、回道は地面を強く蹴る。
空気ではない、“反動”だけを使った一歩。
完全には逃げきれない。
それでも、決定打を避けるには、十分だった。
十神が、低く笑う。
十神「……ほぉ。
吸引相手に、そこまで粘るか」
宮闈は舌打ち一つ。
宮闈「……面白いな」
宮闈が再び手を掲げた瞬間、回道の視界が揺れた。
――ジジッ。
頭の奥で、あの嫌なノイズが走る。
回道(……また、だ)
未来視が示す三秒先。
自分が再び引き寄せられ、膝をつく未来。
だが、その映像の“端”が、ざらついていた。
回道(吸引……流れが、見える)
宮闈の能力は“引く”のではない。
対象と自分を結ぶ、見えない紐を発生させている。
回道の意識が、無意識にその“紐”をなぞる。
――ジジジッ。
ノイズが強くなる。
宮闈「……」
宮闈が眉をひそめた瞬間、引力が発生する。
回道の身体が前へ持っていかれる。
回道「っ……!」
だが、完全には引かれない。
一瞬、引力が“鈍った”。
生徒「今の……?」
天城が目を細める。
天城「……まさか」
回道(これ、奪ってる……?)
未来視の中で、宮闈の次の動作が見える。
引いて、殴る。
いつもの勝ち筋。
だが今回は――
回道の胸の奥で、何かが“噛み合った”。
浮遊で身体を宙に預け、同時に“意識”を伸ばす。
宮闈が作った吸引の紐を、なぞり、切る
――バンッ。
今度は、宮闈の身体が一歩、前に引かれた。
宮闈「……は?」
ざわり、と校庭が揺れる。
生徒「今、引かれたの……宮闈の方?」
十神の口角が、はっきりと上がる。
十神「……来たな」
回道の頭にノイズが走り続ける。
痛
回道(……完成しかけてる)
宮闈が距離を取ろうと跳ぶ。
だが、その瞬間。
回道は“未来視”で逃げ道を見切り、
“浮遊”で自身の位置を空中固定し、
“吸引”で――
回道「来い」
宮闈の腕を、正確に引き寄せた。
宮闈「っ!?」
完全に想定外。
体勢が崩れた一瞬に、回道は自分自身を吸引する。
回道(引くのは、相手だけじゃない)
自分を“未来の位置”へ引き寄せる。
引っ張る対象を自分に指定し起こるべき未来と紐を結ぶ
一気に距離が詰まる。
――ドンッ!!
回道の拳が、宮闈の鳩尾に叩き込まれた。
宮闈「がっ……!」
地面に転がる宮闈。
校庭が、静まり返る。
生徒たちは誰一人、声を出せない。
警戒と畏怖が、はっきりと回道に向けられていた。
天城「……能力、三重使用。
しかも、吸引は――戦闘中に奪った...」
百目鬼が、静かに息を吐く。
百目鬼「危険度、想定以上ですね」
回道は荒い息を整え、拳を握る。
回道(最強……まだ遠いけど)
十神が、愉快そうに笑った。
十神「いい顔になってきたな、回道。
――次、誰が行く?」
スッ――と、空気が裂けた。
回道の横を、**“何か”**が通り過ぎる。
回道「……ん?」
次の瞬間。
――ドンッ、ドドドッ!!
視認できない衝撃が連続で回道を打ち据える。
腹、肩、脇腹、背中。正確すぎる連打。
回道「がっ……!」
浮遊で体勢を立て直す暇もなく、数メートル吹き飛ばされる。
地面を転がり、砂煙が舞う。
生徒「い、今の何だ……?」 生徒「誰が攻撃した……?」
回道は歯を食いしばり、片膝をつく。
回道(見えない……いや、それ以前だ)
未来視を走らせる。
三秒先――“自分が吹き飛んでいる未来”は見える。
だが。
回道(攻撃してくる“存在”が、映らない……)
立っていた場所の少し先。
空気が、ゆらりと歪む。
そこに――“現れる”。
???「次、私が行く」
気配が薄い。
いや、最初から存在を感じさせない。
???「戦闘なんてさ」
一歩、前に出た瞬間。
女は淡々と告げる。
???「見えなきゃ、意味がないんだから」
十神が低く息を吐く。
十神「……来やがったか」
天城が続ける。
天城「能力名――存在隠蔽。
姿、音、気配、霊力反応……“存在そのもの”を認識不能にする能力だ」
回道は立ち上がる。
回道(だから未来視でも“途中”が見えない……)
見えるのは、結果だけ。
殴られたあと、斬られたあと。
回道(クソ能力すぎるだろ……)
だが、胸の奥で何かが静かに熱を持つ。
回道
存在を隠すなら。
未来すら読ませないなら。
――“存在が戻る瞬間”を、掴めばいい。
回道は拳を握り、空中に一歩踏み出す。
回道「……いい能力じゃん」
校庭の空気が、張り詰める。
誰もが理解した。
――この戦い、ただの優劣じゃ終わらない。
空気が、消えた。
いや――存在が消えた。
回道は浮遊したまま、周囲を睨む。未来視を最大まで張り巡らせるが、三秒先に映るのは「自分が倒れている光景」ばかりで、そこに至る過程が一切映らない。
回道(また、結果だけ……)
背後。
――ドンッ。
肋骨に走る衝撃。息が詰まり、体が空中でくの字に折れる。
回道「ぐっ……!」
着地する前に、横から追撃。
見えない拳が顎を打ち抜き、視界が白く弾ける。
???「遅い」
声は、すぐ耳元にあるのに――姿がない。
十神が歯噛みする。
十神「ちっ……完全隠蔽かよ」
天城「存在認識そのものを拒否している……未来視との相性が、最悪だ」
回道は地面を蹴り、無理やり距離を取る。
吸引を使い、周囲の砂利を一気に引き寄せ、**“当たれば姿が浮き出る”**策に出る。
だが。
砂利は、空中で不自然に弾かれ、何もない場所に散る。
回道(当たらない……いや、当てさせてもらえない?)
次の瞬間。
――ズン。
腹部に、今までで一番重い一撃。
回道「がはっ……!」
地面に叩きつけられ、浮遊が解除される。
肺の空気が一気に吐き出され、体が言うことをきかない。
???「君は強いよ」
足音がする。
“存在が戻った瞬間”を、回道は見逃さない。
回道(今だ――!)
未来視、吸引、浮遊。
すべてを同時に発動し、拳を振るう。
――だが。
その未来は、ズレた。
???は半歩だけ位置を変え、回道の拳は虚空を切る。
???「でもね」
静かな声。
???「“見える”のと、“当てられる”のは別」
首筋に、鋭い手刀。
――トン。
それだけで、回道の意識が一気に沈む。
膝が折れ、前のめりに倒れる回道を、地面が受け止める。
回道(……あ、負けた……)
視界の端で、生徒たちが息を呑むのが見えた。
十神が一歩前に出る。
十神「……そこまでや、宇末」
宇末 御子。
存在隠蔽能力者。
能力は単純にして凶悪。
自分という存在を、相手の認識・感知・予測のすべてから消す。
視覚だけでなく、気配、殺気、未来視すらも対象外にする異質な力。
回道は、ゆっくりと上体を起こした。
体は動く。意識もはっきりしている。
――負けてはいない。ただ、倒された。
しかしおかしい。
回道「……消えてる?」
いや、違う。
消えているのに、存在している。
この矛盾に、回道は引っかかった。
回道(存在が消えるって何だ?
見えない? 気配がない?
……でも、それだけなら攻撃は当たるはずだ)
実際、さっきまでの戦いでは――
宇末の攻撃だけが一方的に通っていた。
回道(じゃあ、あれはただ消えてるだけじゃない)
回道は必死に思考を巡らせた。
違う。こいつの存在隠蔽は「消えている」わけじゃない。存在そのものを消去している能力ではない。
――別の次元に、移動している。
そうだ。元の世界の上に、もう一枚レイヤーを重ねているんだ。
そのレイヤーは、元の世界の“コピー”。構造も座標も同一だが、干渉だけが遮断されている。
だから向こうからは、こちらが見える。
だが、こちらからは向こうが見えない。
コピー元からコピー先は観測できない――だから攻撃が当たらなかった。
……でも、おかしい。
もし完全にレイヤー側に存在しているなら、向こうからの攻撃は一切受けないはずだ。
なのに、攻撃は当たる。確実に、こちらの身体を捉えている。
ということは――。
攻撃する瞬間だけ。
攻撃する「部位」だけを、元の世界へ戻している。
腕、脚、あるいは武器が触れるその瞬間だけレイヤーを跨ぎ、命中した直後に再びコピー世界へ退避する。
それなら説明がつく。
一方的に見えて、攻撃だけが成立する理由。
そこまで思考が到達した瞬間――
頭の奥を、あの嫌な感覚が走った。
ノイズ。
回道「……ノイズが走ったってことは」
確信が、熱を帯びる。
回道「ビンゴッ!」
ノイズが、さらに強くなる。
回道は確信した。
回道(コピーが始まってる……)
理解したからだ。
能力の正体を、仕組みを、使い方を。
回道は、静かに息を吐く。
回道「……なるほど」
回道の輪郭が、一瞬だけ揺らいだ。
回道(同じレイヤーに立てばいい)
それだけでいい。
回道は、視線を前に向ける。
そこに、宇末が“いる”と確信しながら。
回道「……次は、当たる」
クラスメイトたちは、校庭の中央に立つ回道を見ていた。
だが、誰もが同じ違和感を覚える。
クラスメイト「……なぁ、回道って、あんな薄かったっけ?」
その一言に、空気がざわつく。
クラスメイト「薄いっていうか……輪郭、ぼやけてね?」
視線が集まった瞬間だった。
――ふっと。
回道の存在が、消えた。
音もなく、光の歪みすら残さず、そこにあったはずの“人”が抜け落ちる。
クラスメイト「……は?」
クラスメイト「え、どこ行った?」
クラスメイト「消え……た?」
校庭に、ざわめきが走る。
いや、ざわめきですら追いつかない。
天城が目を細める。
天城「……」
十神は、口角を吊り上げた。
十神「ふぅ〜!いいね!」
誰にも見えず、誰にも触れられない。
だが――
回道は、そこにいる。
世界から弾かれた感覚。
音が遠く、色が薄く、時間の流れが違う。
回道(これが……存在隠蔽の正体)
次元が、ズレている。
回道(俺も、宇末と同じ場所に立った)
視界の向こうに、もう一つの“薄い影”が見える。
同じように世界から消えた存在。
宇末だ。
宇末「……嘘、でしょ」
回道は、ゆっくりと笑った。
回道「やっと同じ土俵だ」
ここは、二人だけの世界。
能力が、完全に通る場所。
回道の中で、ノイズが静かに収束する。
――コピー、完了。
宇末の目が、わずかに見開かれる。
宇末「……まさか」
その“まさか”の通りだ。
二つの存在が、同じ次元で、同じ条件で、向かい合う。
攻撃が――当たる。
その事実を理解した瞬間、回道の中で勝敗は決していた。
回道(触れられるなら、もう終わりだ)
存在隠蔽。
正確には、レイヤーを移動する能力。
それは「見えなくする力」ではない。
同じ場所にいながら、別の世界に立つ力。
だが今、回道はそこにいる。
宇末と同じ次元に。
回道の視界に、宇末の輪郭がはっきりと映る。
互いに世界から消えた状態――二人だけの戦場。
宇末が距離を取ろうとした、その一瞬。
回道は、浮遊で地面を蹴りに間合いを詰めた。
宇末「っ……!」
宇末の反応は速い。
だが、未来視がある以上、動きは読めている。
回道(急所は外す。気絶だけで十分だ)
拳を握らず、手刀に切り替える。
首筋、顎の下、神経が集中する位置。
――一撃。
乾いた音すら立たない。
衝撃だけが、正確に脳へと届く。
宇末の体が、力を失う。
そのまま、静かに崩れ落ちた。
回道は、受け止めるように宇末を支え、そっと地面に寝かせる。
回道「女性に傷をつける趣味はありませんので。ご安心ください」
意識は完全に落ちているが、呼吸は安定している。
致命傷もない。
回道は立ち上がり、能力を解除した。
次の瞬間――
世界の色が戻る。
音が一気に押し寄せ、校庭の喧騒が再生される。
クラスメイトたちの視線が、一斉に集まる。
クラスメイトA「……戻った?」
クラスメイトB「え、いつの間に……?」
そこには、立ったままの回道と、地面に倒れている宇末。
天城が小さく息を吐く。
天城「……気絶のみ、か」
十神は、愉快そうに笑った。
十神「攻撃が当たるなら、そりゃ回道の勝ちだわな」
回道は、静かに視線を上げる。
校庭は、再び静まり返った。
――回道への評価が、完全に塗り替わった瞬間だった。
十神「じゃあその次は――」
言葉を継ごうとした瞬間、天城が一歩前に出た。
天城「十神……もうこいつらに戦う意思はないぞ」
十神「お?」
その一言で、場の空気が確定する。
誰一人、前に出ようとしない。
視線は逸れ、拳は握られず、足は地面に縫い止められている。
それも当然だった。
彼らは理解してしまったのだ。
自分たちはまだ一度も回道と正面から戦っていない。
それにもかかわらず――
吸引。
存在隠蔽。
本来なら切り札、いや“切り札以上”の能力を、
回道は理解し、奪い、使いこなし、叩き潰した。
完膚なきまでに。
それを「〝ただ〟の実力差」と呼ぶ者は、もういない。
これは努力や経験で埋まる領域ではない。
――本能。
戦うために生まれ、
理解する前に理解し、
考える前に正解へ辿り着く。
回道という存在そのものが、
才能という言葉の限界を踏み越えている。
伝説レベル。
そう呼ぶ以外に、形容のしようがなかった。
誰もが悟っていた。
この場で、
この少年に抗おうとする者は――もう、いない。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
本話では「実力差」ではなく、「理解そのものが武器になる存在」としての回道を描くことを主軸に据えました。
強さとは何か、才能とは何か――それを努力や経験の延長線ではなく、“本能”という領域で表現できれば、という意図がございます。
また、周囲のキャラクターたちが戦わずして折れる展開は、回道の恐ろしさを誇張するためではなく、
「戦う前に負けを悟らせる存在」がどれほど異質かを示すためのものでした。
ここから先、回道はさらに多くを得て、同時に多くを失っていくことになります。
才能は祝福であると同時に、呪いにもなり得る――その点にも、今後ご注目いただけましたら幸いです。
引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。




