2話:最強になるには?
力とは、生まれ持つものなのか。
それとも、与えられるものなのか。
妖力、霊力――
人ならざる力がこの世界に確かに存在することを、
回道 丞は知ってしまった。
具現化する力。
身体を強化する力。
どれもが、物語の中で何度も読んできた“最強”への道筋だ。
だが、まだ彼は知らない。
本当に恐ろしい能力が、
自分の内側にすでに存在していることを。
転生を夢見る少年は、
今日もまだ“ただの人間”でいる。
しかしその目は、
確実に世界の核心へと近づき始めていた。
――最強の能力とは、何か。
その答えは、
この回で、静かに輪郭を現し始める。
十神「妖力を増やすのに、何が必要か分かるか?」
回道「……分かんないです」
十神「一番手っ取り早いのは、通称――妖怪の糞ってやつだ」
回道「……え? 妖怪の? ……え?」
思わず二度聞き返す回道に、十神は「だろうな」と言うように肩をすくめる。
十神「その反応になるのも無理ねぇよ。でも理屈は単純だ」
十神は机を指で軽く叩きながら続ける。
十神「妖怪ってのは、自分の器に見合わねぇ量の妖力を溜め込むと、身体が耐えきれなくなる。そうなると、余った分を体の外に捨てるようになってんだ」
回道「……捨てる、ってことですか」
十神「そうだ。そのときに出るのが、妖力が高濃度で固まった塊。それを俗に妖怪の糞って呼んでるだけだ」
言葉の汚さとは裏腹に、説明は妙に分かりやすかった。
回道は顔をしかめつつも、知らず知らずのうちに話に引き込まれていた。
十神が、ふと思い出したように口を開いた。
十神「妖力で物を作り出してみるか?」
回道の目が一瞬で輝く。
回道「やってみたい!」
十神「よし。じゃあ目をつぶれ」
言われるがまま、回道は素直に目を閉じる。
視界が遮断されると、周囲の音がやけに大きく聞こえた。
十神「今、作りたいものを想像しろ。最初は簡単なやつだ。分かりやすく言えば……木の棒だな」
回道は頭の中に、一本の木の棒を思い描く。
形、太さ、手触り。
粘土をこねるように妖力を集める――そう教えられた通りにやってみる。
しかし。
何も起きない。
もう一度。
集中する。
力を集める。
それでも、空気が揺れるだけで、形にはならなかった。
回道は何度も挑戦する。
だが結果は同じだった。
十神はその様子を横目で眺めながら、特に口出しもせず、
まるで退屈しのぎのように片手を動かした。
次の瞬間。
十神の手元に、何の前触れもなく木の棒が現れる。
滑らかで、迷いのない完成度。
しかも、それを回道に見せる気すらないような雑さだった。
回道は、その一連の流れを黙って見ていた。
――使う気はなかった。
――意識するつもりもなかった。
だが。
十神の指の動き。
妖力の集め方。
形が定まるまでの一瞬の間。
そのすべてが、回道の脳裏に焼き付く。
次の瞬間、回道は静かに息を吸った。
同じように。
まったく同じ手順で。
妖力を集め、形をなぞる。
空気が、わずかに震え――
回道の手の中に、一本の木の棒が現れた。
十神が、ぴたりと動きを止める。
十神「……は?」
回道自身も、一瞬遅れて自分の手の中を見る。
回道「……あれ?」
偶然でも、奇跡でもない。
ただ見たものを、そのまま再現しただけ。
瞬間記憶能力が、
ここで初めて“力”として牙を剥いた瞬間だった。
十神が、勢いよく椅子を引いて立ち上がる。
十神「は?!」
声は素で、取り繕いも余裕もなかった。
今まで飄々としていた態度が、一瞬で崩れる。
視線は回道の手元に釘付けだ。
そこには、十神が作り出したものと寸分違わぬ――一本の木の棒。
十神は一歩近づき、じっとそれを睨みつける。
十神「……今の、見様見真似でやったか?」
回道は戸惑いながらも正直に答える。
回道「え、あ……はい。さっきのを、そのまま……」
十神は言葉を失い、数秒沈黙する。
やがて、ゆっくりと額に手を当てた。
十神「……冗談だろ」
妖力操作は、感覚と経験の積み重ねだ。
初見で、しかも説明も碌に受けていない状態で再現できるはずがない。
十神は、もう一度回道を見る。
今度は軽い好奇心ではない。
はっきりとした“警戒”と“興味”が混じった目だった。
十神は無言のまま妖力を集め、慣れた手つきで形を作り上げる。
空気が歪み、次の瞬間――
そこに現れたのは、十神が最も使い慣れた鎌だった。
十神は柄を握り、刃を一度だけ空に振る。
切っ先が僅かに唸り、妖力の密度が違うことを示していた。
十神は鎌を回道の方へ向ける。
試すような視線で、低く問いかけた。
十神「お前、これは――いけるか?」
冗談でも、軽口でもない。
それは、才能を測るための問いだった。
承知しました、先生。
短くならず、凄みが出るよう整えます。
---
回道は一切ためらわなかった。
十神の鎌を一度視界に収めただけで、目を閉じる。
呼吸は乱れない。
妖力を集めようと意識した瞬間、体が勝手に理解していた。
――こういう形か。
粘土をこねる感覚。
刃の湾曲、重心、柄の長さ、妖力の流れ。
次の瞬間。
空気が軋み、回道の手の中に“同じもの”が生成された。
刃の角度、厚み、妖力の密度まで、寸分違わぬ鎌。
回道はそれを持ち上げ、首を傾げる。
回道「……こんな感じで、合ってます?」
十神は言葉を失っていた。
驚愕でも歓喜でもない、ただ理解不能なものを見た顔で、固まっている。
十神「……」
十神は、自分の鎌と回道の鎌を交互に見た。
十神「……お前」
喉が鳴る。
十神「“見ただけ”だよな?」
回道「はい。一回だけです」
回道は、心の奥で必死にこの状況を理解しようとし始めていた。
――人間を超越した技を、今、自分は手に入れた。
漫画みたいだ。
小説みたいだ。
物語みたいだ。
師匠と呼ぶ存在が、自分の成長速度に言葉を失っている。
その構図が、あまりにも“出来すぎて”いて、胸の奥が熱くなる。
(あぁ……これだ)
自分がずっと憧れてきた展開。
何度も読んできた、主人公が“何かをやらかす”あの瞬間。
物語の中だけのはずだった道を、今、自分は歩き始めている。
そう思えば思うほど、口元が抑えきれず、緩んでいく。
込み上げる高揚感に、理性が負ける。
そして回道は、ずっと言いたかった。
ずっと、言ってみたかった“あの台詞”を、ついに口にする。
回道「ぼ、僕……何かやっちゃいましたぁ?」
自覚はない。
だが、その一言は、確実に――
十神の世界観を、根底から揺さぶっていた。
承知しました、先生。
流れはそのまま、テンポと感情の落差を強めて整えます。
---
十神は、足の力が抜けたように、その場で崩れるように椅子へ腰を落とした。
背もたれに体重を預け、天井を仰ぐ。
十神「……この拾い物は、いいぞ……」
呟くような声だったが、その口元ははっきりと緩んでいる。
一方で回道は、状況などお構いなしだった。
店内をスキップしながらぐるぐると回り、楽しげに口笛まで吹いている。
抑えきれない高揚感が、その動きすべてに滲み出ていた。
それを横目に見て、十神は肩を震わせる。
十神「はは……ははは……」
低く、噛み殺すような笑い。
そして確信に満ちた声音で、もう一度言った。
十神「こいつは……とんでもないのを拾ったぞぉ」
まるで宝くじに当たった子供のように。
いや、それ以上に――
“運命を引き当てた”人間の顔で、十神は心底嬉しそうに笑っていた。
十神は、もはや隠す気もなかった。
驚きでも警戒でもない、純粋な欲だ。
――もっと見たい。
――どこまで行けるのか、確かめたい。
椅子から身を起こし、回道を見るその目は、さっきまでの軽い調子とはまるで違っていた。
拾い物を見つけた人間の目ではない。
怪物の芽を見つけた人間の目だった。
十神「……回道」
名前を呼ぶ声に、回道がぴたりと動きを止める。
十神は口角を上げ、楽しそうに――しかし確信を込めて言った。
十神「次、行くか」
一拍置いて、少しだけ声を弾ませる。
十神「霊力だ。どうだ?」
回道は一瞬きょとんとしたあと、目を輝かせる。
未知。
未体験。
そして、主人公が必ず踏み込む“次の扉”。
その言葉だけで、胸が高鳴らないわけがなかった。
十神はもう抑えない。
自分がとんでもないものを拾った確信が、確実に本物へ変わりつつあるからだ。
十神「言っとくけどな」
少しだけ声を低くする。
十神「妖力より、よっぽど危ねぇぞ」
それでも、止めるつもりは一切ない。
十神「……それでもやるなら」
ニヤリと笑い、言い切った。
十神「俺が、ちゃんと見てやる」
期待と興奮が、はっきりと混じった声だった。
妖力の時と同じように、十神は顎で指示する。
十神「目、つぶれ」
回道は素直に目を閉じる。
視界が遮断されると、外の音がやけに大きく感じられた。
十神「さぁ行くぞぉ、回道!」
一気に声を張り上げる。
十神「探せ!お前の中にある、霊力を封じ込めてる“栓”だ!」
十神「見えなくてもいい!感覚でいい!押すな、引くな、開けろ!」
回道は必死に意識を内側へ向ける。
胸の奥。
腹の底。
心臓の裏側。
だが――
何も起こらない。
空っぽだ。
あるはずの何かに、指先が触れない。
十神「……」
しばらく待つが、変化はない。
回道「……だめ、みたいです」
十神は顎に手を当て、じっと回道を見つめる。
そして、何かに気づいたように小さく息を吸った。
十神「……なるほどな」
そう呟くと、椅子から立ち上がる。
十神「俺が実演する」
その瞬間だった。
ぼうっと、炎のような揺らめきが十神の身体を包む。
燃えているのに、煙も音もない。
ただ、熱を想起させる存在感だけが空気を歪ませる。
回道「うわぁ……」
思わず声が漏れる。
回道「それ、熱くないんですか?」
十神「熱くないぞ」
平然と答えながら、腕を軽く振る。
炎は制御されたまま、皮膚のすぐ外側で留まっている。
十神「これが霊力だ」
十神「力を“出す”んじゃねぇ、“溢れさせる”感覚だ」
炎を消し、身を屈めて回道の目の前に来る。
十神「さぁ、さぁさぁさぁ!」 十神「今の見ただろ!やってみろ!」
回道は再び目を閉じる。
真似をする。
十神の動き、雰囲気、間。
――だが。
やはり、何も起こらない。
沈黙。
十神「……」
次の瞬間。
十神はその場で、膝から崩れ落ちた。
椅子に手をつくことすら忘れ、床に座り込む。
十神「……おかしいだろ」
独り言のように呟く。
十神「妖力は出来て、霊力が駄目とか……」
頭を掻き、天井を見上げる。
回道は目を開け、呆然と十神を見る。
期待と確信に満ちていた背中が、今は少しだけ小さく見えた。
だが十神の目は、まだ死んでいなかった。
落胆の奥で、別の可能性を必死に探している目だった。
だが、ふたりはまだ気づいていなかった。
回道の中で、確かにそれは――外れかけていたということに。
完全ではない。
音も、光も、熱もなかった。
けれど確かに、ほんの一瞬だけ、回道の奥で“何か”が緩んだ。
十神はそれに気づかず、深く椅子に腰を下ろす。
回道も向かいの椅子に座り、自然と姿勢を正した。
そこからは、戦いの話、妖怪の話、十神の過去の失敗談。
師匠と弟子というより、少し年の離れた男同士が、ただ言葉を交わす時間だった。
回道は相槌を打ちながら、頭の片隅でずっと考えていた。
さっき感じた、あの“違和感”の正体を。
気のせいだったのか。
それとも――。
気づけば、窓の外は橙色に染まり、カフェの中に長い影が伸びていた。
十神が立ち上がる。
十神「今日はここまでだな」
回道も立ち、鞄を手に取る。
外に出ると、夕焼けが街を包んでいた。
いつも通りの帰り道。
夕焼けに染まる街路で、十神と回道は言葉を交わし、それぞれの帰路についた。
十神が角を曲がり、回道の姿が住宅街に溶けていく。
――その様子を、見下ろす影がひとつ。
屋根の上。
瓦の端に足をかけ、気配を殺したまま、影はふたりを見送っていた。
顔は見えない。
だが、視線だけが異様に鋭い。
???「……見つけたぞ、十神」
低く、確信に満ちた声。
その呟きは、誰に届くこともなく、夕闇に溶けていった。
風が吹き、影は音もなく消える。
何も知らないまま、街はいつも通りの夜を迎えようとしていた。
深夜
回道は自室のベッドで静かに眠っている。規則正しい寝息、無防備な横顔。
その窓の外――。
先程の影が、いつの間にかそこにいた。
窓枠に指をかけ、室内を覗き込んでいる。
侵入する気配はない。
手を伸ばすことも、殺気を放つこともない。
ただ、見るだけだ。
眠る回道の呼吸、体格、妖力の流れ。
まるで商品を値踏みするかのように、あるいは獲物を選別する捕食者のように。
???「……弟子、か」
小さく、嘲るような声音。
???「面白いものを拾ったな、十神」
影はそれ以上何もせず、
確かめ終えたとでも言うように、窓から離れる。
夜は何事もなかったかのように静まり返り、
回道はまだ、自分が“見られた”ことすら知らない。
翌朝
回道は目を覚ますなり身支度を済ませ、家を飛び出した。胸の奥が妙に高鳴っている。理由は分かっている。昨日の続きだ。
駆け足でカフェへ向かうと、いつもの席に腰を下ろす。まだ十神はいない。落ち着かず、何度も入口に視線をやる。
ほどなくして、扉が開く。
十神「おー、早いな」
回道「おはようございます!」
十神は軽く手を振り、そのまま席に着くと、間髪入れずに言った。
十神「今日は実技な」
回道の目が一気に輝く。
回道「実技!?」
十神「昨日は知識と触りだけだ。今日はちゃんと体動かすぞ」
そう言って立ち上がり、顎で外を指す。
十神「着いてこい」
回道は即座に立ち上がり、迷いなく十神の後を追った。
広場に辿り着いた二人は、周囲をぐるりと見渡した。人通りはまばらで、訓練にはちょうどいい開けた空間だ。
十神は足を止め、回道の方を振り返る。
十神「霊力解放の練習をしよう」
回道は一瞬だけ息を呑む。
回道「……いきなり本番っすね」
十神「基礎を延々語っても意味ねぇだろ。身体で覚えろ」
そう言って、地面に視線を落としながら続ける。
十神「昨日は失敗したが、感覚自体は間違ってない。お前の中に“ある”のは確実だ」
回道はごくりと唾を飲み、背筋を伸ばした。
十神「話はそれからだ。まずは出せ。ほんの少しでいい」
十神の言葉に、回道は静かに目を閉じる。
胸の奥、もっと深いところ。昨日わずかに揺れた感覚を必死に探しながら、回道は自分の内側へ意識を沈めていった。
回道は呼吸をすることすら忘れ、意識を内側へ沈め続けていた。
胸の奥、さらに深く。何かを掴もうとした瞬間、視界がふっと歪む。
身体が傾き、倒れかける。
回道「おっと、」
足を踏み出してなんとか体勢を保つが、軽い立ちくらみが残っていた。
十神はため息混じりに肩をすくめる。
十神「呼吸忘れてたぞ」
回道ははっとして、慌てて息を吸い込む。
回道「あ、すみません……集中しすぎました」
十神「集中するのはいいが、死にかけるほどやるな。霊力は気合だけじゃ出ねぇ」
そう言いながら、回道の額を指で軽く弾く。
十神「まずは“生きてる感覚”を保て。呼吸、鼓動、体温。それ全部が霊力の土台だ」
回道は深呼吸を繰り返しながら、静かに頷いた。
日が傾き、広場に長い影が伸び始めていた。
だが回道は、未だに何ひとつ掴めていない。
胸の奥を探っても、確かな手応えはなく、ただ疲労だけが溜まっていく。
十神は腕を組み、首を傾げた。
十神「おかしいな……回道、妖力使ってみろ」
回道は言われるまま、目を閉じる。
先ほどまでの失敗が嘘のように、感覚ははっきりしていた。
空気を引き寄せ、形を思い描く。
次の瞬間、手のひらに小さな塊が生まれ、すぐに安定した形へと変わる。
回道「……できました」
十神はその様子をじっと見つめる。
十神「だよな。妖力は問題なく使えてる」
回道は自分の手を見つめ、少し困ったように眉を寄せた。
回道「全然楽です、妖力は、」
十神は顎に手を当て、視線を回道に戻す。
十神「なのに霊力は、まるで反応しねぇ。中にあるはずなんだがなぁ……」
夕焼けが二人の影を赤く染めていた。
十神が帰ったあとも、回道はその場に残り、ひとりで自主練を続けていた。
誰かに指示されるでもなく、教えられるでもない。
ただ自分の内側と向き合い、感覚を探る時間。
それは回道にとって、人生で初めての自主練だった。
普通を演じ、流されることに慣れていた自分が、自分の意思で立ち止まり、前に進もうとしている。
夕暮れの冷たい空気の中、回道は静かに息を整え、もう一度目を閉じた。
周りの人の気配も、いつの間にか消えていた。
風が吹き抜け、昼間の熱を奪うように肌寒さが増していく。
回道は腕をさすりながらも、その場を動かなかった。
耳に届くのは、風が木々を揺らす音と、自分の呼吸だけ。
回道はもう一度、深く息を吸い、吐く。
十神の言葉を思い出しながら、意識を内側へ沈めていった。
回道(栓……俺の中の……)
妖力の時のように、形を思い描くわけではない。
ただ、胸の奥、もっと深いところ。
何かが確かに“在る”気配だけが、ぼんやりと感じられていた。
だが、それはまだ掴めない。
触れた瞬間、霧のように逃げていく。
回道は歯を食いしばり、立ったまま空を見上げた。
夕焼けはすでに沈み、空は群青へと変わり始めている。
回道(……今日はここまで、か)
そう呟きかけた、その瞬間。
胸の奥が、ほんの一瞬だけ、熱を帯びた気がした。
回道は一度、肩の力を抜いた。
そして小さく息を吐き、誰に聞かせるでもなく呟く。
回道「……最後、もっかいやってくか」
自分に言い聞かせるようにそう言って、ゆっくりと目をつぶる。
意識を内側へ沈め、胸の奥へ、さらに奥へと探りを入れた、その時だった。
――ざり。
背後から、微かに地面を踏む音がする。
風とは違う、確かな重さを持った足音。
回道はまだ目を閉じたまま、気配に神経を尖らせた。
夜の冷気が、背中をなぞるように這い上がる。
回道(……誰だ?)
振り向く前の、その一瞬。
静まり返った広場に、足音だけが、確かに存在を主張していた。
――ガッ。
空気を切り裂くような音と共に、背後で鳴っていた足音が唐突に止まる。
次の瞬間。
目を閉じたままの回道の背後へ、何かが飛びかかろうとしていた。
殺気。
説明のつかない圧迫感。
回道は反射的に察する。
回道(――来る)
次の瞬間、回道は目を見開き、地面を蹴った。
身体が自然と動き、刹那の差でその場を離れる。
空を切る音だけが残った。
???「……は?」
軽く間の抜けた声。
???「あれ、避けんの?」
回道は距離を取ったまま、ゆっくりと振り返る。
暗がりに立つ人影を視界に捉え、息を整えながら口を開いた。
回道「……君は、誰ですか?」
夜の静寂の中、二人の視線が交差する。
???「まぁ、君には関係ないし、どうでもいいんだけどさ」
気だるそうに肩をすくめ、影は独り言のように続ける。
???「……いや、十神の弟子なら関係あるのか? はぁ、考えるの面倒だな」
一拍置き、口元を歪める。
???「ま、いいや。こいつボコって、十神呼び出せば全部解決だろ」
そう言うと、影は低く腰を落とし、臨戦態勢に入る。
空気が張り詰め、肌を刺すような圧が広場を包む。
回道は一歩引き、自然と拳を握り締めていた。
心臓が早鐘を打つ。だが、不思議と恐怖よりも高揚が勝っていた。
回道(――来た)
物語の中で何度も見た構図。
理不尽な強者、理由なき襲撃、そして試される主人公。
回道は息を整え、視線を逸らさずに力を込める。
回道
二人の間で、見えない火花が散った。
夜の広場に、戦いの幕が静かに上がる。
回道は、主人公になるために必要なものはすべて揃えるつもりで生きてきた。
格闘技もそのひとつだ。打撃、投げ、関節――一通りは身につけている。
対人戦においての技術だけなら、間違いなく回道のほうが上だった。
踏み込み、拳を放つ。
無駄のない動き。教科書通り、そして実戦を想定した理想的な攻撃。
――だが。
拳は空を切る。
回道は目を見開く。
距離は完璧、タイミングも読めている。
それなのに、相手は最初からそこにいなかったかのように、半歩ずれている。
回道(当たらない……?)
蹴りに切り替える。
回転、重心移動、全てが噛み合っている。
それでも――触れない。
相手は軽く首を傾げるだけで、紙一重で回避し続けていた。
???「へぇ……動きは悪くないじゃん」
余裕すら感じさせる声。
回道の攻撃を見切ったうえで、遊んでいる。
回道は歯を食いしばる。
技術では勝っているはずだ。
それなのに、攻撃が一ミリたりとも届かない。
回道(これが……差……?)
相手は構えを崩さない。
ただ立っているだけなのに、そこに「壁」がある。
???「人間の範疇では上出来だよ」
その一言が、静かに突き刺さった。
回道は拳を下ろさない。
恐怖よりも、理解したいという衝動が勝っていた。
回道(――まだだ。まだ、終わってない)
主人公になると決めた男は、ここで膝を折る気はなかった。
男は一歩引き、口元を歪める。
先ほどまでの殺気は薄れ、代わりに露骨な興味が滲み出ていた。
回道を値踏みするように眺め、肩をすくめる。
???「ちょっとは骨があると思ったけど、当たらんわなぁ」
男は楽しそうに、どこか自慢げに言葉を続ける。
???「俺はな、三秒先の未来が見える能力を持ってるんや」
回道の動きが止まる。
???「正確には“見える”っちゅうより、“確定した未来をなぞってる”感覚やけどな」
男は自分のこめかみを指で叩く。
???「お前が踏み込む前、拳を振る前、重心を移す前……全部、もう見えてる」
だから、と言わんばかりに軽く笑う。
???「避けるもクソもないんよ。そこに来るって分かってる場所から、ちょっとズレるだけや」
回道は無意識に拳を握りしめる。
理解した瞬間、背筋が冷えた。
回道(……だから、当たらない)
男は胸を張り、堂々と言い放つ。
???「俺は天才やからなぁ」
自信ではない。疑いようのない事実を語る口調だった。
???「凡人には分からん感覚で生きてるんや。努力とか読み合いとか、そういう次元ちゃう」
一瞬、男の視線が鋭くなる。
???「三秒後にお前が負ける未来も、もう見えてる」
回道は黙って男を睨み返す。
恐怖はある。だが、それ以上に胸の奥が騒いでいた。
回道(未来が見える……?)
それは――
これまで読んできた、数え切れないほどの“物語”の中に出てきた能力。
回道(……最高じゃん)
主人公は、いつだって理不尽な能力を前にしても立ち上がる。
そう決まっている。
回道の口元が、わずかに吊り上がった。
小さく息を吐き、ぽつりと呟く。
回道「……未来視」
男の言葉を反芻するように、視線を落とす。
回道「欲しいなぁ」
その声には恐怖よりも、純粋な羨望が滲んでいた。
回道「最強への道に、絶対必要な能力だな」
男が一瞬、眉をひそめる。
予想していた反応と違ったからだ。
???「……は?」
普通なら絶望する。
諦めるか、逃げるか、恐怖で動けなくなる。
だが回道は違った。
回道は胸の奥がじわじわと熱くなるのを感じていた。
それは焦りでも恐怖でもない。
――確信だ。
回道
回道(こういう能力)
未来を見る力。
物語の中で幾度となく見てきた“強者の証”。
回道(俺が進む道には、こういう壁が用意されてないと)
男を見上げ、にやりと笑う。
回道「いいなぁ、それ」
???「……頭おかしいんか?」
回道は否定しない。
むしろ誇らしげに胸を張る。
回道「でもさ」
一歩、前に出る。
回道「未来が見えるなら――」
拳を握る。
回道「それを超えるのも、主人公の役目だろ?」
男の口元が、わずかに歪んだ。
???「……おもろいな、お前」
三秒先の未来が、ほんのわずかに揺らいだ気がした。
次の瞬間、男の姿が掻き消えた。
回道が反射的に地面を蹴る。
直感ではない。本能でもない。
ただ「来る」と思った方向へ、体を動かしただけだった。
背後を裂く風圧。
紙一重で回避。
???「……チッ」
男の舌打ちが聞こえる。
回道は振り返らず、肘を振り抜く。
だが――空を切る。
男は既にそこにいない。
???「三秒先、お前が肘を振る未来が見えた」
回道「そっか」
次の瞬間、腹部に重い衝撃。
鈍い音と共に、回道の体が数歩弾き飛ばされる。
回道「っ……!」
息が詰まる。
確かに、当たった。
だが倒れない。
回道は地面を滑りながら体勢を立て直し、すぐに前を見る。
回道(今のは……読まれてた)
男は構えを解かず、楽しそうに口角を上げる。
???「ほらな、全部見えてる。殴ろうが、蹴ろうが、避けるか当てるか、全部」
回道「じゃあさ」
回道が一歩踏み込む。
回道「見えすぎる未来って、逆に邪魔じゃない?」
男の視界が、一瞬だけ乱れた。
回道はその“間”を逃さない。
拳、膝、回転、蹴り。
無駄を削ぎ落とした連続動作。
男はギリギリでかわし続ける。
だが一発、肩を掠めた。
???「……!」
初めて、確かな手応え。
男は距離を取り、舌打ちする。
???「なんでだ……未来は見えてるのに」
回道「さぁ?」
肩を回しながら、回道は笑う。
回道「俺、考えてないから」
???「……は?」
回道「体が勝手に動いてるだけ。次に何するか、自分でも分かんない」
未来視。
だが“選択が確定していない未来”は、いくつも枝分かれする。
男の未来は、揺れる。
次の瞬間、両者が同時に踏み込んだ。
拳と拳がぶつかり、衝撃が弾ける。
回道は頬をかすめられ、血が滲む。
男もまた、腹に一撃をもらい後退する。
完全に互角。
???「……くそ」
回道「楽しいな」
夜風が吹き抜ける中、二人は再び構えた。
まだ、決着はつかない。
激しい攻防の最中――
回道の頭の奥で、ざ、と砂嵐のようなノイズが走った。
回道(……なに、今の)
思考が一瞬だけ途切れる。
その隙を、男は見逃さなかった。
???「――もらった」
踏み込みは速い。
狙いは正確。
鳩尾へ、確実に決めにいく一撃。
回道(――やば)
避ける判断が、間に合わない。
そう思った瞬間。
体が、ズレた。
本当に、わずか。
紙一枚分、世界が横に滑ったような感覚。
男の拳は、空を切る。
???「……は?」
回道自身も目を見開いた。
回道(今の……避けた?)
考えていない。
反応でもない。
ただ、そうなった。
男は舌打ちし、すぐに二撃目、三撃目を放つ。
速い。鋭い。未来をなぞるような攻撃。
だが――
回道の体は、そのたびに寸前でズレる。
完全な回避ではない。
ギリギリ、当たらない。
当たるはずだった場所から、ほんの数センチだけ外れる。
???「おい……さっきから何だそれ」
回道「……分かんない」
本音だった。
頭の中で、ノイズが続いている。
ざ、ざ、ざ、と。
何かが重なり、ずれて、再構成されていく感覚。
男は一歩引き、眉をひそめる。
???「未来は見えてる……なのに」
見えている“はず”の未来が、
回道の直前で、微妙に狂う。
???「お前……今、何してる?」
回道は拳を握りしめ、静かに答える。
回道「何も……してない」
ただ、立っているだけ。
ただ、そこにいるだけ。
それなのに――
世界の方が、回道に合わせてズレていく。
男の表情から、余裕が消えた
ノイズは、消えなかった。
むしろ、徐々に輪郭を持ち始めていた。
ざわざわとした音の中に、一定のリズムが混じる。
断片的だった映像が、線で繋がっていく。
回道
次の瞬間、男が踏み込む。
右足。
肩が沈む。
拳が――来る。
回道
体が、自然と動いた。
考えるより先に、足が半歩ずれる。
拳は、やはり空を切る。
回道(あ、これ...!!これぇ!!!)
ノイズが一気に静まった。
世界が、透き通る。
見えた。
――三秒後。
男が次に選ぶ動き。
その後の体勢。
避けた先で生じる隙。
すべてが、確定した未来として視界に流れ込む。
回道「……見えてる!」
男が眉をひそめる。
???「何がだ」
回道は、息を呑みながら呟く。
回道「未来が……三秒先の未来がぁ!」
言葉にした瞬間、理解が確信に変わった。
見えている。
偶然じゃない。
まぐれでもない。
正確に、三秒先。
男が動く。
回道は、その“前”に動く。
拳が来る前に、そこにはいない。
蹴りが放たれる前に、間合いを外す。
攻撃が、ことごとく空振る。
???「……は?」
男の声に、初めて焦りが混じった。
???「おい……それ」
回道は口元を押さえ、笑いを噛み殺す。
回道
胸の奥が、熱い。
鼓動が、速い。
回道(これ、欲しかったやつだ)
漫画で。
小説で。
何度も憧れた、“最強の能力”。
回道は、ゆっくりと構え直す。
回道「――次、そっちが右に来る」
男の瞳が見開かれる。
そして、三秒後。
予告通りの動きが、現実になった。
完全に、噛み合った。
未来視と未来視。
同じ能力。
同じ時間幅。
男と同じ土俵に立った――
回道は、そう認識した。
だが、それは一瞬で覆される。
違う。
立ったのではない。抜け出したのだ。
男は未来を見るために「考える」必要がある。
次の一手を選び、その結果を三秒先で確認し、最適解をなぞる。
だが回道は違った。
回道(考えてない……)
体が、先に動く。
攻撃を「選ぶ」前に、すでに出ている。
瞬間記憶能力。
模倣。
そして、今、目覚めた未来視。
それらが噛み合い、思考を介さない行動を生み出していた。
男の未来視が捉えるのは「選択された未来」だけだ。
だが回道は、選択していない。
男が見た三秒先には、
回道の“攻撃”が存在しない。
次の瞬間、腹に衝撃。
???「がっ……!」
回道の拳が、無造作に突き刺さる。
未来視に映らなかった一撃。
男は距離を取ろうと跳ぶ。
だが、その着地点には、もう回道がいる。
回道(見えてる)
男が避けようとする“未来”ごと、踏み潰す。
蹴り。
肘。
拳。
全てが、未来を読んだ上での最短。
一方的だった。
???「……は、はは」
乾いた笑いが漏れる。
???「おかしいやろ……同じ能力のはずや」
男が歯を食いしばる。
???「未来視やぞ……三秒先が見えるんやぞ……!」
踏み込む。
男の顎が跳ね上がる。
回道「俺は――」
次の瞬間を、もう“生きてる”。
男は、理解した。
自分の未来視は、
行動を決めた後の未来を見る能力。
回道のそれは、
行動そのものが未来と直結している。
未来を“確認”する者と、
未来を“上書きする者”。
勝負は、すでに終わっていた。
男は膝をつく。
???「……天才は、俺やと思ってたわ」
回道は、息を整えながら小さく笑う。
この瞬間、
回道 丞は理解した。
――最強への道は、
もう、始まっている。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本話では、回道が「最強の能力とは何か」という問いに、初めて明確な答えを得る場面を描いております。
未来視という、一見すると完成された能力。
しかしそれを「見る」だけで満足する者と、「越えてしまう」者との差が、今回の戦いで浮き彫りになりました。
回道はまだ未熟で、力の全貌も理解していません。それでも本能的に、自分が“主人公の側”に立ったことだけは確信しています。




