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最終話:最期まで+α

人は、失って初めて気づく。


守れると思っていたものが、

どれほど脆く、どれほど儚いものだったのかを。


回道と扇は間に合わなかった。

慢心だった。油断だった。

最強を名乗るにはあまりにも幼い驕りだった。


その代償はあまりにも大きい。


そして今、彼らは全てを壊した。

第五大隊を潰し、隊を裂き、神を放ち、血で道を塗り替えた。


だが――終わらない。


扇の神々が敗北する。

あり得ないはずの現実が起きる。


それはつまり、外冠死業の“本当の化け物”が動き出したということだ。


ここから先は部隊ではない。

兵ではない。雑魚ではない。


組織そのもの。

世界の底に潜む本体。


回道は止まれない。

扇も戻れない。


失ったものは帰らず、

怒りは消えず、

ただ前へ進むしかない。


最終話。


最期まで辿り着いた時、

彼らが選ぶのは救いか、破滅か。


そして――

最強とは何か。


その答えが、今夜決まる。

ガネーシャが地面に倒れていた。

巨体は痙攣し、神の力はもう薄い。


その頭上に、影が落ちる。


???「……なんだよ、こいつ」


次の瞬間。


ガッ――と足が振り下ろされる。


骨も、神性も関係ない。

踏み潰すという行為だけがそこにあった。


ガネーシャの頭部が砕け、霧のように力が散った。

神が――消える。


???「空亡様の指示で来てみたけど」


吐き捨てる声。


???「分隊共こんなのにやられたのかよ」


冷めた視線が周囲を見渡す。


ヘルメスは首を掴まれていた。


翼をばたつかせ、必死に暴れる。

だがその腕は鉄のように動かない。


???「ふん」


掴む指に力が込められる。


???「父さんが行けって言うから来てやったんだ」


後ろに控えていた隊員たちへ顔も向けずに言う。


???「てめぇらなんか、死んどけばよかったんだよ」


隊員たちは凍りついた。


雑魚。

存在価値すらない。


ヘルメスの喉が潰れる音がした。


神は霧散する。


卑弥呼はぐったりと倒れていた。


巫女のように静かな神。

もう抵抗もできない。


そこへ――甲高い声が響く。


???「いやぁ〜ん?」


足音が軽い。

まるで遊びに来たかのように。


???「こんなことするのは誰かしらぁ!!」


狂気じみた甘さが混じる。


???「私が分からせないとぉ!」


卑弥呼の身体が持ち上げられ、


次の瞬間には霧となって散った。


笑い声だけが残る。


プロメテウスがいた場所には、焦げた痕跡だけがあった。


炎の神が戦った跡。


その上に影が差す。


バサバサ――と巨大な羽音。


空から降り立ったのは、黒い翼を持つ妖怪だった。


その存在だけで空気が重くなる。


???「おっと」


低い声が響く。


???「あまりにも呆気なさすぎましたね」


神ですら“呆気ない”。


その言葉が異常だった。


そして――スサノオ。


大剣を振り回し、隊員たちを沈めていた。


荒ぶる神。


まだ戦える。

まだ終わっていない。


だが。


背後から足音がひとつ。


コツ――コツ――


静かすぎる足音。


???「うるさいね」


優しい声だった。


???「静かにしようね」


スサノオが振り向き、大剣を振り下ろす。


斬撃が空気を裂く。


だが――


その瞬間。


スサノオの手から大剣が落ちた。


ガラン、と乾いた音。


神の顔が地面に叩きつけられる。


霧散。


隊員たちは呆然とした。


理解が追いつかない。


神が、秒で消えた。


隊員の一人が震えながら口を開く。


隊員「……あ、ありがとうございます……」


その男は指を唇に当てた。


???「しー」


次の瞬間。


隊員の首が落ちる。


一人、また一人。


バタバタと倒れる。


命が床に転がっていく。


???「……静かになったね」


そこには神もいない。

隊員もいない。


ただ――


本物だけが立っていた。


上之原「……多分だが、本部が出てきてる可能性が高いぞ」


扇「本部?」


上之原「あぁ。空亡様直属の……」


扇「空亡?」


上之原「話を聞け!」


扇「あ?」


その一言で空気が凍った。


上之原「あ……すみません」


扇「続けろ」


上之原は唾を飲み込む。

震える声を必死に抑えながら言った。


上之原「空亡様直属の幹部だけで固められた精鋭部隊……それが本部だ」


扇「……」


上之原「空亡様の側近が二人いる。鴉天狗様と、静瀬様」


扇の眉が僅かに動く。


上之原「その下に、アーノルド様、漸義様、礬水様」


言葉が重い。

名前を出すだけで胃が縮む。


上之原「そして――」


一拍。


上之原「空亡様のご子息、ケサランパサラン様」


扇「……六人、か」


上之原「以上六名の部隊だ」


その瞬間、扇の背筋に冷たいものが走った。

神が敗けるなどあり得ない。


だが、“本部”なら――あり得る。


その時だった。


扇の頭に、スッと冷たい違和感が走った。


扇「……阿修羅が、攻撃を食らってる?」


上之原「阿修羅って……回道さんと一緒にいた神だよな?」


扇「あぁ……」


扇は即座に回道へ電話をかける。


だが。


呼び出し音だけが虚しく響き、繋がらない。


扇「……嫌な予感がする。急ぐぞ」


上之原「お、おい……」


扇は返事をしない。


ただ、走った。


胸の奥がざわつく

そして――


数分前。


回道「阿修羅。扇と合流するぞ」


そう告げると、阿修羅は静かに頷いた。


回道が走り出す。


その後ろを、黒い気配を纏った阿修羅が無言で追う。


ビル群の隙間を抜ける。


戦闘の残滓。

血の臭い。

瓦礫の沈黙。


回道「……」


その時。


阿修羅が全滅させたはずのビル。


その窓の一つに――


“誰か”が立っていた。


こちらを見ている。


回道の足が止まる。


急ブレーキの音が、静寂を裂いた。


回道「……阿修羅、全員片付けたんだよな?」


阿修羅は必死に頷いた。


間違いない、と言うように。


だが。


回道の視線の先。


窓の奥にいる男は、確かにこちらを見ていた。


動かない。


逃げない。


ただ――見ている。


回道は目を細める。


そして、気づく。


男の口元。


歪んでいる。


いや。


歪んでいるというより、裂けている。


口角が目の下まで届くのではないかと思うほどの異常な笑み。


まるで人間の形をした別の何か。


回道の背筋に氷が流れた。


回道「……なんだ、あいつ」


相手は何もしてこない。


遠くから見下ろしているだけだ。


だが。


その姿勢。


体の後ろで手を組む余裕。


そして、空気を押し潰すような威圧感。


回道が今まで倒してきた敵とは違う。


確実に――別格。


回道は悟る。


これは雑魚じゃない。


阿修羅が、僅かに震えた。


窓の男の裂けた笑みが、さらに深くなる。


まるで言っているようだった。


――やっと見つけた。


回道は今まで散々、霊や妖怪を見てきた。


血の臭いも、断末魔も、異形の咆哮も。

喧嘩よりも理不尽な怪異を、何度も潜り抜けてきた。


ホラーなどには耐性がある。


……あるはずだった。


だが。


窓から覗く“それ”は違う。


回道の胸に刺さったのは威圧でも強さでもない。


もっと原始的で、もっと幼い感覚。


幽霊という存在を、子供が初めて「怖い」と認識する時の――

あの説明不能な恐怖。


回道は息を忘れた。


何もしてこない。


襲ってもこない。


ただ、見ているだけ。


それなのに。


“何もしてこない何か”に怯える。


こんな感情は久しぶりだった。


小学生の頃。

初めてホラー映画を観た夜。


布団の中で、部屋の隅が怖くて仕方なかった、あの感覚。


回道の額に汗が滲む。


回道「……」


隣にいる阿修羅は違った。


怯えた様子など微塵もない。


神と人間では感性が違う。

人間が恐怖する存在でも、神は恐怖しない。


回道は一瞬だけ阿修羅を見る。


阿修羅は静かに立っている。


そして再び窓を見る。


回道「……!」


そこには――


何もいなかった。


まるで最初から存在しなかったかのように。


回道の心臓が跳ねる。


回道「消えた……?」


阿修羅が、僅かに一歩下がった。


回道はそれに気づく。


回道「どうした?」


声をかけようとした、その瞬間。


回道は理解する。


背筋が凍りつく。


窓にいた男が。


ビルの玄関口に立っていた。


顔もそのまま。


裂けた笑みもそのまま。


手を後ろで組んだ立ち姿もそのまま。


ただ場所だけが変わっている。


距離が、一瞬で消えている。


回道「……は?」


あり得ない。


瞬間移動?


いや、それとも――


最初から移動していない?


回道の脳が拒絶する。


理解したくない。


男は玄関で、こちらを見上げている。


笑っている。


阿修羅が、初めて明確に構えた。


その瞬間だった。


裂けた笑みを浮かべていた男の表情が――消えた。


笑顔が消える。


それだけで恐怖だった。


怒りでも殺意でもない。


ただ、無表情。


まるで「何かを考えている」ような顔。


回道の喉が乾く。


(……悩んでる?)


男は阿修羅を見ている。


敵意を向けられる意味が分からない、という顔だった。


まるで純粋に困惑している。


男が口を開く。


男「隨鷹。斐′螂ス縺阪▲縺ヲ閨槭>縺溘′髢馴&縺?↑縺ョ縺九↑」


阿修羅は理解できない。


当然だ。


だが回道だけは分かった。


文月の能力――言語。


耳に届く音は異質なのに、意味だけが脳に滑り込んでくる。


回道には、こう聞こえていた。


男「笑顔が好きって聞いたが、間違いなのかな」


回道の思考が一瞬止まる。


(……敵じゃないのか?)


回道は反射的に阿修羅へ視線を送る。


回道「待機しろ」


阿修羅が僅かに目を見開く。


回道が、男と同じ“言語”で返そうとしたからだ。


回道「蜷帙?謨オ縺ェ縺ョ縺具シ」

「お前は敵なのか?」


回道の声は掠れていた。


男の眉が上がる。


阿修羅「!?」


阿修羅は驚愕する。


神ですら理解できない言語を、人間が口にした。


男「蝌倥□繧堺ソコ縺ョ險?闡牙幕繧後k縺ョ縺」


回道には意味が分かる。


男「嘘だろ?俺達の言葉、喋れるのか?」


回道「繧上°繧九h」


回道「分かるよ」


男の顔が、ぱっと明るくなる。


安堵。


喜び。


まるで友人を見つけた子供のように。


男「濶ッ縺九▲縺滂シ√§繧?≠縲∽ソコ縺ォ閻ク鬆よ斡?」


次の瞬間。


回道の背中が粟立つ。


耳に入った意味は――


男「良かった!じゃあ俺に腸頂戴!」


……理解できてしまったからこそ。


言葉が、刃物より鋭く刺さった。


ゾッ。


回道の全身に鳥肌が走る。


(……こいつは)


敵か味方か、そんな次元じゃない。


“会話が成立する怪物”だ。


阿修羅が、ゆっくりと回道の前へ出る。


回道は理解した。


こいつは――ここで殺さなければならない。


会話が成立する怪物。


意思疎通ができる分だけ、悪意が純度を増す。


回道が拳を構え、重心を落とす。


戦闘態勢。


その瞬間だった。


男の顔が、悲しそうに歪んだ。


さっきまでの安堵は消え、口角がゆっくり、ゆっくりと下がっていく。


下がりすぎて――皮膚が耐えきれない。


裂ける。


口が裂け始める。


笑みではない。


裂傷だ。


目が真っ黒に染まり、瞳孔が消える。


赤黒い涙が頬を伝った。


男は首を高速で横に振り始める。


否定。


拒絶。


回道が攻撃の構えを取ったことそのものが、悲しいと言わんばかりに。


男「ぴょ、ぴょ、ぴょ」


阿修羅の頭に疑問符が浮かぶ。


意味のない鳴き声。


だが回道だけが理解してしまう。


男「なんで」


男「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」


その瞬間。


回道の視界が――赤く染まった。


回道「……え?」


理解が追いつかない。


何が起きた?


攻撃された感覚がない。


衝撃もない。


痛みすら、一拍遅れて――


阿修羅がその声で振り向く。


そして凍りつく。


阿修羅の目に映ったのは、


目から血を流している回道だった。


涙ではない。


血が、眼球の隙間から溢れている。


回道「ぐ……ボゲェッ!」


大量の血を吐いた。


内臓が潰れたような音。


膝から崩れ落ちる。


地面に落ちた血が広がる。


回道の身体が震えている。


声が出ない。


回道「ひゅ……ひゅー……」


呼吸が漏れている。


肺に穴が空いたのか。


吸えない。


吐けない。


ただ、空気が抜ける音だけが喉から鳴る。


阿修羅の歯が噛み締められる。


ギリッ、と神の怒りが形になる。


阿修羅「……ッ」


阿修羅の全身が震えた。


次の瞬間。


阿修羅が爆発するように駆け出した。


阿修羅「がぁぁぁぁぁぁぁ!!」


咆哮。


神の怒号。


男へ一直線。


殺す。


この怪物を、今ここで――


だが。


阿修羅が踏み込んだ、その瞬間。


空間が、欠けた。


腕が一本。


肘から先が――消える。


斬られたのではない。


ちぎれたのでもない。


“無かったことにされた”。


阿修羅「がぁぁぁ!!」


腕を失った阿修羅、それでも止まらない。


男は悲しそうな顔のまま首を振り続ける。


男「なんで……なんで……」


回道は床に伏せ、血を吐きながら理解する。


今までの敵とは違う。


強さじゃない。


存在のルールが違う。


ここから先は、


戦闘ではなく“災害”だ。


阿修羅が必死に戦っている、その背後で。


回道の耳が、ぐわんぐわんと鳴っていた。


心臓の音か。


血流か。


それとも死の予告か。


回道の息は浅く、早い。


吸っているのに、肺に届かない。


吐いているのに、身体の熱が抜けない。


本霊戦以来のピンチ。


いや、あれ以上だ。


本霊戦の時は――剛堂の能力があった。


偶然があった。


仲間がいた。


勝ち筋が見えた。


だが今はどうだ。


思考加速。


頭の中がぐるぐると回り続ける。


未来視も。


コピーも。


全部が意味を失う。


解決策がない。


“絶対不可避”。


攻撃ですらない。


存在そのものが、こちらを削り取ってくる。


回道は理解してしまった。


このままでは死ぬ。


死を覚悟した、その瞬間。


阿修羅が咆哮を上げた。


阿修羅「がぁぁぁぁぁぁぁ!!」


回道が顔を上げる。


阿修羅は傷だらけだった。


腕は欠け。


身体は裂け。


それでも立っている。


そして――回道を見ていた。


ただ一言もなく。


“あとは頼む”


そう言っている顔だった。


頼れるのは回道だけ。


お前しかいない。


回道「……まぁ、主人公だしな」


掠れた声だった。


笑えない冗談。


鼻血が、つうと垂れ始める。


阿修羅が、ほんの一瞬だけ目を細めた。


安心したように。


次の瞬間。


阿修羅の顔が――えぐれて消えた。


皮膚も骨も、存在ごと抉り取られる。


阿修羅「――――」


後ろに倒れる。


そして霧散した。


神が消える。


守護が消える。


最後の盾が消える。


回道が、立ち上がった。


震える足で。


子鹿のように。


立っているだけで精一杯なのに。


それでも前に出る。


男「謔ェ閠?シ∵が閠?シ」


回道には意味が分かる。


男「悪者!悪者!」


回道「おう……悪者かぁ」


血を吐きそうな声で笑う。


回道「なってやるよ」


回道「てめぇら殺せるなら、悪者にでもなんでもなってやるよ」


男「縺昴≧縺九=」


男「そうかぁ」


その声は嬉しそうだった。


まるで子供のように。


回道の足が震える。


怖い。


逃げたい。


だが逃げられない。


男「縺倥c縺ゅ?√%縺?▽隕区昏縺ヲ繧九▲縺ヲ縺薙→?」


回道の耳に訳が落ちる。


男「じゃあ、こいつ見捨てるって事?」


その瞬間。


回道の瞳が揺れた。


いつの間にか。


男の手には――一般人が掴まれていた。


戦闘員じゃない。


能力者でもない。


ただ巻き込まれた、罪のない男。


身体は傷だらけ。


だが意識はある。


一般男性「た、たす……たすけてぇ……!」


回道の中で何かが折れかける。


悪者になると決めた。


全部壊すと決めた。


守るものなんてもうないと――思った。


だが。


目の前に“守れる命”が出てきた瞬間。


躊躇ってしまった。


それが。


回道の人生の悪手だった。


主人公という立ち位置を。


正義という呪いを。


諦めきれなかった少年の――。


回道がスピードを上げる。

身体強化


最速。


人質を助ける。


助けられる。


そう思った瞬間。


回道の身体に、穴が空いた。


一つ


二つ


三つ




脇腹



回道「あぁぁぁぁぁ!!」


叫びが響く


回道は男を庇うように倒れ込む


血が床に広がる


一般男性の身体を抱えたまま


男性の目が揺れた


一般男性「……あ……」


意識が落ちる


回道もまた、視界が暗くなっていく


立てない


息が吸えない


それでも回道は、笑った


回道「……守っちまった……」


悪者になりきれなかった


回道「……はぁ……」


肺が裂けているのか、息が漏れる


血が喉に溜まり、咳すら出ない


それでも回道は、ゆっくりと顔を上げた


倒れたままでは終われない


終わらせない


回道は震える拳を握り――


ドゴッ!


地面を殴った


コンクリが砕け、血が飛び散る


回道「……ハハッ……」


笑いなのか、嗚咽なのか分からない


回道「バリア張っても……食らうか」


歯を噛みしめる


あの副隊長のバリア


核爆弾でも壊せないと豪語した防壁


それを貼った


だが――意味がなかった


防御しているのに、穴が空く


守っているのに、削り取られる


回道「……と、言うことはぁ……」


結論を確定させるために


回道はわざと口に出した


思考を整理するために


回道「攻撃じゃない、衝撃でもない、斬撃でもない」


男は、何もしていない


何も放っていない


ただ“そこにいる”だけで


ただ“見ている”だけで


こちらの身体が欠ける


回道「……空間干渉か」


息を吸う


肺が鳴る


回道「……それとも概念か」


喉から血が溢れる


回道は構わず続ける


回道「存在丸ごと……消えてる?」


淡々と


でも確実に、正解へ近づいていく


傷が増えても


死が迫っても


思考だけは止まらない


男はまだ気づいていない


自分がどれほど異常なことをしているか


ただ遊んでいるだけだ


ただ腸が欲しいだけだ


子供の癇癪みたいに


だが――


回道は違う


回道はコピー持ちだ


理解できれば


仕組みが分かれば


それは“自分のもの”になる


回道の目が、血に濡れながらも鋭く光った


回道「……なるほど、お前の能力は……殴るんじゃない、斬るんじゃない、“消す”んだ」


男の笑みが、少しだけ歪む


初めて


興味を持った顔


回道「……いいね、理解した、コピーできる」


震える膝で、回道は立ち上がる


穴だらけの身体で


血を吐きながら


回道は笑った。


頭にノイズが来ない。

まだ正解まで辿り着けていない。


回道「ムズいな……ほんとに。もう、いいや」


その瞬間、空がパッと真っ暗になる。


周囲から悲鳴が響いた。

だがそれは人間の声ではない。霊や妖怪の断末魔だ。


男が不気味に辺りを見回す。


扇「冥王ハデス」


どこからともなく声が落ちてきた。


回道は待っていましたと言わんばかりに視線を上げる。

扇本体は間に合わない。だが――


ヘルメスが先に到着していた。

伝言の能力で、扇の声だけが届く。


扇「おい回道、そのザマはなんだ。お前らしくねぇな」


回道「うっせぇ……」


扇「敵はあいつだな?」


ヘルメスが男を指し示す。


扇「礬水か?」


その隣で上之原が低く答える。


上之原「そうです、礬水様は口が裂けた霊です。人間じゃない」


扇「じゃあ、あの世の王の出番だ」


礬水が頭を押さえ、苦しげに歪む。


その時――


回道の足元の地面が黒く溶け、沼のようにドロドロと広がった。

そこから這い出てくる影。


まるで地獄そのものが現世に滲み出したように。


冥王ハデス。


扇「悪い、回道。遅くなった……いや、遅すぎたわ」


回道「ほんとだよ!死にかけたよ。」


上之原「回道さんが……死にかけた?」


上之原の声が震える。


上之原「やっぱり本部は、桁が違う……」


回道「回復の神とかいねぇのか?」


扇「いないね」


回道「……あと一神、どんなやつなんだよ」


扇「それはおいおいだ。今は目の前の敵に集中しろ」


回道「あと任せていいか?」


扇「まぁいいよ、休んどけ」


回道「……はは。マジで、きつい……」


ハデスが回道を見下ろし、珍しく汗を浮かべる。


ハデス「おい、扇」


回道「……神が喋った!?」


扇「ハデスともう一人は喋れるんだよ。で、ハデスどうした」


ハデスは回道の方を睨み、低く唸る。


ハデス「扇、お前。このちんちくりんが最強だとか言ってなかったか?」


扇「うん。その言葉の通り、そのちんちくりんが最強だよ」


回道「……ちんちくりん……」


礬水「縺?k縺輔>縺ェ(うるさいなぁ)


礬水の声が空間を削るように響いた瞬間、ハデスの影が大きく膨れ上がる。


ハデス「黙れ。冥府の底で喚け」


ハデスが指を下に向ける。


その瞬間――


礬水の足元が、ハデスが這い出てきた時と同じ黒い沼へと変わった。


柔らかい。 底がない。


礬水「……!」


礬水の足が沈む。


礬水が抜け出そうともがけばもがくほど、沼は絡みつくように身体を引きずり込んでいく。


暴れれば暴れるほど沈む。


礬水「縺ェ繧薙□繧医%繧鯉シ(なんだよこれ!)」


扇が肩をすくめる。


扇「ハデスは霊と妖怪専門なんだよ」


回道が息を荒くしながら立ち上がり、その光景を見ている。


扇「対人戦はからっきしだが……礬水には効果てきめんだったみたいだな」


礬水の腕が沼に飲まれる。


爪を立てても、掴む場所がない。


ハデスが淡々と、冥府の王として告げる。


ハデス「強制成仏って知ってるか?」


礬水「……!!」


ハデス「霊や妖怪を強制的に地獄送りにする」


礬水の口が裂けたまま歪む。


恐怖と怒りが混ざった声が漏れる。


ハデスは深くため息をついた。


ハデス「はぁ……また仕事増えるなぁ」


沼が礬水の胸元まで達する。


黒い水面が波打ち、冥府の底へと引きずり込んでいく。


礬水の悲鳴が掻き消える寸前――


回道が、震える声で呟いた。


回道「……終わった、のか」


扇「まだだよ」


扇の目は冷え切っていた。


扇「俺が回道のとこに行くから待ってろ」


そう言うと――


ハデスは黒い沼へ沈み、 ヘルメスもまた空へと帰っていった。


回道「……お言葉に甘えるか」


そう呟き、仰向けになって空を見る。


その瞬間だった。


空の端に、巨大な影。


翼。


黒く、禍々しく、明らかにこちらへ向かってくる。


回道「っ……!」


咄嗟に立ち上がり、後ろへ跳ぶ。


次の瞬間――


ドンッ!!


地面に着地した衝撃で地面が割れた。


そこに立っていたのは、翼を携えた妖怪。


鴉天狗「礬水の反応が消えたと思えば……ボロボロの人間」


回道は息を荒くしながら睨み返す。


鴉天狗「お前がやったのか?」


回道「まぁ……そういうことにしとこう」


鴉天狗の口元がわずかに吊り上がる。


鴉天狗「成程。あいつを倒すとは、只者では無いですね」


回道は満身創痍だ。


今ここで戦えば――終わる。


逃げる算段を必死に組み立てる。


鴉天狗「……お仲間もお強いんですか?」


回道の目が僅かに揺れる。


回道「扇のことか?」


鴉天狗「扇って言うのですね。そうです」


鴉天狗は淡々と告げる。


鴉天狗「こっちに向かってきてたので……私達の仲間が殺りに行ってくれてます」


回道「……っ!」


扇――!


その頃。


扇は歯を食いしばっていた。


扇「早く行かなきゃいけねぇって言うのに……!」


前方。


通路の先に、二人の男が立っている。


一人は坊主頭で、異様に腰をくねらせていた。


アーノルド「んぅ〜もぉ〜イケメンじゃないのぉ〜学生だしぃ〜」


気色の悪い甘ったるい声。


もう一人。


顔は傷だらけ。


舌が異様に長く、頭を揺らして笑う。


漸義「相変わらず気持ち悪いなぁ……けっひゃっけゃっ!」


扇は拳を握る。


扇「……どけ」


アーノルドが肩をすくめる。


アーノルド「急いでるのぉ?でもぉ……ここ通すわけないじゃん?」


漸義が舌を垂らしながら笑う。


扇の目が鋭く光る


空気が張り詰める。


扇は印を結ぶ。

指先が震えている。


だが召喚できる神はもう限られていた。


倒された。

プロメテウスも、ガネーシャも、卑弥呼も。


残るのは――


扇「阿修羅……来い!」


空中に二本線が走り、高速で回転する。

そこから現れたのは戦神。


阿修羅が地面に降り立ち、無言で拳を構える。


扇「……もう一体だ」


扇「ヘルメス!」


風を裂き、翼の神が現れる。

伝令の神。戦闘向きではないが呼ぶに越したことはない。


阿修羅とへルメス、一度霧散した存在が、無理やり回復して戻ってきている。


ヘルメスが扇の横に立つ。


アーノルド「きゃぁ〜二体も出せるのぉ?可愛い〜!」


漸義「錆びた刃って知ってるぅ?」


漸義の手には、赤黒く腐った刀。

刃から嫌な臭いが漂う。


扇は理解する。


あれに触れたら終わりだ。


漸義「当たったら破傷風確定ぃ〜!」


次の瞬間。


漸義が消えた。


扇「!?」


音もなく背後。


扇が反射で跳ぶ。


ズンッ!!


地面が裂ける。

さっきまで扇が立っていた場所に刀が突き刺さっていた。


扇「速すぎる……!」


阿修羅が咆哮し突進する。


拳が振り下ろされる。


だが――


アーノルドが笑った。


アーノルド「うふふ、私の先祖さんお願いねぇ」


アーノルドの体が歪む。

背後に無数の影。


歴代のアーノルド家の戦士が憑依する。


次の瞬間、阿修羅の拳が止められた。


阿修羅「……!」


扇「阿修羅!」


阿修羅が無理やり引き剥がし殴る。


ドンッ!!


アーノルドの体が吹き飛ぶ。


だがすぐに立ち上がる。


アーノルド「痛ぁ〜い。でもぉ〜効かないのぉ」


体の奥から別の人格が浮かび上がる。

憑依が次々に切り替わる。


扇は歯を食いしばる。


漸義がまた消える。


扇の頬に熱が走る。


扇「ぐっ!」


浅いが切れた。


傷口が黒ずむ。


扇「……くそっ!」


破傷風。


扇の動きが鈍る。


ヘルメスが翼で扇を引き寄せ距離を取る。


扇「助かった……」


だがその瞬間、漸義が笑う。


漸義「逃げても無駄ぁ!」


刀が振り下ろされる。


阿修羅が割り込む。


ガギィィ!!


阿修羅の腕が裂ける。


阿修羅が吠える。


扇「阿修羅……!」


扇は理解する。


この二体だけじゃ足りない。


本部は格が違う。


その時、上之原が叫んだ。


上之原「やめろ!扇!俺を解放しろ!俺が――説得を!」


扇「黙ってろ」


漸義が首を傾げた。


漸義「裏切り者って嫌いなんだよねぇ」


上之原「……え?」


次の瞬間。


漸義の刀が閃く。


上之原の首が傾き、血が床に広がっていく。


上之原「ぁ……」


言葉にならない声だけが漏れた。

そして膝から崩れ落ちる。


扇は一瞬だけ、目を見開いた。


扇「……」


嫌いだった。


こいつはただのクズだった。

仲間を殺した側の人間で、案内役として利用するだけの存在。


死んでも何も思わないはずだった。


なのに。


上之原が倒れる直前、掠れた声が確かに届いていた。


上之原「……逃げろ。」


扇のために。


最後の最後で、こいつは逃がそうとした。


扇はそれを聴き逃さなかった。


扇の胸の奥が、ぐちゃりと歪む。


扇「……は?」


嫌いだった。

軽蔑していた。

ただの裏切り者だった。


なのに。


死に際にそんな言葉を残すな。


扇の呼吸が荒くなる。


扇「……ふざけんなよ」


アーノルドが腰をくねらせ笑う。


アーノルド「裏切り者ってさぁ、最後まで惨めだよねぇ〜」


漸義も舌を揺らして笑う。


漸義「けっひゃっけゃっ!死ぬなら黙って死ねばいいのにぃ!」


扇の瞳が、カッと開く。


扇「……てめぇら」


怒りが込み上げる。


クラスメイトを殺された怒り。

神を潰された怒り。

回道を追い詰められた怒り。


そして何より――


上之原の死に際の一言が、胸を抉る怒り。


扇「……逃げろだぁ?」


声が震えている。


扇「案内役が、今さら格好つけてんじゃねぇよ……!」


拳が血で濡れるほど握りしめられる。


扇「俺はお前を許してねぇ!」


だが。


扇「……それでもよぉ……!」


扇の喉が裂けそうになる。


扇「死ぬ前にそんなこと言われたら……!」


涙が滲みそうになるのを噛み殺す。


扇の霊力が爆発的に膨れ上がる。


空気が軋む。


漸義が笑みを消す。


漸義「……あ?」


アーノルドも目を細める。


アーノルド「怒ったぁ?」


扇「当たり前だろうがァ!!」


扇が吠える。


扇「俺の前で仲間ヅラして死ぬんじゃねぇ!!」


扇の怒りは上之原に向いているのか、

本部に向いているのか、

もう自分でも分からない。


ただ一つ確かなのは――


扇は今、完全にブチ切れていた。


扇「……てめぇら全員」


扇の目が獣のように光る。


扇「ここで地獄見せてやる」


アーノルドが笑う。


阿修羅が最後の突進をする。


だが漸義の刀が阿修羅の胸を貫いた。


阿修羅の体が霧散する。


扇「……っ!」


残るのはヘルメスだけ。


ヘルメスが翼を広げる。

扇を抱え、逃げる構え。


扇「……逃げるしかねぇか」


扇の視界が揺れる。


破傷風の毒が回っている。


ぐらつき倒れてしまう


アーノルド「逃がさないよぉ」


アーノルドが扇の頭を地面に擦り付け押さえつける


扇「ぐっ……!」


動けない。


漸義が顔を近づけ、舌を伸ばす。


漸義「けっひゃっけゃっ!終わりだぁ!」


扇の目が鋭く光る。


扇「……回道」


助けを呼ぶ声すら出ない。


ヘルメスが必死に翼を動かす。


だが――


漸義の刀が翼を切り裂いた。


ヘルメスが霧散する。


扇「……くそ……」


本部は強すぎる。


扇は負けた。


回道は血まみれのまま立っていた。


全身に羽が突き刺さり、皮膚を裂き、肉を抉っている。

生きているのが不思議なほどだ。


鴉天狗は静かに息を吐き、感嘆するように言った。


鴉天狗「……何が、あなたをそこまで立たせるのですか」


鴉天狗「その傷で、その動き。もしあなたが無傷で私と対峙していたら……背筋が凍ります」


鴉天狗は翼を畳み、優雅に微笑む。


鴉天狗「どうです?今なら助けて差し上げますよ」

鴉天狗「こちら側に来る選択を……」


回道は血を吐きながら笑った。


回道「べらべらと……うるせぇよ」


鴉天狗「……?」


回道「にわとり」


鴉天狗「にわとり?」


回道「黒いニワトリだ、お前はぁ」


致死量の血が喉を焼く。

視界が滲み、頭が混濁していく。


それでも回道は、倒れなかった。


回道「扇が来てくれりゃ……俺の勝ちだァ」


一瞬、膝が折れかける。

だが歯を食いしばり、踏みとどまる。


鴉天狗「まだ来ると信じているのですか?」


回道は血に濡れた唇を吊り上げた。


回道「舐めんな、扇だぞ?来るに決まってんだよ、俺の次に……つえぇからなぁ」


その言葉が、祈りのように空へ溶けた。


一方その頃。


アーノルドが扇を押さえつけ、制圧した――

そう見えた瞬間だった。


扇の腕が、ゆっくりと動く。


アーノルドごと、持ち上げた。


アーノルド「えぇ!?まだそんな力あるの!?」


扇の身体が震える。


扇の中に眠っていた“霊力の栓”が――揺れていた。


その瞬間。


回道の目が、微かに光った。


回道の中の栓もまた、鼓動を始める。


奇しくも。


二人は同時に、霊力への道を開こうとしていた。


扇は歯を剥き出しにして笑う。


扇「……ぶっ飛ばしてやらァァァ!!」


重心を落とし、空に向かって吠える。


風が吹いた。

空気が震えた。

世界が共鳴する。


ポンッ――


扇の中で何かが外れる音がした。


霊力が解放される。


赤い炎が扇を包む。

熱くない。燃えているのは肉体ではない。


魂そのものだった。


アーノルドと漸義が、呆然と見つめる。


アーノルド「土壇場での覚醒……!ほんっと唆るわぁ……!」


漸義が舌を揺らす。


漸義「けっひゃっけゃっ……!やっと本気になったかよぉ!」


扇の瞳が燃える。


その炎は絶望ではない。


怒りと誓いだ。


失った全てを背負い――

今、この場で叩き潰すための炎だった。


鴉天狗の瞳が、わずかに揺れた。


炎に包まれた扇。

その霊力の奔流に、一瞬だけ意識を奪われる。


鴉天狗「……霊力?」


鴉天狗は眉を寄せる。


鴉天狗「まさか……あなたの友達、霊力を使えるのですか?」


そう呟きながら、回道の方へ視線を戻す。


――そこにいるはずだった。


血まみれで、羽に貫かれながらも立っていた男が。


いない。


鴉天狗の表情が凍る。


鴉天狗(消えた……?)


油断した。


鴉天狗は翼をわずかに広げ、周囲へ意識を研ぎ澄ませる。

風の流れ。

地の振動。

殺気の残滓。


どこだ。


どこにいる。


その瞬間だった。


鴉天狗の感覚が、別の異変を捉える。


霊力。


扇から溢れ出したものだけではない。


この場そのものに――霊力が漂っている。


空気に混ざり、地面に染み込み、まるで結界のように満ちている。


鴉天狗の背筋に冷たいものが走った。


鴉天狗(違う……あの友達だけではない)


鴉天狗はゆっくりと息を吐く。


導かれる結論は、一つ。


鴉天狗「……なるほど」


鴉天狗の声が低くなる。


鴉天狗「あなたも霊力を……使えるのですね」


そして今。


この戦場は、二人の覚醒によって――

完全に別の領域へ踏み込んでいた。


鴉天狗はすぐに否定した。


鴉天狗(消えたのではない、観測できない速度で動いている)


なぜ気づけたのか。


答えは単純だった。


回道は負傷している。

致死量の血を流している。


ぽたり。

ぽたり。


地面に落ちる血痕。


鴉天狗の周囲に、円を描くように散っている。


血痕は嘘をつかない。

軌跡は隠せない。


鴉天狗「……そこです」


次の瞬間。


ドゴッ!!


拳が鴉天狗の頬を叩き割った。


鴉天狗の身体が初めてぐらつく。


鴉天狗(殴られた……?)


初撃。

この戦いで初めて食らった一発。


鴉天狗は口元を歪める。


鴉天狗「このパワー……、面白いほどの予想外!」


その直後。


グサッ、と地面を抉る音。


回道が急ブレーキをかけ、鴉天狗の目の前で止まった。


回道はうずくまっている。

肩が上下し、呼吸が荒い。


鴉天狗はその横姿を見下ろす。


次に、回道がゆっくりと立ち上がった。


その瞬間。


鴉天狗の目が、見開かれる。


霊力には色がある。


赤。

青。

紫。

黒。


それは周知の事実。


だが――


ただ一つだけ。

異質な色が存在する。


白。


時代が変わる節目に現れるという伝説。

歴史の転換点にのみ灯る炎。


白炎。


回道の身体を包んでいたのは、それだった。


白い炎が揺らめく。

熱を持たないのに、世界を焼き尽くすような圧がある。


鴉天狗は息を呑む。


鴉天狗「……これは素晴らしい!!」


声が震える。

恐怖ではない。


歓喜だ。


鴉天狗「白炎ですか!?」


そして次の言葉は、狂気じみていた。


鴉天狗「もう、殺したくない!あなたを!」


白炎を纏う回道を前に。


鴉天狗は敵に対して“惜しい”と感じていた。


鴉天狗「あなたはここで失っていい人間じゃない!新たなる時代の主人公になるかもしれないのですよ!!」


声が熱を帯びる。


鴉天狗「空亡様に続く支配者となり得るのですよ!!」


回道は何も言わない。

白炎だけが静かに揺れている。


鴉天狗「お望みなら、あなたの友達も助けます、霊力を使える人間は重宝しているので……どうです?私達と――」


言い終える前だった。


ドンッ!!


鴉天狗の身体が吹き飛ぶ。


地面に叩きつけられ、羽が散る。


鴉天狗は羽を動かす反動で跳ね起きる。

口元から血が垂れていた。


鴉天狗「……答えはNo、ですか」


回道の拳に、赤い血が付いている。


鴉天狗ですら見えなかった速度。

不可視の一撃。


鴉天狗の瞳が細くなる。


鴉天狗「面白い……」


歓喜と殺意が、同時に滲んだ。


扇の全身を包んだ赤い霊炎が、夜の空気を灼いた。

熱ではない。だが圧がある。

周囲の霊気そのものが震え、地面の砂利が細かく跳ねる。


アーノルドが口元を歪めた。


漸義は舌をだらりと垂らし、首を左右に揺らす。


漸義「けっひゃっけゃっ!燃えてる燃えてるゥ!」


扇は低く息を吐いた。

身体が軽い。いや、軽すぎる。

霊力の栓が外れた瞬間、内側から溢れるものが止まらない。


扇「……うるせぇな」


足を踏み込む。


ドンッ!!


地面が砕けた。

扇の姿が一瞬で消える。


次の瞬間、漸義の頬が爆ぜた。


漸義「ぎゃっ――!」


吹き飛ぶ。

だが漸義は関節を外したようにぐにゃりと形を崩し、着地と同時に滑るように体勢を戻す。


漸義「危ねぇ危ねぇ!速ぇじゃねぇかよ!」


扇は追撃を止めない。

霊炎が尾を引き、拳が唸る。

拳が腹に突き刺さる。


ドゴォッ!!


漸義の身体が地面を転がり、砂煙が上がる。


アーノルドはその様子を見ながら、妙に嬉しそうに両手を広げた。


アーノルド「やだぁ〜!学生の火力じゃないわぁ!」


次の瞬間、アーノルドの背後に幾つもの影が立つ。

歴代の先祖。

武人、兵士、処刑人、祈祷師。

異なる霊格が一斉に憑依し、アーノルドの身体を別物へと変える。


アーノルド「さぁ、踊りましょ?」


扇は舌打ちする。


扇「キモいんだよ」


アーノルドが踏み込む。

拳ではない。肘でもない。

先祖の技が混ざった不可解な動き。

骨を折るための角度、殺すための重心。


扇は正面から受けた。


バキィッ!!


腕が軋む。

だが扇の霊炎が爆ぜ、衝撃を押し返す。


扇「……効かねぇ」


アーノルド「強がりぃ〜!」


扇は一歩踏み込み、頭突き。


ゴンッ!!


アーノルドの鼻が折れる。

血が散る。


アーノルド「んんっ♡痛い〜!」


狂っている。

だが強い。


漸義が背後から滑り込む。

錆びた刀が閃く。


漸義「当たったら終わりだぜぇ?」


扇は身体を捻り、刀を紙一重で避ける。

避けたはずだった。


スッ――


頬に浅い線。

血が滲む。


扇の目が鋭くなる。


扇「……掠っただけで終わりってか?」


漸義「破傷風ぅ〜!けっひゃっけゃっ!」


扇は即座に距離を詰め、漸義の胸倉を掴む。


霊炎が爆発する。


ボンッ!!


漸義の身体が宙に浮いた。


漸義「うわぁぁぁ!熱くねぇのに燃えるゥ!」


扇はそのまま叩き落とす。


ドガァン!!


地面にクレーターができた。


アーノルドが笑う。


アーノルド「最高!最高よぉ!」


先祖の影が重なり、巨大な圧が扇に襲いかかる。


扇は真正面から迎え撃つ。


扇「ぶっ飛ばす」


拳と拳がぶつかる。


バァン!!


霊炎が散り、夜が赤く染まる。


扇は押していた。

確実に押している。

アーノルドの先祖の技を、力でねじ伏せている。


漸義も立ち上がりながら息を荒げる。


漸義「なんだこいつ……化け物かよ……!」


扇は理解していた。


(俺がここで終わらせるしかねぇ)


霊炎をさらに燃やす。


扇「行くぞ」


踏み込み。


アーノルドの顎を砕く。


漸義の脇腹を抉る。


連撃。

暴力。

霊力の奔流。


二人が膝をつきかける。


アーノルド「やだ……負ける……?」


漸義「けっ……ひゃ……!」


扇は最後の一歩を踏み出した。


扇「終わりだ」


拳を振り抜く――


その瞬間。


スッ……


霊炎が、消えた。


扇の視界がぐらりと揺れる。


扇「……あ?」


身体の内側が空っぽになる感覚。

燃料切れ。

霊力の放出が急すぎた。


扇「……クソ……」


膝が落ちる。


ドサッ。


拳が地面に触れたまま、立てない。


アーノルドが息を吐きながら立ち上がる。

鼻血を垂らし、歯を見せて笑った。


アーノルド「ガス欠……?」


漸義もふらつきながら立つ。

刀を引きずり、舌を垂らす。


漸義「惜しかったなぁ……けっひゃっけゃっ!」


扇は歯を食いしばる。


扇「……倒しきれ、ねぇ……」


霊炎はもう戻らない。

身体が鉛のように重い。


アーノルドが扇を見下ろす。


アーノルド「あと少しだったのにねぇ」


漸義が刀を構える。


扇は動けない。

押していた。

勝ちかけていた。


だが――


倒しきれなかった。


夜の中で、二人の影が扇に落ちる。


漸義はふらつきながらも、錆びた刀をゆっくりと持ち上げた。

刃の上を舌で舐めるように顔を近づける。


漸義「……」


だが次の瞬間、ぴたりと止まる。


漸義「うわ、きたな」


自分でやって、自分で嫌がった。

舌なめずりをやめ、代わりに舌をだらりと垂らしたまま笑う。


漸義「けっひゃっけゃっ!錆びすぎだろこれ!」


アーノルドは鼻血を垂らしながらも、陶酔したように両腕を広げる。

背後の先祖の影が薄れていくのを感じ取り、甘ったるい声を漏らした。


アーノルド「ありがと!私の先祖ちゃん達ィ〜!」


影がすうっと消える。

残ったのは、生身のアーノルドと、狂った笑顔だけだった。


アーノルド「いやぁ〜でも楽しかったぁ。こんな学生、滅多にいないわよぉ?」


漸義が刀を引きずりながら近づく。


錆びた刃が月明かりを鈍く反射する。


漸義とアーノルドが勝利を確信した、その瞬間だった。


――ガッ。


足音。


三人分。


アーノルドも漸義も気づかない。

いや、気づけない。


回道ではない。

扇でもない。


この場にいるはずのない圧が、空気を塗り替えていく。


漸義が刀を持ち上げたまま、舌を垂らして笑った。


漸義「けっひゃっけゃっ……」


次の瞬間。


何かが漸義に近づく。


漸義「――?」


気づいた時には遅かった。


ドンッ!!!


拳が顔面にめり込む。


頬骨が砕け、鼻梁が潰れ、頭蓋が音を立てて陥没する。


漸義の身体が宙を舞った。


壁に向かって一直線。


ズガァァン!!


肉と骨が壁に叩きつけられ、漸義はそのまま崩れ落ちた。


アーノルドの瞳が見開く。


アーノルド「な――ッ!?」


異変を理解した瞬間、構えに入ろうとした。


だが。


上から影が落ちる。


アーノルド「え?」


ガッ!!


脳天に叩き込まれる、かかと落とし。


視界が揺れ、世界が裏返る。


アーノルドは膝から崩れ、そのまま地面に倒れ伏した。


一瞬で終わった。


扇の荒い息だけが残る。


そして――


立っている。


三つの足音の主が。


三人分の足音が近づいてくる。


 敵か味方か判断する余裕すらない。ただ本能が、これまでとは違う圧を感じ取っていた。


倒れ伏したアーノルドの傍に、一つの影が立つ。

低く、冷静な声が落ちた。


???「扇、状況を端的に」


扇の瞳が揺れる。

その声を聞いた瞬間、張り詰めていた何かがぷつりと切れた。


顔を上げる。

そこにいたのは――。


扇「天城先生ぇ……」


安堵が涙になって溢れた。情けないほど、止まらなかった。


次いで、漸義を沈めた男が扇の体を支える。大きな手が、折れそうな肩を確かに抱きとめた。


百目鬼「よく頑張りましたね」


百目鬼校長の声は静かだったが、その奥に確かな怒りが滲んでいた。


百目鬼「この傷……いつ息絶えてもおかしくなかっただろうに」


扇は笑おうとしたが、喉がひゅっと鳴るだけだった。

その背後から、もう一人が前に出る。

鋭い視線が倒れた敵ではなく、この場にいない者たちを探していた。


厓山「他の子達はどうした?」


扇は百目鬼の腕の中で、震える息を吐いた。


喉の奥が焼けるように痛い。言葉にすれば、それが現実になってしまう気がして、唇が動かなかった。


だが――問われている。


答えなければならない。


扇は俯いたまま、絞り出すように言った。


扇「回道以外……全員、殺られました」


一瞬。


空気が凍りついた。


風の音も、遠くの崩落音も、すべてが消えたように感じた。


天城、百目鬼、厓山。


三人の目が裂けそうなほど見開かれる。


百目鬼「……今、なんと?」


百目鬼の声は震えていた。

聞き間違いであってほしい、そう願う響きだった。


厓山「嘘だろ!?」


厓山が一歩踏み出す。怒りより先に、信じられないという感情が顔に浮かんでいる。


扇は何も返せない。


返した瞬間、全部が確定してしまうからだ。


そして。


天城だけが、言葉を発しなかった。


ただ静かに、拳を握る。


骨が軋むほど強く。


その沈黙が、誰よりも重かった。


怒りが爆発する前の、底なしの圧。


扇は涙をこぼしながら、唇を噛みしめた。


――俺が、守れなかった。


天城は扇を見下ろしたまま、低い声で問うた。


天城「回道は……どこにいる」


扇の喉が鳴る。


血の味がまだ口の中に残っていた。


震える指で、扇は倒れている二人へ視線を向ける。


扇「回道の場所に向かってる時に……この二人が、邪魔してきて……」


言いながら、扇ははっとする。


そこにいるはずだった。


倒れていたはずだった。


だが――


次の瞬間。


扇「……いない!?」


地面に転がっていたはずの漸義とアーノルドの姿が、忽然と消えていた。


まるで最初から存在しなかったかのように。


百目鬼の目が鋭く動く。


厓山も反射的に構えた。


天城の空気が一段冷える。


そして。


空から、声が落ちてきた。


鴉天狗「――あら」


同時に、バサッ、と空気を裂く重い音。


巨大な黒い翼が夜を覆う。


影が地面に落ちた。


百目鬼の顔が歪む。


憎悪が、その声に滲んだ。


百目鬼「……お、おま……お前はァァ!!」


震えるほどの怒り。


そして叫びが爆発する。


百目鬼「鴉天狗ッッッ!!」


鴉天狗は悠然と降り立っていた。


その両脇には、意識を失った漸義とアーノルド。


まるで戦利品のように抱えられている。


扇の背筋が凍る。


厓山が歯を食いしばった。


天城は一言も発さない。


ただ殺気が濃くなる。


鴉天狗は笑う。


鴉天狗「あら、私のことをご存知で?」


軽い口調。


だが次の言葉で空気が刺さる。


鴉天狗「……いや、それよりも」


翼がわずかに揺れた。


目が細まる。


鴉天狗「向こうの強者を心配した方がいいんじゃないですか?」


その瞬間。


扇を含め、全員が悟った。


――回道に、何かあった。


胸の奥が冷たく沈む。


言葉にならない焦りが広がっていく。


鴉天狗は翼を広げたまま、最後に一度だけこちらを見下ろした。


鴉天狗「では、失礼します」


その声はどこまでも軽い。


次の瞬間、黒い翼が夜を裂き、影は空へ溶けるように撤退していった。


静寂が戻る。


だが、その静寂は安心ではなく――恐怖の余白だった。


扇は息を呑み、次に百目鬼の腕を振り払った。


百目鬼「扇!」


制止の声も届かない。


扇は走り出していた。


足が縺れる。


身体は限界だった。


何度も転ける。


膝が裂ける。


それでも立ち上がる。


声にならない声が喉から漏れる。


叫びたいのに叫べない。


ただ焦燥だけが胸を焼く。


回道が。


回道が、どこかで――。


見かねた厓山が追いつき、扇の肩を支えた。


厓山「無茶するな」


扇は振りほどこうとするが、力が入らない。


厓山「信じるんだ」


厓山の声は強かった。


厓山「回道を」


その言葉に、扇の目が揺れる。


天城も百目鬼も無言で頷いた。


四人は走り出す。


夜の廃墟を駆ける。


瓦礫を踏み越え、崩れた壁を抜ける。


そして――。


回道がいたはずの場所。


そこには血痕が散り、砕けた石と折れた鉄骨が転がっているだけだった。


回道の姿はない。


扇の呼吸が止まる。


扇「……嘘だろ……」


百目鬼が周囲を見渡し、天城はしゃがみ込む。


その時だった。


天城の目が鋭く光る。


天城「……違う」


天城は血を指でなぞり、地面を見据えた。


天城「血が続いている」


全員が息を呑む。


血痕は点ではなく、線になっていた。


どこかへ向かっている。


引きずられた跡ではない。


自分の足で。


自分の意志で。


天城「回道は……まだ動いている」


扇の胸に、かすかな火が灯る。


絶望ではなく、希望の痛み。


四人は血の跡を辿り、再び走り出した。


その先に待つものが何であろうと――。


暗い路地裏。


瓦礫と血の匂いが混ざった空気の中を、回道はふらふらと歩いていた。


息は途切れ途切れで、喉の奥が焼けるように痛い。


肺が潰れているのか、吸うたびに空気が漏れる音がする。


それでも足を動かす。


扇の元へ行かなきゃいけない。


それだけが、回道を立たせていた。


だが――頭に受けた衝撃が、全てを狂わせていた。


視界は歪み、地面が傾いて見える。


方向感覚が壊れている。


自分がどこにいるのかも分からない。


本当は扇の方へ向かっているつもりだった。


けれど、歩いているのは真逆だった。


回道はそれに気づけない。


ただ、前へ進むしかないと思い込んでいた。


足がもつれる。


膝が笑う。


次の瞬間、身体が限界を迎えた。


回道は力尽き、地見に崩れ落ちた。


冷たいコンクリートに頬が触れる。


血が広がる。


目の焦点が合わない。


生気が、少しずつ薄れていく。


回道はぼんやりと空を見上げた。


主人公の最期。


仲間に囲まれて、名前を呼ばれて、看取られて。


そういう終わり方を、どこかで勝手に想像していた。


物語なら、そうなるはずだと。


だが。


現実は甘くない。


誰も来ない。


声もない。


ただ暗い路地裏で、血の匂いだけがある。


自分は今、一人だ。


誰にも看取られず。


孤独に死んでいく。


それが現実だと。


回道の唇がかすかに震える。


笑う力すら残っていなかった。


回道「……こんなもんかよ……」


その声は風に消えた。


回道の脳内に、走馬灯が流れ始める。


途切れた意識の隙間に、過去が滲み出してくる。


最初に浮かんだのは、両親の顔だった。


声も表情も鮮明で。


優しく笑っていた。


怒っていた。


心配していた。


突然家を飛び出して二度と帰れない事を悔やむ。


当たり前だった日々が、胸を締め付ける。


次に映るのは、学園。


騒がしくて、くだらなくて。


でも確かに生きていた時間。


短い間だった。


本当に短い。


けれど、その短さの中で確実に絆を結んだクラスメイト達の顔が浮かぶ。


守れなかった。


間に合わなかった。


その事実が、走馬灯の中でも刺さる。


胸の奥が軋む。


そして最後に。


一番強く、消えない顔が現れる。


扇。


最初は鬱陶しいと思った。


生意気で、無茶で。


でもいつの間にか隣にいた。


並んで立っていた。


背中を預けていた。


親友なんて言葉じゃ足りない。


それ以上の存在だった。


仲間。


戦友。


命を繋いだ相手。


扇の声が、幻のように耳に響く。


扇「遅いぞ」


扇「油断すんな」


扇「信じてる」


回道の目尻から、熱いものが滲んだ。


血じゃない。


涙だった。


回道「……扇……」


声にならない。


もう喉が動かない。


でも脳内で、必死に呼び続ける。


回道は思った。


もしもう一度だけ立てるなら。


もしもう一度だけ拳を握れるなら。


守りたかった。


扇を。


仲間を。


このふざけた世界を。


走馬灯の中で、扇が笑った気がした。


奥底で、声が聞こえる。


最初はただの幻聴だと思った。


死に際に見る走馬灯の延長。


脳が作り出す都合のいい夢。


けれど違った。


その声は徐々に鮮明になっていく。


暖かくて。


震えていて。


焦りが混じっている。


必死で、壊れそうな声。


それは走馬灯ではなく、本物だった。


回道は、その事実を理解することはない。


もう意識は沈みかけていた。


暗い路地裏。


血の匂い。


瓦礫と泥。


そこに駆け込んできた影があった。


扇だった。


扇は回道を見つけた瞬間、膝から崩れ落ちた。


扇「……回道……?」


信じられなかった。


あれだけ強かった男が。


あれだけふざけて笑っていた男が。


今は冷たい地面に転がり、息をするのがやっとだった。


扇は震える腕で回道の身体を抱き起こす。


胸に引き寄せる。


まるで体温を分け与えるように。


扇「天城先生!回道を見つけました!でも、でも!」


声が裏返る。


叫びが泣き声に変わる。


遠くで天城たちの足音が響く。


だが扇にはもう届かない。


扇の世界には今、回道しかいなかった。


回道の瞳は薄く開いている。


焦点は合っていない。


それでも、扇の顔だけは見えている気がした。


回道の唇が微かに動く。


扇が息を呑み、耳を寄せる。


扇「……回道……頼む……!」


回道は血を吐きながら、かすかに笑った。


回道「……主人公に……なりたかったな」


その言葉は冗談みたいで。


でも冗談にできないほど、重かった。


扇の喉が詰まる。


扇「何言ってんだよ……お前……!誰が何言おうとも…お前は……主人公だろ……!」


返事はない。


回道の瞳から、生気がすっと消えていく。


深い意識の海へ。


静かに。


抗えずに。


沈んでいく。


扇は抱きしめたまま叫び続けた。


扇「回道ォォォ!!!」


天城が咄嗟に動いた。


天城は扇の腕を掴み、力任せに回道から引き離す。


扇「やめろ!離すな!回道が……!」


天城「扇!邪魔だ!」


その声は怒鳴りではない。


命令だった。


厓山が地面に膝をつき、腕まくりをする。


厓山「……心肺停止か」


迷いはなかった。


厓山は回道の胸に両手を重ね、圧迫を始める。


骨が軋む感触。


それでも止めない。


厓山「戻れ……戻れよ……!」


扇は呆然と座り込んだまま、唇を噛みしめる。


百目鬼も動く。


百目鬼は慣れない手つきで両手をかざし、回復術を回道にかけ始めた。


霊力が淡く揺らめく。


回道が霊力を限界以上使ったせいで霊力も枯渇している、百目鬼の霊力を分けようとしているのだ


回道の傷は深すぎる。


体中に突き刺さった羽。


失われた血。


白炎の代償。


百目鬼の額に汗が滲む。


百目鬼「私の術では……!」


厓山は圧迫を続けながら叫ぶ。


厓山「天城!医者は!」


天城は拳を握りしめる。


天城「近くに能力御用達の医師がいる!」


そう言い残し、天城は闇の路地を駆け出した。


足音が遠ざかる。


残された厓山と百目鬼は休むことなく命を繋ごうとしていた。


厓山「……戻れ、回道……!」


百目鬼「死ぬな……!まだ終わっていない!」


扇は震える声で呟く。


扇「……お願いだ……起きてくれよ……」


時間が異様に長く感じた。


数十秒が数分に伸びる。


厓山の腕は痛みで痺れ始める。


百目鬼の霊力も限界に近い。


それでも止めない。


そして――


数分後。


荒い息と共に天城が戻ってきた。


背中には男がいる。


白衣を羽織った医師だった。


天城は医師をおんぶしたまま叫ぶ。


天城「ここだ!頼む!」


医師は地面に降りると即座に状況を見た。


医師「……酷いな。」


医師は迷いなく回道の胸元に手を当てる。


霊力と医術が混ざった特殊な処置。


その場で命を繋ぐための最終手段。


医師「心拍を戻す。全員、手を貸せ!」


厓山は圧迫を続ける。


百目鬼は回復術を重ねる。


天城は医師の指示に従い、必死に補助をする。


扇はただ祈るように、回道の名を呟き続けた。


扇「回道……戻ってこい……頼む……!」


路地裏に響くのは、命を繋ごうとする音だけだった。


川のせせらぎが心地よかった。


耳に届く水音は穏やかで、どこまでも優しい。


回道は草の上に寝そべっていた。


広大に広がる草原。


空はやけに澄んでいて、雲がゆっくりと流れている。


体を動かしても痛みがない。


傷はない。


血の匂いもしない。


あれほど全身を裂かれていたはずなのに。


回道「……ここ、どこだ?」


口にした声すら、自分のものなのか曖昧だった。


自分がどこにいるのか。


そもそも自分が誰なのか。


思い出そうとすると、頭の奥が靄がかかったようにぼやける。


ただ、風だけが現実みたいに頬を撫でていく。


その風が、心地よかった。


草の匂い。


土の温度。


生きている感覚だけが、静かに横たわっている。


――鈴の音が鳴った。


ちりん、と澄んだ音。


回道は目を細める。


遠くから、一定のリズムで響いてくる。


鈴の音に混じって、微かな足音。


回道はゆっくりと首を巡らせた。


草原の向こう。


一本の道もない場所を、行列が進んでいる。


僧侶の行列だった。


灰色の衣をまとい、頭を垂れ、黙々と歩いている。


その手には数珠。


先頭の者が鈴を鳴らしているのだろう。


風に揺れるたび、音が草原に溶けていく。


回道は上半身を起こした。


肘をつき、行列をじっと見つめる。


なぜか懐かしいような、怖いような気持ちが胸に滲む。


回道「……坊さん?」


声をかけても、行列は止まらない。


誰一人としてこちらを見ない。


ただ、一定の速度で歩き続ける。


まるで回道がそこにいないかのように。


回道は立ち上がろうとする。


足に力を込めた瞬間、草がさらりと鳴った。


身体は軽い。


驚くほど軽い。


回道は自分の両手を見下ろす。


血も傷もない。


羽も、痛みも。


すべてが嘘だったみたいに消えている。


回道「……俺、死んだのか?」


言葉にした瞬間、胸がきゅっと締まった。


けれど恐怖はない。


ただ、不思議な静けさがある。


僧侶たちの行列は近づいてくる。


鈴の音が、さらに鮮明になる。


回道は動けずに立ち尽くしたまま、その列を見送ろうとした。


そのとき。


行列の最後尾にいる一人が、ふと顔を上げた。


回道と目が合う。


僧侶ではない。


その瞳は人間のものではないほど深く、澄んでいた。


そして、その口がゆっくりと開く。


???「……戻るのですか?」


回道の背筋が冷たくなる。


戻る?


どこへ。


誰のところへ。


回道の脳裏に、一瞬だけ浮かぶ顔。


泣き叫ぶ声。


扇。


回道の喉が震える。


回道「……俺は……」


行列は止まらない。


ただその者だけが、回道を見つめ続けていた。


回道は、そう呟いた瞬間だった。


頭の奥で千切れていた糸が、一気に繋がる。


暗い路地裏。


血の匂い。


体中を貫いた羽。


視界が滲み、意識が沈んでいく中で――。


泣き叫ぶ声。


必死に自分を抱きしめる腕。


扇の顔。


回道は息を呑んだ。


回道「……そうか」


死ぬ間際。


自分は確かに孤独だと思っていた。


誰にも看取られず、ただ一人で終わるのだと。


だが違った。


回道「死ぬ時、俺は……独りじゃなかったんだな」


胸の奥がじんわりと熱くなる。


痛みではない。


それは、確かに残った温度だった。


僧侶の列の中、先ほど目を合わせた者が、静かににこりと笑った。


その笑みは慈悲でも嘲りでもなく、ただ穏やかだった。


回道は少しだけ肩の力を抜く。


回道「……ついて行っても?」


僧侶「ご自由に」


短い答え。


だが、それは拒絶ではなく許しだった。


回道は一歩踏み出す。


草を踏む音が柔らかい。


列に並び、僧侶たちと同じ速度で歩き始める。


鈴の音がまた鳴る。


ちりん、と。


回道の心臓がその音に合わせて落ち着いていく。


回道はふと、歩きながら後ろを振り返った。


そこに誰かが立っている気がしたから。


草原の果て。


風の揺らぎの向こう。


扇が立っているような気がした。


必死に叫んでいた扇。


泣きながら自分を抱いた扇。


回道はその姿を確かめるように目を細める。


けれど次の瞬間、そこにはただ草が揺れているだけだった。


幻かもしれない。


それでもいい。


回道はフッと笑った。


回道「……じゃあな」


小さく呟く。


誰に向けた言葉か、自分でも分からない。


ただ、それは別れではなく――


確かな感謝だった。


回道は前を向き、僧侶の列と共に歩いていく。


鈴の音が、遠くまで響き続けていた。


医師の手が止まった。


荒い呼吸の音も、必死な叫びも、ふっと途切れる。


沈黙。


医師は回道の胸に触れたまま、ゆっくりと首を振った。


医師「……もう、無理です」


その声は淡々としていた。


だが淡々としているからこそ残酷だった。


医師「何を施しても戻ってきません。心臓も、呼吸も……反応がない」


その言葉が、空気を切り裂く。


扇の瞳が揺れた。


扇「……は?」


理解できない。


理解したくない。


扇は回道の顔を見下ろす。


血に汚れた頬。


閉じたままの瞼。


さっきまで、確かに言葉を残していたのに。


扇「嘘だろ……おい、回道……起きろよ……」


声が震える。


指先が回道の肩を掴む。


揺さぶっても、返事はない。


厓山は歯を食いしばり、拳を握ったまま動けない。


厓山「……そんな、はず……」


百目鬼は膝をついた。


百目鬼「……私が、回復術を……もっと早く習得してれば……」


天城は立ったまま、ただ回道を見つめていた。


拳が震えている。


天城「……」


怒りなのか、悔しさなのか、それすら言葉にならない。


医師は静かに頭を下げた。


医師「……力及ばず、申し訳ありません」


その謝罪さえ遠く聞こえる。


四人は回道を失い、


言葉も失った。


泣き声すら出ない。


ただそこにあるのは、冷たい現実だけだった。


回道はもう、戻らない。


扇の喉から、掠れた息が漏れる。


扇「……回道……」


それは名前ではなく、


崩れ落ちる心の音だった。


扇の肩が震えた。


医師の言葉が、回道の死が、現実として突き刺さった瞬間。


理性が焼き切れる。


扇「ふざけんなよ……!」


次の瞬間、扇は医師の胸倉を掴んでいた。


医師「っ……!」


白衣が引き裂かれそうになる。


扇の瞳は赤く濁り、涙と怒りが混ざっている。


扇「助けるって言っただろ!!医者だろ!!なんで……なんで戻ってこねぇんだよ!!」


厓山が慌てて飛びついた。


厓山「やめろ扇!!違う!!こいつのせいじゃ……!」


全身で押さえつける。


だが、動かない。


扇の腕は鉄のようだった。


厓山「こ、こいつなんて力してんだよ!!」


厓山の声が裏返る。


喪失が生んだ暴力だった。


医師が息を詰める。


次の瞬間。


天城が間に入った。


天城の腕が扇の肩を掴み、強引に引き剥がす。


天城「扇!!やめろ!!」


扇「離せよ!!」


天城「回道は……お前がそんなことしても戻らない!!」


その言葉が、扇の胸に刺さる。


扇の力が一瞬抜けた。


膝が崩れそうになる。


扇「……っ、くそ……」


厓山が息を荒くしながら支える。


扇は地面に拳を叩きつけた。


声にならない叫びが漏れた。


──後日談。


行方不明だった痕辿が、命からがら生きていたことが判明した。


瓦礫の下、血に塗れながらも、奇跡的に息を繋いでいた。


療養のため隔離される中、


回道を含め犠牲になった者たちの葬儀が執り行われた。


百目鬼校長が全てを取り仕切った。


式場には黒い喪服が並び、


香の煙が静かに揺れていた。


そこには何も知らずに呼ばれた回道の両親もいた。


母親は、声すら出なかった。


ただ涙だけが落ち続ける。


悲鳴にもならない沈黙の中で、


身体を小さく震わせて泣いていた。


父親は必死に母親を支えていた。


だが、棺が目に入った瞬間。


父親も崩れた。


父親「……丞……っ」


膝をつき、泣き崩れる。


支えるはずだった腕が力を失った。


扇は葬儀に行きたくないと言っていた。


扇「行ったら……全部、認めることになる」


みんなが死んだ現実を。


回道が戻らない現実を。


だが最後に扇は呟いた。


扇「……最後に、会いたい」


それだけだった。


式場の隅で扇は立っていた。


棺を見つめることもできず、


視線を床に落としたまま拳を握り締めていた。


百目鬼校長は遺族たちの前に立った。


百目鬼「……嘘偽りなく話します」


もう誤魔化しは効かなかった。


人が死んでいる以上、


隠しても意味がない。


霊能者の存在。


妖力使いの存在。


空亡という脅威。


この世界の裏側を。


百目鬼校長は事細かに語り、


目の前で実演まで行った。


常識が壊れる音がした。


だが。


当たり前だ。


信じる者の方が少なかった。


遺族の中には叫ぶ者もいた。


「ふざけるな」


「現実逃避だ」


「責任逃れだ」


怒号が飛ぶ。


それでも百目鬼は頭を下げ続けた。


百目鬼「……申し訳ありません」


扇はそれを聞きながら、


ただ一つ思っていた。


回道は確かにここにいた。


戦って、笑って、


最後に言葉を残した。


主人公になりたかったと。


そしてその主人公は、


誰にも知られない世界の裏側で死んでいった。


扇の胸に残ったのは怒りでも悲しみでもない。


空洞だった。


埋めようのない喪失だけだった。


葬儀場の片付け中


百目鬼は畳の上に座り込んだまま、顔をしかめている。


線香の匂いがまだ残っている。


静けさの中で、悲しみだけが沈殿していた。


その背後から足音が近づく。


天城「呼びました?百目鬼校長」


百目鬼は厓山に声をかけ、天城を連れてくるよう頼んでいたのだ。


厓山は腕を組んだまま、壁にもたれている。


隅の方では扇がタオルで顔を覆い、静かに寝転んでいた。


眠っているのか、起きているのか。


誰にも分からない。


百目鬼「……不足の事態でした」


低い声だった。


百目鬼「私達教師陣が分断され、生徒が狙われるなど……想定していたはずなのに、止められなかった」


天城は唇を噛む。


天城「私が途中で倒した連中は、生徒を狙う理由はただ殺したいからだと、平然とほざいてました」


吐き捨てるように言う。


厓山が鼻で笑った。


厓山「相変わらずゴミだな」


天城「……ええ」


沈黙が落ちる。


回道の棺が運び出された後の空虚さが、会話の隙間に入り込む。


天城はふと眉を寄せた。


天城「そういえば百目鬼校長」


百目鬼「……」


天城「鴉天狗を見た時、感情が抑えられなかったように見えました。憎しみが、剥き出しだった」


厓山も視線を向ける。


天城「過去に何かあったんですか?」


百目鬼校長の指が止まった。


畳に落ちた紙片を拾いかけたまま、静止する。


一瞬だけ。


本当に一瞬だけ。


その目に、深い闇が差した。


百目鬼「……今はまだ、話さないでおきます」


天城「……」


百目鬼「それより」


百目鬼は紙片を握り潰すように手を閉じた。


百目鬼「私が話したかったのは、今後の学園の話です」


厓山「学園……?」


百目鬼「これ以上、同じことを繰り返すわけにはいきません」


天城は静かに頷いた。


天城「……生徒を守るために、ですね」


百目鬼「ええ」


百目鬼は扇の方をちらりと見る。


タオルの奥で、少年はまだ崩れたままだ。


百目鬼「守るべきものが、もう減ってしまったとしても」


その言葉が重く畳に落ちた。


天城も厓山も返せない。


沈黙の中で、百目鬼校長の声だけが続く。


百目鬼「……学園は、次の段階に進まねばなりません」


百目鬼「これからの選別は変えます」


畳に座ったまま、百目鬼校長は淡々と言葉を落とした。


百目鬼「両親がこの世界への理解がある人間か、あるいは両親がいない人間を選ぶようにしましょう」


天城の目がわずかに揺れる。


天城「……それは」


百目鬼「巻き込まないためです」


即答だった。


百目鬼「何も知らない家族にとって、霊能も妖怪もただの悪夢です。理解がない者は、守る前に壊れてしまう」


厓山が舌打ちする。


厓山「現実的すぎる話だな」


百目鬼「現実を見なければ、また回道のような子が死ぬ」


その名前が出た瞬間。


隅で横たわっていた扇の肩が、わずかに震えた。


だが顔は上がらない。


天城は静かに拳を握り締める。


天城「……続けてください」


百目鬼「それと」


百目鬼は一度息を吐き、視線を畳に落としたまま言った。


百目鬼「試験を導入します」


厓山「試験?」


百目鬼「ええ。選ばれた者をただ守るだけでは足りない。生き残れる者を育てなければならない」


天城は黙って聞いている。


百目鬼の声は冷たいが、その奥に焦りが滲んでいた。


百目鬼「幸い、外冠死業の本部に学園の場所はまだバレていない」


天城「……今のところは」


百目鬼「あの森は妖怪や霊が普通の場所より多い」


厓山が眉を上げる。


厓山「確かに、異常な密度だ」


百目鬼「試験にうってつけです」


言葉が鋭く響く。


百目鬼「里隠れの術を張り、常に厳戒態勢で生徒に学びを与えましょう」


天城はゆっくりと頷いた。


天城「……戦う力を持たせるしかない、ということですね」


百目鬼は視線を上げる。


その瞳には教師としての温度よりも、戦場の指揮官の冷徹さが宿っていた。


扇はまだ動かない。


ただタオルの下で、声にならない呼吸だけが続いていた。


厓山「今いる二人はどうするんですか?扇と痕辿は、」


百目鬼校長は迷いなく答えた。


百目鬼「このまま通常通り授業を受けてもらい、卒業してもらいます」


厓山は納得しきれない顔をしたが、それ以上は言わなかった。


畳の上で交わされるのは、これからの学園の方針。 誰を迎え入れ、誰を守り、誰を切り捨てるか。


三人は夜が明けるまで話し続けていた。


学園に戻った瞬間、天城が立ち止まった。


廊下の壁は抉れ、床には罅が走り、血の跡すら完全には消えていない。


天城「……これは整備が必要ですね」


百目鬼は何も言わず、ただ静かに周囲を見回していた。


その瞳は、まだ戦いの中にあるようだった。


修復作業が始まった、机を運んで、割れた床板を外し、壁を塗り直す。


厓山はペンキ塗りをしながら、隣で黙々と刷毛を動かす天城に声をかける。


厓山「なぁ天城」


天城「はい」


厓山「百目鬼校長、最近おかしくねぇか?」


天城の手は止まらない。


厓山「偶に抜けて、朝方に帰ってくる。まともに寝てないだろあの人」


天城「……さぁ」


素っ気ない返事だった。


厓山は眉を寄せる。


厓山「さぁ、じゃねぇよ。気づいてんだろ?」


天城は刷毛を壁に当てたまま、低く言う。


天城「気づいていますよ」


厓山「じゃあ何してんだ」


天城は少しだけ視線を落とした。


天城「校長は……責任を背負っているんです」


厓山「責任?」


天城「生徒が死んだ。その事実がある限り、そう眠れる人じゃない」


厓山は舌打ちした。


厓山「真面目すぎんだよ、あの人」


天城「真面目だから校長なんでしょう」


壁の白が少しずつ塗り替えられていく。


だが、どれだけ塗り重ねても。 あの日の血と叫びは、簡単に消えない。


厓山は刷毛を止め、ぽつりと呟く。


ペンキの匂いと、乾ききらない戦闘の残り香が混ざる。


厓山の言葉が、天城の胸に小さく刺さったまま抜けなかった。


夜が更け、寮が静まり返った頃。 厓山の寝息を確認した天城は、そっと廊下に出た。


月明かりだけが細く差し込む学園の裏手。 そこに、一つの影があった。


百目鬼校長だ。


天城は距離を取ったまま、その背を追う。


校長は迷いなく、寮の裏へと回り込んでいった。


そして――


ザッ、ザッ、


土を掘る音。


夜の静寂に不釣り合いな、生々しい音が響いている。


天城は息を潜め、木陰から覗き込んだ。


そこには百目鬼がいた。


袖をまくり、泥に汚れた手で、黙々と土を掘り返している。


だが天城が本当に凍りついたのは、その後ろだった。


掘られた穴が一つではない。


いくつも、いくつも。


整然と並ぶ土の盛り上がり。 仮の墓標。


学園に関わり、命を落とした者たちの数だけ。


天城「百目鬼校長……これは……」


声をかけた瞬間、百目鬼の手が止まった。


ただ低く答える。


百目鬼「あぁ……バレちゃいましたか」


静かに続けた。


百目鬼「これは、弔いの墓です」


天城は言葉を失った。


百目鬼が掘っていたのは墓だった。 この学園に関わり、死んでいった人間全員分の墓。


誰にも見せず。 誰にも任せず。


校長が一人で掘っている。


百目鬼「ちょうど、この方が最後ですよ」


百目鬼はゆっくりと立ち上がり、手袋を外す。


その前に置かれていた墓石。


月明かりに照らされ、刻まれた文字が浮かび上がる。


回道。


天城の喉が、ひゅ、と鳴った。


墓石の横には、小さな骨壺が置かれている。


あまりにも軽く、あまりにも現実的な重さ。


天城は震える声で尋ねた。


天城「……回道、ですか?」


百目鬼はようやく振り返った。


その目は赤く、疲れ切っていた。


百目鬼「ええ」


天城「校長が……一人で?」


百目鬼は小さく笑った。


百目鬼「責務ですから」


百目鬼の表情が僅かに歪む。


百目鬼「私が守れなかった子達です」


天城は何も言えなかった。


百目鬼は骨壺を見下ろし、静かに言う。


百目鬼「誰も知らない場所に、誰も知らない形で弔うしかないんです」


天城「両親には……」


百目鬼「話しましたよ。墓をこっちで作りたいと、渋々ですけど了承してもらえましたよ」


天城は拳を握り締める。


天城「それでも……回道は、こんな暗い場所で眠るべきじゃない」


百目鬼は土に視線を落とした。


百目鬼「暗い場所じゃありません」


天城「……え?」


百目鬼「ここは寮の裏です。生徒たちが笑って過ごした場所のすぐ隣だ」


天城は言葉を失う。


百目鬼は墓穴の縁に手を置き、深く息を吐いた。


百目鬼「私はね、天城先生」


天城「はい」


百目鬼「この墓を掘りながら思っているんです」


月が雲に隠れ、闇が濃くなる。


百目鬼「次は誰の名前を刻むことになるのか、と」


天城の背筋が冷えた。


百目鬼は静かに、だが確かに言った。


百目鬼「もう、こんな墓を増やしたくない」


その言葉だけが、夜の土の匂いの中に残った。


どこかも分からない屋敷。


灯り一つない廊下は、闇そのものが形を持ったように重く沈んでいた。 湿った空気が肌にまとわりつき、遠くで軋む木の音だけが不気味に響く。


その暗がりを、羽音もなく一つの影が進んでくる。


黒い翼を畳み、足音だけを残して歩く存在。


鴉天狗だった。


鴉天狗「アーノルド、漸義、」


呼ばれた二人は、薄暗い広間の奥で待っていた。


アーノルド「あい、」


漸義「なんだよ」


鴉天狗はゆっくりと距離を詰める。 その目には、冷えた刃のような光が宿っていた。


鴉天狗「なんだ?あのザマは」


空気が一段と重くなる。


アーノルドは肩を竦め、軽く笑ってみせた。


アーノルド「油断したのよ」


漸義は舌を鳴らし、傷だらけの口元を歪める。


漸義「あの扇ってガキ一人なら勝てたんだよ、ケヒャケッ」


次の瞬間。


静かな声が闇を切った。


静瀬「うるさいね」


広間の隅、いつの間にか立っていた男が目を細める。


静瀬「油断って言葉、嫌いなんだよね」


漸義が口を開きかけたが、視線だけで押し黙った。


そこへもう一つ、若い声が混ざる。


ケサランパサラン「そんなんで父さんに顔向けできるのかよ」


その言葉には棘があった。


アーノルドはわざとらしく首を傾げる。


アーノルド「できないわ、」


漸義は即座に笑い飛ばす。


漸義「俺はできるぜ、ケヒヤッ」


鴉天狗の足が止まった。


闇の中で、その瞳だけが鋭く光る。


鴉天狗「たった二人に多大な損害を食らって、その態度でいられるのは関心だ」


一拍置き、低く続ける。


鴉天狗「そのうち一人は俺が始末したんだぞ」


漸義の笑みが僅かに消える。


漸義「……俺たちが殺し損ねたガキは?」


鴉天狗は鼻で笑った。


鴉天狗「とんでもない圧を持ってる人間が三人もいたんだ」


アーノルドが眉を上げる。


鴉天狗「まともに戦えば、俺も危うかったんだよ」


ケサランパサランが肩を揺らし、薄く笑う。


ケサランパサラン「逃げたってことだね」


静瀬の目が冷たく細まる。


静瀬「空亡様の息子だからってね、上官にその態度はだめだね」


闇の中、沈黙が落ちる。


誰もが理解していた。


この失態は、空亡の耳に届く。


そして届いた瞬間、次に落ちるのは叱責では済まない。


屋敷の暗闇が、まるでその未来を予告するように深く濃く広がっていた。


全員、足並みを揃えて歩く。


誰一人として言葉を発しない。 屋敷の廊下には、ただ靴音だけが規則正しく響いていた。


鴉天狗と静瀬を先頭に、アーノルド、漸義、ケサランパサラン。 その全員が向かう先は一つ。


空亡の部屋。


扉の前に立つと、使用人が無言で頭を下げた。 そして重々しい扉をゆっくりと開く。


ギィ……と軋む音。


中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


暗い。


異様なほど暗い。


部屋の奥は闇に沈み、玉座があるのかすら分からない。 ただ、その闇の中心に“何か”がいるのだけは理解できた。


姿は見えない。


だが、確実にそこにいる。


その存在が、静かに声を落とす。


空亡「重要な話とはなんだ、」


一言だけで、背筋が凍る。 声に温度がない。 感情がない。 ただ、支配者の音だけがあった。


鴉天狗が一歩前に出る。


鴉天狗「単刀直入に」


低く、しかし揺るがず続けた。


鴉天狗「分隊が、本部以外壊滅しました」


その瞬間。


闇の奥から威圧が放たれる。


目に見えない圧力が空間を歪ませた。 空気が爆ぜるように震え、鴉天狗の衣が翻る。


翼が勝手に靡き、身体が押し潰されそうになる。


アーノルドが息を呑み、 漸義の口元の笑みが引き攣る。


静瀬でさえ眉を僅かに動かした。


だが。


鴉天狗だけは、膝を折らない。


鴉天狗は臆することなく続ける。


鴉天狗「それも、たった二人の手によって」


圧がさらに強まる。


骨が軋む。 喉が塞がる。


それでも鴉天狗は言葉を止めない。


鴉天狗「一人は始末済……」


一拍。


鴉天狗「もう一人の場所は、何かに妨害されているかのように不明……」


闇が静かに揺れた。


空亡の気配が、ほんの僅かに動く。


鴉天狗「現在は壊滅した分隊を戻すため」


鴉天狗「私達が直々に、各自の精鋭部隊を育て始めております」


沈黙。


暗闇が答えを飲み込む。


その沈黙こそが恐怖だった。


空亡「それで?」


闇の奥から落ちる声は低い。 問いかけというより、続きを吐けという命令だった。


鴉天狗は一礼し、淡々と告げる。


鴉天狗「相手の素性を探って分かったことがあります」


一拍置き、その名を落とす。


鴉天狗「その二人は、禍津学園の生徒だと」


空気が凍った。


闇が僅かに揺れる。


奥で何かが動いた。


空亡が、ほんの少し身じろぎする。


空亡「禍津学園……」


その声音に初めて色が混じる。


空亡「百目鬼白哉のところか」


鴉天狗の目が細まる。


鴉天狗「ご存知なのですか?」


闇の奥から短い鼻音。


空亡「名だけだがな」


静かに続く。


空亡「指導者として出来てると聞く」


その言葉は認めているようでいて、どこか噛み潰すようだった。


そして次の瞬間。


闇が膨れ上がる。


威圧が先ほどとは比べ物にならない濃度で満ちる。


空亡「そいつのとこの者が――」


声が低く沈む。


空亡「私の組織をッ!」


怒気が爆ぜた。


床が軋み、空気が割れるような錯覚。


アーノルドが思わず一歩引き、 漸義の舌が止まる。


静瀬ですら視線を伏せた。


鴉天狗の翼が大きく揺れたが、それでも顔は上げたまま。


空亡の闇が、さらに深くなる。


空亡「百目鬼……」


名前を呼ぶだけで殺意が滲む。


空亡「面白い」


闇の奥で、見えない笑みが浮かんだ気がした。


鴉天狗「禍津学園の場所を探りつつ、戦力強化を図ります」


淡々とした報告。 だがその裏には、確かな焦りと怒りが滲んでいた。


闇の奥、空亡は短く返す。


空亡「そうか」


それ以上の言葉はない。 感情を押し殺した静けさが、逆に恐ろしい。


鴉天狗は一礼する。


鴉天狗「以上です」


しばらくの沈黙。


そして。


空亡「下がってもよい」


その一言が落ちた瞬間、空気が解放されたように部屋の緊張がわずかに緩む。


使用人が扉を開ける。


幹部たちは無言のまま外へ出ていった。


アーノルドは肩をすくめ、 漸義は舌打ち混じりに笑い、 ケサランパサランは苛立ちを隠さず歩く。


静瀬は何も言わず、ただ冷たい目で前を見ていた。


廊下に出ると、闇の圧は少し薄れる。


だが鴉天狗だけは立ち止まった。


翼の影が壁に落ちる。


鴉天狗の拳が、ぎり、と音を立てて握り締められる。


鴉天狗(禍津学園……百目鬼……)


脳裏に浮かぶのは白炎の少年。


鴉天狗の口元がわずかに歪む。

羽音に紛れ、暗い廊下へ溶けていった。


数週間後。


森の奥、湿った土と血の匂いが混じる試験場で、妖怪の巨体が横たわっていた。


扇「ふぅ……」


扇はその亡骸の上に腰を下ろし、荒い息を吐く。 肩から腕にかけて傷は残っているが、表情には迷いがない。


痕辿「早いな、扇……」


少し遅れて到着した痕辿が、信じられないものを見る目で呟く。


扇「当たり前だ」


短く返す声は冷たく、硬い。


扇「こいつらを狩れば試験は終わりだろ。だったら終わらせるだけだ」


痕辿は苦笑する。


痕辿「……変わったな」


扇は返事をしない。 その沈黙が、答えだった。


木々を踏む足音。


天城が姿を現す。 血と泥に染まった扇を見ても、驚きはない。


天城「学校最後の試験だ。選りすぐりの妖怪を使ったんだが……」


天城は倒れた妖怪を一瞥し、静かに続ける。


天城「もうお前にとっては、取るに足りんかったか?」


扇の視線がわずかに揺れる。


扇「……」


そして、低い声で吐き出す。


扇「俺は止まらない」


天城が黙って聞く。


扇「あいつのレベルに上がれるまで」


その言葉には、怒りでも悲しみでもない。 ただ、燃え尽きない執念があった。


扇「これからもな」


その背中に、過去が張り付いている。


遅れて、もう一人の足音。


百目鬼が森の奥から現れ、静かに手を叩いた。


百目鬼「おめでとう、扇……」


柔らかな声だが、そこには確かな重みがある。


百目鬼「たった一ヶ月ぽっちで卒業試験をクリアするとは、思ってもなかったよ」


扇は妖怪の死体から降り、立ち上がる。


百目鬼「……あの件をくぐり抜けて、一皮……いや、ふた皮も剥けたようだな」


天城が小さく息を吐く。


天城「この学園始まって以来の偉業だぞ」


天城の目が扇を捉える。


天城「一ヶ月で卒業なんてな」


森の風が吹き抜ける。


扇は何も言わない。


ただ、拳を握った。


その拳の中には、失ったものと、 これから奪い返す覚悟が詰まっていた。


痕辿「俺はまだまだ続きそうだよ」


痕辿は肩をすくめて笑うが、その笑顔には疲労と焦りが滲んでいた。 扇の背中が遠すぎることを、本人が一番分かっている。


天城「痕辿は先に三年に上がれるように頑張ってくださいね」


淡々とした言葉だが、突き放しているわけではない。 期待しているからこそ、現実を告げている。


痕辿「あーーい」


間延びした返事で誤魔化す。 けれど拳は握られていた。


百目鬼「さぁ、扇」


百目鬼が一歩前に出る。 森の静寂が、自然とその声に従った。


百目鬼「これからどうするか話そう」


扇の目が細くなる。


百目鬼「フリーで活動するか、ここに残り教師として教え子を取るか」


その選択肢は未来そのものだった。


百目鬼「選ぶんだ」


扇の胸の奥で、何かが軋む。


自由に動けば、外冠死業を追える。 だが学園に残れば、守れる命がある。

回道が守れなかったものを。


扇「俺は──」


Fin

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。


この物語は、最初から最後までずっと「走り続ける」ように書いてきました。

戦いがあって、別れがあって、守れたものと守れなかったものがあって。

その中で扇と回道が進んだ道のりを、最終話まで届けることができたのは、間違いなく読んでくださった皆様のおかげです。


途中で苦しい展開も多く、決して優しい物語ではありませんでした。

それでも最後まで一緒に走ってくださったこと、その時間に心から感謝しています。


そして、この最終話で一区切りはつきましたが、まだ語りきれていない部分や補足したい設定、裏側の話もたくさんあります。

そのあたりは後日、活動報告などで少しずつ書いていこうと思います。


改めて、本作を最後まで読んでくださりありがとうございました。

後は...是非本編をみてください!以上!

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