12話:最強の快進撃
最強とは、ただ勝ち続ける者の称号ではない。
圧倒的な力を持ちながらも、なお前へ進み続ける意思――それを示し続ける存在の名だ。
回道の帰還は、戦況を覆す「助け」ではない。
流れそのものを書き換える、絶対的な転換点である。
敵は気づく暇すらなく理解するだろう。
自分たちは、最初から“狩る側”ではなかったのだと。
一方で、最強の背中を見続ける者たちは問いを突きつけられる。
この戦場で、自分は何を守り、何を選ぶのか。
力に追いつけない現実と、それでも離れない覚悟が試される。
これは無双の物語ではない。
最強が前に進むことで、周囲の運命までも加速していく――
その“快進撃”の始まりである。
上之原「誰だ、てめぇ?」
低く、苛立ちを隠そうともしない声が響く。
回道は答えず、まず視線を足元へ落とした。
倒れ伏した扇――血と埃にまみれ、それでも意識を失っていないその姿。
回道「……ごめん、扇。俺がヘマしたばっかりに」
膝をつき、短くそう告げる。
怒りでも焦りでもない、静かな確信を宿した声だった。
回道「後は任せろ」
その一言で、役割は交代した。
上之原「はっ」
嘲るように鼻を鳴らす。
上之原「まさか、てめぇがリーダーか? ごめんごめん!そこの倒れてるやつが一番上だと思ってさぁ、完膚なきまでにボコらせてもらっちゃってよ!」
あからさまな挑発。
だが回道は眉一つ動かさない。
回道(逆上狙いか)
戦闘中の感情の乱れが、どれほど致命的なデバフになるか。
それを回道は、理解していた。
上之原「さて、と……神ちゃんたち、行ってやれ」
軽い調子で命じる。
阿修羅、ガネーシャ、スサノオ、プロメテウス。
四神が、ずらりと並ぶ。
――だが。
誰一体として、動かなかった。
上之原「……あ?」
命令が届いていないわけではない。
縛られているわけでも、術式が破られているわけでもない。
回道だけが、その理由に気づいていた。
怖気づいてる。
扇との戦闘。
あの異常なまでの執念と、回道という存在を前にした神々はそこで“学習”してしまったのだ。
――回道は、危険だと。
その恐怖は、上之原の能力による支配すら上回り、
今、神々自身の意思として表に滲み出ている。
動けないのではない。
動きたくないのだ。
上之原「……チッ」
初めて、上之原の表情に苛立ちが浮かぶ。
その瞬間、回道がゆっくりと顔を上げる。
神々ではなく、上之原ただ一人を見据え
神々が、同時に視線を逸らした。
それは命令違反でも反逆でもない。
もっと単純で、そして致命的な理由――“拒否”だった。
阿修羅が一歩、後ろへ下がる。
ガネーシャが鼻を鳴らし、霧散するように姿を薄める。
スサノオは剣を地面に突き立てたまま、力を抜いた。
プロメテウスは最後まで踏みとどまろうとしたが、その炎が自壊するように消えていく。
召喚陣が、音もなく崩壊した。
上之原「は!?」
思考が追いつかない声だった。
上之原「お前らっ! なにしてんだよ!!」
返事はない。
神々は“倒された”のではない。
自らの意思で、戦場を去った。
――残ったのは、三人。
血に濡れたまま倒れる扇。
その前に立つ回道。
そして、孤立した上之原。
回道は、ゆっくりと歩き出す。
足音は一つ一つが、やけに大きく響いた。
上之原は反射的に構える。
だが、その構えはどこかぎこちない。
上之原「……ほら」
乾いた笑いを浮かべる。
上之原「能力、見せてこいよ」
挑発。
だが、その声音には焦りが混じっていた。
――次の瞬間。
回道の姿が、消えた。
上之原「ッ!?」
視界から消失。
霊力も、妖力も、殺気すら感じない。
上之原(消えた……!?)
理解した瞬間には、もう遅い。
背後――否、左右、上下、距離の概念すら曖昧になる。
本霊戦で使用した、あの連撃。
理屈ではなく、“本能で出す最短最速”の殺しの型。
――一撃。
空気が爆ぜる音。
――二撃。
肋骨が悲鳴を上げる感触。
――三撃。
上之原の身体が宙に浮く。
見えない。
聞こえない。
だが確実に、殴られている。
上之原「が……ッ!」
防御も回避も成立しない。
攻撃の“始点”が、存在しないからだ。
回道は現れない。
ただ、連撃だけが“結果”として刻まれる。
それは神の力でも、能力の暴力でもない。
純粋な戦闘経験と、殺し合いに最適化された技術の塊。
――最強が、牙を剥いた瞬間だった。
上之原は歯を食いしばる。
視界が揺れ、内臓がずれる感覚に耐えながら、それでも思考だけは止めなかった。
上之原(いてぇ……いてぇが……!)
衝撃。
衝撃。
衝撃。
回道の姿は見えない。
だが攻撃の“型”だけは、はっきりと理解できていた。
上之原(この連撃……! 能力だ! こいつの能力がこれなら……!)
奪う。
これまで通り、条件は満たしている。
扇の神々と同じだ。使われた能力を、上之原は確かに“掴んだ”。
上之原(使え……!)
――だが。
何も起こらない。
上之原(……は?)
次の瞬間、腹部に重い一撃。
息が強制的に吐き出される。
上之原(違う!? こんなはずじゃ……!)
耐久力だけは自負があった。
だからこそ、殴られながらも思考を回せている。
上之原(奪ったはずだ……! 確かに奪った感触はあった……!)
それでも“出ない”。
上之原(なんでだよ!!)
拳が、肋に叩き込まれる。
蹴りが、背中を裂くように走る。
何十発。数える余裕すらない。
上之原(こいつの能力は……連撃じゃねぇのかよ!!)
理解が、遅れて追いつく。
――違う。
回道のは1つの、“能力”ではない。
状況判断、幾つもの能力、間合い、殺意の出し入れ。
それら全てが噛み合った結果として生まれる攻撃。
奪えるはずがない。
上之原
回道の連撃は能力ではない。
生き残るために積み重ねた、回道という人間そのものだ。
上之原(こんな……反則だろ……)
上之原の能力と、回道のコピー。
一見すれば似ている。
だが本質は、まるで違う。
回道のコピーは「理解」だ。
能力の説明を聞き、発動を目にし、構造を把握する。
そうして初めて、自分のものとして扱う。
制限はない。回数も、時間も、精度も。
能力そのものを“再現”する。
対して、上之原の強奪は「借用」に近い。
相手が能力を使った“事実”を視認した瞬間だけ発動する。
理屈も構造も関係ない。
使われたから、使える。
ただそれだけだ。
だから浅い。
精度も低く、応用も利かない。
何より――時間制限がある。
数十分も経てば、奪った能力は霧のように消える。
上之原はそれでも戦ってきた。
短時間で敵を叩き潰すには十分だったからだ。
神すら使役できたのも、その力があったからだ。
だが、回道には通じなかった。
回道の力は、1つの能力の枠に収まっていない。
上之原が強奪したのは回道のコピーだ、だがコピーが使えるからって回道の攻撃を真似ることは出来ない回道のはコピーで数々の能力を組み合わせ作り出した連撃...
ステータス可視化...身体強化...思考加速...未来視...それらが合わさった結果として生まれる暴力。
上之原がどれだけ能力を強奪しても、
どれだけ真似ようと、
そこだけは――
決して奪えなかった。
上之原「がぁぁぁぁぁ!」
悲鳴というより、獣の咆哮だった。
その声を、回道は聞き流す。
最後の一撃。
踏み込み、腰を回し、迷いなく――顔面へ。
鈍く、重い音が空気を叩いた。
上之原の顔が歪み、陥没する。
そのまま身体は宙を舞い、意味もなく何度も回転しながら吹き飛び、壁へと叩きつけられた。
衝突音の直後、壁がひび割れ、上之原の身体は半ばめり込む形で静止する。
次の瞬間だった。
スタッ、と軽い音。
回道が、上から着地する。
視線は冷え切っていた。
勝者の余韻も、怒りの残滓もない。
ただ、やるべきことを終わらせるための目だ。
回道は壁に近づき、上之原の頭を掴む。
力任せに引き抜くと、抵抗もなく身体が崩れ落ちた。
そのまま、引きずる。
近くにあった池へ。
ためらいなく、顔を水面に押しつける。
泡が上がり、身体が僅かに痙攣する。
数秒。
限界の直前で、回道は手を離した。
上之原は激しく咳き込み、空気を貪る。
無理やり引き戻された意識。
気絶すら許されない現実。
回道はその様子を、ただ見下ろしていた。
逃げ場も、言い訳も、
もう残っていないと告げるように。
上之原は、地面に崩れたまま必死に首を振っていた。
濡れた髪が額に張りつき、呼吸は浅く、喉からは情けない音が漏れる。
上之原「ま、待て……! 頼む……! 殺さないでくれ……!」
回道は答えない。
逆光と影に覆われ、その表情は見えなかった。
だが――少なくとも、人の顔をしていないことだけは、誰の目にも明らかだった。
回道「……扇を痛めつけた分は、もう返した」
淡々とした声。
感情の起伏がないからこそ、余計に冷たい。
回道は一歩近づき、見下ろしたまま続ける。
回道「ひとつ聞く。数日前……若い男女、それから大人の男。三人を殺していないか?」
その問いに、扇の指先がわずかに震えた。
宇未。
宮闈。
そして、海若。
上之原は喉を鳴らし、必死に記憶を探るように目を泳がせる。
上之原「お、覚えてな――」
言い終える前だった。
鈍い音が響く。
回道は上之原の頭を掴み、そのまま池の縁の岩へと叩きつけた。
上之原「ぁぁ!!」
嫌な感触と共に、歯が折れる。
血が水面に垂れ、じわりと広がった。
回道は手を離さない。
回道「知らないなら――」
低く、抑えた声。
回道「お前の知ってる情報、全部吐け。外冠死業の仕業だってことは、もう分かってる」
上之原「ひっ……!」
その瞬間だった。
空気が、変わった。
目に見えない圧が場を支配する。
肌を刺すような感覚。
呼吸が重くなり、心臓が早鐘を打つ。
回道は、無意識のまま霊力を解放していた。
しかも――二段階。
威圧。
その場にいた扇が、思わず目を見開く。
(霊力の才能は、ない……そう聞いていた)
だが、回道は確かに使っている
(無意識……なのか……?)
扇は息を呑んだ。
目の前にいるのは、自分の知っている回道ではない。
そして上之原は、完全に理解していた。
――逆らえば、次はない。
上之原は、もはや抵抗という概念を失っていた。
岩に打ちつけられた顔を歪め、血と唾液を垂らしながら、震える声を絞り出す。
上之原「こ、この作戦は……第五中隊と大隊の、独断だ……!」
回道の手が、わずかに強く締まる。
黙ったまま、続きを促すように視線を落とす。
上之原「十神ってやつを殺したのも……学園の場所を特定したのも……全部、第五大隊の隊長の判断だ……!」
その言葉に、扇の奥歯がきしむ。
回道「……なんで、学園を狙った」
声は低い。
怒りを抑え込んだ、底冷えする問いだった。
上之原は必死に首を振る。
喉が鳴り、涙と血が混じる。
上之原「理由なんて、ねぇ……! なんの因縁があったのかも分かんねぇ……!」
回道の影が、さらに濃くなる。
上之原「ただ……十神が、先に攻撃してきたんだ……! だから殺して……記憶を見て……それで、乗り込んだだけだ……!」
言い終えた瞬間、上之原の肩から力が抜けた。
もう、隠すことも、誤魔化すこともできないと悟ったのだ。
その沈黙の中で、回道はゆっくりと息を吐く。
十神が先に動いた。
それに対する報復。
だが、その結果として学園が狙われ、多くの人間が恐怖に晒され、仲間が傷ついた。
因縁は分からない。
だが、敵意だけは明確だ。
回道の霊力が、なおも無意識に滲み出る。
水面が細かく波打ち、上之原は歯を鳴らしながら震え続けていた。
扇は、その背中を見つめながら理解する。
――もう、引き返せないところまで来ている。
回道は上之原を見下ろしたまま、低く問いを落とした。
回道「……他には、仲間はいるのか」
その一言で、上之原の顔色が一段と悪くなる。
首を振る動きが、ほとんど痙攣のようだった。
上之原「も、もういねぇ……! 本当に、もういねぇよ……!」
必死に言葉を重ねる。
上之原「だ、大隊隊長の場所も吐く! 全部言う! だから……だから、許してくれ……!」
命乞いの声は情けなく、先ほどまでの威勢は微塵も残っていなかった。
回道は一瞬だけ視線を扇へ向け、わずかに顎を引く。
それだけで十分だった。
扇は無言で印を結ぶ。
空中に描かれた二本の線が高速で回転し、羽音とともに神が顕現する。
扇「……ヘルメス」
現れたヘルメスは、一切の感情を挟まず上之原の身体を掴み上げた。
抵抗する力など、最初から残っていない。
上之原「ひっ……!」
悲鳴を置き去りにし、ヘルメスは宙へと浮かび上がる。
回道と扇は、その後を追うように学園へと向かって走り出した。
空を裂く羽音が、やけに遠くまで響く。
――学園が近づくにつれ、空気が変わっていく。
理由のない胸騒ぎ。
肌にまとわりつくような、重たい圧。
扇は無意識に周囲を見渡す。
扇(……嫌な感じだ)
回道も、同じことを感じ取っていた。
言葉にはしないが、走るスピードがわずかに速くなる。
学園は、まだそこにある。
だが、いつもの学園ではない。
何かが起きている。
あるいは、すでに起きてしまった後なのかもしれない。
不穏な空気を切り裂くように、学園へと戻っていった。
学園は、異様なほど静まり返っていた。
人の気配がない。風の音すら、どこか遠い。
壁の一部は崩れ、床には無数のひび割れが走っている。
明らかに、ここで戦闘が行われた痕跡だった。
上之原は歩きながら、何度も回道の方を盗み見る。
視線が合うたび、身体がびくりと跳ね、震えが止まらなくなる。
恐怖を誤魔化す余裕すら、もはや残っていなかった。
響くのは、靴底が床を叩く音だけ。
コツ、コツ、と乾いた音が廊下に反響する。
地下へ近づくにつれ、胸の奥に沈むような嫌な予感が、はっきりと輪郭を持ち始める。
足元に、赤黒い染みが増えていく。
それが何かを示していることを、誰も口にしない。
曲がり角を曲がり、地下へと続く階段が視界に入った。
一歩、また一歩と近づく。
扇が、階段の前で立ち止まった。
次の瞬間、扇の口から言葉が消えた。
声にならない息だけが漏れ、膝から崩れ落ちる。
回道が遅れて、その光景を目にする。
上之原が、短く喉を鳴らしながら回道を見る。
上之原「ひっ……!」
回道の目は、赤く充血していた。
唇は噛みしめすぎて裂け、血が滲んでいる。
そして、小刻みに震えている。
扇の呼吸が乱れ始める。
吸って、吐いて、それすらうまくできない。
過呼吸に近い状態だった。
回道の拳が強く握られる。
指の隙間から、血がぽたりと床に落ちる。
その瞬間だった。
回道の霊力が、制御を失って溢れ出す。
意識して解放したわけではない。
怒りと焦燥と喪失が、限界を超えて噴き出した結果だった。
霊力解放、二段階目。
威圧。
空気が重く沈み、視界が歪む。
それは攻撃ですらない。
ただ存在するだけで、周囲を押し潰す圧。
回道自身も、止められていなかった。
あまりにも多すぎる霊力が、漏れ出し、威圧という形になって現れているだけだった。
静寂は、さらに深く、重く沈んでいった。
扇が、喉の奥から絞り出すような声を漏らした。
扇「あぁっ……あぁ……」
大粒の涙が、頬を伝って床に落ちる。
震える手を、地下へと向けたまま、指先が止まらない。
回道の呼吸が荒くなる。
回道「はぁ……はぁ……がぁ……はぁ……」
肩が上下し、全身の震えが次第に大きくなっていく。
怒りと焦燥が、理性を押し流し始めていた。
その感情に同調するように、ヘルメスの力が強まる。
神の羽がわずかに震え、掴まれた上之原の身体が、きしむように締め付けられた。
上之原「いっ……いでぇ……いてぇって……!」
苦鳴が、学園内に響く。
その声は、屋上にまで届いていた。
上之原の帰還を待つ間、緊張の糸が切れたように眠り込んでいた佐太辺が、ゆっくりと目を開ける。
佐太辺「んぁ……?
……隊長、帰ってきてんじゃん」
欠伸混じりに身を起こす。
芒「まじっすか。
俺も寝てたんで、全然気づいてなかったっす」
誮戸も立ち上がり、首を回す。
誮戸「行きますかぁ」
屋上の隅では、金屋が未だ倒れたまま動かない。
芒「副隊長、こいつどうします?」
佐太辺はちらりと金屋を見ると、興味なさそうに言った。
佐太辺「ほっとけ。隊長と合流したら、その時連れて帰りゃいい」
扇と回道の目の前に広がっていたのは、あまりにも無残な光景だった。
床に横たわる、クラスメイトたちの亡骸。
折れ曲がった手足、血に染まった制服。
そこにあるのは戦闘ではない。ただの蹂躙だった。
入口のドア付近には、榅と剛堂、そして飛鷹が必死に立ちはだかった痕跡が残っている。
壁に刻まれた傷、踏み荒らされた床。
ここで、最後まで時間を稼ごうとしたことが、嫌というほど伝わってきた。
だが――。
空いてしまった扉の向こう。
そこには逃げ惑い、命乞いをし、絶望の表情を浮かべたまま殺された非戦闘員たちが折り重なるように倒れていた。
守れなかった。
守るべきものを、守れなかった。
回道と扇は理解していた。
もう、失うものはない。
いやないのではなかったんだ
失ってしまったのだ。
慢心。
自分たちが強いという思い込み。
急いでいれば、もしかしたら助けられたかもしれないという、取り返しのつかない仮定。
その時だった。
上階から、足音が響いてくる。
佐太辺たちだ。
二階から階段を下り、一階へと姿を現す。
佐太辺「あれ?
隊長、なにしてるんすか?」
その声に、上之原が振り絞るように叫んだ。
上之原「膝まづけ!!
理由は聞くな!!早く!!」
芒「は?」
半ば笑い混じりで返した、その瞬間だった。
上之原の向こう側に――
転移させたはずの少年が、立っていた。
芒がその姿を認識した瞬間、視界が反転する。
天地がひっくり返り、上下の感覚が消え失せる。
同時に、少年の姿が消えた。
上之原「あぁぁ!!」
芒「……え?」
その疑問が形になる前に、芒の首が不自然な角度で回っていた。
気づいた瞬間、膝から崩れ落ち、そのまま動かなくなる。
誮戸「うわぁぁぁ!」
悲鳴を上げた次の瞬間、誮戸の首が掴まれた。
佐太辺「なんだこいつ!!」
上之原「さぁたぁべぇ!!」
上之原の叫びは、「何もするな」という制止だった。
だが、佐太辺はそれを、まったく逆の意味で受け取った。
――倒せ、と。
佐太辺「なるほどねぇ!」
腕を振りかぶり、回道に向かって振るう。
その瞬間。
回道は、誮戸の首を折る。
骨の砕ける感触が、掌に残る。
流れるような動きのまま、後ろ蹴り。
見えない一撃が、佐太辺の鳩尾に突き刺さる。
佐太辺は息を詰まらせ、激しく嘔吐し、その場に崩れ落ちた。
理解が追いつく前に。
恐怖が形になる前に。
怯えきった子犬のように、佐太辺は上之原の方を見る。
喉を焼く嘔吐の痛みと、理解不能な恐怖が、表情から抜け落ちていた。
上之原「佐太辺!こいつらに逆らうな!死にたくなけりゃな!」
必死に叫ぶ声は、命令というより懇願に近い。
佐太辺「ゲホッ……ゲホッ……隊長ぉ……どういうことっすか……?」
地面に膝をつき、咳き込みながら縋るように問いかける。
だが、その問いに意味はなかった。
上之原「今はどうでもいい!」
その瞬間だった。
回道の身体が、音もなく踏み込む。
次の瞬間、佐太辺の頭部に、容赦のない蹴りが叩き込まれた。
鈍い衝撃音。
佐太辺の身体が横倒しになり、床を転がる。
回道「一人だけ残しとけばいい。
後はいらない」
その声には怒りも、激情もない。
ただ、事実を述べているだけの冷たさがあった。
上之原「待て!
そいつは使える!残した方が――!」
必死に声を張り上げた、その瞬間。
回道の視線が、上之原を射抜く。
言葉はない。
だが、その目が語っていた。
――次にいらなくなるのは、お前だ。
上之原の喉が、ひくりと鳴った。
回道「なんで使えるか、端的に言え。
俺はもう、やることが出来たんだよ」
低く、抑えた声。
それだけで、選択肢が存在しないことが分かる。
上之原「そ、そいつの能力は戦闘向きだ!
一瞬だけ力とスピードを倍増させる能力だ!」
必死に、早口でまくし立てる。
――ほら、価値があるだろ。
そんな焦りが、顔に滲み出ていた。
だが。
回道は何も言わず、佐太辺の髪を掴む。
そして、地面へ叩きつけた。
一度。
二度。
三度。
鈍い音が地下に響く。
佐太辺の身体は力を失い、それでも回道の手は止まらない。
息が途絶えてもなお、叩きつける。
そこに躊躇はなかった。
クラスメイトをあの無残な姿にした“本人”なのだから。
上之原「せ、戦闘で使えるのによ……!」
か細い声が漏れる。
回道「さっきから減らず口だな」
ゆっくりと顔を上げる。
回道「お前、自分が今どんな立場にいるか、理解してないのか?」
その一言で、上之原の身体がびくりと跳ねた。
回道「生憎様だがな、俺はコピーが使える」
淡々と告げる。
回道「しかも無制限でな」
上之原の瞳が見開かれる。
回道「お前らが殺した中に、身体強化を持ってた人がいる」
その瞬間、上之原は悟った。
佐太辺の能力は、
その“下位互換”に過ぎない。
コピー持ちの回道にとって、
もう――必要のない人材だった。
扇が、ようやく立ち上がった。
赤く腫れた目尻には、涙の跡がそのまま残っている。
荒い呼吸のまま、扇は回道を見る。
回道もまた、何も言わずに視線を返す。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、互いに感情を確かめ合うように目を合わせ――
扇は小さく、だが確かな動きで頷いた。
扇「……てめぇ」
低く、掠れた声。
扇「他のやつがいるとこに連れていけ」
上之原の肩が跳ねる。
扇「皆殺しだ」
迷いも、揺れもない。
それは怒りですらなく、既に決められた結論の声音だった。
上之原「ひ、ひぃ……!」
回道の手が、上之原の背を掴む。
拒否権はない。
回道「案内しろ」
短い命令。
それだけで、上之原は震える足を無理やり前に出した。
――逃げ場はない。
この二人の前に立たされた時点で、それは確定している。
夜の中を進み、
辿り着いたのは街外れにある、ひっそりとした施設だった。
一見すれば、廃工場。
だが、近づくにつれて感じる。
空気が違う。
人の気配が、濃すぎる。
上之原「……ここだ」
声が裏返る。
上之原「第五大隊の……本拠地だ」
建物の奥から、わずかに光が漏れている。
警戒の結界、見張りの配置、逃走経路。
――全部、回道の目には見えていた。
回道は一歩、前に出る。
扇はその横に並び、拳を握り締める。
血に濡れた手は、もう震えていない。
失ったものは、取り戻せない。
だが。
奪われたままで終わらせる理由も、もう無かった。
回道「……行くぞ」
扇「あぁ」
最強と、最強に並ぶ者。
その二人が、静かに本拠地を見据える。
中に入った瞬間、状況は一目で把握できた。
正面――フロントと思しき広間。
紙コップを片手に、気の抜けた様子で談笑している二人。
左の通路。
三人が横一列になり、歩きながら何かを話している。
右の通路。
壁にもたれ、気を抜いたまま雑談している二人。
――数は、七。
だが、誰一人として異変に気づく暇はなかった。
扇が即座に印を結ぶ。
扇「――阿修羅」
空気が裂けるような感覚とともに、神が顕現する。
扇は一切の躊躇なく、右の通路へと指を振った。
次の瞬間、阿修羅が駆ける。
右通路の二人が「え?」と声を漏らすよりも早く、
衝撃音が連続し、肉体が壁に叩きつけられる。
その横で――
回道は、もういなかった。
気配が、消えている。
扇は一瞬だけ目を走らせ、理解する。
扇は迷わず、左の通路へと駆け出した。
それは、ほんの数秒の出来事だった。
床に落ちた紙コップが、転がる。
ぐしゃっ、と音を立てて踏み潰された。
怯え切った上之原が、恐る恐る目を開く。
視界に飛び込んできたのは――
倒れ伏す、フロントにいた人間たち。
呻き声すら上げられず、意識を失っている。
そして。
その中心に、静かに立つ背中。
回道だ。
まるで最初からそこに立っていたかのように、
微動だにせず、ただ前を向いている。
上之原の背筋を、ぞわりと悪寒が走る。
理解してしまった。
――気づく前に、終わっていた。
回道の背中から漂うのは、殺気ではない。
感情でもない。
ただ、圧倒的な力量差という現実だった。
上之原の喉が、ひくりと鳴る。
逃げ場はない。
もう、どこにも。
鳥肌が、止まらなかった。
扇が息を切らしながら回道のもとへ駆け寄る。
同時に、ヘルメスに掴まれ宙づりにされたままの上之原も、扇の指示ひとつで引き寄せられた。
回道は振り返らない。
倒れ伏す敵ではなく、次の脅威だけを見据えたまま、低い声で問いかける。
回道「おい。……隊長はどこだ」
上之原は喉を鳴らし、必死に首を振る。
上之原「ほ、本当に分からねぇ……。あいつは、神出鬼没なんだ。拠点にも滅多に姿を見せない……」
嘘をついているようには見えなかった。
恐怖で声が裏返り、言葉を選ぶ余裕すら失っている。
回道は一度だけ、目を伏せる。
そして、静かに扇のほうを向いた。
回道「……扇。手分けするか」
扇が頷き返すよりも先に、回道は続ける。
回道「少しでも危ないと思ったら、俺を呼べ」
扇「……ああ」
回道「絶対にだ」
その言葉には、命令でも気合でもない、
ただ一つの感情だけが込められていた。
――もう、失いたくない。
仲間を目の前で奪われた回道は、
それでも前に進むことを選んだ。
だからこそ、
だからこそ、その言葉は重かった。
二人は互いに目を合わせ、短く頷く。
戦場の空気が、再び張り詰めた。
進む先、進む先で現れるのは、取るに足らない雑魚敵ばかりだった。
回道は気配に触れた瞬間に判断を終える。
見つかる前に詰め、刈る。
音も、声も、悲鳴すら残さない。
ただ“いなかった”という結果だけが、廊下に残った。
扇も同様に動く。
回道ほどの速度はない。
必然的に、敵と視線が交わる瞬間は生まれる。
だが――
敵が息を吸い、声を上げようとした、その刹那。
喉が潰れ、骨が砕け、身体は床に崩れ落ちる。
断末魔は存在しない。
許されない。
三人は無言のまま進む。
戦闘ですらない。
それは、ただの処理だった。
血の匂いが濃くなるにつれ、
回道の歩調は、わずかに速くなっていく。
――まだいる。
――まだ、終わっていない。
誰も言葉にしない。
だが全員が同じ結論に辿り着いていた。
この先に、
本命がいる。
数人は生かしたまま拘束し、問い詰めた。
だが――結果は同じだった。
誰一人として、第五大隊隊長の居場所を知らない。
怯えた目で首を振り、同じ言葉を繰り返すだけだ。
「本当に知らない」
「隊長は、必要な時に“現れる”だけだ」
虚偽ではない。
回道には、それが分かってしまう。
回道と扇は、無言のまま立ち尽くす。
行き止まり――そう思われた、その時だった。
回道の視線が、ふと周囲をなぞる。
死体の数。
気配の残り方。
建物に残る“人の温度”。
――合わない。
回道
まだ、全てを潰したわけではない。
それなのに――明らかに人が減っている。
撤退?
いや、違う。
統率の取れた、移動だ。
回道が低く、断定するように言う。
回道「……ばれてる」
扇が息を呑む。
扇「……最初から、俺たちをここに引き込むつもりだった?」
回道は答えない。
代わりに、床に残った微かな足跡と、消された血痕を見下ろす。
逃げたのではない。
配置を変えた。
回道「――俺たちの動きは、もう全部読まれてる」
沈黙が落ちる。
これは追撃ではない。
狩りでもない。
――誘導だ。
回道の視線が、建物のさらに奥、
まだ踏み込んでいない“空白”へと向いた。
最悪の場所が、
最悪の形で待っている。
そう確信しながら、
回道は一歩、前に出た。
血の跡を辿りながら進む中、
背後で上之原が堪えきれずに口を開いた。
上之原「……明らかに罠だろ。ここまで露骨なのは」
扇「黙れ。分かってんだよ、そんなこと」
吐き捨てるような声だった。
怒りというより、抑え込んでいる感情の圧が滲んでいる。
回道は振り返らない。
一切、見向きもせず、ただ前へ進む。
床に残された血は、途切れない。
引きずった跡、靴底の擦れ、わざと残したような飛沫。
――誘っている。
それでも止まらない。
止まれるはずがなかった。
その時だった。
どこからともなく、
空間そのものに滲むような声が響いた。
???「上之原ァ……何してんだよ」
反響しているわけでもない。
距離感が掴めない、不自然な声。
???「なっさけない姿、見せんなよ」
空気が、一段冷える。
上之原がビクリと肩を跳ねさせ、
顔色を失ったまま、声のした方向を探す。
上之原「……納谷……?」
扇が即座に構える。
回道だけが、足を止めない。
声には、余裕があった。
すべてを把握した者だけが出せる、
圧倒的な「上から」の声音。
???「ガキ二人に引きずられて、
部下も全部失って……それで生きて帰ってきたつもりか?」
上之原の喉が鳴る。
???「教えてやろうか。
お前が“隊長”の座につけたのは、あくまで俺が手助けしてやってたからだ」
上之原「え!?」
扇の奥歯が噛み締められる音がした。
扇「……出てこい。
逃げ回る趣味でもあんのかよ」
一拍の沈黙。
そして――
闇の奥から、足音が一つ。
コツ、コツ、と。
落ち着いた、焦りのない歩調。
回道が初めて、立ち止まった。
回道(来た。)
第五大隊隊長。
すべての元凶。
そして――この惨状を“計算の内”として作った男。
姿が、闇の縁から輪郭を持ち始める。
ここから先は、
もはや罠かどうかなど関係ない。
殺す理由は、十分すぎるほど揃っていた。
最強であるがゆえに、選べてしまった道。
強かったからこそ、守れると信じてしまった慢心。
そして――間に合わなかったという、取り返しのつかない現実。
この章で描いたのは「敗北」ではなく、「喪失」です。
敵に負けたわけではない。
力が足りなかったわけでもない。
それでも、失った。
回道と扇は、この瞬間からもう以前の場所には戻れません。
彼らが信じていた“最強”は、仲間を守る保証にはならなかった。
だからこそ、ここから先の快進撃は、ただの爽快な無双ではなく、
怒りと後悔と覚悟を背負ったものになります。
復讐は、決意に変わり、
決意は、選択へと変わる。
次回、14話。
描かれるのは救済ではありません。
赦しでも、希望でもない。
それでもなお、
最強である彼らが「どう終わらせるのか」。
その一点だけが、物語の答えになります。
終わるべきものは、終わる。
取り返せないものは、戻らない。
それでも――進んだ先に何が残るのか。
最後まで、見届けてください。




