11話:最強離脱
最強であることは、常に前線に立つ理由にはならない。
むしろ最強だからこそ、そこに居続けることが“歪み”になる瞬間がある。
回道 丞という存在は、すでに均衡を壊し始めていた。
敵にとっては想定外。
味方にとっては切り札。
そして本人にとっては――逃げ場のない立場。
彼がいるだけで戦況は動く。
だが同時に、彼がいるだけで犠牲もまた呼び寄せられる。
これは敗北の物語ではない。
退却でも、逃走でもない。
“選択”の物語だ。
最強が戦線を離れるとき、
世界は初めてその重さを知る。
回道はゆっくりと首を巡らせた。
建物。
アスファルト。
ネオンの残光。
――街だ。
回道「……転移、か?」
空を見上げ、舌打ちする。
回道「能力説明なし。発動条件も不明。コピー不可っと」
そう独り言ちると、危機感の欠片もなく歩き出した。
人影はまばらで、夜の街は異様なほど静かだ。
さっきまで命のやり取りをしていたとは思えないほど、日常の匂いが残っている。
回道「ま、戻る方法はあとで考えりゃいいか」
呑気にポケットに手を突っ込み、適当に路地へ消えていく。
――――――――――
一方、その頃。学園。
屋上に残った者たちは、未だ状況を呑み込めずにいた。
???「……飛ばせたな」
短く吐き捨てるような声。
???「なんだったんだよ、あれ……」
別の男が、額の汗を拭う。
???「霊力だしてない。妖力も。なのに、気づいた。意味わかんねぇ」
沈黙が落ちる。
しばらくして、三人目が肩をすくめた。
???「まぁいい。目的は達成した」
視線が学園の内部へ向く。
???「主戦力は分断。ひとりは転移成功。残りは中に閉じ込めた」
ニヤリと、歪んだ笑み。
???「そろそろだ。隊長が到着する」
???「隊長が来りゃ終わりだな」
???「残りのガキ共を――一掃する」
夜の学園に、確かな殺意が満ちていく。
その頃、遠く離れた街の片隅で。
最強はまだ、自分が“離脱させられた”意味を知らないまま、歩いていた。
避難所の中は、不気味なほど静かだった。
誰も口を開かない。
耳を澄ませば、自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。
外の気配が消えたことで、何人かは同じ結論に辿り着いていた。
――回道が、勝った。
そう信じた瞬間だった。
地上。
足音が、複数。
迷いのない歩調で地下へ近づいてくる。
隊長「地下はこっちか?佐太辺…」
低く、苛立ちを含んだ声。
佐太辺「そうみたいだねぇ〜」
気の抜けた返事。
男は頭をかきながら、気だるそうに隊長を見た。
佐太辺 樂巳。
外冠死業第五中隊副隊長。
第五中隊隊長――上之原 土橋の忠実な下僕。
あらゆる物事を面倒くさがる男だが、上之原の命令だけは例外だった。
佐太辺「地下に人が密集してる所があるからねぇ〜。分かりやすすぎるよぉ〜。」
笑いもせず、ただ事実を述べる。
上之原「てめぇら、ちゃんと主戦力は分断してるよな?」
背後の三人を睨む。
???「はい!してますよ!隊長ッ!」
声を揃えて返事する見習い達。
芒。
金屋。
誮戸。
第五中隊の新入り。
だがその目は、子供のそれではない。戦場の色をしていた。
上之原は鼻を鳴らす。
上之原「ならいい。あとは潰すだけだ」
指を鳴らす。
校舎の闇が、ひどく深く見えた。
佐太辺「はぁ……集団戦かぁ……めんどくさ」
ぼやきながらも、足は止まらない。
地下へ続く入口に差しかかった瞬間だった。
バタン――
鈍い衝撃音が下の方から響く。
上之原「んぁ? 今何の音だ?」
全員の足が止まる。
???「隊長格はお前か?」
知らない声。
空気が一変する。
五人が同時に戦闘態勢に入った。
上之原「どこから声がする?」
視線が一点に集まる。
地下へ続く階段の曲がり角。
闇の中から、ゆっくりと一人の男が歩いてくる。
足音は軽いのに、存在感だけが異様に重い。
佐太辺「隊長ォ、あいつ多分いちばん強いっすよぉ」
間延びした声なのに、冗談の色はない。
芒「いや、いちばん強いのは…」
先程転送した少年の名を出そうとした瞬間、
上之原「生徒だろ? たかが知れてる」
言葉を叩き切る。
金屋「飛ばしますか?」
上之原「どっちみち全員皆殺しや。俺とあいつを飛ばせ」
ためらいがない。
その時、曲がり角を抜けてきた男が低く呟く。
暗闇から顔が現れる。
扇「回道はどうした」
上之原「回道?」
その名前に、一瞬だけ空気が揺れる。
芒たちの喉が小さく鳴る。
――多分さっきの化け物の名だ。
扇の目は笑っていない。
静かすぎるほど静かで、底が見えない。
扇「質問に答えろ」
声量は小さい。
なのに圧だけが強い。
佐太辺が肩をすくめる。
佐太辺「飛ばしたみたいだよぉ。遠くにねぇ〜。生きてるかは知らないけど」
その瞬間。
空気が凍った。
芒が本能で一歩下がる。
誮戸「な、なんだよこの圧…」
上之原だけが笑う。
上之原「なるほどな。こりゃ手強いかもなぁ」
指を軽く振る。
上之原「転送準備出来てるな?」
金屋が地面に手を当てる。
光が走る。
扇は動かない。
ただ一言だけ吐き捨てた。
扇「…上等だ」
次の瞬間、光が弾ける。
回道が呑気に歩いていたのも、扇が転移に抗わなかったのも――
根のところは同じだった。
自分たちは強い。
多少離れてもどうにでもなる。
そんな確信にも似た慢心。
周囲の状況は見えていた。
敵の数も、危険も理解していた。
それでもどこかで思っていたのだ。
最悪の事態にはならない、と。
守るべき人間の“弱さ”を、見誤った。
自分たちが基準になりすぎていた。
強者の視界から零れ落ちた現実は、
弱者にとっては致命傷になる。
その小さなズレが、後に取り返しのつかない裂け目になる。
この瞬間はまだ静かだった。
何も壊れていないように見える。
だが歯車は確かに噛み違えていた。
この先に待つのは、選び直しのきかない道。
後悔と責任が絡みつく、逃げ場のない道。
ここから先、扇と回道は
自分たちの強さに見合う代償を払うことになる。
それは栄光ではなく、
足元に絡みつく棘だらけの道。
二人はまだ知らない。
自分たちが今、
その入口に立っていることを。
転送先にて。
扇が印を切った瞬間、空気が裂けるような音が鳴った。
十字の線が空間に刻まれ、ひび割れ、光を帯びる。
そこから飛び出るように現れた阿修羅が咆哮を上げると同時に、扇は次の印へと移っていた。
扇「行けッ!」
阿修羅の三撃が一瞬で放たれる。
視認すら難しい速度の打撃。
だが上之原は動かない。
ただ立っているだけだ。
打撃が届く直前、空間が歪んだ。
そして――
阿修羅の拳は上之原を避けるように逸れ、扇のすぐ横の地面を抉った。
扇「……は?」
理解が追いつかない。
今のは回避じゃない。
攻撃そのものが軌道を変えた。
上之原が指を軽く鳴らす。
上之原「おっ!悪くねぇな。そいつ!」
次の瞬間、阿修羅の体がぎくりと硬直した。
そしてゆっくりと首を動かし――扇を見る。
扇の背筋が冷たくなる。
扇「……おい」
阿修羅の三本の腕が、扇へ向いた。
扇「待て待て待て待てッ!!」
三撃。
爆音。
地面が砕け、扇の体が横に吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、肺から空気が強制的に吐き出された。
扇「がっ……!」
息が入らない。
視界が白く点滅する。
何が起きた?
阿修羅は自分の神だ。
命令は絶対のはずだ。
上之原が笑う。
上之原「命令権、いっただきぃ〜」
その言葉と同時に、扇の理解が追いつく。
奪われた。
神の主導権を。
扇「ふざけんなッ!」
歯を食いしばり、次の印を刻む。
扇「プロメテウス!」
炎が爆ぜ、巨体が現れる。
熱気が一気に空間を支配する。
だが上之原は微動だにしない。
ただ視線を向けるだけ。
プロメテウスの炎が、向きを変えた。
扇へ。
扇「ッ!?」
回避が間に合わない。
爆炎が扇を包み、地面を転がる。
衣服が焦げ、皮膚が焼ける感覚。
だがそれ以上に、精神の方が先に崩れかけていた。
自分の神が、自分を攻撃している。
上之原「出せば出すほど、俺の戦力だ」
扇「……ッ!」
それでも止めない。
扇は立ち上がる。
立たなければならない。
地下には仲間がいる。
ここで退いたら終わりだ。
扇「ガネーシャッ!」
巨大な鼻がうねり、上之原を拘束しようと伸びる。
その鼻が、途中で止まる。
ゆっくりと方向を変え――
扇の足を絡め取った。
扇「違うッ!!」
引き倒される。
背中を強打し、視界が揺れる。
上之原は指を立てて数を数えるように言った。
上之原「三体目出せるのか、名前を聞いてる限り神を使役してるってとこか」
扇の心臓が早鐘を打つ。
神を出すたび、自分の首を絞めている。
理解しているのに、止められない。
扇は歯を食いしばり、最後の賭けに出る。
扇「スサノオォ!!」
水を纏う戦神が現れ、大剣を振り下ろす。
上之原は初めて一歩だけ動いた。
その瞬間、スサノオの剣が止まる。
刃がゆっくりと反転し、扇へ向く。
扇の顔から血の気が引いた。
上之原「四体!?。何体だせんだよ」
スサノオの斬撃。
扇は防御もできずに吹き飛ばされた。
地面を転がり、壁に叩きつけられ、動きが止まる。
呼吸が浅い。
腕が震える。
視界が滲む。
立て。
立て。
立たないと。
膝が言うことを聞かない。
上之原がゆっくり近づいてくる。
その後ろには、自分の神たち。
完全な敵軍。
上之原「才能はあるな。だが」
足で扇の肩を踏みつける。
上之原「相性が最悪だ」
踏み込みが重い。
骨が軋む。
扇「……まだ……」
声が掠れる。
上之原「まだ?」
扇「……終わってねぇ……」
上之原は少しだけ笑う。
上之原「いいねぇ。その目」
足をどける。
扇は震える腕で体を起こす。
印を切ろうとする。
指が動かない。
体が拒否している。
これ以上神を出せば、自分が死ぬと本能が理解している。
上之原「出せよ。続きを」
扇の手が止まる。
出せない。
選択肢がない。
戦力ゼロ。
上之原は無造作に拳を振るった。
顔面に衝撃。
視界が裏返る。
膝が落ちる。
立てない。
音が遠い。
阿修羅が、プロメテウスが、ガネーシャが、スサノオが、静かにこちらを見下ろしている。
自分の神たち。
自分が呼んだ存在。
それが今、処刑人のように立っている。
扇の口から笑いが漏れる。
扇「……は……」
終わった。
理解した瞬間、力が抜ける。
勝てない。
どうやっても。
相性とか戦術とかじゃない。
構造的に詰んでいる。
膝をつく。
頭が垂れる。
上之原の足音が近づく。
上之原「いい判断だ」
髪を掴まれ、顔を上げさせられる。
上之原「最初からそうしてりゃ楽だったのに」
扇の目はまだ死んでいない。
だが体はもう動かない。
上之原「安心しろ。すぐ終わる」
拳が振り上がる。
その瞬間、扇の頭に浮かんだのは――
回道の顔だった。
あいつならどうする。
考えた瞬間、悔しさが込み上げる。
追いついたつもりだった。
並んだつもりだった。
結果はこれだ。
扇の歯が鳴る。
拳が振り下ろされる直前、
扇は負けを確信した。
地下前にて。
剛堂が恐る恐る扉を開け外を見る。
すると
階段の上から差し込む光の中に、四つの影が揺れていた。
剛堂の背中に冷たい汗が伝う。
だが恐怖より先に体が動いた。
身体強化、スピード全振り。
視界が一気に引き伸ばされ、世界が遅くなる。
床を蹴った瞬間にはもう階段を駆け上がっていた。
飛鷹も同時に動く。
空中を蹴る異様な跳躍で、一直線に敵へ突っ込む。
剛堂が運良く最初に掴んだのは転移能力持ちの金屋だった。
咄嗟に首を掴み、地面に叩きつける。
金屋の目が白目を剥き、そのまま動かなくなる。
相手全員の能力を知らない剛堂は自分の幸運を理解していない。
だが結果として、転移の選択肢は潰えた。
佐太辺「おい金屋ァ!なに伸びてんだよぉ!」
芒「ダメです!完全に落ちました!」
剛堂はその声の方向へ回し蹴りを放つ。
骨を砕くつもりの一撃。
だが途中で止められた。
誮戸が腕で受けている。
誮戸「おっも!」
腕が軋む音が響く。
誮戸の足元の床がひび割れた。
剛堂は舌打ちする。
こいつも手練だ。
佐太辺は半分呆れたように笑う。
佐太辺「まだ戦力いたのかよぉ……」
視線が地下の奥へ流れる。
佐太辺「いや、全員が戦闘に特化してんのか?うーん……後ろに隠れてるヤツらは違うのか?」
その一言で空気が凍る。
バレている。
地下の奥にいる生徒たちが息を呑む気配が伝わる。
剛堂の中で何かが切り替わった。
守る。
それだけだ。
誮戸の腕を蹴りで弾き、距離を取る。
同時に飛鷹と佐太辺が真正面からぶつかった。
爆音。
拳と足がぶつかる衝撃で空気が震える。
飛鷹は笑っている。
飛鷹「いいなテメェ!」
佐太辺は気だるそうに首を回す。
佐太辺「めんどくせぇなぁ……」
だがその拳は重い。
一撃ごとに床が砕け、壁が揺れる。
剛堂は誮戸と芒を同時に視界に入れる。
二対一。
だが退けない。
芒がナイフを抜き、低い姿勢で突っ込んでくる。
誮戸は真正面から殴りに来る。
連携。
剛堂は床を蹴り、天井近くまで跳ぶ。
ナイフが空を切り、誮戸の拳が壁を砕く。
着地と同時に芒の後頭部へ肘を叩き込む。
芒が倒れる。
だが誮戸の拳が脇腹に入った。
鈍い衝撃。
息が詰まる。
剛堂は歯を食いしばり、誮戸の腕を掴む。
剛堂「飛べッ!!」
全力で投げる。
誮戸の体が階段の手すりに叩きつけられ、金属が歪む。
佐太辺の視線が一瞬そちらへ向く。
その瞬間を飛鷹は逃さない。
飛鷹「よそ見してんじゃねぇ!」
佐太辺の顔面に拳を叩き込む。
血が飛び、佐太辺がよろける。
だが倒れない。
佐太辺は笑っている。
佐太辺「はぁ……なるほどねぇ……」
口の血を拭う。
佐太辺「守るもんがあるヤツは強ぇな」
視線が剛堂へ向く。
佐太辺「でもよぉ」
その瞬間、殺気が膨れ上がる。
佐太辺「壊れた時、もっと面白ぇんだ」
剛堂の背筋が粟立つ。
こいつらはここで全員殺す気だ。
交渉も脅しもない。
純粋な殲滅。
剛堂は構える。
腕が震えているのに気づく。
怖い。
それでも一歩も下がらない。
背中に仲間がいるからだ。
誮戸が立ち上がる。
芒もふらつきながら起きる。
三対二。
飛鷹が肩を回す。
飛鷹「剛堂」
剛堂「はい」
飛鷹「死ぬ気で守れ」
剛堂「最初からそのつもりです」
短い会話。
それだけで十分だった。
地下で非戦闘員の生徒たちが息を潜める。
そして次の瞬間、
階段の下から足音が響いた。
ゆっくりと、だが迷いのない足取り。
剛堂が振り向く。
飛鷹も一瞬だけ視線を落とした。
地下から現れたのは榅だった。
白衣の袖をまくり、指を軽く鳴らしながら階段を上がってくる。
その顔には疲労が色濃く残っているのに、不思議と余裕があった。
階段の中腹で止まり、佐太辺と目が合う。
一瞬の静寂。
なぜか二人同時に笑った。
佐太辺「……ははっ」
榅も口角を上げる。
榅「俺を忘れんなよ」
佐太辺「次から次へと!」
心底うんざりした声なのに、どこか楽しそうだった。
榅は首を回しながら階段を登り切る。
芒「医者だからって戦えないと思ったか?」
白衣の裾がふわりと揺れる。
榅「応急処置は得意だぞ。自分のな」
その言葉と同時に踏み込んだ。
距離が一瞬で消える。
佐太辺の目がわずかに見開く。
拳がぶつかる直前、榅は角度をずらし、肘を叩き込んだ。
骨に直接響く鈍い音。
佐太辺の体がよろける。
佐太辺「うおっ……!」
榅は止まらない。
膝、拳、掌底。
無駄のない連撃。
医療の知識がそのまま殺傷効率に変換された動きだった。
急所だけを正確に撃ち抜く。
佐太辺は腕で受けながら後退する。
佐太辺「いてぇなぁおい……!」
榅「痛みが分かるならまだ元気だ」
笑いながら言う。
その背中に剛堂が並ぶ。
飛鷹が肩で笑う。
飛鷹「教師二人追加だ。喜べよ」
誮戸と芒の顔が引きつる。
さっきまで数で押していたはずの戦況が、逆に傾き始めていた。
地下の奥で、生徒たちが小さく息を吐く。
まだ終わっていない。
だが――
守る側は、誰一人退く気がなかった。
地下の空気は重かった。
階段の上から響く衝撃音。
怒号。
骨に響くような打撃の音。
誰も言葉を発しない。
非戦闘員たちはただ立ち尽くし、天井を見上げていた。
見えない戦場を想像することしかできない。
断隙が一歩前に出る。
拳を握る。
断隙「……俺が行けば」
誰に言うでもなく呟く。
半径数メートル。
能力無効領域。
あれを使えば敵の能力は止まる。
断隙は深呼吸し、階段へ向かおうとした。
その肩を壱岐が掴む。
壱岐「待て待て」
断隙「え?」
壱岐「それ使ったら味方も使えないんだろそれ」
一瞬の沈黙。
断隙「あっ、」
素で忘れていた。
頭の中でシミュレーションが崩れる。
剛堂の身体強化。
飛鷹の空中機動。
猪野手の自己回復。
全部止まる。
味方の強みが消える。
断隙はゆっくり手を下ろした。
壱岐はため息をつく。
壱岐「非戦闘員はな」
階段の方を見ずに言う。
壱岐「大人しく見てるしかないんだよ」
その言葉は冷たい現実だった。
だが誰も反論しない。
できないからだ。
上では命のやり取りが起きている。
ここで無茶をすれば、足を引っ張る。
それが分かっているから、余計に苦しい。
地下には戦えない者の静寂が広がった。
拳を握る音だけが、小さく響いていた。
地下の空気が張りつめたまま、
飛鷹と佐太辺は自然と向かい合っていた。
佐太辺はだるそうに肩を回し、欠伸を噛み殺す。
佐太辺「はぁ……めんどくせぇなぁ。ほんとに」
飛鷹は一歩も引かない。
視線は相手の喉元に固定されたまま、重心だけをわずかに下げる。
飛鷹「減らず口は終わりか?」
佐太辺「いやぁ?始まってすらねぇよ」
次の瞬間だった。
飛鷹が踏み込む。
空気を蹴り、距離を一気に詰めるいつもの初動――だが、
ズンッ
衝撃が先に来た。
飛鷹「……ッ!?」
拳が交差したわけでもない。
だが、胸部に重い一撃をもらった感触だけが確かにあった。
飛鷹は反射的に後方へ跳ぶ。
佐太辺「おーおー、さすが教師さん。防御反応はえぇなぁ」
飛鷹は歯を食いしばる。
今の一瞬、確実に“殴られた”はずだ。
だが、腕も脚も、動いた形跡がない。
咄嗟に防御態勢に入らなければここで脱落していただろう。
飛鷹「……ふざけた真似を」
再び踏み込む。
今度はフェイントを混ぜ、左右から圧をかける。
だが――
バンッ、バンッ
連続で叩きつけられる衝撃。
視界が揺れ、呼吸が止まる。
飛鷹「ぐっ……!」
佐太辺は、相変わらずその場にいる。
なのに、攻撃だけが飛んでくる。
一歩。
佐太辺がそれだけ踏み出した瞬間、
空気が歪んだ。
ドゴンッ!!
飛鷹の身体が、後方へ弾き飛ばされる。
剛堂「飛鷹先生!」
身体強化をスピードに振り、剛堂が追おうとするが――
佐太辺が、視線だけでそれを制する。
佐太辺「おっと。二体一は反則だろぉ?」
剛堂は歯噛みする。
今ここで追えば、地下の守りが薄くなる。
その判断の一瞬が、分断を生んだ。
飛鷹の身体は、壁を突き破り――
そのまま校庭へ叩き出される。
土煙を上げて転がる飛鷹。
飛鷹「……っ、くそ……」
身体を起こそうとするが、内臓が軋む。
明らかに、今まで受けたどの一撃よりも重い。
そのとき、背後から足音、
校庭の縁に立ち、佐太辺は首を鳴らす。
佐太辺「廊下狭くてさぁ。力、出しづらいんだよねぇ」
飛鷹は睨みつける。
飛鷹「……能力は何だ」
佐太辺は笑った。
佐太辺「さぁ?なんだろうなぁ」
次の瞬間、
飛鷹の視界が白く弾けた。
説明も、前兆もない。
ただ――叩き伏せられる現実だけがあった。
剛堂は一瞬で状況を把握した。
芒と誮戸、この二人を片付ければ飛鷹の援護に向かえる。理屈は単純だ。
だが――現実はそう甘くない。
芒と誮戸は能力を使っていない。
それにもかかわらず、その動きは明らかに素人のそれではなかった。
剛堂は歯を食いしばり、身体強化を発動する。
スピード、耐久、力を中心に振り分け、ようやく“互角”に立てる。
剛堂(くそ……一対一なら問題ねぇ)
実際、どちらか一人だけなら押し切れる自信はあった。
だが、この二人は違う。
芒が前に出ると見せかけて、誮戸が死角に回る。
剛堂が誮戸を警戒すれば、芒が距離を詰める。
連携。
完全に“複数で戦うことを前提とした訓練”を積んできた動きだった。
剛堂「……チッ」
蹴りを放つが、誮戸が受け、芒がすぐさま反撃に出る。
一瞬の隙も許されない。
身体強化がなければ、今ごろとっくに押し潰されていただろう。
それほどまでに、無駄がなく、迷いのない動きだった。
剛堂(能力がないから弱い、なんて考えは通用しねぇな)
頭の片隅で、ある考えがよぎる。
――最初に潰した男。
あの男を伸ばしてなかったらどうなっていたか。
剛堂は想像し、背筋が冷えた。
運が良かった。
それだけは間違いない。
だが運だけでは、もう持たない。
剛堂は拳を握り直し、再び構えを取る。
ここを抜けなければ、飛鷹のもとには辿り着けない。
二対一。
だが退く理由は、どこにもなかった。
回道は走りながら、頭の中で現在地を正確に掴んでいた。
転移で飛ばされた先から、学園までの距離、道筋、かかる時間――すでに把握している。
(問題ない。最短で戻れる)
そう判断した、その時だった。
前方、路地の出口に二つの人影が立っている。
???「あ? あいつじゃね?」
???「金屋が飛ばしてきた男って、あれだよな」
回道「……お前ら、あいつらの仲間か」
???「ご名答」
???「教師陣と違ってさ、咄嗟の転移だったから遠くまでは飛ばせてないって言ってたけどさぁ」
???「案外、遠いとこまで飛ばせてるじゃん」
回道は表情を変えない。
だが、耳は一言一句を逃さず拾っていた。
???「そういや教師って、どこに飛ばしたんだっけ?」
???「沖縄」
???「ふぅ〜、ひっでぇな」
その言葉で、回道の中の状況整理が一気に進む。
回道「……なるほど」
小さく呟く。
回道「天城先生たちの参戦は見込めない。
つまり、俺たちで対応するしかないってことか」
その声には焦りはなかった。
回道は当然の前提として――扇が学園側にいると思っていた。
だからこそ、先ほどまで急ぐ理由がなかった。
だが。
???「そういやさ、もう一人飛ばしたって話なかったっけ?」
???「あー、無線で言ってたな。金屋からその後、応答ねぇけど」
その瞬間、回道の思考が一段深く沈む。
(……もう一人)
脳裏に浮かんだのは、ただ一人。
回道(……扇)
扇も、飛ばされている可能性がある。
それに気づいた瞬間、回道の中でギアが切り替わった。
(少し、急ぐ必要があるな)
二人を正面から見据える。
回道「なぁ」
低い声。
回道「そんなにベラベラ喋ってていいのかよ」
???「は?」
???「まぁ、ここで死んでもらうし、別にいいんじゃね?」
二人が笑う。
だがその笑いを前にしても、回道の表情は変わらなかった。
むしろ――
次の瞬間、確実に終わらせるための“静けさ”だけが、そこにあった。
二人のうち一人が、明らかに能力を使おうとした。
腰を落とし、重心を低くする――その瞬間。
視界が、唐突に暗転する。
???「――っ?」
暗くなった理由は単純だ。
回道の手のひらが、目の前に差し出されていたからだ。
???「……え?」
困惑の声が漏れた、その刹那。
回道は男の顔を掴み、躊躇なく方向を変える。
次の瞬間、鈍い音と共に身体が壁へ叩きつけられた。
コンクリートが震える。
回道が手を離すと、男は白目を剥き、鼻血を垂らしながら、そのまま地面へと崩れ落ちた。
意識は完全に刈り取られている。
残された一人が、遅れて現実を理解する。
???「……は?」
その声には、恐怖と理解不能が混じっていた。
もう一人の視界から、回道の姿が掻き消える。
――そう認識した、その瞬間だった。
すでに首を掴まれていた。
???「ぐがぁっ……!」
喉を締め上げられ、空気が奪われる。
抵抗しようとした腕は、まるで子どものそれのように無力だった。
回道「……お前達は、何なんだ?」
声は低く、感情が削ぎ落とされている。
回道「吐け。――さもなければ、殺す」
その言葉に、男ははっきりと理解した。
回道と対面したこと自体が、致命的なハズレだったのだと。
掴まれていた手が離される。
男「はっ……はぁっ……!」
男は地面に手をつき、必死に空気を吸い込む。
肺が焼けるように痛み、視界が揺れる。
その前に、回道はしゃがみ込む。
回道は男の顔を、静かに見下ろしていた。
回道「……話、聞いていますか?」
逃げ場は、もうどこにもなかった。
???「お、俺達は……外冠死業第五中隊の下っ端です。なにも……組織の中枢とか、詳しい情報は知らない……。隊長なら、分かります」
回道「……その隊長は、いま学園にいるのか?」
???「そ、そうです……」
男の声は震えきり、嘘を吐く余裕すらない。
回道は、それだけで十分だった。
回道は静かに立ち上がる。
それ以上の質問は、なかった。
???「……え?」
次の瞬間、回道の拳が振り下ろされる。
鈍い音が一度だけ響き、男の意識は闇に沈んだ。
回道は倒れた二人を一瞥する。
回道「……学園、か」
呟きは独り言に近い。
そこに感情はない。焦りも、怒りも、表には出ていなかった。
回道は地面を蹴った。
次の瞬間、姿は路地から消える。
風だけが遅れて通り過ぎ、倒れ伏した二人を残していった。
学園では今この瞬間も、戦闘が続いている。
そして回道は、その中心へ向かっている。
最強が、帰還するために。
扇は髪を掴まれたまま、何度も殴られる
抵抗する力は残っていない。それでも、殴打は容赦なく降り注ぐ。
鈍い音が、何度も響く。
上之原「……しぶといな」
淡々とした声だった。
怒りも苛立ちもない。ただ、壊れないことへの軽い感想。
血に濡れた顔を伏せながらも、扇の瞳は死んでいなかった。
そこには、折れていない者だけが宿す不屈の光がある。
その視線の先に、足音が近づく。
ゆっくりと、堂々と。
阿修羅が歩いてきて、扇の目の前で止まった。
扇「……阿修羅……」
かつて、自分の力として呼び出した存在。
今は、奪われ、命令されるだけの存在。
阿修羅は無言のまま拳を振り上げた。
次の瞬間――
真正面からの一撃。
さらに、
左右から二撃。
背後から、決定的な一撃。
扇の身体が跳ね、血が口から溢れ落ちる。
上之原「あーあーあー、酷いなぁ阿修羅くん。仮にも仲間だろ?」
楽しそうですらある声音だった。
自分で奪った力を使わせておきながら、嘲るように言葉を重ねる。
上之原「お前、多分学園内でのリーダーだったんだろ?」
扇は答えない。
答えるだけの力も、意味も、もうなかった。
上之原「実力はあったよ。未来視……みたいなもんも持ってたしな」
一歩、近づく。
上之原「けどさぁ……」
扇の顎を乱暴に掴み、顔を上げさせる。
上之原「所詮、生徒は生徒だ」
視線が交わる。
だが、扇の目は逸れない。
上之原「リーダー気取りで前に出てきてさ、仲間守るつもりだったんだろ?」
鼻で笑う。
上之原「……だっせぇ」
吐き捨てるような言葉。
だがその瞬間も、扇の瞳から光は消えなかった。
負けている。
叩き潰されている。
それでも――
折れてはいない。
それを、上之原はまだ理解していなかった。
扇がふらつく身体を無理やり支え、血の滴る指先で印を結ぶ。
空中に描かれた二本の線が、交差することなく並んだまま、高速で回転を始めた。
空気が裂ける。
風圧が渦となり、線は次第に形を変え、いつの間にか「翼」を思わせる輪郭を帯びていく。
次の瞬間、羽音が鳴った。
そこに現れたのは、背に翼を持つ神。
戦意も殺気もなく、ただ“移動”そのものを体現した存在だった。
扇「ヘルメスッ!」
上之原が目を細め、口角を上げる。
上之原「へぇ……新しい神か。まだ隠し玉があったとはな」
そう言って、一歩踏み出した瞬間だった。
ヘルメスは上之原を見ることすらせず、空を蹴る。
爆音と共に、その姿は一瞬で彼方へと消え失せた。
上之原「……は?」
間の抜けた声が漏れる。
上之原「おいおい、逃げたぞ?神が逃げるとかアリか?」
その背後で、扇がゆっくりと立ち上がる。
明らかに限界を超えている身体。それでも、無理やり姿勢を正す。
時間を稼ぐように、わざと軽い口調で言った。
扇「……気合い、気合い」
強がりだと、誰が見ても分かる。
だがその視線は、まだ折れていなかった。
ヘルメスが運ぶのは、戦いではない。
だが――この場から“何か”を確実に外へ出した。
上之原は、そこでようやく気づく。
これは逃走ではない。
伝達だ。
そしてその事実が意味するものを、
この時点では、まだ誰も正確には理解していなかった。
扇は強い。
それは紛れもない事実だった。
兄から継承した能力は確かに強力だ。
だが、それだけではない。未来視という才能を持ち、回道に勝ちたい、その一心で自らを削り続けてきた。
血を吐くほどの訓練。
視界が霞んでも止めなかった鍛錬。
限界を越えることを、日常として受け入れてきた。
純粋な戦闘能力は、同年代の域を完全に逸脱している。
だが――。
上之原もまた、数多の修羅場を越えてきた手練だった。
上之原は神を使う。
だが、それは力に溺るためではない。
神を「道具」として扱い、扇の選択肢を一つずつ潰していく。
未来視で見える“最善”を、常に半歩先から踏み砕く。
扇が攻めれば迎撃し、守れば間合いを詰める。
無駄がない。焦りもない。
神を前に出しつつ、自身は決して油断しない。
攻撃の隙間、呼吸の乱れ、集中が一瞬途切れる瞬間だけを正確に突いてくる。
扇は歯を食いしばる。
強い。
自分は確かに強い。
だが、相手も同じだけの経験と冷酷さを積み重ねてきた存在だ。
神を操りながら、上之原は確実に距離を詰めていく。
未来が見えているはずなのに、その未来が次々と潰されていく。
追い詰められている。
それでも扇の目は死なない。
まだ、折れていない。
だが――戦況は、確実に上之原へと傾いていた。
扇は荒い呼吸のまま、上之原を睨み据えた。
視界の端で、奪われた神が淡く揺れている。
扇「……段々、分かってきたぞ。お前の能力」
上之原は口元だけで笑う。
扇「奪うんだろ。コピーとはちょっと違う」
上之原「おっ、鋭いな。コピーなんて都合のいい能力、持ち合わせてるわけないだろ」
扇は一歩、前に出る。
その足取りは重いが、目だけは澄んでいた。
扇「お前は、自分の能力を使わない。
俺が使った能力だけを使う。
俺が出した神だけを使役する。
それで確信した」
上之原は否定しない。ただ肩をすくめる。
上之原「いいねぇ。
もうちょい年を重ねてたら、俺も危なかったかもな」
扇は小さく息を吐いた。
扇「……お生憎様。
コピー関連には、もう飽き飽きしててな」
上之原「?」
扇の脳裏に、ある人物の姿が浮かぶ。
扇「俺が知ってるコピー持ちは、良い奴なんだ」
上之原は黙ったまま、耳を傾ける。
扇「盗んだ能力を、余すことなくちゃんと使う。
能力に敬意を払う。
持ち主の覚悟ごと背負う。
……変な奴だよ」
言葉の端に、わずかな誇りが滲む。
扇「だが、お前は違う」
視線が鋭くなる。
扇「人の能力を使うことに、なんの躊躇もない。
敬意も覚悟もない。
ただの道具として消費するだけだ」
間を置いて、吐き捨てる。
扇「クズだよ」
上之原は、初めてはっきりと笑った。
嘲るように、楽しむように。
上之原「いるんだよなぁ。
自分が最強だと思って、説教垂れてくるやつ」
扇を指さす。
上之原「お前、自分のこと最強だとか思ってるだろ?」
一瞬の沈黙。
上之原「分かるんだよ。
そういう目をしてる」
空気が、重く沈んだ。
互いに一歩も引かない視線が、次の衝突を予感させていた。
扇は、喉の奥で乾いた笑いを漏らした。
扇「……はっ。俺が、最強だって?」
上之原は何も言わない。ただ、その反応すら想定内だと言わんばかりの無表情だった。
扇「思ってたさ」
一拍置き、声に熱が籠もる。
扇「自分は人とは違うって。
選ばれた側だって。
本気で、そう思ってたよ!!」
だが、その言葉を聞いた上之原の顔は、露骨に退屈そうに歪んだ。
扇「……」
扇は歯を食いしばる。
扇「あいつに会うまではな」
静かに、しかしはっきりと言い切る。
扇「バトンタッチだ」
上之原「……は?」
次の瞬間、扇は笑った。
それは虚勢でも強がりでもない、確信の笑みだった。
扇「見せてやるよ」
声が鋭く空気を裂く。
扇「本物の最強をッ!!」
その瞬間だった。
周囲の空気が、明らかに変質する。
圧が違う。密度が違う。
本能が警鐘を鳴らす。
上之原「!?」
上之原が反応するよりも早く――
扇の背後から、一人の男が飛び出した。
まるで助走跳躍。
地面を蹴り裂く音すら置き去りにし、一直線に戦場へと割り込んでくる。
扇「遅いぞ」
そう言い残し、扇は後方へ倒れ込んだ。
役目は果たしたと言わんばかりに。
逆光。
太陽を背負い、その男の顔は一瞬、影に隠れる。
だが――
地面に着地した瞬間、ゆっくりと顔を上げた。
回道だった。
嬉々とした立ち振る舞い。
戦場の空気が、完全に塗り替えられる。
――最強が。
――帰還した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この一連の章で描きたかったのは、「最強」という言葉の重さと、その受け止め方の違いでした。
扇は確かに強い。努力も覚悟も本物で、才能に溺れていただけの存在ではありません。
それでもなお、彼が「自分は最強だ」と思っていた世界は、回道という存在に出会った瞬間、静かに崩れていきました。
上之原は力を奪い、使い潰し、効率だけで強さを測る存在です。
対して回道は、力そのものではなく「どう在るか」で戦場を支配する側の人間です。
その差が、この場面で決定的に表れたのだと思います。
そして――
「最強が帰還した」という一文は、単なる戦力の復活ではありません。
物語そのものが、ここから次の段階へ進む合図でもあります。
この先、回道と扇はさらに厳しい選択と現実に直面していきます。
最強であるがゆえに選ばされる道、最強であるがゆえに失うもの。
そのすべてを描き切るつもりです。
引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。




