1話:最強が生まれた日
本作は、連載中作品『霊業』の外伝にあたる物語です。
時系列としては『霊業』本編より約二年前――
まだ輝たちが物語の中心に立つ以前の時代を描いています。
主人公は、本編では語られることのなかった存在、回道 丞。
後に「伝説」として断片的に語られる男が、
どのような少年で、何を思い、どこへ辿り着いたのか。
その始まりを、一話ずつ紐解いていく物語です。
本編『霊業』を読んでいなくても楽しめる構成にはしていますが、
読了後に振り返ることで、世界の見え方が少し変わる――
そんな外伝を目指しています。
それでは、
“転生しなくても最強”に至る物語の、はじまりをお楽しみください。
――最強は、生まれた瞬間からそこにいた。
回道 丞が生まれた家は、静かで、穏やかで、そして不自由のない家だった。
父は多くを語らぬが誠実な男で、母はいつも柔らかな声で彼を呼んだ。
抱き上げられるたび、胸に伝わる鼓動は一定で、そこに恐れはなかった。
生後半年。
回道にはまだ「自我」と呼べるものは存在していない。
だが、彼の目は常に開いていた。
父が廊下を歩く。
母が台所へ向かう。
その一歩一歩を、回道はただ見ていた。
――立ち上がりたい、という意思はない。
――歩きたい、という願いもない。
それでも、ある日。
誰に教えられるでもなく、彼は柵につかまり、重心を前に倒し、足を出した。
失敗は一度だけだった。
次の瞬間には、転び方を覚えていた。
半年と少し。
周囲が「早い」と言葉にする頃には、回道はもう、歩くという動作を「理解」していた。
それは学習ではない。
模倣ですらない。
ただ――見た通りに再現しただけだった。
三歳の春。
回道は幼稚園という場所にいた。
部屋の中央で、他の子どもたちが笑い、走り、泣いている。
その中で回道だけが、妙に静かだった。
先生は最初、それを「大人しい子」だと思っていた。
だが違和感はすぐに形を持つ。
視線だ。
回道の目は、遊具でも、友達でもなく、人の動きを追っていた。
手の運び。
身体の傾き。
物を置く角度。
ある日、先生は一つの遊びを思いつく。
木製のパズル。
簡単なものだが、三歳児には少し難しい。
先生は回道を呼び、彼の目の前でそれを完成させてみせた。
一度だけ。
ゆっくりと、わざと分かりやすく。
そして次の瞬間、
完成したパズルを、あえて乱雑に混ぜ、回道の前に置いた。
「はい、どうぞ」
先生はそう言って、わざと視線を外す。
他の子どもに声をかけ、ほんの数秒――本当に、それだけの時間だった。
再び目を戻した、その瞬間。
パズルは、もう完成していた。
「……え?」
声が漏れる。
確認する。
間違いはない。
さっき自分が作った形、そのままだ。
回道はパズルを見ていない。
先生を見ている。
まるで、
「もう終わりましたが、何か?」
そう言いたげな顔で。
先生の背中に、冷たいものが走った。
偶然ではない。
試行錯誤した様子もない。
再現したのだ。
見た通りに。
同じ順番で。
同じ手の動きで。
この子は――
そう考えた瞬間、先生はそれ以上を考えるのをやめた。
まだ三歳だ。
あり得ない、と思うしかなかった。
だが回道 丞は、その日も静かに座っていた。
自分が何をしたのかを、理解することもなく。
ただ世界を見て、写し取っていただけだった。
その才能が、
やがて世界を歪めることになるとも知らずに。
六歳になった頃、回道 丞はようやく「世界」という輪郭を理解し始めていた。
それは期待や希望ではない。
単なる把握だ。
幼稚園の延長のような教室。
机。椅子。黒板。
笑う子ども、泣く子ども、怒られる子ども。
回道は、そのすべてを見る側にいた。
何かをしたいと思うことはない。
何かになりたいとも思わない。
ただ、人が動くのを見る。
歩き方。
筆圧の癖。
字を書くときの肩の揺れ。
考えているときに出る、ほんの一瞬の呼吸の乱れ。
友達は作らなかった。
必要がなかったからだ。
一人でいることに、寂しさはない。
集団に入らないことに、不安もない。
回道にとって人間関係とは、対象が複数になるか一つになるか、それだけの違いだった。
勉強はどうだったか。
周囲は「頭が悪い」と言った。
だが、正確には違う。
入ってこないのではない。
入ってくるのだ。
教師の説明。
教科書の文章。
黒板に書かれた数式。
一度見れば、すべて記憶される。
文字の配置、声の抑揚、説明の順番まで。
それでも回道は、それを「学んでいる」とは感じなかった。
面白くない。
役に立たない。
知ったところで、何も変わらない。
それが、彼の率直な感想だった。
回道は七歳になる頃、はっきりと自覚する。
この世界は、退屈だと。
人は皆、同じように動き、同じように間違え、同じように驚く。
予測できる。
再現できる。
コピーできる。
――それだけだ。
感情はある。
喜びも、怒りも、悲しみも、存在はする。
だが、それらは観察対象であって、没入するものではなかった。
一人で。
ずっと、一人で。
教室の隅。
廊下の端。
校庭の影。
回道は今日も、人間を見ている。
世界に興味を失った、七歳の少年として。
十一歳になった頃、回道 丞は初めて「本」というものを自分から手に取った。
それまでにも文字は読んでいた。教科書も、資料集も、説明書も。
だがそれらはすべて、理解する対象であって、触れる対象ではなかった。
きっかけは些細なものだった。
家の書棚に並んでいた一冊の文庫本。
表紙に描かれた、剣を持つ少年と、見慣れない世界。
読み始めた瞬間。
回道の中で、何かが裏返った。
知らない土地。
知らない文化。
知らない価値観。
それなのに、登場人物の感情が、はっきりと分かる。
怒りも、恐怖も、喪失も、希望も。
――こんな世界が、あるのか。
回道はその日、初めて夜更かしをした。
止める理由がなかった。
ページをめくる手が、止まらなかった。
その物語の中で、彼は一つの言葉を知る。
「転生」。
死んで、生まれ変わり、別の世界で生き直す。
その概念は、回道の胸に深く突き刺さった。
そこからだった。
回道は数え切れないほどの転生物の小説と漫画を読み漁った。
幸い、家は裕福だった。
本を欲しがれば買ってもらえた。
電子書籍も、紙の本も、制限はなかった。
親は最初、困惑していた。
「この子は子供じゃない」
「天才だから、いい学校に入れた方がいい」
そんな言葉を、何度も口にしていた。
だが、漫画に没頭する回道を見て、ようやく理解した。
――ああ、この子にも、子供らしい一面があるのだと。
回道自身は、その評価をどうでもいいと思っていた。
それよりも重要だったのは、本の中で得たものだ。
回道は、漫画と小説を通して、ほぼすべての感情を知った。
誰かを守りたい気持ち。
裏切られたときの痛み。
努力が報われる瞬間の高揚。
どうしようもない絶望。
現実では理解できなかった「感情の動き」を、物語は丁寧に教えてくれた。
そして、ある夜。
布団の中で本を閉じた回道は、ふと考えた。
――自分は、おかしいのか。
周りが「難しい」と言う問題を、一度見れば覚える。
説明はいらない。
考える必要もない。
それが普通だと思っていた。
だが物語の中の人間は、悩み、迷い、間違える。
自分は、違う。
その事実に、初めて明確な輪郭が生まれた。
回道 丞は、異常なのだ。
だが同時に、思った。
ならば――。
この世界がつまらないのなら。
現実が退屈なのなら。
物語のように生きればいいのではないか。
転生しなくても。
生まれ変わらなくても。
自分は、最初から「違う側」にいるのだから。
十一歳の夜。
回道 丞は、静かにそう結論づけた。
それは逃避ではない。
覚悟でもない。
ただの、理解だった。
中学に上がった頃、回道 丞は一つの決断をした。
「普通を演じる」ということ。
今まで、周囲との間には透明な壁があった。
何を話しても、何を見ても、同じような反応しか返ってこない。
それが退屈だった。
そして何よりも――孤独だった。
彼は決めた。
“物語の主人公のように生きる”と。
その日から、回道は変わった。
笑うタイミングを学び、冗談を言う練習をした。
友人に合わせてくだらない動画を見て、一緒に笑い、
好きでもないアイドルの話題にうなずいた。
それは、演技だった。
だが、完璧な演技だった。
人間観察を繰り返してきた回道にとって、
人間を模倣するのは、呼吸と同じくらい簡単なことだった。
「お前ってさ、なんか面白いよな」
「変わってるけど、悪いやつじゃない」
そんな言葉が日常になった。
周囲には友人ができ、笑い声が絶えなかった。
それでも、ふとした瞬間に空白があった。
授業中、ノートを取る手を止めた瞬間。
誰かの話を聞き流している間。
――あれ、俺は何をしているんだ?
その疑問が浮かんでも、すぐに消えた。
なぜなら「主人公」は迷わないからだ。
回道は、自分を“物語の主人公”として生きた。
舞台は学校。観客はクラスメイト。
与えられた脚本を完璧に演じるために、
彼は努力を惜しまなかった。
最初のうちは、自分の能力を使うこともあった。
一瞬で黒板の内容を覚え、テストで高得点を取る。
だが、それでは「主人公」らしくない。
だから、やめた。
覚えようとせず、勉強した。
わざと時間をかけ、間違い、悔しがり、努力した。
すべてが演出だった。
次第に、彼は本当に“普通の中学生”になっていった。
周囲からは天才でも変人でもなく、
少し頭のいい、ちょっと変わったクラスメイト。
――その時、回道は気づいていなかった。
自分が本当に「普通」を楽しんでいたことに。
演じることに熱を入れすぎて、
自分が“瞬間記憶能力”を持つことすら忘れていた。
笑い、喋り、競い合い、恋をして――
誰よりも「人間らしく」生きていた。
だが、彼の中でそれは常に“物語の一幕”だった。
エンディングが来ることを、
そしてその日が近いことを、
どこかで本能的に知っていた。
回道 丞には、口癖があった。
回道「転生したいなぁ」
特別な意味はない。
友達と笑いながら言う、ただの冗談。
だがその言葉だけは、なぜか本心に近かった。
クラスメイトたちは笑う。
「また言ってる」「厨二かよ」と軽く流す。
それでいい。
回道は“普通の中学生”でいなければならなかった。
そんな彼が、唯一、心の底から好きだと思える時間があった。
体を動かす授業だ。
理由は単純だった。
主人公は、走る。
主人公は、戦う。
主人公は、可憐で、そして逞しい。
だから回道は走った。
理由も目的もなく、ただ全力で。
五十メートル走。
ゴールテープを切った瞬間、背後から悔しそうな声が飛ぶ。
クラスメイト「また回道に負けたァ!」
回道は立ち止まり、額の汗を袖で拭う。
息は上がっているが、不思議と苦しくはない。
回道「お前がいるからさ」
回道「負けたくなくて、俺が速くなってんだよ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、相手は顔を赤くして叫んだ。
クラスメイト「キザなこと言いやがって!」
周囲から笑い声が上がる。
回道も一緒になって笑った。
それが“正解の反応”だと知っているから。
だが、心の奥では違った。
――こいつには、負けたくない。
回道は、彼を“ライバル”と認識していた。
物語において、主人公の前に立ちはだかる存在。
競い合い、認め合い、高め合う存在。
それがいるから、走る意味が生まれる。
それがいるから、物語が動く。
(やっぱり、俺は主人公だ)
そう思いながら、回道は次のスタートラインに立つ。
誰にも気づかれないように、
誰よりも自然に。
――この世界が退屈だと感じる、その日が来るまで。
承知しました、先生。続きを整えます。
---
いつもの帰り道。
アスファルトの匂い、夕方に傾いた空の色、遠くで鳴る自転車のブレーキ音。
何も変わらない。
昨日と同じで、今日も同じで、きっと明日も同じ。
回道 丞にとって、それはとても大切な時間だった。
普通が好きだった。
特別も、異常も、突出もいらない。
世界の中に溶け込んで、誰にも引っかからず、誰の記憶にも強く残らない。
その「何も起こらない」という事実が、回道の心を落ち着かせる。
(やっぱり、今日も平和だな)
ランドセルを背負った子供が走り抜け、
犬の散歩をしている老夫婦がすれ違う。
どこにでもある、ありふれた風景。
回道はそれを一つ一つ、無意識に目に焼き付けていた。
覚えようとしているわけではない。
ただ見ているだけで、勝手に記憶されてしまう。
それでも、不快ではなかった。
(この世界は、退屈だけど悪くない)
そう思える瞬間が、確かに存在していた。
だからこそ、回道は今日も“普通”を演じる。
家に帰れば、夕飯があり、
風呂に入り、
布団に入って、また漫画を読む。
転生したらどうなるか。
最強だったらどうするか。
そんな空想を抱きながら、
回道 丞は今日も、何事もなく家路を歩く。
いつも通りの曲がり角を曲がった、その瞬間だった。
前を見ると、奥の方に“ひと”が立っている。
ただ立っているだけなら、何もおかしくはない。
住宅街では、誰かが立ち止まっていることなど珍しくもない。
だが――違った。
道のど真ん中。
逃げ道を塞ぐように。
そして、意味もなく、ゆらゆらと揺れている。
回道は一歩、また一歩と近づいていく。
距離が縮まるにつれて、背中にじっとりと汗が浮かんだ。
喉が乾く。
呼吸が浅くなる。
(……おかしい)
その場で、ぴたりと足が止まる。
進めない。
行けない。
理屈ではなく、本能が拒絶していた。
回道(何が違う?)
服装か。
立ち方か。
揺れ方か。
違う。
どれも違う。
視線を上から下へ、下から上へと無意識に走らせた、その時――
ようやく、致命的な違和感に辿り着く。
回道「……身長……高すぎね?」
呟いた声は、震えていた。
目測。
いや、計測するまでもない。
それは、人間の尺度を明らかに逸脱している。
四メートル。
いや、五メートル近い。
街灯より高く、
二階建ての家の軒先に届きそうなほどの巨体。
“人間のような何か”は、相変わらず道の中央で揺れている。
関節の位置も、体の比率も、どこか歪だ。
回道の脳が、必死に現実を否定しようとする。
(見間違いだ)
(疲れてるだけだ)
(漫画の読みすぎだ)
だが、瞬間記憶で焼き付いた情報が、それを許さない。
――これは、存在してはいけないものだ。
そう理解した瞬間だった。
ゆらり、と
“それ”の揺れが止まる。
次の刹那、
あり得ない速さで、首だけがこちらを向いた。
ぎし、と骨の鳴る音。
関節が悲鳴を上げるような、不快な音。
目が合う。
赤黒く濁った、
感情のない目。
回道の全身が、一気に凍りついた。
逃げろ、と頭が叫ぶ。
だが、体は動かない。
気づいた時にはもう遅かった。
“普通”な帰り道は、
その瞬間、完全に壊れた。
背後から、風を切る音がした。
回道が反射的に振り返るよりも早く、
細身の男が横を駆け抜けていく。
無駄のない動き。
地面を蹴る音がやけに軽い。
男はそのまま、あの“身長の高すぎる何か”に向かって跳んだ。
回道の視界が一瞬、追いつかなくなる。
次の瞬間。
――バンッ。
乾いた衝撃音。
それだけだった。
男が何かをした、という認識すら追いつかないうちに、
巨体はあっさりと地面に叩き伏せられていた。
いや、伏せられた、という表現すら正しくない。
崩れる。
溶ける。
それは霧のように、煙のように、
形を保てず、空気に溶けていった。
回道は、ただそれを見つめていた。
心臓の音だけが、やけに大きい。
(……消えた?)
恐怖より先に、理解しようとする思考が働いてしまう。
瞬間記憶が、今起きた一部始終を容赦なく焼き付けていく。
そんな回道の背中に、声が落ちた。
???「君……もしかして、今見えてた?」
ハッとして振り向く。
そこに立っていたのは、先ほど駆けていった細身の男だった。
特別目立つ服装ではない。
顔立ちも、街に溶け込む程度に普通。
だが――
先ほどの動きを思い出すだけで、
「普通」という評価が一気に崩れる。
回道「え、え?」
声が裏返った。
男は小さく息を吐き、
回道の反応をじっと観察する。
???「……その反応」
一拍置いて、確信したように続ける。
???「見えてたね。今」
回道の喉が鳴る。
???「初めて見えた?」
???「……まぁ、反応見れば分かるか」
男はそう言って、肩をすくめた。
そして、柔らかいが逃げ道を与えない声で告げる。
???「とりあえず、話をしよう」
回道は頷くことも、否定することもできなかった。
男に連れられて入ったのは、駅前から一本外れた路地にある小さなカフェだった。
木製の扉が軋む音を立て、店内にはコーヒーの香りが穏やかに漂っている。
席に着くなり、男は迷いなく手を挙げた。
???「マスター! いつもの!」
カウンターの奥から、初老のマスターがちらりとこちらを見て首を傾げる。
マスター「初見さんの“いつもの”……分かんないですよ」
???「あっ!」
男は一瞬固まり、次の瞬間、照れたように頭をかいた。
???「へへっ」
その様子を見て、回道は思わず瞬きをした。
さっきまで、5メートル近い“何か”を一瞬で消し飛ばした男と、
今、間の抜けた笑いを浮かべているこの男。
同一人物だという事実が、どうにも噛み合わない。
(……なんだ、この人)
抜けている。
間違いなく、抜けている。
それなのに――
回道の胸は、不思議とざわついていた。
現実のはずなのに、現実感がない。
だが、夢だと切り捨てるには、さきほど見た光景が鮮明すぎる。
(これ……来たんじゃないか?)
心臓が、少し早く打つ。
長い間、退屈だと感じていた世界が、
突然、別の色を帯び始めた感覚。
語らずとも分かる。
今、自分は高揚している。
――まるで、物語の主人公みたいに。
男は椅子に深く腰掛け、回道の方を見て柔らかく笑った。
???「びっくりしたよね。普通、腰抜かすか逃げるかだからさ」
回道は一瞬言葉に詰まるが、視線を逸らさず答える。
回道「……普通じゃないのは、あれの方ですよ」
男は一瞬きょとんとし、次の瞬間、声を出して笑った。
???「ははっ! 確かに!」
その笑顔を見て、回道は確信する。
――この人と出会ったことで、
自分の“普通”は、もう元には戻らない。
それが恐怖ではなく、期待として胸に広がっていることに、
回道自身が一番驚いていた。
???「失敬! 名前まだだったね! 俺の名前は十神 泪。この道十年のベテランなんだよ?」
回道「自分で言うんすか……」
十神「いいじゃん。かっこよくてさ」
他愛もない話をしたあと、十神が告げる。
十神「もう君は、こっち側の人間だよ」
回道「え?」
十神は目を凝らす。
十神「人間も、さっきのアイツみたいな力を使うことができるの、知ってる?」
回道「いや、知らないです」
十神「妖力ってのがあるんだよ。人間の外側や空気中とか……まぁ、至る所に混在してるのが妖力ね」
回道「妖力……」
十神「俺たちはその力を使って戦っているんだ。想像するんだ。物を――自分が作りたいものを思い浮かべて、妖力を集める。粘土をこねるイメージで、作り出す」
そう説明しながら、十神は実演する。
空中に妖力が集まり、形を成していく。
鎌が作り出された。
回道「す、すげぇ……」
十神「妖力は人によって含有量が違うからね。多ければ多いほど、作り出せるものは強くなる」
回道「ほう……」
短く相槌を打ちながら、回道は無意識に自分の手のひらを見つめる。
そこに何かが宿っているとは、まだ実感できない。
十神「そして――これが一番重要だ」
少しだけ声色を落とし、十神は指を一本立てる。
十神「霊力!」
回道「霊力?」
聞き返すと、十神は満足そうに頷いた。
十神「どんな人だろうと霊力は持ってる。例外はない」
十神「霊力は炎みたいな性質を持っててな、生きてる間は体の奥で静かに燃えてる」
十神「で、死んだ瞬間――その保有してた霊力が全部、体の外に放出される」
回道「……全部?」
十神「そう。残らずだ」
十神「魂はその霊力で火葬されて、燃え尽ききらなかった“魂の残り”が――霊って存在になる」
回道「それが、どうしたんですか?」
十神「妖力は“物の具現化”に使う力だ」
十神「そして霊力は――自分の身体そのものを強化するための力になる」
回道「え、でも……燃えちゃうんじゃ?」
素直な疑問だった。
さっき聞いた話が本当なら、霊力は魂を焼く炎だ。
十神「全部出す必要はないんだよ」
十神「魂が燃え尽きない量だけ、外に出してやる」
十神「言ってみりゃ、火事にならない程度に火を分ける感じだな」
回道「……どうやって?」
十神「簡単さ」
十神「炎を閉じ込めてる“栓”を――こじ開けてやるんだ」
軽い口調とは裏腹に、その言葉だけが妙に重く響いた。
一瞬、空気が止まった。
沈黙が落ちるよりも早く、回道は動いていた。
椅子を引く音も立てず、鞄をひっ掴むと、そのまま踵を返す。
回道「じゃあ! 帰ります!」
妙に明るい声だった。
未練も躊躇も見せず、まるで最初からそう決めていたかのような潔さで、出口へ向かう。
――その胸中では、まったく別の声が響いていた。
(師匠を取らずに強くなる主人公も、いる!)
口元が、わずかに緩む。
誰にも見えない位置で、回道は小さく拳を握り、心の中でガッツポーズを決めていた。
選ばれなかった? 違う。
“自分で選んだ”だけだ。
その背中を見て、十神は完全に焦った。
(え、帰るの!?)
もっと食い下がってくると思っていた。
泣き落としでも、必死な懇願でもいい。
それを軽くあしらってやる――そこまで含めて想定していたのだ。
だが、回道は振り返らない。
未練の「み」の字もなく、主人公然とした背中で去ろうとしている。
十神「ちょ、ちょっと待て待て待て!」
思わず声を張り上げる。
自分でも驚くほど、余裕のない声だった。
(え、なんで俺の方が追いかけてんだよ……!?)
十神は内心でそう悪態をつきながら、慌てて回道を呼び止めるのだった。
回道は足を止め、素直に振り返った。
先ほどまでとは違い、表情は驚くほど落ち着いている。
回道「どうしました?」
その一言が、十神にはやけに刺さった。
まるで最初からこうなると分かっていたかのような、余裕すら感じさせる声音。
十神は一度、言葉を飲み込み――そして勢いに任せて叫ぶ。
十神「弟子! 取ってやるから帰るな!」
言ってしまった。
完全に言ってしまった。
(あぁもう! なんでこうなるんだ俺は!)
内心で頭を抱える十神とは対照的に、回道の反応はあまりにも早かった。
回道「ほんとですか!? ありがとうございます!!!」
さっきまでの無欲な態度はどこへやら。
一瞬で表情が弾け、声は裏返るほど明るくなる。
(え、喜ぶの早っ)
十神は一歩引きつつも、その反応を見て妙な納得を覚えた。
――あぁ、こいつは。
遠慮も疑いもなく、ただ一直線に“物語”を信じるタイプだ。
十神「……言っとくけど、楽じゃないからな?」
回道「承知の上です!」
即答だった。
その目は、期待と高揚で輝いている。
十神は小さく息を吐き、苦笑しながら呟く。
十神「……とんでもないの拾っちまったかもな」
だが、その声色には――ほんの少しだけ、楽しそうな響きが混じっていた。
翌朝。
ちょうど学校が休みだった回道は、まだ人通りの少ない時間帯に家を出た。
胸の奥が妙にざわついている。落ち着かないのに、不安はない。
昨日の出来事が夢ではなかったと確かめるように、足取りは自然と早くなっていた。
待ち合わせのカフェに着くと、見覚えのある細身の男がいる。
壁にもたれ、気怠そうな表情――間違いない。
回道「……いた」
声には出さず、小さく呟く。
十神は回道に気づくと、軽く手を上げた。
十神「お、早いじゃん。初日から遅刻はなし、偉い偉い」
回道「約束しましたから」
そう言うと、十神は満足そうに頷き、入口を顎で示す。
十神「立ち話もなんだし、中入ろう。今日はな、基礎中の基礎を叩き込んでやる」
回道の表情が僅かに引き締まる。
遊びではない、という空気を自然に感じ取っていた。
二人は店内に入り、いつもの席らしき場所に腰を下ろす。
十神は慣れた様子でカウンターに向かって声を張り上げた。
十神「マスター! いつもの!」
即座に返ってくると思っていた返事は、少し間を置いてからだった。
マスター「あんた……何飲んどった?」
一瞬、空気が止まる。
十神は目を瞬かせ、次の瞬間、頭を掻きながら苦笑した。
十神「あちゃぁー! まだ二回来ただけじゃ常連扱いされねぇかぁ!」
その様子を見て、回道は思わず口元を緩める。
昨日の戦う姿と、今の間抜けな姿。その落差が、妙に現実感を伴って胸に落ちてきた。
(……この人、やっぱり不思議だ)
だが同時に思う。
この人について行けば、本当に“向こう側”へ行けるのだと。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本話は「回道 丞」という人間が、“普通”の世界から一歩だけ踏み出す瞬間を描いた導入編でした。
天才でありながら退屈に世界を眺め、主人公を演じることで自分を保ってきた回道が、
初めて“演じなくていい舞台”に立たされる。
そのきっかけとして現れたのが十神という存在です。
強さも胡散臭さも、頼もしさも抜けているところも全部本物。
だからこそ回道は惹かれ、そしてあっさり人生の舵を切ることになります。
弟子入りのくだりが軽く見えるかもしれませんが、回道にとっては
「面白そうかどうか」それだけで十分だった、という描写でもあります。
この先、回道は“転生しなくても最強”というタイトルを、
皮肉でも夢でもなく、現実として証明していくことになります。
その第一歩が、この何気ないカフェから始まった――
そう思っていただければ幸いです。
次話では、いよいよ訓練と能力の片鱗が見え始めます。
引き続き、お付き合いいただけましたら嬉しいです。




