第5話 結婚は理不尽に、唐突に
眩い光に包まれたその場所は、この世のものとは思えない程に輝いていた。
広いホールに沢山の人々。そこにいる全ての人が美しく着飾り、この日に賭けているようにさえ見えてくる。それともこれが王都の貴族達の日常なのだろうか。入口で固まっていると父が困ったように小さく笑い、添えていた腕を軽く引いてきた。
「驚くのも無理はないけれど、その口は少し閉じた方がいいかもしれないな」
とっさに緩んでいた口を引き締める。オペラグローブを付けた指先が小さく震えているのが自分でも分かった。父は慣れているのか平然とこの綺羅びやかな人々の中に向かって進んでいく。
「今日はいらっしゃると伺っていたんだけれどな」
「どなたかをお探しなの?」
「ベルトラン侯爵の……」
「ベルトラン侯爵がいらっしゃるの? 私もご挨拶した方がいいわよね?」
「そうだね、もしいらしたらね」
カトリーヌは不安な気持ちを抑えてホールの中央に集まっている同じ年頃の令嬢達の元へと近付いて行く。フカフカの絨毯は練習してきたとはいえ慣れていないヒールとの相性は最悪で、自然と足取りはゆっくりになっていった。
「後ろが閊えているのだからもっと早く歩いて欲しいわ。それともわざとそうして男性の目に留まろうとしているのかしら」
小声で耳元に届いてきた言葉に驚いていると、更に後ろからドレスの裾を踏まれる。三人の令嬢達がクスクスと笑いながら通り過ぎて行くが、カトリーヌにはその令嬢達が一体どこの家の令嬢なのかもさっぱり分からなかった。
令嬢達は自分の立つ順番が分かっているようで、高位の家柄の令嬢には順番を譲りながら国王陛下が現れるであろう上座に向いて並んでいく。どの場所に立っていていいのかも分からず抜かされるままに狼狽えていると、不意に後ろから声を掛けられた。それは控えめで可愛らしい声だった。
「あの、失礼ですが、モンフォール伯爵家のカトリーヌ様でいらっしゃいますか?」
後ろに立っていたのは赤みの強い茶色の髪のお淑やかな令嬢だった。ドレスはカトリーヌとお古のようだったが身体に合っているサイズは美しく、所作の全てが儚げで守ってあげたくなるような動きだった。
「私は男爵家のジェニー・シュミットと申します」
まさか王都で自分を知っている者に出会えるとは思いもせずに立ち尽くしていると、そのご令嬢は顔を真赤にして俯いてしまった。
「カトリーヌ様は私の前にお立ち下さい」
「ありがとうございます。でも、他の方々は……」
気がつくと他の令嬢はすでに並びきっており、最後の二人になっていたカトリーヌ達も慌ててその後に並んだ。これ以上話す訳にもいかずに聞きたい事をぐっと飲み込むしかなかった。
階段の奥、高くなっている場所の後ろにある重厚なカーテンが上がり国王両陛下が現れる。初めて見た王族の姿に呆気に取られていると、周りから一斉に衣ずれの音がした。令嬢達はドレスは美しいカーテンシーを披露している。カトリーヌも慌ててドレスを摘んだ。とっさの事でもつれた足はドレスの中で無様な格好になり汗が一気に吹き出していく。国王陛下が成人の儀に相応しい祝いの言葉を口にしている間もずっと、ドレスの下で足は悲鳴を上げそうだった。
もう限界かと思われたその時、国王陛下のお腹に響く低い声で立ち上がるよう指示があった。ようやく妙な格好から解放されたカトリーヌは安堵の息を吐いた。
「あのお二人は子爵家なのですが、もう並んでしまっていては仕方がないですね」
順番に国王陛下に挨拶をしていく中、先程声を掛けてくれたジェニーがぽそりと呟いた。一人、また一人と国王陛下への挨拶を済ませた者達がホールに向かっていく。事前に頭に叩き込んできた事と、前の令嬢達の姿を見様見真似で、なんとか両陛下への挨拶を済ませる事が出来た。最後の方だったカトリーヌとジェニーは挨拶後すぐにダンスホールへと移動しなければならず、話す間などない。
ここでもカトリーヌは一人きりの寂しさを味わう羽目になっていた。皆最初から事前にダンスの相手を決めていたようで、そこにも家族と自分の準備不足に腹が立ってしまう。しかし母の言葉を思い出してみると、会場内で相手を見つけろという事にも取れる。頭が真っ白になりながらカトリーヌは慌てて周囲を見渡した。すると、気怠そうに壁に背を付いている一人の男性に目が止まった。年上だろう青年は誰かの兄かもしれないし、付き添いかもしれない。しかしダンスホールに入っていないという事は、少なくとも約束している相手はいないのだと思った。
迷っている暇はない。もうすぐ曲が始まってしまうという焦りと母の言葉が頭を占めていた。カトリーヌは真っ直ぐに壁に背を付いている青年の前に行くと、金色の瞳が驚いたように見開いた。
「お寛ぎの所恐れ入りますが、私とダンスを踊って頂けませんか?」
辺りがしんと静まった後、周囲がざわめき出す。
――何? 私何か間違えた?
女性からダンスを誘っても問題はないはず。だとしたらこの青年が原因なのだろうか。カトリーヌは恐ろしくなり、無意識に半歩下がった時だった。
「美しいレディからのお誘いを断る理由はないよね」
そう言うと最初は驚いていた青年がすぐにふっと目元を緩めて笑った。その美しい容姿に不覚にも心臓がぐっと掴まれたように苦しくなってしまう。
――誘う相手を確実に間違えたわね。
会場内の光か青年が放つ華やかな雰囲気のせいか、眩しくて相手の顔が見えない。焦っていたとはいえ、激しい後悔が頭の中を占めるのと同時に、今更差し出された手を断るという選択肢はもはやなかった。
「踊りきるのよ。それで帰れるんだから」
ボソボソと言い聞かせるように呟きながらダンスホールに進んでいくと、視界の端に驚いたままこちらを見ているジェニーが一瞬見えた気がした。
「……なるほど、この調子だと結婚の話は流れそうだな」
会場の隅で事の成り行きを見守っていたアルベルトは、そっとその場から離れた。
「副団長どちらへ?」
デビュタントが行われている会場の警備に当たっていた騎士は、会場内から出てくる騎士団副団長に声を掛けながら首を捻った。
「笑っていた? 珍しい事もあるもんだ」
一曲だけだが不慣れなダンスの疲労は凄まじいもので、いかに今まで貴族として怠けていたのかがよく分かる散々な夜だった。丸一日疲れと筋肉痛で起き上がれなかった。
勢いよく扉が開く音がする。重たい顔を上げて扉の方を見ると、立っていたのは顔を真赤にした母だった。
「カトリーヌ! よくやったわ! さすが私の子ね!」
訳が分からないまま毛布の上から力一杯抱き締められる。
「お母様一体どうしたの?」
「ああなんて良い子なの!」
更に頭が混乱してしまい身を捩ると、母は名残惜しそうに身体を離した。
「今社交界はあなたと第二王子の話題で持ちきりらしいわよ!」
「誰と、誰のですって?」
「あなたよ! 私の娘カトリーヌと第二王子のフィリップ殿下よ!」
ようやく事態を理解したカトリーヌは母の手を掴んでいた。
「嘘よね?」
「デビュタントの夜に第二王子とダンスを踊ったらしいわね! この知らせをいち早く伝えに来てくれた方がいるのよ。あなたもすぐに支度して下に降りてらっしゃい。すぐに準備するのよ!」
手早く身支度を整えて一階に下がっていくと、応接間で母と談笑していたのは、デビュタントの夜に声を掛けてくれた男爵家のジェニー・シュミットだった。
結局広いダンスホールの中でジェニーを見つける事は出来なかった。それに何故か焦った父に会場から連れ出されてしまったのだった。
ルドルフは出迎えてくれた当日以降、一日毎に屋敷を訪れていた。屋敷にはモンフォール家から連れてきた使用人達の他にベルトラン家が寄越している使用人達もいる。二つの家の使用人達が衝突する事なく互いに上手くやっていけているのは他でもないルドルフのおかげなのだろう。
「ジェニー様、先日は色々と助けて下さり本当にありがとうございました。よく我が家の場所が分かりましたね」
「押しかけてしまい申し訳ございません。ですが私心配になってしまって」
ジェニーは所在なさげに視線を動かしながら、言いにくそうに話し始めた。
「カトリーヌ様が第二王子にダンスを申し込まれた時は本当に驚きました」
「……先程母に言われて衝撃を受けていた所です」
「と言いますと、まさか第二王子だとはご存知なかったのですか?」
「もちろんです! 無駄にキラキラしているなとは思いましたけど、まさか王子だとは思いもしませんでした」
その瞬間、クッと誰かが声を我慢した音が聞こえた気がした。
「でも、あそこに集まっていた方々はそうは思われなかったようです」
「そうですよね」
あの後も会場に残っていたらと思うと背筋がゾッとする。今なら父親にすぐ会場から連れ出された理由がよく分かった。
「第二王子はご結婚はおろかご婚約者もお持ちではないのです。末端の貴族である私に詳しい事は分かりませんが、そのようなお立場を貫く第二王子が王家とベルトラン侯爵家のご庇護の元にあるモンフォール伯爵家のご令嬢からのダンスを受けたのですから、あらぬ噂が飛び交い始めまして……」
「つまりはこういう事よ! あなたは第二王子が見初めた女性になったという事なの。絶対にこの機会を逃しては駄目よ!」
「こらこら、娘になんて事を言うんだ」
応接間に入ってきたのは帰宅した父親だった。ジェニーを見つけると優しそうに微笑んだ。
「久しぶりだねジェニー。元気だったかい? デビュタントでは娘の力になってくれてありがとう」
「私の方こそカトリーヌ様にお会いできるのを楽しみにしておりました」
何も分からぬまま会場に放り込まれたも同然のように感じていたが、父の口振りからジェニーに手助けをお願いしていたのだろう。だとすればあの時探していたのはジェニーの事だったのだろうか。
「お二人はお知り合いですか?」
「どうか敬語はお止め下さい。私はカール・シュミットの妹です」
「はぁ、そうですか」
「カールですよ、カトリーヌ様」
「そのカールというお方は皆ご存知のお方なのですか? 申し訳ありません。私はまだ王都に来たばかりですので、貴族子息には詳しくなくて……」
「カールだよカトリーヌ。モンフォール家にずっと仕えてくれているあのカールだ」
父のいたずらっぽいその表情に破顔していく。カールが男爵家出だという事も、妹がいたという事も何も知らなかった。驚いているのも束の間、父は顔の緩みを引き締めてジェニーを見た。
「すまないがこれから重要な家族会議があるんだ。席を外してくれるかい? そして出来ればまたこうして訪ねてきてくれると、妻もカトリーヌも良い息抜きになると思うんだがお願い出来るかな?」
ジェニーは嬉しそうに返事をすると、部屋を後にした。
ジェニーが座っていた場所へ代わりに父が座る。そして小さな溜息を吐いた。
「実を言うと、第二王子との噂は今我が家にとっては好ましくないんだよ」
「そろそろ婚約者がいてもいい年頃よ」
「いやいや大問題だよ。実はね、カトリーヌにはすでに婚約者がいるんだ」
「「なんですって?!」」
母と声が重なる。
「ベルトラン侯爵家の嫡男であるアルベルト・ベルトラン様だよ」
カトリーヌはその場でよく立ち上がらなかったと思う。我ながら比較的冷静だったのは、何を隠そう隣りで取り乱した母がいたからだった。
「あなた正気なの!?」
「何度かお会いしたがとても硬派な青年だよ」
すとんと放心したようにソファに座った母を不思議に見ながら父の次の言葉を待った。
「アルベルト様は騎士団の副団長をされておられるんだ。確かご年齢はカトリーヌより七歳程上だったかな」
「それなら今までご婚約はされておられなかったの?」
「騎士団の仕事に専念されたいという事でご結婚は考えておられなかったようだね」
「それなのに私と結婚するの?」
すると父は固く組んでいた手を握り締めてきた。
「何もすぐに結婚という訳じゃない。まずはモンフォール領の復興に力を入れなくてはならないしな。お前達の結婚は二年後に決定したよ。それまでは二人で時間を作って信頼関係を育んでいくといい」
しかしアルベルトとの顔合わせの日程が整う事はなく、何度手紙を出してお茶会や外出に誘っても、忙しいのでまた今度という内容の返事と時折花束がルドルフ経由で届くだけだった。




