85.慈愛の信徒②
「ほらここ!綺麗だろ!」
そう言って明光くんに連れてこられたのは、穏やかな川が流れる渓口だった。透明な水がチョロチョロと下っていくのは、確かに綺麗だ。
「本当だ。凄い。」
「だろ?ここ涼しいし、オレのお気に入りなんだ。」
彼の言う通り、此処は歩いてきた道よりも涼しい。なんだか気分も落ち着くので、ゆっくりしていこうかなんて気持ちになる。それは他のふたりも同じなのか、立ち止まって場の空気に身を任せていた。
そして自然に、リザベラ先輩が口を開く。
「アキミツくんは普段、何してるの?」
「え?うーん、修行だな。」
「修行?なんの?」
「仏様になるためのだ。村のしきたりだからな。」
明光くんの言葉に、ふと考える。仏様になる、ということは即身仏になるということなのだろうか。知っている限りでは、即身仏になるには過酷な断食と死が待っている筈。
彼は本当にそれを受け入れているのか。これ程、幼い少年だというのに。
「………仏様になるって、具体的にはどうするの。」
「飲まず食わずで瞑想して、土の中に埋められるんだ。…………オレもそろそろだからな。心の準備をしないと。」
「…………。」
どうやら俺の考えは当たってしまったようだ。やはり仏になるというのは、即ち死することに相違ない。だと言うのに、明光くんは頭の後ろで手を組んであっけからんとしていた。
本当に、それで良いのか。そんな無責任な言葉が脳裏をよぎる。しかし、口にすることは出来ない。彼の話からして、それが村のしきたりなのだから、当然なのだ。部外者である俺がどうこう言えやしない。
だが、リザベラ先輩は違った。彼女は悲しそうに目尻を下げて問う。
「………アキミツくんは、ホトケさまになりたいの?ほんとうに?」
僅かな沈黙。水が流れる音のみが、空間には木霊する。
やや経ってから、明光くんは絞り出すように声を出す。
「…………そりゃあ、怖いけど。でも、村の決まりだから、文句なんか言えないだろ。………お兄さん達は、死んでるからそういうしがらみないかもしれないけどさ。」
「………………アキミツくん……。」
「オレは納得してんだ!そーいうもんだって思ってるから!………ただ、いつか生まれ変わって普通に生きたいな、なんて…。」
明光くんは寂しそうに笑いながら言う。彼は幼いながらも自身の役目を悟り、受け入れているのだ。
俺は彼にかける言葉が見当たらなかった。彼の言う通り、俺達にはこの世界のしがらみなんてない。だから、軽々しく意見なんて出来ない。
静かな空間の中で明光くんは、ぱっと顔を上げると元気に言う。
「あー、修行の時間だから行ってくる。またな!お兄さん達!」
「…………………うん。気をつけてね。」
走り去る彼を引き止めることなく、手を振ってお別れをした。残ったのは、沈黙を貫いているリザベラ先輩と俺だけだ。
彼女が今、何を考えているのか。正確には分からないが、ほんの少しは予想できる。リザベラ先輩は神に好意的だった。家族になりたいとさえ言っていた。そんな相手が、仏として死に向かうなんて納得したくないのだろう。
つい、静かすぎる空気に耐えられなくなって口を開く。
「リザベラ先輩は、どうして神様が好きなんですか。兄になってほしいって思ったきっかけとか、あるんですか。」
「………………かみさまはね、あたしの話をちゃんと聞いてくれたの。……パパもママも、あたしの話に興味なんてなかったけど、かみさまは違ったの。あたし自身を見てくれたの。」
「…………そっか。」
彼女の話を聞いてもなお、俺は神を好きにはなれない。彼の影響で呪われ、苦しんだ人の存在があるからだ。
それでも、非人道な面ばかりではないのかもしれない、とは思えた。勿論、敵対することは厭わないが。
リザベラ先輩は話し終えると、目を瞑る。彼女は己の内で何かに対する答えを得たのか、深く頷き俺の方へと向く。
「お兄ちゃん。あたし、アキミツくんをここから逃がそうと思う。」
「え?」
「あのままじゃ、アキミツくんは神様にされて、縛られちゃう。あたしは、そんなの嫌だ。アキミツくんには普通に暮らしてほしい。」
『慈愛の信徒』は、そう結論づけた。一人の少年を、掟から逃すと。




