60.離心の呪い
「……俺の、せいで…。すまねぇ、ヤシキ、フィル…。」
ハインセさんはその言葉を残して意識を失う。それを見た先生は彼に駆け寄り、体の状態を見る。少し息をついた後、俺を見て先生は言う。
「ヤシキ、貴様はハインセを連れて会議室を出ろ。」
「ならん。」
間髪入れず、先生の提案を拒絶したのは椅子に座っていた神だった。彼は頬杖をつきながら続ける。
「ヤシキ。まだ余興は終わっていないのだ。我は、貴様がここから去ることを許可しない。」
「………主よ、何故貴方様はこのようなことをなさるのですか。」
先生は畏敬の念を込めて、神へ質問をする。どれ程身勝手であっても、相手は神だ。故に、低姿勢なのも頷ける。不満がないわけではないが。
「ふっ。人の子風情が我をはかろうとするな。汝らはただ、信徒として我を崇めれば良い。」
「…………。」
会議室には沈黙が広がる。神は勿論、先生も口閉じていた。どうやら、考え事をしているようだった。もしかすると、教師としての自分と神を信仰する自分がせめぎ合っているのかもしれない。それも無理はない。
俺は信仰心が高い訳では無いが、先生はそういうわけではないのだろう。だからこそ、俺は言う。
「先生、俺は平気です。アイツはわざわざ話をしようと俺を待ってたんです。だから、危険なことはないと思います。それに、」
ひと息、ついて俺は己の意思を示す。ちらりと神を見て、あてつけのように。
「好き勝手やるあいつを一発、殴ってやりたいんです。」
「そう、か………。……………主よ、私は貴方様のお考えをはかるつもりはございません。ですが、どうか彼を危険な目に晒さないで頂けますか。彼は、ヤシキは、私の生徒なのです。」
神へ向き直った先生はやや細くなった声で頼む。これ程弱気な先生は初めて見た。彼は確かに、神への強い信仰心を持っていた、ということなのだろう。
対する神はそっけなく、虫を払うように手を振って告げる。
「用件が済んだのなら疾く去れ。次なる余興があるのだ。」
何と尊大な物言いなのか。俺はつい、神を睨みつける。が、物怖じする様子はない。
先生は俺に目配せをしてから、ハインセさんを抱えて会議室を出る。彼の顔には未だ、己の選択に対する迷いが見えた。しかし、俺にとっては彼の言葉と選択は立派なものに思える。先生は教師として、神へ進言してくれた。
俺は生徒として、それが何より嬉しかった。だからこそ、神を許せない。
「まぁそう睨むなヤシキ。次なる余興がもうじき始まる。」
「お前は、何で俺と話がしたいんだ。話したいことがあるなら、余興なんてくだらないものを見ないで早く言え。」
思わず出た乱暴な口調に、自分でも驚いてしまう。それでも後悔はない。俺は、目の前のこいつが気に食わなくてしかないからだ。
苛立つ俺へ神は答える。
「ふっ。そう焦るな。そうだな…。ひとつ、話をしよう。」
足を組み直しながら話を続ける。
「汝らは、呪いを神に見捨てられた故にかけられるものだと解釈しているようだが、それは間違いだ。」
そこで俺は気づく。こいつは確か、ハインセさんの二心の呪いを授けたと言ったのだ。それはつまり、見捨てたからというより、その人を見出したから呪われたということなのか。
「呪いは神託の力と同じようなもの…ってこと…?」
「…………神託の力か…。あの女狐の力と同等にしてほしくはないな。」
神は突然、不機嫌になる。その物言いでは、目の前のこいつは神託の力を授けた神ではないということになる。
いや、考えてみれば分かる。何せ、神託の力を貰った時に聞こえた声は女性のものだった。それに、転生した時に出会ったのも女性の姿をした神だった。
湧き出た疑問を口にしようとしたが、神は話題を変えてしまう。
「さて、我が授けた呪いだが、汝は二心の呪い以外も知っているのではないか。」
彼の言葉で思い出す。そうだ、俺はあと一つ呪いを知っている。それは、クロンスさんにかかった呪い。周囲が彼女へ嫌悪感を抱くようになってしまう呪い。
だが、何故神は今、そんな話を始めたのだろうか。嫌な考えが頭を掠める。否定をしようにも、愉快げな神の顔が俺の予感をさらに強めていく。
「教えてやろう。汝の知る呪いの名を。その名は離心の呪い。ある人の子に授けたものだ。」
その言葉と共に、会議室へと来訪者がやって来る。今、最もこの場に来て欲しくなかった人物だ。
「きゃっ!」
その人は、クロンスさんは、何者かに突き飛ばされていた。かと思うと、苦しそうに顔を歪める。原因は単純で、首に蛇が巻きついているからだ。
それをしている生徒、エリーさんは叫ぶ。
「クロンスちゃん!ごめんなさいごめんなさい!アタシ、アタシ、」
「2人とも…!?一体、何が、」
そう言いかけて、俺はすぐにクロンスさんの近くへ行く。そして彼女の首に巻き付く蛇を取り払おうとした。その瞬間、俺の拳は彼女の頬を思い切りぶつ。
「は…?俺は、なに、を、」
殴られた拍子に蛇は外れたが、クロンスさんの体は倒れ込む。俺はどうして、彼女を殴ってしまったのか。そもそも、どうしてエリーさんはクロンスへ蛇をけしかけたのか。疑問に答えるように、神は高らかに言う。
「これこそ離心の呪いの効果!汝らはその女を意識の裏で嫌い、息の根を止めんとするのだ!何とも面白いだろう!」
頭の中には喧しい声がこだまする。あぁ、俺は何処かで思っていたんだ。クロンスさんの呪いは俺には効かなくて、いや、呪いが効果を見せることなんてなくて、ずっと楽しく友人としていられるんじゃないかって。
でも、そんなこと、ある筈がなかったんだ。
クロンスさんをぶった拳は痛む。
視界には倒れ込むクロンスさんと苦しむエリーさん。そして、そんな状況を楽しむ神の姿があった。




