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月の巫女  作者: 緋西 皐
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 闇夜の意味が日か叢雲かわからない夏の夜を歩いていた。灰色の電柱と真っ黒なコンクリート、昼より息の広い家の間の歩道。そんなところを俺はセブンイレブンの最近安くなったらしいビニール袋をぶらさげ、長方形のアイスを舐めていた。

 気分は至って良好だ。先ほどコンビニに屯していた何人だかわからない不良を見たらたまたま目が合って「あ? なんだ、お前」と流暢に言われても、どうでもよくスルー出来た。変に歯向かわなかったくらいには自分は大人な気分だった。

 これも俺はこのニ三カ月の夜、そうではなかった。言ってしまえば俺のほうが不良みたいなことをしていた。さっきのあれと同様に近い、クラスで代表ずらしたうるさいやつに「耳を切れ」とハサミを渡され、拒否したら掴みかかってきたので、自己防衛のために、その勢いそのままにそのハサミを奪ってそいつの目に刺してしまった。どう考えてあいつらが悪いのに、学校は血を毛嫌いして俺を停学処分にした。

 親からは随分と叱られたものの、俺が学校でどういう境遇になっていたかを知ったらもう何も言わなくなった。それは学校も同じ。とにかく俺はこれからの半年を静かに過ごすようにと命令された。

 つまりは四六時中部屋か家に閉じこもっていろと言うことだった。それもさすがに二週間も経つと飽きて、どうしようもなくむしろ苛立ってしまったから、こうやって夜はひとり抜け出すようになった。それも最初、親から説教をくらったものの、何度逃げ出しても何も起こならないことがわかって、あちらも気疲れしたらしい、何も言わなくなった。心細くも幼くも、俺はどこか見捨てられた気がして、気落ちした。

 今の時代、どこを見回しても自己主張の強いものばかり。自分を見てほしいと叫び、そのために誰かを批判する人間ばかり。あのうるさいやつも不良もだいたいはそうだった。そのせいか際立って、見回せばもう一つ、無言の聴衆ばかりだった。とにかく平穏に過ごしたい、その為に鑢で身を削るように、多少は失っても構わないと弱音ばかり。親と学校のことだ。俺はその板挟みにされて、もううんざりしてしまった。たしかに暴力はいけないが、仕方のないことだってあるだろう。

 今宵の夜はそういう妥協で弧を描きたくなるほど寂れた夜だった。足りない雲をこの感情を代わりにして、その雲で円を作れば、月が出てきそうな間ができそうだ。それくらいに暇な夜でもあった。


 そうしているうちに気づけば公園まで歩いていた。虫が夏の鳴き声をして、それを「うるせえ」と喚くベンチのホームレスがいた。それを過ぎて行くと若い女性が毛玉のような子犬に引っ張られて散歩していた。俺はそれに吠えられて煙たがった。若い女性に「ごめんなさいね」とやや不審そうに見つめられたのを、逃げているとやけに虫の集る電灯にぶつかった。ぶつかった甲高い金属音が上にいた虫を俺のほうへ呼び寄せてきたから、俺はとにかく逃げた。

 それで気づけば公園の池の周りを三周ほどしていた。残ったのは俺と汗ばみばてた嫌な身体だけだった。一体俺は何をやっているんだろう。ほとんど溶けきったアイスが靴に垂れて気持ちが悪い。これだけ不運ならばとツキを当てにしてその棒を見れば、もちろん何も書いていない。やっぱり自分には運が無いらしい。

 こんな俺を可哀そうに思ったのだろうか、どこからか蛍が棒に寄って集って、光の色をした――いいや、違うらしい。舐めてみてもなんの味もしなかった。それに蛍が後ろから糸を出すわけがない。糸の線は集まっているから面として、また揺らぎ、川のようになっていた。それが空へ、真っ暗な空から伸びていた――妙な眩しさが俺を染めていた。あれは満月だった。


 「あれ、今日は月が出ないんじゃなかったっけ? うわっ!」


 手すりにまで寄って、寄りすぎて、変な空に気を取られていたから池に落ちてしまった。運悪く淀んだ池の満月のど真ん中に。頭からどっぷりと、夜のせいでわからない、それゆえに綺麗だと錯覚できた池の汚い水にどっぷりと。それが鼻と口から入ってきて変な味を促してきて、不快、不快だった。だから俺はさっさと池から出ようとしたのだが――その水面へのクロールはこの池のものではなかった。この池がこんなに深いわけが無いのは地元の俺が一番知っているのだから間違いない。そうでも息継ぎできないから俺は水面を目指し、顔を出した。


 「ぷはぁ! あの月め!」


 と慣れない立ち泳ぎで俺をここへ落とした月へ文句を吐いた。吐いたその声を不快な羽音が掻き消した。俺のすぐ上を何百匹もの蟲が飛び去っていった。これだから夏は嫌なんだ。

 ともかくと泳ぎ、池から出た。びしょ濡れの俺の体と同じく、手に握ったままの棒もずいぶんと穢れたものだった。


 「もう何もかも嫌になってきたから家に帰ろう――うわっ、最悪だ」


 散々な思いのままを吐いた途端、電灯の灯りがバキッと消えた。今日は揃いも揃って悪いことばかりが起きる。余計に俺はもうさっさと家に帰って寝たくなった。この不吉な今日という日を終わらせたくなった。

 こうして俺のどうでもいい夜がまた過ぎた。びしょ濡れになって色々面倒だったが、そんなのもさっさと忘れてしまいた夜だった。いくつもある日常の適当な夜ならば忘れられると、こんなのも普通な一つならどうってことないと。しかしこの帰路の羽音は無視しても気味悪く騒めいて、それから夜は蟲が止まなくなった。普通だと忘れようとした夜が実際に普通になってしまった。

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