第十章:湖畔の姫君と盤上の遊戯
【前回のあらすじ】
松本城の天守・松本 剛の圧倒的な武力に一度は敗北する2人。国宝級の天守の実力に驚愕する和真だが、起点とコンビネーションでなんとか一矢報いることに成功した。
テンシュリアの異変が大きくなるなか、旅はクライマックスへと進んでいく…
松本城の天守・剛から餞別として与えられた駿馬は驚くほど健脚で、険しい信州の山々を着実に越えていった。眼下に広がる景色は、厳しい岩肌から緑豊かな丘陵地帯へと移り変わっていく。目指すは近江・彦根。巨大な湖のほとりに建つという美しい城だ。
旅路を覆う異変の影はますます色濃くなる一方だった。山中では天候が目まぐるしく変化し、視界を奪うほどの濃霧が頻繁に発生した。谷筋では奇妙な幻聴や幻覚に悩まされ、土地の力が乱れていることを肌で感じる。
道中に立ち寄った集落では、人々が口々に不安を語った。
「最近この先の峠道で、妙な幻を見るという者が増えているらしい」
「存在しないはずの村が見えたり、亡くなったはずの家族の声が聞こえたり…」
「夜になるとどこからか美しい笛の音が聞こえてきて、気づくと道に迷っている…」
異変は人々の生活のすぐそばまで迫り、じわじわと心を蝕んでいる。和真はその現状を目の当たりにするたびに、自身の旅の意義とその先に待つかもしれない結果について深く思い悩まずにはいられなかった。
彦根の地が近づくにつれて、恭子の様子に明らかな変化が見られるようになった。普段の快活さは影を潜め、口数が減り、何かを警戒するように周囲を見回したり、不安げに唇を噛んだりしている。
「キョウコさんどうしたんだ? さっきから様子がおかしいけど」
馬を並べて走りながら和真は心配して声をかけた。
「えっ? あ、ううん、なんでもないよ!」
恭子は慌てて笑顔を作ったが、その目は泳いでいる。
「なんでもないって顔じゃないだろ。彦根に近づきたくないような…そんな顔してる」
和真が問い詰めると、恭子は観念したようにフゥッとため息をついた。
「…もう、カズマは鋭いんだから。うん、まあ、ちょっとね…」
恭子は言い淀みながらも意を決したように口を開いた。
「実は…彦根の天守・彦根 桔梗さんのこと、私知ってるんだよね…」
「え、そうなの!? どうして黙ってたんだよ?」
「だって!」恭子の声が少し大きくなる。
「あの桔梗さんだよ!? 捻くれてるっていうか、意地悪っていうか、人を試して面白がるのが大好きっていうか! とにかく、一筋縄じゃいかない人なの!…正直、超苦手! 」
恭子は顔をしかめ、心底嫌そうな表情を浮かべた。犬山と彦根は場所が近いこともあって、昔から何度か会う機会があったらしい。
「だから、最初は彦根には行きたくなくって…!とりあえず北(丸岡)に他の天守が居るって聞いてたからそっちに向かったの。あんな食えない相手、旅の最初から相手にしたくないじゃない! 他の天守に会ってこっちも色々経験してからじゃないと絶対丸め込まれるって思ったんだもん!」
「それで黙ってたのか…」
「うん…。別にカズマに隠すつもりはなかったんだけど、なんか言い出しにくくて。下手に私が情報を与えるより、カズマが自分の目で見て感じた方が何か突破口が開きやすいのかな、とか考えて…」
恭子の説明は、彼女の性格を考えれば理解できなくもない。だが和真には、まだ何か釈然としないものが残った。ただ苦手なだけではない、何か別の理由が隠されているような…。しかし今はそれ以上追及しても仕方がないだろう。
(キョウコさんがこれだけ警戒する相手…相当な食わせ物なんだろうな)
和真は気を引き締め直し、目の前に広がり始めた巨大な湖とその湖畔にそびえる美しい城へと視線を向けた。
この世界でも『琵琶湖』と村人たちは言っていた。その広大さは湖というより海に近い。湖畔に建つ彦根城は、その水面にも姿を映す美しい城だった。白亜の天守閣は優美で、幾重にも連なる多聞櫓や複雑に配置された堀が城全体の景観に見事な調和と深みを与えている。
その完璧な美しさの中にも、やはり異変の影は忍び寄っていた。湖の水面が不自然に波立ったり、城の周囲に漂う空気がどこか淀んでいるように感じられたりする。城は美しいガラス細工のように、どこか脆く、張り詰めた空気を纏っているように感じられた。
城門へと向かうと、そこには雅やかな紫色の装束を纏った衛兵たちが涼やかな顔で控えていた。松本の武骨さとは対照的だが、その洗練された立ち居振る舞いには一切の隙がない。彼らの目は穏やかに見つつも鋭くこちらの内面まで見透かそうとしているかのようだ。
和真たちが近づくと、衛兵の隊長らしき人物がにこやかに声をかけてきた。
「おや? これはこれは…犬山の姫君ではございませんか。このような湖畔の城までようこそおいでくださいました。久方ぶりに桔梗様の文句を言いにいらっしゃったとか?」
その口調は丁寧だが明らかに恭子を揶揄しており、二人の仲を知っている様子だった。恭子は案の定、むっとした表情になる。
「なっ…! ち、違います! 今日はちゃんとした用件があって来たんです!」
「ほう、そうでございますか。して、そちらのお連れ様は?」
衛兵の視線が和真へと移る。「彼は私の…」恭子が言いかけるのを遮るように、衛兵は続けた。
「ああ!噂の異邦の方ですな。天守核を集めて回っておられるとか。桔梗様もあなた方の噂はかねがね耳にされており、『いついらっしゃるか、楽しみですわ』とお待ちかねでございましたよ」
どうやら桔梗には全てお見通しのようだ。衛兵は優雅に一礼すると「ささ、どうぞこちらへ。桔梗様がお待ちです」と二人を城内へと案内した。
城内は外観の美しさ以上に、技巧と計算に満ちた空間だった。美しい庭園かと思えば巧妙に隠された落とし穴があったり、優雅な装飾に見えるものが実は複雑なカラクリ仕掛けのスイッチになっていたりする。通路も入り組んでおり、案内なしでは確実に迷うだろう。桔梗の性格がこの城の構造そのものに表れているかのようだ。
案内されたのは城の中枢にある、琵琶湖を一望できる雅やかな一室だった。部屋には最高級の調度品が設えられ、高価な香が焚き込められている。その部屋の上座、美しい湖の景色を背にして一人の女性が扇子を片手に妖艶な微笑みを浮かべて座っていた。
艶やかな紫紺の着物。結い上げた黒髪には桔梗の花を模した美しい簪。切れ長の瞳は全てを見透かすように細められ、唇には常に人を食ったような笑みが浮かんでいる。桜のような慈愛でもなく、京のような硬質さでもない。華やかで知的で、そしてどこか底知れない…まるで美しい花に擬態した毒蜘蛛のような、危険な魅力を放つ女性。彼女こそが彦根城の天守・彦根 桔梗だ。
「これはこれは、犬山のじゃじゃ馬姫君ではございませんか。最後に会ったのはいつのことでしたかしら? お変わりなく元気そうで何よりですわ」
桔梗は扇子で口元を隠しながら、明らかに恭子を揶揄するような口調で言った。恭子は案の定カチンときたようで眉を吊り上げる。
「して、そちらの殿方は…天守核を奪い集めているという異邦の泥棒さん、でしたかしら?」
いきなりの辛辣な歓迎に和真は言葉を失った。
「泥棒とは聞き捨てなりませんね! 俺たちは、ちゃんとした目的があって…!」
「目的、ねぇ…」桔梗はくすくすと笑った。
「どのような立派な目的かは存じませんが、わたくしの核も狙っているのでしょう?差し上げても いいですわよ。ただし…」
桔梗の瞳の奥に遊び心と冷徹な計算の色が浮かんだ。
「ただで差し上げるのはつまらないではございませんか。わたくしの用意した『遊戯盤』であなた方の知恵と力、そして”絆の強さ”を見せていただきましょう。もしあなた方がこの『遊戯』に勝利できたなら、私の核は喜んでお譲りいたしますわ」
それは力比べでも精神的な試練でもない。策謀家が仕掛けた知的なゲームへの招待状だった。
「わたくしも最近少々退屈しておりましたの。あなた方がどこまでわたくしを楽しませてくださるか…お手並み拝見とまいりましょう」
「遊戯盤…?」和真が問い返す。
「ええ」桔梗は扇子で口元を隠し、くすくすと笑った。
「この彦根城そのものが、わたくしの作り上げた遊戯盤。あなた方にはこれから、この盤上で『鍵集め』の遊戯をしていただきますわ」
桔梗が扇子を振るう。すると部屋の景色が歪み、二人は城内の薄暗い石造りの通路に立っていた。
「この城のどこかに『三つの鍵』を隠しました。制限時間は、庭の日時計が影を無くすまで…正午ですわね。それまでに三つの鍵を見つけ出し、天守閣最上階にあるわたくしの元へ辿り着くことができたならあなた方の勝ち。天守核でも何でも差し上げましょう。でも、もし時間切れとなれば…ふふっ。残念ですが、あなた方にはこの城の牢で一生わたくしの退屈しのぎの相手をしてもらうことになりますわ。よろしいですこと?」
一方的なルールの宣告。だが、断るという選択肢はない。
「…分かりました。その遊戯、受けさせていただきます」和真は覚悟を決めて答えた。
「では、始め!」
桔梗の高らかな声と共に、知略と策謀のゲームが始まった。
桔梗の仕掛けた「遊戯盤」は想像以上に複雑怪奇だった。物理的な罠もさることながら、幻術による妨害が巧みだった。美しい景色に見惚れていると足元の床が突然抜け落ちたり、正しい道を進んでいるつもりがいつの間にか同じ場所をループしていたりする。
「もう! なんなのよ、この城!」恭子は完全に苛立っている。
「落ち着いて、キョウコさん。焦りは禁物だ。桔梗さんの狙いは俺たちを混乱させることなんだから」
和真は冷静さを保とうと努めながら【解析】スキルで周囲の状況を分析する。
『対象:通路空間。微弱な幻術効果を確認』
『効果:方向感覚の誤認、ループ現象の誘発』
『解除方法:空間に漂う魔力粒子の流れを逆転させる、あるいは幻術の核となる術式を発見・破壊する』
「幻術の核…どこかにあるはずだ」
和真は壁や床、天井を注意深く観察する。すると一見ただの装飾に見える壁の模様の一部が、僅かに違う色をしていることに気づいた。
「あれか…! キョウコさん、あの模様を攻撃できるか!?」
「やってみる!」
恭子は集中し、光の矢を放つ。矢は正確に模様の中心を撃ち抜き、パリンと何かが砕ける音がした。途端に周囲の景色が揺らぎ、正しい通路が現れた。
「よし、幻術は破った!」
しかし安心したのも束の間、今度は通路の先に巨大なからくり人形が立ち塞がった。人形は複数の腕を持ち、それぞれに異なる武器を装備している。
「今度は物理攻撃!?」
「私が相手をする!」
恭子が前に出て防御結界を展開。からくり人形の猛攻を受け止める。その間に和真は【解析】で人形の構造と弱点を探る。
『対象:絡繰戦闘人形(桔梗製)』
『動力源:内部歯車機構及び魔力供給』
『弱点:背面の魔力供給口、関節部分の駆動ギア』
「キョウコさん、背中だ! 背中の蓋みたいなところが弱点!」
「了解!」
恭子は結界で攻撃を受け止めつつ、器用に体勢を変えて人形の背後に回り込むように動く。そして防御エネルギーを凝縮した拳で指示された箇所を強打した。
バキン!という鈍い音と共に、人形は動きを止め崩れ落ちた。
このように二人は互いの能力を補い合いながら、次々と現れる桔梗の仕掛けを突破していく。物理的な罠、幻術、パズル。しかし桔梗の仕掛けはそれだけではなかった。
「あらあら、そちらの道は行き止まりですわよ?」
「おや、そんなところで油断していてよろしいのかしら?」
時には桔梗自身の幻影が現れて嘘の情報で惑わせたり、精神的な揺さぶりをかけてきたりする。その声はまるで全てを見通しているかのように、的確に二人の焦りや迷いを突いてきた。
「くっ…! 性格悪い女め!」
恭子は幻影に向かって悪態をつくが、もちろん効果はない。せめてもの憂さ晴らしとして、幻影とはいえ全力で光の矢を放つ恭子を和真は黙って見守っていた。
「カズマ、見て! あそこに何か紋章みたいなものが!」
桔梗の幻影があった場所に行き止まりの壁があり、そこには複雑な桔梗の花の紋様が描かれている。
「【解析】…! 『仕掛け扉:三つの図形を正しい順番で組み合わせることで開錠』…パズルか!」
和真はこれまでの通路で見かけた壁の落書きや置物の配置などのヒントを思い出し、【解析】も応用して正解の組み合わせを導き出した。扉が開くと、その奥に一つ目の「鍵」が置かれていた。
「よし、一つ目!」
時間は刻一刻と過ぎていく。残り二つの鍵を見つけ、天守閣へ辿り着かなければならない。二人は桔梗の張り巡らせた巧妙な罠と心を惑わす囁きと戦いながら、城の奥へと進んでいく。
二つ目の鍵は戦闘型カラクリ人形を撃破したときに見つけた。和真は【解析】でカラクリ人形の弱点を見抜き、恭子が防御しながら光の矢で打ち砕く。沈黙したカラクリ人形の胸部から鍵が転げ落ちてきた。
残るは一つ。庭の日時計の影は、もうほとんど真上を指している。
「まずい、時間がない…! 最後の鍵はどこにあるんだ…!?」
焦燥感に駆られながら、二人は城の最奥部へと続く巨大なカラクリ仕掛けの扉の前に辿り着いた。扉には鍵穴が三つ。これまでの二つの鍵と、最後の鍵を揃えなければ開かない仕組みだ。
「最後の鍵…一体どこに…?」
和真が周囲を見回し、必死でヒントを探す。その時、ふと自身のポケットに入っている、恭子からもらった犬山城の木札の存在を思い出した。
(桔梗さんは『知恵と力、そして”絆の強さ”を見せていただきましょう』と言っていた。二つの鍵は知恵と力で手に入れた。なら最後の鍵は…もしかして…)
和真はポケットから、恭子の想いが込められた犬山城の木札を取り出した。
「カズマ、それ…?」
「ああ。もしかしたら、これが最後の鍵なのかもしれない」
和真は木札を三つ目の鍵穴に近づけた。もちろん物理的な形状は全く違う。しかし、和真は諦めなかった。
(桔梗さんの仕掛けは単なる物理法則だけじゃない。人の心や関係性…そういうものにも干渉してくる。なら、この扉も…!)
和真は木札に込められた恭子との絆、共に乗り越えてきた困難、そしてこれから共に未来を切り開くという決意を強く念じた。そしてその想いを乗せて、木札を扉にそっと触れさせる。
すると奇跡が起こった。木札が触れた瞬間、扉全体が淡い光を放って複雑な機構が音を立てて動き始めたのだ。鍵穴が物理的な鍵ではなく、特定の「想い」や「調和」のエネルギーに反応する仕掛けだったのかもしれない。和真と恭子の絆の力が、最後の扉を開く鍵となったのだ。
「開いた…!」
ギィィ…と重々しい音を立てて巨大な扉が開いていく。その先には天守閣最上階へと続く、最後の階段が見えた。日時計の影はまさに真上を指し、消えようとしている。
「急ごう!」
二人は最後の力を振り絞り、階段を駆け上がった。
天守閣最上階。琵琶湖の壮大な景色を一望できるその部屋には、やはり彦根桔梗が優雅な微笑みを浮かべて待っていた。手には懐中時計のようなものを持っている。
「まあ! ギリギリセーフ、といったところかしら。お見事ですわ、お二人とも」
桔梗はパチン、と懐中時計の蓋を閉じた。その表情には驚きと、それ以上に満足感と楽しみに満ちているように見えた。
「まさかわたくしの『遊戯盤』を時間内に突破するとは。特に最後の扉…ふふ、なかなか粋な仕掛けでしょう? 青臭いけれど、悪くない結末ですわ」
桔梗は楽しそうに肩をすくめた。
「あなた方の知恵、諦めない心、そして…そのちょっとばかり厄介な絆の力、しかと見届けさせていただきましたわ。約束通り、これを差し上げなければなりませんわね」
桔梗はそう言うと、懐から取り出した美しい扇子をひらりと開いた。すると扇子の要の部分に嵌め込まれていたのであろう、紫水晶のように妖しく、しかし気高い輝きを放つ天守核が彼女の白い手のひらの上に現れた。彦根城の天守核だ。
「ただし」桔梗は核をすぐに渡そうとはせず、その切れ長の瞳で和真をじっと見据えた。
「最後にもう一つだけ、わたくしの好奇心を満たしてくださらない? あなた方が集めるその力…それがテンシュリアにもたらすかもしれない『未来』について。多くの葛藤を抱えている様子だけれど…結局のところ、あなたは何を願い、何を成そうとしているのかしら?」
最後の問いかけ。それは駆け引きであり、和真の覚悟を最終的に見極めようとする桔梗なりの真剣な問いだったのかもしれない。
和真はもう迷わなかった。これまでの旅で悩み、苦しみ、そして見つけ出した答え。それを真っ直ぐに桔梗に告げる。
「俺は決めました」和真はきっぱりと言った。
「この天守核の力が本当に願いを叶えるのなら、俺がまず願うのは『この世界の異変を止め、傷ついたテンシュリアを元のあるべき姿に戻すこと』です」
「まあ」桔梗は少し意外そうな顔をしたが、面白そうに問いかけた。
「ご自身の故郷へ帰りたいという願いはよろしいのかしら?」
こちらの事情はすべてお見通しのようだ。
「帰りたい気持ちは、今も変わりません」和真は正直に認めた。
「でも、それは二の次です。この世界がこんな状態のまま自分だけが元の場所に帰っても、きっと後悔しか残らない。だから、まずはこの世界を救いたい。元の世界へ帰る方法は…きっと、その後で何か別の方法が見つかるはずです。信じています」
和真は少しだけおどけたように付け加えた。
「…まあ最初から、キョウコさんの分も含めて『願い事を二つにする』って願うつもりだったし。『願い事を三つにする』って願えば全部解決するかもしれないもんね!」
隣にいた恭子がクスッと笑って肘で小突いたが、和真の表情は冗談の中にも確かな決意と前向きな光を宿していた。
桔梗は和真の答えを聞くとしばらく黙って彼の目を見つめていたが、やがてフフフッと声を立てて笑い出した。それはこれまでの皮肉めいた笑いとは違う、心からの楽しそうな笑いだった。
「なるほど…! そう来ましたか! まさか『世界を救う』なんていう、途方もなく青臭い答えが最初に返ってくるとは! でも…ふふ、面白い! とても面白いですわ、あなた!」
桔梗は心底愉快そうに笑い続けると、やがてすっと真顔に戻り、紫水晶の天守核を和真へと差し出した。
「良いでしょう。その答え、気に入りましたわ。核はあなたに託します。その途方もない願いをどこまで貫けるか、見せてごらんなさいな」
そして彼女らしい皮肉を込めて付け加える。
「ただし…策に溺れてその青臭い理想を見失えば、あっという間に身を滅ぼしますことよ? その覚悟だけはお忘れなく」
「はい。ありがとうございます、桔梗さん」
「まあせいぜい頑張ることですわ。健闘を祈っておりますわよ、天守核泥棒さんたち?」
最後まで皮肉たっぷりに桔梗は二人を見送った。
彦根城を出ると、目の前には雄大な琵琶湖が広がっていた。桔梗との知恵比べは心身ともに疲労困憊だったが、大きな達成感もあった。
「はぁ~~~! やっと終わった! あの女、本当に最後まで食えないんだから!」
恭子は大きく伸びをしながら思いっきり愚痴った。
「まあまあ。でもおかげで十個目の核が手に入ったし、桔梗さんも根は悪い人じゃない…のかもな?」
「えー? どうだか!」
和真は苦笑しつつ地図を広げた。残る印は二つ。播磨・姫路と出雲・松江。地理的に近いのは姫路だ。
「馬はどうしよう…播磨まで連れて行っちゃうのも悪い気がして…」
和真は松本で借りた馬のことを思い出した。城下に預けていたはずだ。
「そのことなら、心配いりませんわ」
いつの間にか背後に立っていた桔梗の侍女が、優雅に一礼して言った。
「あなた方の馬は私が責任を持って松本へお返しするよう、桔梗様からご命令を受けております。ここから播磨へは湖を渡り、船を使うのが最も早うございましょう。港までの道案内も桔梗様が…」
「あら、余計なことまで言わなくてよろしくてよ」
いつの間にか桔梗本人も現れていた。
「まあ、そういうことですわ。さっさと行きなさいな。わたくしはあなたたちが白鷺の姫君にどうあしらわれるか、高みの見物をさせてもらいますから」
最後まで素直ではないが、彼女なりの配慮なのだろう。
「…色々ありがとうございました、桔梗さん」和真は改めて礼を言った。
「ふん」桔梗は扇子で顔を隠し、ぷいと横を向く。
残る天守核は二つ。どちらも厳しい戦いになるだろう。だが、今の自分には確かな仲間と、そして揺るがないと決めた願いがある。
琵琶湖の穏やかな水面がキラキラと輝きながら、次なる目的地へと向かう二人を静かに見送っていた。




