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天狗

――ナァ リュウセイ リュウセイッテバ


――キイテルノカ、オイ


 なんだかぼんやりとした声が聞こえた。


「なあってば隆生、あれ乗ろう、あれ」


 あまねが袖を引っ張っていた。指差す先にはゴンドラのようなものが見える。


「あんなのに乗ってどうするんだよ。王子稲荷に行くんだろ?」

「別にいいじゃないか、王子にはちゃあんと着いたんだから。ちょっと寄り道するくらいさ。それとも隆生はあれが怖いのか? 案外臆病だなぁ」

「怖いわけ無いだろ、あんなの…」


 地下鉄王子駅を出て少し歩くと、何だか風情のよい川沿いの公園が見えてきた。そこから川向こうに小高い丘を登るモノレールが見えるや、あまねは稲荷への道など無視してそちらへ駆け出した。早く用件を済ませてとっとと帰りたい気分だったのだが、無邪気に楽しそうにしている姿を見ていると、まぁそれくらい良いかと思った。

 実のところ、袖を引くあまねが馬鹿力だったということもある。


 飛鳥山(あすかやま)パークウェイ。元々は障害者のサポートなどの目的で運営され始めたモノレールであるようだ。普通に登れば王子駅前から飛鳥山の上まで、階段でも二、三分の道のりである。若者にはあまり意味がなさそうに思える点でも、サポート用であることは知れる。

 一台の行き来であるから、待ち時間まで考慮に入れれば階段を登ったとしても、恐らくそう変わらないどころか階段の方が早いくらいであろう。それでもタイミングが合えば無料で労せず上まで行けるのだから、労力を極力省こうとするなら乗らない手はない。


「高尾のロープウェイみたいだ!」


 道路ばかり目に付く景観だが、それでもあまねは楽しそうだった。

 モノレールには二人以外に誰も乗っていなかった。中は思ったより広く、十人ちょっとは乗れそうだ。そんなゴンドラの運行も、ものの二分で終わってしまう。

 扉が開くと山頂側にいた老人二人と、入れ替わるようにして降りた。


 木立の多いほのぼのとした公園の風景が広がっていた。ちらほらとベンチに腰掛ける老人や休憩中の営業マンらしいのから、散歩する夫婦、遠くからは子供の騒ぐ声も聞こえる。声の数が多い、遠足なのかもしれなかった。


 案内図を見る限り、隆生が想像していたより公園はずっと広そうである。上がってきた場所が北端で、南端まではかなり距離がありそうだ。南端には重要文化財の渋沢邸があり、途中には博物館もある。散歩などの暇つぶしもできるし子供の遊具もあるので、家族で足を運ぶにもいい。施設も充実していて良い公園だと隆生は思った。


「隆生! ここが頂上みたいだぞ!」


 あまねがはしゃいで飛び跳ねている。(そば)まで行くと緑色のマンホールの蓋のようなものと、石をピラミッド状に積み重ねたようなモニュメントがあった。

 隆生は時間を確認しようと腕時計を見ようとしたが時計がない。どうやら忘れたようだ。時計を見るのは散々時間に追われる生活をしていた時の癖であるが、無職の身には時間などさして大きな意味も無い。就職活動などやることをやれば、後は結果待ちで時間を浪費するのだから、たまにはこんな日があってもいいだろうと隆生は思った。


「東京はビルがいっぱいで自然が少ないと聞いていたが、ちゃあんとあるじゃないか! まぁビルもいっぱいだが」

「俺もそうは思うけどそれでも少ないさ。見ればどこかに道路や電車が見える。都会にあってどっぷりと自然に浸かれる場所なんて限られている。それでも全く無いよりはずっとマシだけどな」


 隆生は自然や公園、寺や神社が好きでよく足を運んだ。建物の雰囲気、木々や砂利の音が好きだった。自然の臭いが現実から遊離したような気持ちにさせてくれて、落ち着けたからだ。そもそも神社仏閣には現世と切り離された聖域としての役割もあるのだろう。煩わしい普段の生活から離れるのに、これほど適した場所はないと常々考えていた。

 この飛鳥山には無いようだが、小川でも流れていればそんな涼やかな情景にも心は癒されただろう。たかが公園でも規模が大きくなれば似たような作用を発揮する。大きな世界に自分の小ささを内包されることでの安堵、とでも言うべきだろうか。


 長閑な公園の景色を眺めながら、そういえば、こんな公園で彼女と話をしたことがあったと思い出す。思えばあの時に彼女を好きになったのかも知れない。優しい言葉遣い、不意に弱音が出ても、それをどうしてと覆す強さ。そして笑顔と笑い声が心の穴を埋めてくれるようだった。欠けた何かを埋めてくれるような存在に感じたのだ。あの時間は本当に幸せな時間だった。だが、それももう過去の話だ。

 さわさわと風に揺れる葉の音だけは、何も変わらないというのに。


 あまねがあちこちを駆け回るのを、後ろから眺めながら歩く。

 見上げると木漏れ日が綺麗だった。どうやら桜の木が多いようだ。春になれば花見でさぞ賑わうことだろう。

 急にあまねが立ち止まって振り返る。その表情は先程までとはうって変わった暗いものだった。


「どうした?」


 あまねはゆっくりと周囲を眺めた。しかし何も言わない。

 広場は人も少なく閑散(かんさん)としている。噴水のようなものが見えるが、水が出ている様子はなかった。


「広場がどうかしたのか?」

「いや、そうじゃなくてさ、とても綺麗なところだと思ってね」

「そうかい、それは良かった」

「褒めたのではないよ」


 あまねは小さく苦笑して、気を悪くしないでくれと言った。


「あまりにこの場所が綺麗だったものでね、自然とはこういうものでは本来ありえない。倒れた木は朽ち、そこから草や虫、いろいろなものが生まれ共生する。だからこそ自然の中には生と共に死の気配が漂うものだ。だがここにはそれが無い。いや、極めて少ないと言うべきなのだろうな」


 例え自然を模したとしてもやはり人工物、人の手の加わったものだということなのだろうか。だがそうでもしなければ例え公園でも維持できないのがこの場所だ。誰か、それが国や自治体だとしても、それらが管理しなければ瞬く間にビルや施設で埋め尽くされることだろう。土地は金に化けるからこそ、土地を守るというその努力は並々ならないものだ。もちろん、あまねの言葉はそれを分からず見下している訳ではないだろう。


「死の気配の無い自然は整然として美しいが、反面どこか寒々しい。生命力が弱々しいのだな。いや、少し違うか、その力を包み隠してしまっているかのようだ。そう、まるでありのままでいることが罪悪であるかのようにね。その罪悪から逃れるためにお面で顔を隠しているように思えて、それが少し寂しい」


 あまねの横顔は、それまで隆生が感じていた若く美しいだけの少女のものではなく、(つや)やかな大人の表情のようだった。横顔に魅入っていると、それが急に振り返った。


嘘偽(うそいつわり)りの安寧か、死の(ただよ)う真実か、君ならどちらを選ぶのかな?」


 視線に突き刺されたように、何だか分からない痛みが隆生の胸を(ほとばし)った。それを誤魔化すように隆生は笑う。


「天狗ってのは案外と詩人なんだな、哲学的と言ったらいいのかな。深みのある言葉だ。なかなか君くらいの年で、そう感じたことを表現することはできないもんだけど。実は童顔なだけで思ったより人生経験、天狗経験か? 豊富だったりしてな」


 歳は二十歳前後かと思っていたが、実は二十半ばくらいなのかも知れない。見た目よりも若く見える人は案外多い。隆生は冗談半分で言ったのだが、あまねは照れるでも笑い飛ばすでもなくあっけらかんとした様子で言った。


「隆生は歳が31と言っていたかな? だとすればわたしは君の3倍は生きているのだから当然だろう」

「ははは、じゃああまねは90歳になるのか、だったら可愛いおばあちゃんだ」


 あまねは眉を曲げる。


「おばあちゃんは心外だが褒め言葉として受け取っておくよ。しかし残念ながらもうちょっと上だ。今年で丁度100年生きている」

「百? とてもそうは見えないな」

「本当さ。天狗の歳としては20歳だけど。天狗には神通力があるから、人にして考えると凡そ5年で1歳の計算になる。見た目は20歳なのだから信じられないだろうが、年数ではわたしは君の3倍以上生きていることになる」

「またまたそんな。冗談だろ?」

「冗談なわけがあるか、このたわけ。考えたら分かるだろう、豊川の翁だってもう何百歳にもなるし、叶だってああ見えてかなりの年数を生きているぞ」


 そう言って口許を羽根扇で隠しながら涼やかな目で俺を見た。

 冗談じゃない、100年前といえば第一次世界大戦が起こっていた頃である。


「隆生、君は今までわたしを年下の小娘と思っていたわけだね。まぁ見目(みめ)に惑わされるのは已む無いが、これは紛れもない真実なのだよ。もういい加減ちゃあんと理解してもらったほうが良いね、これを見れば如何な疑り深い君とても解るだろう」


 小さく深呼吸すると、あまねは少し背を丸めた。

 次の瞬間、まるで蕾が花開くかのように

 その背に――


 翼が広がった。


 巨大な鳥のような翼である。

 神々をも思わせる後光のように広がっている。


 翼は『漆黒』だった。


 だが美しい。

 日の光を漆黒が弾き煌めく。

 黒い水面に虹が広がっているような輝き。

 小さな産毛の羽が、桜の花びらの様に舞う。


 漆黒の光背をまとった天狗は、見たことも無いほど艶やかに妖しさを湛え、その禍々しい気配を隠そうともせずに隆生に微笑んだ。


「もう自己紹介は最後だぞ。我が名は十郎坊あまね。天狗である」


 疑う余地は無い。彼女は天狗なのだ。


 隆生はその光景に息を飲んだ。

 天狗は実在する。


 そして


 微笑む天狗は

 あまりにも美しかった。


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